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3章 5話 分不相応な感情

 プールの授業の前、更衣室に移動していると、理緒が愛砂に話しかけていた。


「今日も授業出ないの?」

「そうね」

「体調不良で?」

「そう」

「水着は持ってきてるの?」

「一応」


 理緒は目も合わせない愛砂に、


「一回でいいから、出てみたら?」

「どうして?」

「ずっとプールの授業を休んでいるでしょ。クラスの中には、本当かなって思ってる子もいるのよね」

「私が仮病で休んでるって?」

「今まで一度も授業出てないんだから、そう思われても仕方ないでしょ」

「そう思いたい人は、そう思えばいいんじゃない」

「もう一学期も後ちょっとしかないんだよ? ずっとこのままでいるつもり?」

「ずっとこのままって、どうせプールの授業は、一学期にしかない組まれてないでしょ」


 理緒が強い語調で、言い放つ。


「プールの授業だけの話じゃなくて!」

「あなたに関係ないわ。放っておいて」


 そう言うと、愛砂はその場を離れようとする。


「雨宮」


 俺が呼びかけると、愛砂が振り返った。


「何か用? あなたもお説教?」

「勘違いだったら悪いんだけど、泳ぎ、まだ苦手なのか?」


 愛砂はわずかな沈黙の後、


「だったら、何?」

「これ」


 俺はお守りを差し出した。

 中には、バニラの鱗を入れてある。


 愛砂は訝しげに、それを眺め、


「なにこれ?」

「これを持ってたら、泳げるようになるらしいぞ」


 受け取るかどうか躊躇っている愛砂に、俺は言う。


「小学校のとき、一回だけプールを泳ぎきったことあっただろ」


 しばらく静寂が居座り、やがておもむろに、愛砂がお守りを受け取った。

 愛砂が去っていった後、理緒が声を掛けてきた。


「大きなお世話じゃなかったの?」


 決して、嫌味じゃない。


「雨宮は確かに、もう何も失いたくないって言った。だけど、それが本心かどうか、雨宮が本当は何を望んでいるのか、俺にはまだ分からない。でも、もし雨宮が本心を言えないでいるのなら、俺たちは手を差し伸べ続けるしかないと思う」


 愛砂はすでに、あまりにも多くのものを失ってしまっているから。

 俺は理緒を見やる。


「だから、この前は、ごめん」

「ううん。こっちこそ、ごめんね。恋の気持ちを考えないで、私の意見だけ押し付けちゃった。あの後、翔に言われて反省したわ」

「理緒は、どうしてそんなに雨宮にこだわるんだ? とんでもない博愛主義者?」

「別にそういうのじゃないんだけどさ。ただつまらなそうにしてる子を見ると、気になっちゃうのよね」


 理緒は困ったように微笑んだ。




 プールの授業が始まったが、愛砂の姿が見えない。

 鬼軍曹が生徒を見回して、


「今日は二十五メートルのテストをするぞー。出席番号順で、男からな」


 うちの学校のプールは二十五メートルだから、端から端までだ。

 まずは男が出席番号の頭から、四人ずつレーンに並ぶ。

 泳法は自由で、クロールができるやつはクロール、できないやつは平泳ぎ。

 泳ぎ終わった生徒は、ゴール側で待つ。


 俺は、男の最後の組だった。

 泳ぎきってプールサイドに上がると、クラスメートたちの視線が一点に注がれていた。


 その視線を追うと、スクール水着姿の愛砂がいた。

 愛砂の登場に、クラスメートたちは騒然とし始めた。

 腕にはビート板を抱えている。


 小学校のとき、ビート板を使ってだが、一度だけ愛砂が二十五メートルを泳ぎきったことがある。

 愛砂は最初の組だ。

 レーンに立つ愛砂のビート板を、先生は注意しない。

 先生の笛を合図に、その組の四人が一斉に飛び込んだ。


 愛砂はビート板を抱えるように掴み、必死にバタ足をする。

 泳ぐ姿勢は不格好で、息継ぎのタイミングもむちゃくちゃ。

 まったく進まず、他の三人から大きく遅れていく。


 どうして愛砂が授業に出ようと決心したのかは、分からない。

 だけど、もしも俺の行動が、愛砂の心に少しでも触れられたとしたら――。

 同じ組の女子が、全員ゴールした。

 気がつくと、俺は叫んでいた。


「雨宮! 頑張れ!」


 クラスメートたちも、口々に応援の言葉をかけ始める。

 十五メートル地点を過ぎたとき、愛砂の様子がおかしくなった。

 元から姿勢は綺麗ではなかったが、さらに乱れ始める。

 クラスメートたちも、異変に気づき出している。


 溺れているのだ。

 足がつったのか。


 愛砂はパニックになり、四肢をばたつかせている。

 このプールは深いところで、水深一メートルくらい。

 愛砂の身長は、おそらく百六十前後だから、当然足はつく。

 しかし、水泳に不慣れで、しかも溺れている愛砂に、冷静さを求めるのは難しい。


 俺はプールに飛び込んだ。

 愛砂の体を捕まえ、


「大丈夫だから、落ち着け、足つくから!」


 俺の声は愛砂の耳には届かず、腕の中で暴れている。

 愛砂は恐怖のままに腕を振り回し、俺の顔や肩を何度も叩く。

 言葉にならない声を上げ続ける愛砂を引きずり、何とかプールサイドに上げる。


「けほっ、けほっ……」


 激しく咳き込む愛砂の元に、理緒たちが近寄ってきた。


「雨宮さん、大丈夫?」


 翔が俺の肩を叩いた。


「カッコよかったぜ、恋」

「ちくしょうっ……!」

「どうしたんだよ?」


 訝しげに俺を見る翔を置き去りにして、更衣室へ向かう。

 この怒りと悔しさはなんだ?

 俺が人魚の鱗を渡したせいで、愛砂がこんな目に遭ったから?


 違う。


 溺れる愛砂を見たとき、杏さんを亡くした、当時の愛砂の姿が見えた気がした。

 プールに飛び込んだとき、気付いてしまった。

 俺は、あのときのやり直しをしたいんだ。


 ――愛砂を助け直そうとしてるだけなんだ。


 クラスメートの批判の眼差しから守ろうとしたり、溺れたところを助けようとしたり、それらは全て当時の愛砂に、手を差し伸べているのだ。

 そんなことをしたって、あのときの愛砂の痛みは消えない。


 つまり、俺が愛砂を助けたのは、愛砂のためではなく、自分のためだ。

 それを明確に自覚した結果が、「ちくしょう……!」だったのだ。


 結局、俺は愛砂を助けて、愛砂の傍にいる権利がほしいんだ。

 だけど、今更もう遅いんだよ。

 失われた愛砂の時間は、戻らないし、俺たちの関係は変えられない。


 タイムマシンなんて存在しない。

 そんなこと、分かってたはずなのに。




 放課後になり、屋上から正門を見下ろすと、生徒たちが帰宅していくのが見える。

 グラウンドから体育会系の部活動の声が聞こえ、隣の校舎から吹奏楽部の音が流れてくる。

 俺が抜け出した後、授業は続けられたのだろうか。

 翔からラインが来ているが、既読スルーしておく。


 階段室の扉が開いた。

 誰か来たと思い、そろそろ帰ろうとすると、現れたのは愛砂だった。

 近づいてくる愛砂の首筋には、大粒の汗が光っている。


 俺を探し回ったから?

 緊張が走る。

 俺は恐れているのだ。


 愛砂の口から決定的なことを言われるのを。

 俺が愛砂にしてきたこと、そして、してこなかったこと。

 俺の無力を、俺のエゴを非難されるのが、怖い。

 面と向かって拒絶されることが、どうしようもなく恐ろしい。


 愛砂が俺の前まで来て、躊躇いがちに唇を動かした。


「さっきは、ありがとう。助けてくれて」


 違う、俺は……。


「やっぱり泳ぐのって、難しいわね。もっと練習が必要だわ。真面目に授業を受けなきゃダメね」


 愛砂は予め台詞を決めていたように、淀みなく話し、すぐに屋上を後にした。

 俺は、許されるのだろうか。

 今からでも、愛砂の力になっていいのだろうか。


「なんだよっ……!」


 ずっと抑えていた感情が溢れ出してきた。

 愛砂への罪悪感によって、無かったことにされてきた想い。

 それは抱いてはいけない、分不相応な感情。

 だが、もう認めざるを得ない。


 俺は、雨宮 愛砂のことが好きだ。

何かのご縁で、この小説を読んでくださったあなた、ありがとうございます。

またお会いできることを祈っています。

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