第1話死因は女神と天使のヤケクソ
休日だった。
佐伯優兎は、自室のソファに寝転がりながらポテトチップスを食べていた。
カーテンは半分閉まり、昼過ぎの柔らかな光が部屋に差し込んでいる。
テーブルの上には開けかけのお菓子袋、飲みかけの炭酸、途中まで読んだ漫画。
最高だった。
「休みって素晴らしいな……」
優兎はしみじみ呟き、再びポテチへ手を伸ばす。
その瞬間だった。
ボコンッ!!
「へ?」
床が抜けた。
正確には、床の下に突然“穴”が開いた。
漫画みたいに綺麗な丸穴。
一瞬だけ身体が浮く。
脳が理解を拒否する。
「なあああああああああああ!?」
そのまま真っ逆さまに落下した。
部屋が遠ざかる。
ソファが小さくなる。
ポテチが宙を舞う。
「待て待て待てぇぇぇぇぇ!!」
穴は閉じた。
戻れない。
「俺まだ死んでないんだけど!?」
叫びながら落ちる。
暗闇。
風圧。
胃が浮く感覚。
しかも底が見えない。
「これ絶対ロクなことにならないやつぅぅぅ!!」
落ちた。
◇
気が付くと、優兎は硬い床に転がっていた。
「……っつ」
痛みはある。
生きているらしい。
身体を起こし、周囲を見回す。
「……なんだここ」
そこは、無駄に豪華な空間だった。
金。
宝石。
無意味に巨大な柱。
キラキラと発光するシャンデリア。
統一感は皆無。
金持ちが「高そうなもの全部置け」と命令したみたいな悪趣味さだった。
「センス終わってんな……」
部屋の奥を見る。
半開きの巨大扉。
その隙間から、別室が見えた。
そして優兎は、そこでようやく嫌なものを見た。
「……なんだあれ」
スーツ姿の天使たち。
全員、机に向かっていた。
カタカタカタカタカタカタッ!!
猛烈な速度で何かを打ち込んでいる。
全員、目が死んでいた。
隈。
青白い顔。
積み上がる書類。
床に転がる栄養ドリンク。
泣きながら作業している者までいる。
しかも。
『第五世界、恋愛ルート修正間に合いません!』
『攻略対象が三人ほど消滅しました!』
『女神様が新しい推しカプにハマりました!』
『歴史改変、再発生!!』
地獄だった。
「うわぁ……」
優兎は本能的に理解した。
ここ、絶対ブラック企業だ。
しかも超上位の。
その時。
ふわり、と光が舞った。
「よく来ましたね……」
声。
優兎が振り返る。
そこにいたのは、美しい女だった。
白銀の髪。
神々しい衣装。
背後に浮かぶ光輪。
完璧な美貌。
どう見ても女神だった。
女神は優兎を見る。
「これから貴方を――」
言葉が止まる。
じっ。
顔を見られる。
沈黙。
「……普通じゃん」
「は?」
空気が凍った。
女神は露骨にテンションを下げる。
「見た目がなんか気に入らない」
「えぇ……」
「イケメンじゃないならいいわ」
「理不尽!?」
「なんか今日の気分じゃないし」
女神は面倒臭そうに手を振った。
「やっぱやーめた」
「は?」
次の瞬間。
優兎の足元に、巨大なゴミ箱が出現した。
「え?」
吸い込まれる。
「ちょ、待っ―――」
落下。
「なんだあのクソ女神ぃぃぃぃぃ!?」
◇
ぐしゃ。
嫌な音がした。
優兎の身体が、黒い地面に叩きつけられる。
「……ぁ」
痛みがない。
いや、感覚そのものが薄い。
腕が変な方向へ曲がっている。
視界がぼやける。
「わけわからないまま死ぬのか俺……」
息が浅い。
寒い。
意識が遠のく。
その時だった。
コツ。
コツ。
誰かが歩いてくる。
視界の先に現れたのは、一人の天使だった。
だが。
明らかにおかしい。
ボサボサの髪。
シワだらけのレディーススーツ。
尋常じゃない隈。
そして。
虚ろを通り越した、“虚無の目”。
天使は優兎を見る。
数秒の沈黙。
そして。
「助けてください」
「なんで?」
死にかけ相手にする顔じゃなかった。
天使はふらふら近づいてくる。
「……もう耐えられなぃんです」
「うん」
「退職届も破られて……」
「うん?」
「有給申請も取り消されて……」
「うん?」
「オマケに気分で国まで消されて……はぁ〜……」
「スケールでかいな!?」
天使は死んだ魚みたいな目で呟く。
「転属願いもダメでした……」
「配置換えとかないの?」
「ありませんでした……」
「終わってんなこの会社」
「意見箱なんて誰も見ないですし……」
「ブラック過ぎん?」
天使の肩が震える。
「なので……貴方に頼るしか……」
「死にかけに縋るほど!?」
優兎は困惑した。
だが、天使の顔を見てしまう。
本当に限界なのだと分かった。
「……わかった」
その言葉に。
天使の目が、ほんの少しだけ見開かれた。
「……いいんですか?」
「まぁ……このまま死ぬよりは」
天使はタブレット端末を取り出した。
指が動く。
異常な速度で。
「今、女神は乙女ゲームにハマってるんです」
「嫌な予感しかしねぇ」
「推しのために歴史改変まで始めました」
「邪神じゃん」
「あなたには、そのストーリーを台無しにして欲しいんです」
「俺一般人なんだけど」
「それを証拠に通報します!」
「証拠!?」
高速入力。
画面がバグみたいな速度で流れていく。
「転生設定はこちらでするのでご安―――」
ガクン。
「……え?」
天使の首が落ちた。
寝ていた。
「おい」
反応なし。
「おい起きろ!」
「…………すぅ」
「寝るなぁぁぁ!!」
その瞬間。
優兎の身体が光り始める。
嫌な予感しかしない。
天使の端末には。
【修正不可能】
赤い文字。
だが優兎には見えなかった。
「……絶対ロクなことにならないだろこれぇぇぇぇ!!」
光が弾けた。
視界が白く染まる。
身体が引き裂かれるような感覚。
「うわああああああああっ!?」
佐伯優兎の叫びは、光の中へ飲み込まれていった。
◇
――風の音。
草木が揺れる音。
鳥の鳴き声。
「……ん」
優兎はゆっくり目を開けた。
森だった。
木々が生い茂り、土と葉の匂いが漂っている。
「……生きてる?」
身体を起こそうとして。
「……あれ?」
違和感。
妙に視点が低い。
地面が近い。
しかも。
「手が……?」
見えたのは、人間の手ではなかった。
白い。
ふわふわ。
丸っこい。
「前足?」
優兎は固まった。
「……いや待て」
恐る恐る周囲を見る。
身体も小さい。
耳が長い。
なんか尻がもふもふしてる。
「……動物?」
嫌な予感しかしない。
その時。
さらさら、と水の音が聞こえた。
優兎は慌てて音の方へ向かう。
草むらを抜ける。
そこには小さな川があった。
水面を覗き込む。
映っていたのは。
白いうさぎだった。
「うさぎじゃん」
沈黙。
「いやうさぎじゃん!!」
森に叫び声が響いた。
水面のうさぎも叫んでいる。
当然だった。
「なんで!?」
優兎は混乱した。
「転生って普通もっとこう……!」
剣とか!
魔法とか!
勇者とか!
「なんでうさぎ!?」
川辺をぴょんぴょん飛び回る。
「絶対設定ミスっただろあの天使ぃぃぃ!!」
だが、思い返せば納得でもあった。
あの天使、途中で寝た。
完全に寝落ちした。
あれでまともな転生になるわけがない。
「……終わった」
優兎は川辺でうなだれた。
自分の耳がぺたんと垂れる。
「どうすんだよこれ……」
とりあえず歩いてみる。
ぴょん。
ぴょん。
「……うわ、めっちゃ跳ねる」
身体能力だけは妙に高かった。
森の中を軽々進める。
だが。
「で?」
現実は変わらない。
「うさぎで何しろって?」
葉っぱを見つける。
試しに齧る。
しゃく。
しゃくしゃく。
「……草の味しかしねぇ」
そりゃそうだ。
葉っぱだし。
「やっぱただのうさぎじゃん……」
空を見上げる。
青い。
平和だ。
だが優兎の心は全然平和じゃない。
「乙女ゲーム破壊しろって言われても……」
自分の身体を見る。
白いうさぎ。
完全に小動物。
「無理だろ」
むしろ保護される側だ。
森を歩き回る。
だが、文明らしきものは見当たらない。
木。
草。
虫。
たまに変な鳴き声。
「ここどこだよ……」
不安が押し寄せてくる。
「寝る場所とかどうすんの?」
雨降ったら終わりでは?
野生生活とか無理なんだが?
「……詰んでる?」
冷静になるほど終わっていた。
しかも。
だんだん寒くなってきた。
「うわ、風冷てぇ……」
夕方が近いのかもしれない。
優兎は近くの大木の根元へ移動した。
そこなら多少は風を防げそうだった。
「今日はここで寝るしか……」
鼻がむずむずした。
「……ん?」
違和感。
むずむずする。
止まらない。
「は……」
嫌な予感。
「は、は……」
鼻が震える。
「くちゅんっ」
直後。
ドゴォォォォォォンッ!!!
爆音。
目の前の大木が爆発した。
「…………」
優兎は固まった。
大木が砕け散る。
木片が弾丸みたいに飛び散り、周囲の木々を貫通。
衝撃で地面が揺れる。
遅れて轟音。
鳥の群れが一斉に飛び立った。
森の奥で何かが倒れる音まで聞こえた。
静寂。
「…………は?」
優兎はゆっくり前を見る。
そこにあったはずの大木。
消えていた。
いや。
“爆散していた”。
「……え?」
数秒遅れて理解が追いつく。
「俺がやった?」
周囲を見回す。
他に誰もいない。
つまり。
「くしゃみで?」
沈黙。
風が吹く。
葉っぱが舞う。
「……設定ミスってレベルか? これ」
優兎の耳が引きつった。
その時。
ズズンッ……。
遠くの森から地響きが響いた。
「……ん?」
何か巨大なものが動いている。
木々が揺れる。
鳥が逃げる。
そして。
森の奥から、巨大な熊みたいな化け物が現れた。
黒い毛並み。
異様に大きな牙。
血走った目。
体長は五メートル以上。
「…………」
優兎とうさぎサイズの視線が合う。
怪物は、先ほどの爆音に怒っているらしかった。
唸る。
地面が震える。
優兎は思った。
「終わった」
逃げようとした。
だが。
怪物が先に突っ込んできた。
ドゴンッ!!
地面が砕ける。
「うわあああああああ!?」
優兎は反射的に前足を振った。
ぽふっ。
可愛らしい音。
次の瞬間。
怪物の上半身が吹き飛んだ。
ズガァァァァァンッ!!
肉片と血が森へ降り注ぐ。
木々が赤く染まった。
衝撃波で周囲の草が薙ぎ倒される。
「…………」
静寂。
優兎は固まった。
前足を見る。
白い。
ふわふわ。
可愛い。
でも。
地面には巨大怪物の残骸。
「……は?」
ぽたり。
血が落ちる。
優兎は震える声で呟いた。
「俺……何になったんだ……?」
―――続く




