第77話:白銀侵攻
空を切り裂いた白銀の閃光は、禁忌の森が積み上げてきた静寂を、無慈悲に粉砕した。
森の奥深くで眠っていた獣たちは一斉にその身を震わせ、鳥たちは羽音を散らして逃げ惑う。
森そのものが、異物の侵入に軋みを上げていた。
王立魔導院の兵器、そして王都の正規軍。
白銀の重装甲を纏った歩兵部隊が、等間隔の機械的な足音を響かせ、霧の立ち込める森へと踏み込んでいく。
頭上では、無数の偵察機が、昆虫のような駆動音を撒き散らしていた。
「……掃討開始まで三十分。魔女の隠れ家ごと、この古臭い森を焼き払え」
無線機越しに、冷酷な命令が飛び交う。
兵士たちは最新の魔導銃を構え、進軍を開始した。
彼らの瞳にあるのは、文明の利器への絶対的な信頼と、未知の領域への侮りだった。
「薄気味悪い森だぜ。禁忌の森って言やあ、王都でだって立ち入りが禁じられてるって場所だろ?」
「ああ、一度入ったら、生きて戻って来られねぇって聞くな。くそ、なんでこんなところに俺たちが……」
ぼやき混じりの声は、途中で不自然に途切れた。
部隊が奥へ進むほど、霧は粘り気を帯びるように濃くなっていく。
彼らの言うとおり、禁忌の森は、王都の合理主義が想定するような、ただの植生ではなかった。
魔導探査機の表示も絶えず乱れ続け、コンパスの針は狂ったように円を描き始めた。
足元では腐葉土に隠れた極彩色の菌糸が、兵士たちの重いブーツに、密かに、粘着質に絡みついている。
「……おい、報告と違うぞ。道が、さっきから繋がってない」
「違う、俺たちは真っ直ぐ進んでいたはずだ!」
指揮官の焦燥をあざ笑うかのように、古びた大樹が軋んだ音を立てて自ら枝を組み替え、視界を塞ぐ。
兵士たちの間に、ざわりと動揺が走る。
方角も距離感も、この森においては、ドラクロワの意志一つで書き換えられる概念に過ぎなかった。
そして時折、霧の向こうを蒼い影が音もなく横切っていく。
誰かが叫び、銃口が一斉に向けられるが、次の瞬間には、そこにはもう何もいない。
残されているのは白い霧と、肌に貼りつくような冷気だけだった。
それは王都の兵士たちがこれまで経験したどの戦場とも違う、異界の理に支配された迷宮だった。
◆
「東回廊、物理封鎖。第二、第三魔力経路を中央塔へ。……ああもう、掃除したばかりの床を鉄屑で汚したら、末代まで呪ってやるからね!」
ドラクロワ城の心臓部、玉座の間。
膨大な魔力が奔流となって行き交うなか、ピピは半ば叫びながら、その小さな手を虚空にかざしていた。
ピピの指先が動くたび、城内の石扉が重厚な音を立てて閉ざされ、防衛用の結界が新たな幾何学模様を描いて再配置される。
結界が敵の攻撃を受けるたび、ピピの白い頬には魔力の逆流による微かな亀裂が走った。だが、彼はそれを気にする素振りも見せない。
彼はもはや平時の姿を脱ぎ捨て、城そのものと神経を同期させた、精霊としての真価を発揮していた。
背後では、冷ややかな静けさを纏ったベルローズが、戦況を見据えている。
彼女の周囲には、安置された宝珠から溢れ出す深紫の魔力が、炎のように揺らめいていた。
光に照らされた黒いドレスは、まるで夜そのものを切り取ったように昏い。
ベルローズが指先を持ち上げると、城壁を覆いつくした茨が脈動し、結界が深い紫に発光する。
彼女の魔力に呼応するように、城そのものが侵入者への敵意を露わにしていた。
「ピピ、中央制御を完全に任せるわ。侵入者の足止めを」
「僕に任せて、ベルローズ様。一欠片の鉄屑も、宝珠へは近づかせない」
ピピの灰色の瞳が、光を放つ。
城全体が生き物のように脈動し、侵入した王都兵たちを回廊の迷路へと誘い込んでいった。
一方、森の最前線では、アマンダが防衛線として立ち塞がっている。
彼女は戦おうともせず、ただ、そこに在るだけで森を侵食していた。
白銀の魔導兵器が熱線を放ち、木々を焼き払おうとする。
だが、焼かれたはずの切り株からは、瞬く間に毒々しい胞子を吐き出す巨大な茸が増殖し、兵器の関節部へと菌糸を伸ばした。
「いけませんね。そこは、森のみんなの家なんです。踏み荒らす悪い人は、嫌われますよ」
霧の中から、アマンダの声が亡霊のように、優しく響く。
兵士たちの足元からは、蛇のような根が這い出し、その四肢を絡め取った。
肺腑を突く甘い花の香りが、兵士たちの意識を混濁させ、視界にありもしない悪夢を投影する。
「た、助け――」
足首を蔦に絡めとられた兵士の叫び声が、途中で途切れた。
霧の奥へ引きずり込まれ、泥の中へ沈むように消えていく。
数秒後。彼がいた場所には、その体温を肥料として、これまで見たこともないほど鮮やかな紅い花が、一輪だけ咲き誇った。
兵士たちの背後で、誰もいないはずの森が笑っている。
美しくも禍々しい、森そのものの化身としての恐怖。
アマンダの穏やかな微笑みが霧の隙間に見えた瞬間、屈強な兵士たちが、赤子のように震えながら後退を始めた。
そしてその恐怖を、物理的な破壊へと変える影が、戦場を駆けていた。
ルシアンの煌めく蒼い瞳が、霧の中で光の尾を引いている。
彼はかつてないほど正確に獲物の急所を見定め、確実に処理していく。
王都の人間たちを前にしても怒りに呑まれることなく、冷静に理性を保ち続けていたのには、理由があった。
守るべき城がある、帰るべき場所がある。
朝の光の中で、欠伸をして笑いあった、あの温かな日常がある。
それらを蹂躙しようとする、白銀の濁流。
それを一つ残らず、氷炎の地獄へ叩き落とすことだけが、今の彼の行動原理だった。
頭上を旋回していた偵察機が、蒼い氷槍によって貫かれ、黒煙を上げて墜落する。
森を裂く白銀の閃光に対し、ルシアンは氷の魔力を纏わせた肉体一つで肉薄した。
巨大な魔導兵器の装甲を、素手で紙細工のように引き裂き、粉砕する。
蒼い炎によって焼き尽くされた魔導兵器は、塵も残さずに消えていく。
「奴を殺せ、怯むな! 数に任せて押しつぶすのだ!」
指揮官の絶叫と共に、一斉射撃が森を白く染めた。
だが次の瞬間、兵士の視界から、前方にいたはずの蒼い影が掻き消える。
「――え」
遅れて、その兵士の首筋に、刃物のような冷気が走った。
振り返る暇もなかった。鮮血が白い雪のような霧を赤く染め、凍りついた肉片が森の土に還っていく。
ルシアンは一切の無駄を削ぎ落とした動作で、白銀の波を各個撃破する。
背後に立ち上る、鋭利な凍気を背負った彼。
それはドラクロワの主を守る、最も美しく、最も無慈悲な牙だった。
王都軍の進軍が、明らかに滞り始めていた。
禁忌の森と、ドラクロワ城。
その連携の前に、最新鋭の魔導兵器さえもが、ただの鉄の残骸へと変わり果てていく。
兵士たちの間に、言葉にならない恐怖が蔓延し始めた、その時だった。
混乱する前線の後方。
数人の従者を連れた一人の男が、霧の中から静かに姿を現した。
白銀のコートに身を包み、乱れ一つない金髪。
その碧い双眸は、地獄のような惨状を眺めながらも、鏡のように冷たく凪いでいる。
彼の周囲には、硝煙も悲鳴も、何一つ届いていないかのようだ。
まるで世界が彼を避けているかのような、不気味な真空がそこにはあった。
王立魔導院の若き院長、ヴィクトル。
彼は、氷と蒼炎の魔力を爆ぜさせ、王都の精鋭を文字通り粉砕し続けるルシアンを、遠くからじっと見つめていた。
そして、懐から魔力計測機を取り出すと、自軍を蹂躙する蒼い影へと向けた。
その碧眼には、犠牲の大きさなど微塵も映っていない。
「……ほう。あんな姿にもなれたとは……。便利なものだ」
純粋な興味から、ヴィクトルの眉が僅かに上げられた。
自分が変異体として、そして有能な部品として、檻の中で弄んでいたはずの獣。
それが今、一人の女を守るために、あれほどまで完璧な殺意を研ぎ澄ませているとは。
「なるほど、ね。ベルローズが執着してここに置いている理由も、少し解ったよ」
ヴィクトルの唇が、薄く、歪な弧を描いた。
その瞳に宿ったのは、狂気を含んだ歓喜か、あるいは冷徹な計算か。
彼の到着と共に、戦場の空気は一変した。
王都の悪意が、ドラクロワの門前に、その重い足音を響かせ始めた。




