5章 6話 レンのこと、好きかもしれない
看板娘コンテストの当日を迎えた。
ショウが言っていた通り、街中の店は閉まり、通りからは人が消えた。
会場はあの巨大な噴水のある広場だった。
ここに木のステージが設置されるらしい。
設営前から広場には大勢の人が大挙して、集まっている。
人々の話し声には熱が篭り、興奮の度合いが伝わってくる。
午後一時の開始で、三十分前に出場者の点呼がある。
その後、板で仕切られた、簡易の控室に入る。
控室には付き添いで一人だけ、同行できるらしく、家族、同僚、あるいは友達が選ばれるそうだ。
アイサは朝からずっと緊張した面持ちで、身を強張らせている。
そろそろ点呼という頃、ショウが声を掛けてきた。
「アイサ、緊張しすぎだろ。まぁ、無理もないか。人前で何かする性格じゃないし、初出場だもんな」
こういうときに、こいつの明るさは有り難い。
突如、ショウが真面目な顔になり、
「そう言えば、リオのこと聞いたか?」
「リオ? リオがどうしたんだ」
「風邪ひいて、昨日の夜から熱が下がらないらしいぜ。さっき親父さんから聞いたんだ。張り切ってたのに、残念だよな。少し前に会ったときは、アイサには負けられないって言って、楽しそうにしてたんだけどな」
「私、リオの家に行ってくる」
駆け出そうとしたアイサを引き止める。
「もう点呼が始まるぞ」
「でも」
「リオのことは残念だけど、点呼に遅れて出場できないなんてことになったら、リオは怒ると思うし、自分を責めるんじゃないか」
アイサは思いとどまったようで、小さく首肯した。
点呼に向かおうとしたとき、誰かの視線を感じた。
周りを見回していると、アイサが小首を傾げ、
「どうしたの?」
「いや、誰かに見られてた気がして」
気になるが、今は点呼を済ませる方が先決だ。
今年の出場者は三十人。
出場順はランダムで決められ、点呼の際に、番号が書かれた札を渡された。
アイサは二十五番、結構後の方だ。
即席の控室には、異様な雰囲気が漂っている。
着飾った女の子たちが、一様に緊張し、付き添いの人は声をかけたり、反対にそっとしておいたりしている。
リオの話を聞いてから、アイサはさらに表情を引きつらせている。
リオの存在が、心の拠り所になっていたのだろう。
不安なシチュエーションでも、リオが同じステージに立つなら、と思っていたはずだ。
そして、開始の時刻になった。
広大な広場は、わずかな隙間もないほど、人がひしめき合い、大通りの方まで人海が続いている。
司会のお姉さんがステージ立ち、会場を盛り上げる。
その次に、運営委員会の偉いさんが出てきて、簡単な挨拶をする。
お姉さんがルールの説明をし、いよいよコンテストが始まった。
一番の札を下げた少女がステージに出て、お店の紹介をし、パフォーマンスをする。
新しい出場者が出てくるたびに、会場は盛大な歓声に包まれる。
出てくる女の子は、コンテストに出場するだけあって、皆可愛い。
会場の熱気は増していき、歓声が地響きのように聞こえる。
コンテストは中盤に差し掛かり、リリアーヌさんが出ていく。
鮮やかな真紅のドレスに引けを取らない美貌。
リリアーヌさんは、艶然とした微笑を湛え、
「バー〈ナイトメア・パラダイス〉のリリアーヌです。はじめまして。お店は十七番通りの奥、大きな看板が目印です」
一際大きな歓声が上がる。
男たちの声は、ほとんど雄叫びで、狂気じみている。
リリアーヌさんは観客の反応を楽しむように、会場を見渡してから、パフォーマンスを始めた。
リリアーヌさんのパフォーマンスは、歌だった。
歌い出しから、引き込まれる。
静かなトーンから入り、サビにかけて次第に盛り上がっていく。
切ないバラード。
その歌声はただ上手というだけでなく、心に浸透するような響きがあった。
マイクも伴奏もなし。観客は恍惚とした表情で、酔いしれている。
控室のライバルのはずの出場者でさえ、聞き入っている。
ショウは、サキュバスの魅了の力を使うと失格だと言っていた。
つまり、観客の精神をコントロールするような能力や魔術なしに、これだけ多くの人の心を鷲掴みにしているのだ。
これは、優勝するやつだ。
リリアーヌさんが歌い終わり、万雷の拍手が送られる。
リリアーヌさんの番が終わっても、気持ちの良い余韻が残っていて、会場はどこか夢見心地だった。
アイサの番が近づき、舞台袖にスタンバイしたとき、
「私、無理だよ。絶対勝てない。勝てるわけない」
「何言ってるんだよ。せっかく今日まで準備したのに」
「やっぱり、私には無理だったんだ」
リオの欠場と、リリアーヌさんのパフォーマンスが、アイサの心に弱気の風を吹かせたのかも知れない。
「確かにリリアーヌさんの歌は凄かったけど、アイサも負けてないと思うぞ。ここで頑張って、リオに良い報告してやろうぜ」
アイサは俺に向き直り、切実な表情で言った。
「レンはいつか、私の前からいなくなっちゃうでしょ?」
「急にどうしたんだよ」
驚いて尋ねると、
「急じゃないよ。少し前から、考えてた。レンが便利屋を手伝い続けてくれてるのは、私がレンの世界の愛砂さんと似てるからじゃないの? レンはこの世界の人間じゃない。だから、ずっと便利屋にいてくれるわけじゃない。アダムもお母さんの使い魔だし、私はいつか一人に戻る。そのときに、私一人でもやっていけるように、って思ったの」
アイサがそんな風に思っていたなんて、想像もしていなかった。
それでアイサは、コンテストの出場を決めたのか。
一人になるかも知れないという不安と、一人になっても頑張ろうという覚悟が、せめぎ合っているのではないだろうか。
俺はずっとこっちの世界に来ているわけじゃない。
だから、普段アイサがどういう生活をしているのか知らない。
俺の前では見せないようにしているだけで、いろいろな葛藤をしているのだろう。
アイサが、愛砂と似ているから、俺は便利屋を手伝い続けている?
果てして、そうだろうか。
俺は、アイサと愛砂をまったく切り離して考えられるだろうか。
二代目便利屋の手伝いをしているのは、アイサへの恩返しがきっかけだった。
一方で愛砂そっくりの少女を放っておけないという思いもあった。
だけど、本当にそれだけで、便利屋を手伝い続けられるだろうか?
アイサが、呼び込まれる。
「でも、ダメね。まだまだ一人じゃ、何もできない」
アイサは気弱に呟いた。
何か言ってやりたいが、何も思い浮かばない。
――レンはいつか、私の前からいなくなっちゃうでしょ?
――私は誰とも付き合わない。特に――あなたとだけは、絶対に。
俺は、アイサを見据えた。
「いなくならねぇよ。俺はアイサの傍にいるから」
アイサの大きな瞳が揺れる。
「本当?」
「あぁ。俺は目の前のアイサが、現代の愛砂と似ているから、便利屋を手伝ってるわけじゃない。アイサ・レイニーが、アイサ・レイニーだから、一緒にいるんだよ」
アイサは大きく頷いて、ステージに上っていった。
「二十五番、アイサ・レイニーです。両親が営んでいた便利屋を継いで、二代目として働いています。ちょっとだけ魔術が使えるので、披露したいと思います」
目を瞑り、神経を集中させるアイサ。
アイサの体の周囲に、小さな炎の球がいくつも出現する。
メラメラと力強く、鮮やかな赤。
浮遊する炎球が、高く飛んでいく。
それらはフォーメーションを組み、観客たちの頭上を飛行する。
観客の間近を低く通過したかと思うと、高度を上げ、空高く飛翔する。
それから、大きな輪になり、時計回りにぐるぐると回る。
その後、高速で回転しながら、徐々に中心に向かって集まっていき、アイサが両手を広げると綺麗に四散した。
練習通り、いやそれ以上だ。しかし、突然炎球に異変が起こる。
順調かに思われたが、炎が小さくなっていく。
アイサも明らかに慌てふためいている。
練習中にも、こういうことはあった。
アイサ曰く、炎球をコントロールし、自在に動かすことは難しいそうだ。
その上、同時にいくつも制御するのだから、難易度はさらに上がる。
そもそも魔術は、とても繊細な技術で、とてつもない集中力を要するらしい。
少しでも気が散れば、わずかな解れが発生する。
そして、その解れは動揺を生み、観客の何百、何千という目は、さらなるパニックを引き起こす。
極度の緊張は、他人からは分からないうちに、アイサを確実に追い詰めていたのだ。
小さくなった炎は、もう今にも消滅しそうだ。
付き添い人が手助けしたり、声を掛けたりすることは禁止されている。
歯がゆい気持ちで、ステージに上のアイサを見る。
もうダメかと思われたとき、観客の方から声が飛んだ。
「アイサ! しっかりやんなさい!」
風邪で寝込んでいるはずのリオがいる。
どう見ても体調は悪そうで、髪は乱れ、頬はやつれ、顔色もすこぶる悪い。
いつもはピンと立っている耳が、ぺたっと萎れている。
アイサのことが心配で、応援をするために、ベッドから飛び起きて来たのだろう。
本当は自分も出場して、優勝したかったはずなのに。
リオはふらふらの状態で、アイサを見上げ、
「何度だって言うわ! 本当に欲しいものは、絶対手に入れなきゃいけないのよ!」
アイサの表情から、戸惑いが消えた。
消えかけていた炎が、再び燃え盛る。
元よりも、存在感を増したようにすら感じる。
アイサは、完全に落ち着きを取り戻した。
右手の人差し指を天に向けると、炎球がまるで意思を持ったように、縦横無尽に駆け巡る。
観客は例外なく、上を見て、炎球の動きを忙しく追っている。
全ての炎球が、一瞬のずれもなく弾けた。
そして、儚く輝く火の粒となって、上空から舞い降りてくる。
その幻想的な光景に、ここに集まる全ての人々が息を呑む。
アイサは、パフォーマンスを終えた。
出場者は出番が終わると、控室とは反対側の舞台袖に下りていく。
俺は控室からステージの裏手を回って、アイサの元へ走る。
アイサは緊張から解放され、茫然と立ち尽くしていた。
俺の姿を見ると、とろけそうな笑顔で、
「ありがとう。最後まで頑張ったよ」
最後の出場者の番が終わり、集計が始まった。
一旦解散となり、数時間後、結果発表のため、人々は再び集まっていた。
司会のお姉さんが、ステージに上がり、
「大変長らくお待たせしました。それでは、クロックシティ看板娘コンテストの結果発表を行います」
出場者はもちろん、観客も固唾を飲んで、司会のお姉さんの言葉を待つ。
「今年の優勝者は、バー〈ナイトメア・パラダイス〉のリリアーヌさんです。おめでとうございます!」
ダメだったか。俺とアイサは顔を見合わせ、肩を落とした。
しかし、お互い自然と笑みが溢れる。
残念だったが、不思議と達成感があるからだ。
お姉さんが続けて言った。
「今年は、運営委員会特別賞があります。二代目便利屋のアイサ・レイニーさん、おめでとうございます」
黄昏の中、アイサと並んで歩く。
夕日は異世界も現代も同じ方角に、同じように沈んでいく。
祭りの後の街には、まだ人々の興奮が漂っている。
まるで残暑のように、完全には熱気が冷めず、名残惜しさが一抹の寂寥となって潜んでいる。アイサが呟いた。
「リオが良くなったら、報告しなくちゃ。リオのおかげだから」
ショウに聞くと、リオはアイサの出番が終わるやいなや、自室のベッドに連れ戻されたそうだ。
ショウはアイサに祝いの言葉を掛け、すぐにコンテストで気に入った何人かの出場者のところへ走っていってしまった。
ブレないやつだ。俺は頷き、
「今晩はお祝いだな。俺が何か料理作ろうか。って言っても、あんまり上手くないから、過度の期待されても困るけど」
アイサが、急に立ち止まった。
「どうしたんだよ? 早く帰ろうぜ」
声をかけるが、無言のまま、動こうとしない。
俺は首を捻り、アイサの前へ立つ。
「本当にどうしたんだよ」
アイサがおもむろに口を開いた。
「ねぇ、レン」
「なんだよ」
アイサは、上目遣いで俺を見つめる。
「私ね、レンのこと、好きかも知れない」




