29.魔王と勇者3
「そういえば。エーデさん、ウェールズさんとはなにかあったんですか? 仲が悪いの?」
昼食時、上品にパンをわって口へ運ぶエーデにかなたが尋ねる。
すると相手はなんてことない調子に答えた。
「そんな馬鹿っぽい名前の冒険者知らない」
う、うん。仲悪いんだね。
ウェールズがただ毛嫌いしているだけなのかと思ったけれど。これはそうでもないらしい。ばっさり言い切って、それで話をしまいにしたエーデに、かなたはそれ以上突っ込むことはやめた。
ウェールズという名前の人物が冒険者であるとわかっているくせに、馬鹿っぽいとけなし、知らないと言っている時点でふたりの関係を察してしまう。
今はもう触れないでおこう。そう決めてかなたはあっさりと食事に戻った。
実は、今月は制度申請者の報告書提出月である。
報告の仕方はなんでもよいため、直に伝えに来るか手紙を送ってくるか、そんなところだ。
なにせ冒険者になった者が一番多い。町と町を渡り歩くそのルートに、蓮碧の町を足せばいいから、手紙を書くより楽なのだろう。
魔族は字を書くことが好きじゃない人が多いと勝手に思っている。職業で町を離れにくい人が手紙を送ってくるが、ミミズがたくさん踊っている。その解読がまた骨の折れるのだけれど。
小鳩亭の定休日に、魔族四人で読み解くのは楽しかった。不慣れな環境でああでもないこうでもないとやっている魔族たち。
彼らの頑張っている様子が、かなたの励ましにもなる。だからちっともミミズに向き合うことは苦じゃないんだ。
「おーい、ま……じゃなかった、お嬢! 来たぜ~」
夕食の支度に取りかかろうかという時刻。
店の予約が埋まり始めるのもこのころからで、案の定、今日も報告を携えた冒険者がやってきた。
だいたいみんなして迂闊なので、魔王様とかなたに呼びかけすることを禁止している。エーデに頼んで、小鳩亭にそういう魔石を仕込んでもらった。
不自然に言葉がとまる冒険者が多くてひやひやするが、魔王様と呼ばれるよりはましだ。
「いらっしゃーい」
陽気な声にかなたも手を振ってこたえる。やはり、魔族とこうして会えるのはうれしかった。
「カナタは、慕われているのだな」
ここ数日、ウェールズがあたためていたカウンター席に、この日はオーウィンが腰かけた。受付から飛んでくる冒険者の声に、彼もまた耳を向けている。
お互いに魔族だからね、とはもちろん言えない。かなたはにっこり笑った。
「そう見えているなら、うれしいですねえ。わたしも、なるべくお客さんと仲良くなりたいですし」
言っているそばから、カランコロンと鐘が鳴る。
「ま……げふんげふん! カナタ! 俺、今日泊まれる?」
だしぬけに飛んでくる声にも、かなたは慣れたもので動じない。
「いらっしゃい。受付しましょうねー」
「サザレアさーん、部屋!」
「空いていますけど、もうちょっと落ち着いたらどうですか」
サザレアの呆れた声が続いて、ケットとかなたが厨房で肩を震わせる。にぎやかだなあ。呟いたかなたに、オーウィンがうなずいて同意を示した。
がやがやと賑わう食堂は、夕飯の時刻だ。宿泊する全員が注文したため満席。楽しげに食事をする人たちの間を、せわしなくかなたとケットが行き交う。
「そこでよう、俺がすげえ苦労して森の奥まで行ったら、こいつがさあ!」
鶏肉のバターソテーをさしたフォークを、冒険者のひとりが振り上げる。その方向にいた別の冒険者がドヤ顔で口を開いた。
「俺のが早かったんだぜー! 違う依頼受けてて」
「依頼の内容が一緒だったんだな。ぜんぶ採っちまってて俺の分ねえの」
「世の中、あまくねえんだよ」
けけけ。意地の悪い顔で笑うのに、かなたまでつられて笑ってしまった。
一番南に位置する【白夜の町】の近くに、ほかでは手に入らない花があるそうだ。夜にしか咲かない、希少な花。月下美人みたいなものなのかなあと、かなたはぼんやり思う。
カウンター席で身振り手振りでその時の様子を語った冒険者に、今度はテーブル席にいた冒険者が口をはさむ。
「お嬢、お嬢! 俺なんてね、盗賊やっつけちゃったよ! がっぽり儲けたかんね!」
「へえ、すごい。怪我はしなかったですか?」
ケットがパンを補充しているのを手伝いながら、かなたが首をかしげると相手は得意げににっこり歯を見せた。
「おう! 骨折ですんだ!」
「……それ胸張れないから。まあ、治ったならよかったです」
かなたが呆れると、違うテーブルから元気な声が上がった。
「カナター! ぼくは手紙の配達マスターしたよ。この三か月で七十八通届けたもん」
「おまえ、そんなしょぼいことしてねえで、そろそろ違う依頼受けろよ」
すかさず飛んできた野次に、彼はムキニなって腰を浮かせる。
「うるさいなあ! 手紙をあまくみられちゃ困るよ! そっちだって、道具の配達ばっかりじゃん!」
「手紙よりなんかちょっとしっかりしてるだろ!」
どっちもどっちだろ!
ぎゃははは! いいぞ~もっとやれ~!
食堂のあちこちから、やんややんやとはやし立てる声。まったく、困ってしまうくらい、にぎやかだ。
苦笑を浮かべたかなたは、それでもこの状況が嫌いではないから困ったものだ。
「まあまあ。いいじゃないですか、ちゃんと働いてて。自分が楽しくやりがいを感じられるなら、なんでもいいと思いますよ」
「ほらあ!」
「うるせー」
子どもの喧嘩かよ。まったく、相変わらずだなあ。
言うまでもないが、今までかなたに手柄自慢をしていた冒険者は全員魔族である。報告月になると、ここが酒場じゃなくてよかったとしみじみ思う。アルコールが入ったら酒族の盛り上がりをみせて、そろって森に帰らなくてはならなくなる。
この世間話が制度の報告も兼ねていて、俺が俺がと争うようにかなたへ話しかけるため、端から見ればかなたが大人気。イルディークがむっとした顔でちらちら様子をうかがってくる。
「ところでカナタ! 酒も飲みたいんだけど!」
きれいに皿を空にしたひとりが、元気いっぱいに挙手をする。
かなたはそれににっこりと笑った。
「碧の泉へどうぞ」
けちー! と嘆きまじりの悲鳴があがっても無視無視。いくら酒好きの魔族でも、小鳩亭ルールは守ってもらわなければ。こういうときこそ宣伝! かなたは丁寧に碧の泉への道のりを教えた。
***
賑やかで陽気な空気が終わりを告げたのは唐突だった。
食事を終えた宿泊者が、満足そうな顔をしているのにサザレアは思わず笑った。魔族が多いぶん、気安くカナタに絡んで食堂は賑わっていた。
今はもう、ほとんどの客が部屋へと引っ込んでいる。遅めの夕食をとっているふた組がいるだけだ。
カランコロンと鐘が鳴ったのに目を向けると、むわんと酒のにおいが鼻をついた。サザレアは内心で眉を寄せる。
ドカドカと入って来た二人組の冒険者。赤い顔、定まらない視線、ふらついた足取り。立派な酔っ払いである。
いかつい背格好の男は、受付にいたサザレアに気づくと、締まりのない赤ら顔をにやりと崩した。
「おぉお、そういやぁ、ここにゃあ、ねーちゃんがいるんだっなあ」
「いーぃ女じゃねえか。おい、ちっと付き合えよ」
ずいぶんとろれつは回っていないのに酒は回っている。ぐでんぐでんのふたりは、この夜三階の一室へ宿泊している客だ。
小鳩亭は酒を取り扱っていない。が、外での飲酒を制限しているわけではない。部屋への持ち込みも禁じていないため、今までこういったことは何度かあった。
サザレアはもともと魔王付きのメイドではあるが、実家は酒場だ。こういう輩の扱いにも慣れている。
今までは大きな揉め事にならずにすんだわけだが、今回は雲行きがあやしい。酒を飲むのが下手な輩だと評価を下した。
魔族は基本的に、楽しく酒を飲んで騒ぐときは騒ぎ、飲み終えたらすぐに引っ込む。森の外ではそれができない者が多くいて驚いたのはここ最近のことだ。
カウンターに立つサザレアを、無理やり引っ張り出そうとする無骨な手。それをぱしりと叩いていなす。
「そういったご要望にはお答えしていませんので」
にっこりと完璧に笑んで付け入るすきを与えない。すると男はぐっと言葉に詰まって変な顔をした。ああ、やっぱり簡単に引き下がるような、ものわかりのよい部類ではないのか。ますます評価が地面に近づく。
への字にゆがませた口を相手が開こうとしたそのとき、サザレアの横にさっと人影が並んだ。
「なにかご用ですか?」
カナタが、相手の視線をさえぎるようにして立っている。サザレアの方が背が高いからかばい切れていないが、きちんと、斜め前に半身を出して自分が前に出る。
サザレアは一歩うしろへさがった。カナタへその場を譲り、黙って男と、この店の店主を見つめる。それから食堂の入り口を確認すると、硬い表情のイルディークとオーウィンが控えていた。
イルディークは一歩踏み出したが、そこより先には進まない。氷色の瞳を、カナタと、酒におぼれた男へと向けている。
サザレアは瞬時に周囲の気配を探った。厨房でそわそわしているケット、食堂のお客も驚きに固まってこちらをうかがっている。
背後の階段にはウェールズがいて、すぐに駆けつけられるよう、事の成り行きを見守っているようだ。冒険者に志願した魔族たちもこちらの気配を探っているのがわかった。
これだけそろっていれば、滅多なこともないはず。店に護衛を雇えと助言した双剣の傭兵には感謝しなくては、とサザレアはこっそりほほえんだ。
しかし、思い浮かんだ冒険者の顔をかき消すように、大きな声がぶちまけられる。
「ああ? んな、たいしたことじゃねーよ」
カナタを見下ろした男は、にやついた顔で酒臭い息を吐いた。
「ちょぉっと、このねーちゃんに、お酌してもらおぉってだけだろぉが」
宿泊者だから、この店を取り仕切っているのがカナタだと知っている。しかし、見た目はまだ子どもであるカナタを、小馬鹿にしていることはありありと伝わった。
まったく、うちのお嬢様になめてかかるなんて。にっこり笑みを浮かべてはいるものの、サザレアの胸の内は穏やかではない。
まっすぐ相手を見つめたカナタは、堂々と、小さな体で胸を張る。
「そういったご用件はよそでお願いします。ここは一泊の宿と食事が売りものです。ご希望のものはありませんので」
「んだよ、ちょっとだけだろーが」
「客に対してでけえ態度じゃねーかこのくそガキ!」
一気に血がのぼった男の罵声にも、カナタは冷静な態度をくずさなかった。ぐっと手を握ったけれど、それだけ。
ただ、それにうしろに控えているイルディークがわずかに殺気をこぼした。彼の気配が鋭い冷気をまとい始め、サザレアは視界の端で注意を向ける。カナタが絡むと、途端に沸点が低くなるのがこの男の玉に瑕だ。
「酔っ払って問題起こすような人は、うちのお客さんじゃありません。大人しくお泊まりいただくか、お引き取りいただくか、どちらかにしてください」
危険がないようすぐそばに控えてはいるものの、イルディークはぐっとこらえてその場にとどまっている。
手が、わずかに震えた。今すぐにでも、かなたを抱きしめたいとでもいうかのように。浴びせられる罵声から、舐めるような視線から、まもりたいのだと思っているのに、彼は動かない。いや、動くことができないのだろう。
今、この場はカナタにとって重要である。万事うまくいく話はない。魔族が外の世界にまぎれて、うまく人間に扮したとしてもそのすべてを受け入れられるとは限らないのだ。
種族関係なく相容れないものは存在する。そういった立ちはだかる問題を彼女自身が切り抜けなければ、この店も先はない。
カナタは今、イルディークの助けを望んでいないはず。それを彼はわかっているから、耐え続けている。
万が一危険が及びそうになったそのときに、適切に動けるよう、ただそれだけに集中しているようにみえた。
氷の瞳を鋭く細め、静かな怒りをにじませてたたずむ姿に、サザレアは目を細めてからカナタに視線を戻した。
「どうしますか? このまま部屋に行くのか、出ていくのか」
「うるせえっ!」
まっすぐと背を伸ばして立つカナタに、無骨な腕が振り上げられる。
固唾をのんで見守っていた者たちが一様に息をのむ。けれども、その腕がカナタにあたることはなかった。
パシリと叩き落とした音。視界を駆けた黒い影。
男の手を受け止めたオーウィンと、カナタを抱き込んだイルディークが動いたのは同時だった。
オーウィンが太い腕を逆にひねると、男の口から情けない悲鳴があがった。
「カナタ。あとは引き受ける」
「はい」
ほっとカナタの肩から力が抜けたのが目に見えてわかった。彼女は気丈にもにっこり笑う。
「ありがとう。お願いします」
階段から降りてきたウェールズも一緒になって、男たちを店の外へと押しやる。
ばたんと扉が閉まり、カランコロンと鳴る鐘の音が響くと誰ともなくため息がこぼれた。
扉の鐘はすぐにまた鳴った。
まだ受付から誰も動いていない。開いた扉に視線が集中して、入ってきたウェールズがきょとんと紅の瞳をまたたかせた。その後ろからオーウィンも続くと、扉は音を立てながら閉まる。
「穏便にお帰りいただいたぜ」
悪戯っぽく笑ったウェールズの言葉に、春風が吹いたみたいにその場の空気が一気にほころぶ。
たぶん穏便ではなかっただろうけれど、わかっていながら誰もそこには触れなかった。イルディークを貼りつけたままのカナタが苦笑してうなずく。
「すみません、ありがとうございました。――みなさんも。お騒がせしました」
食堂や階段の上から覗き込んでいるお客にも大丈夫だと手を振って、彼女はようやく、庇うように抱き込んでいる男に向き合う。
あーよかったよかった。口々に言いながら部屋に戻っていくお客たち。それを見送りながら、カナタはそっと彼の背に腕を回した。
イルディークは、身を固くしたまま、じっとカナタの肩に額を押しつけている。一歩も動けずに、カナタを支えにするみたいに、その場に縫い付けられている。
「イルディークさん」
呼ばう声に、彼は回した腕を震わせた。
高ぶる感情を抑え込むように、ぐっとカナタの体を抱きしめる。そして、細い肩口で大きく、安堵の息をついた。
「……お願いですから、無茶なことはしないでください」
しぼりだしたようにかすれた声は、ちいさくかすれていた。
怒りと、安堵と、心配と、織り交ざった複雑な気持ちは言葉では言い表せないだろう。
なにも言わず、ただただカナタを抱きしめるイルディークに周りにいた誰もが、かける言葉がなかった。
そんなかたくなな背を、カナタのちいさな手が叩く。
「イルさん」
カナタは肩にうまる艶やかな黒髪が頬をかすめるのに、くすぐったいと笑ってからあやすようになでた。
「大丈夫ですよ。ほら、ぴんぴんしてるでしょ」
ゆっくりと顔を上げたイルディークをカナタが上目にうかがう。ようやくとらえた水色の瞳に、悪戯っぽく言葉を続けた。
「わたしが無茶できるのは、みんながこうして守ってくれているからですよ。一緒にいてくれるだけでどれだけ心強いか知ってます?」
危なくなったら助けてくれる。その安心があるから、少女にしか見えないカナタが前に出れる。手を貸してくれる人がこれだけいるからこその行動なのだ。
サザレアは静かにほほえんだ。まったく、お嬢さんにはかなわない。
真っ白な顔色でカナタを見つめたイルディークは、胸を張ったカナタに薄い色の瞳を潤ませた。
「それなら、私たちがいないほうがお嬢様は無茶をなさらないのですか」
「……屁理屈こねないの」
真面目な顔で揚げ足を取られてカナタは唇をとがらせる。けれども、子どもみたいにぐずっている男にしょうがないなあと笑った。
「よくできました」
我慢してくれてありがとう。
背伸びをしてイルディークの頭をぽんぽんとなでてから、カナタはにっこりと笑った。
「さあ、まだ仕事の途中ですからね。もうひと頑張りしましょうか」
そう言ってイルディークの背中を食堂へと追い立て、サザレアにも視線をよこして手を振る。
その流れを、じっと勇者が見つめていた。
このあとでなにかがあるとは思わないけれど、彼は護衛という立場。まだ食堂にいつもりなのだろう。深い緑色の目がまっすぐとカナタの背中を追っていて、サザレアは苦笑をこぼした。
彼はまだサザレアたちが魔族だとは思っていないようだ。ただの客として、カナタの料理を気に入って来店している。
カナタが魔王としてオーウィンに会ったのは一回だけ。
顔も見られていないのだから、こちらが失態でもおかさない限りは気づかれないはずだ。けれども、そのわりにあの勇者はカナタのことを気にしている。
カナタ本人は自覚していないが、見た目と中身のちぐはぐさと大胆な言動は森の外では目立つ。それに加えて過保護な男たちが周りを固めているのだから、悪目立ちもいいところだ。勇者でなくとも気にする。現に、受付にいるサザレアにカナタの出身を尋ねる冒険者がちらほらいた。
森の外に出始めた魔族たちだって、全員が全員、カナタのいいようには黙っていられないだろう。そろそろ、なにか動きがあるかもしれない。
まかない用の皿が空になっていることに気づいたカナタと、ケットの悲鳴を聞きながら、サザレアはカウンターに腰かけたオーウィンをながめる。
勇者は、これから魔王とどうかかわっていくのか。
危険がない今のうちは、楽しみに見守らせてもらおう。




