四話
「……というわけで、これがこちらの世界の『タチグイ・ソバ』という高エネルギー精錬食ですね!」
早朝五時半。改札の外にある小さな立ち食いそば屋の暖簾をくぐり、エルザは目を輝かせていた。店内には出汁と醤油の香ばしい湯気が満ちている。
「そんな大層なもんじゃない。ただの駅そばだ」
八木沢は券売機で「天ぷらそば」と「月見そば」の食券を買い、調理場のおばちゃんに渡した。エルザは食券の受け渡しシステムすら「即時決済型錬金術」と勘違いしているようで、いちいち感心したようにノートへメモを取っている。
「はい、お待たせ。天ぷらと月見ね」
カウンターに並べられた丼から、立ち上る温かな湯気。
エルザは箸をぎこちなく持ち、つゆを一口すすると、目を丸くして身を乗り出した。
「んんっ……!? 美味しいです! 濃密な出汁の旨味と、この揚げ物の油分が魔力回路の隅々にまで行き渡るような……!」
「腹が減ってただけだろ。ほら、冷めないうちに食いな」
八木沢もそばをズズッとすする。徹夜の保線作業と異世界の未練霊の対応で疲れた身体に、温かい出汁がじんわりと染み渡っていく。
だが、平和な時間はそう長くは続かなかった。
ピピッ、ピピッ、ピピッ――
八木沢の胸ポケットにある駅員用無線機が、緊迫した警告音を鳴らした。
『事務室より全員へ! 始発列車の点検中、下りホーム3番線にて異常な空間歪みを検知! 謎の高エネルギー反応が接近中!』
「なに……!?」
八木沢とエルザは顔を見合わせた。そばを勢いよくかき込み、箸を置く。
「おばちゃん、ごちそうさま! お釣りはとっといて!」
「ちょっと八木沢くん、お釣り出てないわよ!?」
二人は早朝の誰もいない改札を駆け抜け、3番線ホームへと向かった。
ホームに降り立つと、まだ薄暗い空気の中に漆黒の亀裂が走っていた。空間がバリバリと音を立てて割れ、そこから異世界の禍々しい気が漏れ出している。
「八木沢さん、あれは……『時空の過重負荷』です!」
エルザが青ざめた顔で空間の亀裂を指さした。
「一昨日の過剰な魔力チャージ、昨夜の車両型バケモノの侵入、そして未練霊の解錠……短時間に異世界とこの駅を繋ぎすぎたせいで、境界の壁が耐えきれなくなっています!」
亀裂から、赤黒い触手が何本も伸び出し、ホームの柱や架線を締め上げ始めた。このまま亀裂が広がれば、駅全体が異界の歪みに飲み込まれてしまう。
「始発電車の発車まで、あと一〇分しかないぞ……!」
八木沢は腕時計と亀裂を交互に見た。始発電車には、これから出勤する人々や通学の高校生たちが乗ってくる。駅を守り、安全に電車を走らせるのが自分の責務だ。
「エルザさん、その亀裂を塞ぐ方法はあるか!?」
「私の魔力だけでは足りません! 境界を修復するには、この駅全体に流れる巨大なエネルギーを一時的に『逆流』させて、亀裂を押し返すしか……!」
「駅全体のエネルギー……そうか、『架線(高圧電線)』の電力だ!」
八木沢は速攻でホームの壁にある『緊急ボタン』のカバーを叩き割り、中のレバーを操作した。変電所からの送電ルートを切り替え、ホームの架線に流れる数千ボルトの交流高圧電流を、ホーム端の安全装置へと迂回させる。
「エルザさん! 架線から漏れ出る電力を、君の魔法で『魔力』に変換して亀裂へ打ち込め!」
「電力を魔力に……!? そんな無茶な変換、回路が保ちません!」
「大丈夫だ! 君の杖は超上位の魔導具なんだろ? 僕が電圧を調整する。君は全力で意識を集中しろ!」
八木沢は線路脇の変電制御パネルに飛びつき、ダイヤルを極限まで回した。
バリバリバリバリッ!!!
架線から青白い電撃のスパークが散り、エルザの杖へと収束していく。激しい電流の負荷に、エルザの髪が逆立ち、制服の袖が焦げた。
「くっ……あぁぁぁっ! すごいエネルギーです……!!」
「耐えろエルザ! 5秒後に電圧がピークに達する! 3、2、1……今だっ!!」
「打ち払え――『境界修復陣』!!」
エルザが杖を突くと、雷光を纏った巨大な光の魔法陣がホーム全体に広がった。光の波動が赤黒い亀裂に激突し、異界の触手を一瞬で消滅させる。
ゴオオオオオン……!
空間の亀裂がぐにゃりと歪み、光の粒子となって綺麗に閉じ合わさった。
破壊されかけたホームに、再び爽やかな朝の風が吹き抜ける。
「はぁ……はぁ……やった……塞がりました……」
エルザはその場にへたり込み、肩を上下させた。八木沢も制御パネルに寄りかかり、荒い息を整える。
直後――
プシュー……
ホームの向こうから、眩しいヘッドライトの光とともに、始発電車がゆっくりと滑り込んできた。ドアが開き、数人の乗客がまばらにホームへ降りてくる。何事もなかったかのように、静かで平凡な朝が始まったのだ。
「ふぅ……なんとか始発に間に合ったな」
八木沢は汗を拭き、へたり込んでいるエルザに手を差し伸べた。
エルザはその手を取り、立ち上がると、どこか晴れやかな笑顔を浮かべた。
「八木沢さん。これで……この駅と私の世界を繋ぐ不正な歪みは、完全に修復されました」
「……そうか」
「はい。これからは、あのようなバケモノや事故がこちらの世界に漏れ出すこともありません。……ですが」
エルザは胸元から、あの虹色に輝く『ICカード定期券』を取り出した。
「この正規の定期券があれば……私はいつでも、自動改札を通って八木沢さんに会いに来られます」
「定期券の期限が切れる前にな」と、八木沢は少しだけ口元を緩めた。
「ふふ、はい! 次に来るときは、またあの『タチグイ・ソバ』をおごってくださいね!」
「考えとくよ。……ほら、乗り遅れるぞ。異世界行きの始発だ」
八木沢が自動改札機のタッチパネルを指さすと、エルザは元気に首を縦に振り、虹色のカードをピッとタッチした。
ピンポーン♪
心地よい通過音とともに改札の扉が開き、エルザの姿は朝日の光の中へと溶けていった。
八木沢は制服の帽子をかぶり直し、深く息を吸い込んだ。
「よし……今日も一日、ご安全に」
朝日が差し込むホームで、駅員・八木沢のいつもの仕事が、再び動き始めた。




