28.魔王と勇者2
何事もなく一夜明ければ、慌ただしい朝食タイムである。
まだ陽が昇るまえにケットが出勤すると、四人で簡単な朝食をつまむ。これがだいたい、おにぎりに味噌汁。パンより米の方が腹持ちがよい。
サザレアとイルディークが食堂を整えている間に、ケットがパンを焼き始め、かなたが料理の準備をする。
朝の料理は季節によって材料は入れ替わるが、スープ、サラダ、卵料理、肉料理、ケットのバゲットとかなたのごはん。それがこのところの小鳩亭の朝である。
店を始めたころは小鳩定食、オリーブ定食なんてご飯とパンを分けていたけれど、このところは真ん中のテーブルにセルフコーナーを設けている。ココがいなくて人数も少ないから、お客に動いてもらっちゃおうということだ。
おかわり自由、と銘打てば好評なことは言うまでもない。
会計をすませて旅立っていくお客たちを見送って、食堂を片付けて、ようやくひと息。
遅く起きてきた居候をまじえて昼食をすませば、あとはゆったりとした時間が流れていく。
居候が出かけるのを見送ると、入れ替わりで物好きな護衛がおりてきた。彼は食堂に踏み入ると、イルディークがきれいに整えたばかりのカウンターに腰かける。
この時間、ケットは控室で休んでいる。あとのふたりも客室の清掃をしているが、終われば夕方まで休憩。小鳩亭は従業員と連泊するお客だけとなる。
ほとんどのお客は部屋の鍵をあずけて外出することが多いため、受付にベルを置いた状態でかなたたちは自由に過ごす。
今回の護衛を勤める勇者一行は、ウェールズを残して買い物に出かけたそうだ。ひょっこり現れた銀髪の護衛に、かなたは気兼ねなく声をかけた。
「しばらくこの町にいるんですね」
お茶でもいれて休憩しよう。湯を沸かすかなたに、ウェールズは楽しげにルビー色の瞳を細めた。
「武器の強化を頼んでるからな。完成する間はのんびりすることにしたんだ。あんまり物騒なこともないし、依頼もそんなにないんだよ」
「へー」
ギルドにある依頼は、もっぱら手紙やものの配達か、誰かの護衛。あとは、場所によって特産物やめずらしいものがあるので、その入手などが多い。平和だ。
北の鉱山に生えているキノコには希少価値がついていて、それを三本とってくる依頼が最近で一番の難題だった。そう話すウェールズに興味深く相槌を打っていたところで、宿屋の扉が音を立てて開いた。
「ちわー」
くたくたでへろへろなダイナが手を上げる。
受付にいたサザレアが笑顔でその背をど突くと、飛び上がった彼はもごもご文句を言いながら食堂に入ってきた。そこの姉弟関係も変わりなしである。
ダイナはカウンターにいた冒険者が目に入ると一瞬眉を寄せたけれど、すぐに何事もなかった顔でひとつ空けた椅子を引く。かなたは食器棚からもうひとつカップを取り出した。
「ダイナ。調子はどう?」
こぽぽぽぽと耳に心地よい音を立てながら紅茶をいれる。ふわりと香りが舞うのに、自然と肩の力が抜けていく。
睫毛にあたる湯気にほほえんで、かなたはふたつの茶器をカウンターから渡した。
「んー、まあ、客は落ち着いた感じ? 売上は来た人数にもよるからなー。初めのころよりは落ちてる」
営業を始めて二週間が経った。
トリトリートとココ、そしてダイナ。それぞれが慣れない環境のなか、慌ただしく駆け回っているのだろう。
体力に自信があるはずのダイナがここまでへばっているところをみると、心身ともに彼の負担は大きいのだろう。ココはともかくとして、興味本位で足を運ぶ多くのお客と、しっぽを振りまくってあっちこっち行っちゃう店主の舵取りは骨が折れる。
ココには、ダイナがサボる前に指示を出せばいいんだよ、なんて助言をしてしまったから尚のことだ。
カウンターのテーブルに片頬をつけてダレたダイナに苦笑して、かなたは自分のカップを片手に厨房を出る。ふたりの間の椅子を引いた。
「メニューは? 増やした?」
「今のところ変わってない。けど、ここの献立と合わせた方がいいかも。夕飯食ったやつが流れてくることあんだけど。食い足りねーとか言って」
「ああ……」
かなたがちらりと横に視線を向けると、紅茶をかたむけていた相手はむっと唇をとがらせた。
「俺は行ってねーってば」
「あれ、行かなかったんですか」
悩んだ末に行ったのかと思ったのだけれど。彼の意志は変らなかったらしい。今のところはまだ男の意地が勝っているのか。
ダイナとの会話を黙って聞いていたウェールズは、むっとしたままカップを置いた。
「行かねーっつっただろ。そりゃあ俺だってここの飯、腹いっぱい食いたいけどさ」
「……変な意地張ってないで行けばいいのに。おいしいよ? トリトリートの料理」
「行かない」
ぷいっとそらされた顔。銀のしっぽが弧を描いてゆれる。
「まったく、頑固だなあ」
かなたの呆れた声にも、彼はふて腐れたままだった。子供っぽく眉をしかめてじっとりとかなたを睨む。
「カナタには言われたくねーよ」
「あー、たしかに」
テーブルにつっぷしたダイナまでうなずくので、今度はかなたが顔をしかめる番だった。なんでだ。ウェールズほど意固地になっていないはずだ。解せない。
三人並んでぶーたれているのも嫌だったのか、ようやくダイナが体を起こして伸びをする。ぼさぼさの鳥の巣頭とずれた眼鏡。それに加えて、眠気に染まったやる気のない顔なのに、それでも口から出るのは仕事の話。
「ともかくさ、献立の予定表ちょうだい。それに合わせて材料の発注するから」
なんだかんだで根は真面目なんだよなあ。
かなたははーいと返事をして、厨房の奥にある机へと向かうのだった。
「やあぁん、イルディークさまぁ! チェインはこんなにお会いしたかったのにぃ」
献立表とレシピの束をそろえていると、落ち着いた宿屋の空気を黄色い声が切り裂いた。
テーブルでうだうだしているダイナに書類を手渡してから、かなたは視線を受付へと向ける。
「荷物は中に運んでくれ」
鼻から抜けるあまったるい声に、素っ気ない声がこたえていた。どうやら客室の準備は終わったらしい。時計を見ると十時半。今日も時間ぴったりだ。
「今日も素敵すぎて立ちくらみがしますぅ」
満面の笑みを咲かせた赤毛の娘が、大きな麻袋を抱えているのが見える。迷いの森の配達屋であるチェインバーだ。
迷いの森から蓮碧の町まで荷物の運送をしてくれている魔族なので、かなたたちとは長い付き合いである。相変わらずイルディーク相手に目がハート。声も砂糖。顔は花。
客室おりてきたイルディークは、ちょうど配達に来たチェインバーと鉢合わせたのだろう。彼も彼で相変わらずの外面対応である。ようするに冷たい。
「次回の注文書だ。ご苦労だった」
あっさりと羊皮紙を示した彼に、チェインバーが悲鳴を上げた。
「もうお別れのお話をするなんて、イルディーク様ったらつれないです! でもそこが素敵!!」
「イルディークさーん。荷物はそこに置いておいていいですよ」
そこでようやくかなたが顔を出すと、花の面が般若に変った。ちなみに能面だったイルディークはほっこり頬をゆるめた。それがますます般若に磨きをかけてしまう。
向けられた鋭いアーモンド形の瞳にかなたは苦笑をする。彼女はイルディークのことが大好きなので、イルディークが愛してやまない魔王様のことは大嫌いだ。
「お嬢様」
「運ぶのはこっちでやりますから。イルディークさんは、チェインバーと一緒にそのまま碧の泉に行ってきてください。ついでにダイナがサボらないように連れて行って」
「えー」
ぱっと般若が花に変わってイルディークを見つめたのは言うまでもないが、食堂から不満声が続いたのでかなたの苦笑は深まるばかりだ。
イルディークはすぐに心得たとうなずく。かなたの言葉以外は彼の耳に入っていかないから、新たな任務遂行に全力を注ぐことにしたのだろう。食堂でうだうだしている影に右向け右をした。
「ダイナ」
「余計なことしなくていいってばー」
「ダイナ」
「俺、自分で好きなときに帰るし」
いくらダイナがぶーたれてもイルディークは真面目な顔をくずさない。
「ダイナ。お嬢様を煩わせるな、早くしろ」
「……ったく、イルさんは頭が固いんだからさー」
面倒くせー。ぶつぶつ言いながら頭を混ぜるダイナに、かなたはにっこり手を振った。
チェインバーの配達ルートは小鳩亭のあとに碧の泉。
彼女は少しでもイルディークと一緒にいたいわけだし、すぐ仕事を抜け出そうとするダイナの首根っこもつかめるし、荷物の上げ下ろしの人手にもなるし。一石三鳥くらいにはなるだろう。
のろのろと椅子からおりたダイナは、嫌そうな顔で食堂から出てきた。
こんなことで使命感に燃えないでよー。いいじゃんカナタの言うことなんでも聞かなくったってさー。
あんたなに言ってんのよ! そういう真面目なところがイルディーク様の魅力なんじゃない! そりゃああたしだって絶対服従しなくていいと思うけど!!
おまえたち、早くしないか。私がお嬢様のところに戻るのが遅くなる。
にぎやかな声たちが扉をくぐると町の喧噪にまぎれて遠ざかっていった。嵐がさったように静かになった小鳩亭。目を交し合った面々で呆れの笑みをこぼすのだった。
小鳩亭特有の空気を取り戻したところで、かなたは食堂に居座る護衛の背中を振り返った。
にぎやかな声たちを聞いていた彼は、おかしそうに咽喉を鳴らして笑う。もてもてじゃん、なんて窓の外へ向けた呟きにかなたまで笑ってしまった。
「それで? 今回はどこを旅してきたんですか?」
ダイナが座っていた椅子に腰かけると、頬杖をついたウェールズは空になったカップを指先でつつく。
「んー、北の方だな。あっちは深い森や山が多いから、エルフやドワーフの町がある」
「ああ、炭鉱や鉱山があるんでしたね」
「そ。石の加工がすげえから、建物も頑固だし見ごたえがある。宝飾品も特産だな。ドワーフは手先が器用で感心する」
そのときに難題だったキノコ探しもしたのか。
キノコ採りが趣味のエルフに話を聞かなければ見つけられなかったと思う。そう言うウェールズはとても楽しそうにそのときのことを語った。きらきらした瞳にかなたはほほえむ。
「武器や防具も買うなら【地中の町】だな。高えけど。俺の槍も頼み込んで作ってもらったわけ」
「鍛えるのも、同じところがいいの?」
「できればな。腕利きの鍛冶屋なら誰が作ったものでもいい仕事するけど、その逆じゃあ質が落ちる。高い金払ってんだから、それなら名匠に頼みたいだろ」
「うん」
「【緑陰の町】でも、腕のいい鍛冶屋がいるって話が広まってるな」
いらずらっぽくかなたを見上げるウェールズに、かなたは紅茶のおかわりでカップを満たした。くゆる湯気はふわりと空気に溶けてゆく。
「そっか。それはいいことだねえ」
三か月に一度提出される報告書が思い浮かんでかなたはうなずく。彼は、うまくやっているのだろう。
エルフの多いその町で金槌を振るう姿を見てみたいなあ。
ぼんやりかなたが思っているところで、カランコロンと鐘が鳴った。ウェールズが出入口を振り返って首をかしげる。
「あれ? オーウィンなにしてんの」
勇者が、カウンターに座るふたりをじっと眺めていた。買い物から帰って来たところのはずだが、荷物は見当たらない。部屋に置いてきたのか、なにも買わなかったのか。
きょとんとしたかなたと、頬杖をついたウェールズとを見比べたオーウィンは、そっと静かに口を開いた。
「……そう言うウェールズは、なにをしているんだ」
「カナタと世間話」
さらっとした返答に、オーウィンがわずかに眉を寄せる。あれ、なんだろう。だめなのか世間話。
きょとんとまたたくかなたをよそに、ウェールズがにやにやとオーウィンを見上げる。
「なになに~? オンちゃんもまざりたいのー?」
オンちゃん。どうやらオーウィンのことみたいだ。ずいぶんかわいらしいなあ。
からかうウェールズに彼はむっとした瞳を向けたけれど、上目にかなたをうかがって、そのままうなずく。
「まざりたい」
ぷっとかなたは吹き出した。
素直だなあ。
くすくす笑うかなたは目元を赤らめたオーウィンに、ウェールズの横を勧める。そして自分は椅子から立つと、一度厨房へと入った。
「コーヒーでも飲みましょうか。護衛さんですからね。ちょっとだけおまけです」
さっき来たダイナが置いていったカステラをお茶請けにしよう。ついでに感想もいただいてしまおう。
ダイナに渡した和菓子のレシピは、しっかりと活用されているようだ。時間を見つけて菓子作りをしているダイナは、試作品と称してかなたのところへ持ってくる。本来の味が再現できているのか気にしているところが、やっぱり彼の真面目さを物語った。
切り分けたカステラと、ちょこっとだけ濃いめにいれたコーヒー。
不思議そうにそれを眺める勇者に、かなたはゆっくりと口を開いた。
「オーウィンさんたちは、どうして旅をしているんですか?」
そういえば、オーウィンと面と向かって話すのは初めてだ。
いつもウェールズが率先して話しかけてくれるので、勇者なのに影に埋もれてしまっている。
イルディークが怒るだろうが、勇者とある程度親しくなることはいいことだとかなたは思う。相手がどういう考えを持っていて、なにをどうしたいのか、知っておけばかなたたちだって動きやすい。予想もできずに不安を抱くよりも、対処の選択肢ができるわけだ。
それに、もし仲良くなったなら、魔族を根絶やすなんてことを思わないかもしれない。
かなたはオーウィンを見つめる。
樅木色の瞳がかすかにゆれて、テーブルに視線を落とした。
「……勇者なのだと、周りが言う」
ぽつりとこぼれた声に、かなたもウェールズも黙って耳をかたむける。
「たしかに、未知なる力をはじくことがあるから、それができるのが勇者なのだとすると、俺は勇者なんだと思う。【忌みし力】を消せるのだから、それを使う魔族を倒さなければならない。魔王を、倒さなければならない。ずっと、そう思ってきた」
彼はいつ、相殺の力に気づいたのだろう。
自分にその力があると知って、勇者だと崇められ、正義を胸に町を旅立つ決意をしたのだろうか。
魔族は悪者だと言われて育ち、己にそれを打ち破る力があるとすれば。まっすぐな少年は、魔族の根絶が自分の使命だと思うかもしれない。
カップを両手で包んだかなたは、栗色の髪の少年が周りに勇者にされていく様子を思い描く。
「じゃあ、オーウィンさんは魔族に会ったらやっつけるんですね」
紅茶とはちがうよい香りが鼻腔をくすぐるのに目が細まる。
かなたの言葉に、オーウィンはほんの少し眉を寄せた。コーヒーにはまだ口をつけておらず、視線はテーブルの上で組んだ手に注がれている。逡巡しながら、彼は言葉を選んだ。
「理不尽に力を誇示するのなら。【忌みし力】は魔族のほかには使えない。あれを前にしたらどんなに腕を磨いても、防ごうとしても、敵わない」
ちいさなため息が、コーヒーの湯気を躍らせる。
「俺は今、魔王を探している。邸をたずねろと魔王は言った。たどり着ければ、なにかが変わるかもしれない」
「変わりたいことがあるんですか?」
「……よく、わからない。生まれたときから魔族は悪いといわれて育ったし、そう思っていた。だが、実際に悪意を持った【忌みし力】を目の当たりにしたのは、たった一度だけだ」
たった、一度。それが多いのか少ないのか、かなたには判断がつかない。
けれどもその一度きりの【忌みし力】が、相殺の力を持っていると証明したのだろう。それがなければ、オーウィンは勇者と言われることなく、違う道を歩んだのか。
知らない過去へと思いをはせたかなたへ、すっと、あの深い緑の瞳が向けられる。
「――カナタは、魔族をどう思う?」
かなたは、くゆる湯気から勇者に目を戻した。
まっすぐと向けられる目。
砂塵の町で会ったときと、少しも変わらないひたむきな瞳。かなたはふうと息をついてからほほえんだ。
「そうですねえ。【忌みし力】が強すぎる力のことなら、わたしからしてみれば、オーウィンさんやウェールズさんたちもそれを持っていると思いますね」
きょとんとしたオーウィンに、かなたは肩をすくめてみせる。
「わたしは剣なんて使えないし、戦うことはできません。わたしにはない力です。つまり、そういうことです」
コーヒーをひとくち飲んで、その香りと深みを味わった。うまい苦みが咽喉をとおると、かなたは先を続ける。
「使い方の問題なんじゃないかな。でも、そう思っている人たちばかりじゃないから、こうやってこじれているんでしょう。根が深いだけにむずかしい」
じっと向けられるまなざしに、かなたはほっとする。
旅をして、彼もたくさんのものを見てきたのだろう。かなたの言葉を聞いて、考え方のひとつとして彼のなかに入っていく。きちんと、耳をかたむけて、世界と向き合おうとしているように見えた。
「嫌いなものを好きになれとは言わないけれど、自分がかかわらないことでお互いの世界が保たれるなら、それはそれでいいと思っています。ある意味での共存ってことかな。わたしは、店で料理をおいしく食べてくれて、騒ぎを起こさずに泊まってくれるなら、魔族も、人もエルフもドワーフも、誰でも歓迎しちゃいますねえ」
まあ、今すでにどの種族も宿屋に来てくれているけれど。
その言葉は飲みこんで笑うかなたを、オーウィンの深い瞳がまじまじと眺めた。
そうか、と小さくこぼした彼に、冷めるからどうぞとコーヒーとカステラをすすめる。ずっと黙っていたウェールズがすっかり皿を空にして、よかったなと嬉しそうに笑った。




