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【7/16完結予定】氷の幻獣は、冷徹な魔女に拾われる。―夜の庭にサファイアは咲く―【完結まで毎日更新】  作者: 彩羽やよい
第1章:契約の薔薇

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第1話:邂逅

 ――首筋に突き立てられた聖銀のプラグが、魂を数字へと変えていく。

 その痛みが、今も消えない。


 禁忌の森はその夜、わずかに騒いでいた。

 王都という名の秩序が排出したあらゆる(よど)みが、この森へと流れ着く。

 捨てられた罪人、壊れた魔導具、そして日の当たらない場所へ追いやられた異形たち。


 王都の喧騒(けんそう)から遠く離れ、濃い霧に守られるようにして佇むドラクロワ城。

 その最上階、城の主であるベルローズは、色褪せた長椅子に、深く身を沈めていた。


 魔導書の(ページ)を繰りながら、淡々と綴られた歴史に視線を落とす。

 漆黒の髪が夜を溶かしたように肩から流れ落ち、深紅の瞳が文字を追う。


 ふと、彼女の手が止まる。

 頭部に(そび)える角が、微かな(うず)きを伴って月光を跳ね返した。


(……また、疼くのね)


 それは、愛したはずの男から「醜い不具合だ」と断じられた、孤独の証。

 彼女は無意識に角へ触れようとして、指を空中で止めた。

 指先さえ、今はひどく冷たい。


 途端、私室の扉を急かすようなノックが響く。


「大変です、ベルローズ様!」


「……入りなさい」


 重い扉が、主の返答を待ちわびたように押し開けられた。

 駆け込んできたのは、整えられた銀髪を振り乱した少年、ピピ。

 背中にある結晶質の羽が、主への報告を急ぐあまり、乾いた音を立てて震えていた。


「落ち着きなさい、ピピ。磨き上げたばかりの床に、傷をつけてしまうわよ」


「掃除どころじゃありません! 西の庭園……、崩れた外壁のそばに、見たこともない蒼い狼が倒れているんです。あんな魔力、今までこの森を通ったどの魔物とも違います!」


「……どういうこと?」


「ただの魔物が持ってるような魔力じゃないんです、なんていうか……、もっと鋭くて澄んだ、本当に妙な魔力で……」


 ピピは、飲み込むようにして一度言葉を切る。

 そして、潔癖な彼が嫌悪感に顔を(ゆが)めるほどの、不吉な事実を吐き出した。


「それに、首には、……『聖銀の首輪』が()められていて。そこから嫌な、王都の魔導院が使う魔力が漏れてます」


「……蒼い狼。それに、聖銀の首輪?」


 ベルローズの指が、頁をめくる動きを完全に止めた。

 心臓の奥が、氷の(くさび)を打ち込まれたように冷える。


 かつて自分を所有物として縛り、魔力の出力効率だけを値踏みし、その尊厳を『醜い』と切り捨てた場所、王都。

 そこに住まう魔導士たちが研究のために愛用していた、美しき管理の象徴。

 その執拗(しつよう)な影が、この城にまで届いたというのか。


「わかったわ、ピピ。庭園まで案内して」


「えぇっ、行くんですか!?相手がどんな化け物か、まだ確かめてもいないのに――」


「化け物なら、ここには私という先客がいるわ」


 ピピの言葉を遮るように、ベルローズは静かに立ち上がった。

 黒レースの(すそ)が、夜の影を引きずるように床をう。


「私の城の敷居を、断りもなく(また)いだ不作法な客よ。……その首を絞める不浄な鎖ごと、庭の外へ叩き出してあげなくては」


 ベルローズは長い回廊へと足を踏み出した。

 窓の外からは、風に乗って微かに獣の唸り声が聞こえてくる。


 ◆


「ベルローズ様、あそこです……!」


 先導するピピの鋭い声が、湿り気を帯びた夜気とともに回廊に響く。

 鼻を突いたのは、生々しい獣の血が放つ鉄臭さと、過負荷に陥った大気を焦がすような、魔力の残滓(ざんし)

 生命が根こそぎ削り取られる際に発せられる、剥き出しの悲鳴のような臭気だった。


 視線の先、西の薔薇園の崩れた石壁のそばに、それはいた。


 月光を反射して怪しく光る、深い藍色の毛並み。

 泥と枯れ葉にまみれ、無惨に汚れながらも、その毛並みは気高さを失っていない。

 だが、その肺は限界を訴えるように、途切れ途切れの低い喘鳴(ぜいめい)を漏らしていた。


 横たわるそれは、狼に似た体躯を持っていたが、通常の獣よりも遥かに大きい。

 四肢の先からは制御を失った魔力が淡い燐光(りんこう)となって漏れ出し、周囲の地面を、季節外れの薄氷のように白く凍らせている。


 そして、その首筋を深く押し潰し、柔らかな毛並みの下の肉に食い込むようにして嵌められた、忌々しい聖銀の首輪。


 そこから溢れ出すのは、彼女が最も憎む王都の術式。

 対象を縛り、人格を封じ、その魔力を一滴残らず搾取するために設計された、呪いの輝きだった。


(……私と、同じ)


 泥濘の中で倒れ伏す獣の姿に、彼女はかつての自分自身を、救いようのないほど鮮明に重ねていた。

 もしあの日、森の暴走が自分をこの城へ運ばなければ、自分もまた、こうして魂を銀に焼かれながら、名前さえ奪われて朽ちていったはずなのだ。


「ベルローズ様、近寄っちゃダメだ! まだ息がある、下手に触れたら噛みつかれるよ!」


 背後で叫ぶピピの制止を、彼女は冷徹なまでに聞き流した。

 繊細な黒レースの裾を泥に汚すことさえ(いと)わず、一歩、また一歩と、死にゆく蒼い幻獣へと歩み寄る。


 彼女の白い指先が、その首元で鈍く光る聖銀の首輪に触れようとした、その時。

 絶命を待つだけだったはずの獣が、カッとその瞳を見開いた。


 至近距離で、二つの色が火花を散らす。

 ベルローズの、燃えるようでいて静かな深紅と。

 激しい苦痛と濁った憎悪の奥で、なお消えぬ誇りを宿した、吸い込まれるようなサファイアブルー。


 喉の奥で、獣が低く地鳴りのような声を上げた。

 それは明確な殺意を(はら)んだ警告であり、同時に、絶望の淵からの悲痛な拒絶だった。


「来るな、殺せ、触れるな」――言葉にならぬ叫びが、視線を通じてベルローズの胸を突く。


 だが、ベルローズは微塵(みじん)も怯まなかった。


 彼女の手が、震える獣の頬に、そして首輪へと吸い寄せられるように伸びた。

 聖銀の冷たさが指先を突き刺し、彼女自身の魔力を糧として吸い上げようと、術式が牙を剥く。


「……構わない。噛みたければ噛みなさい。私の指を食いちぎり、この喉を裂けば気が済むのなら」


 彼女は、自分を拒絶する獣の視線を真っ向から受け止め、逃げなかった。


 その瞬間、聖銀の首輪がキチキチと、耳障りな(きし)み声を立てた。

 ベルローズの魔力を外敵として拒絶し、排除しようとする防衛反応か。

 あるいは、永い飢餓(きが)の中にあった獣が、初めて差し出された温かな糧を求めて、その手を飲み込もうとしているのか。


「あなたのその誇りごと、この銀に焼かせるわけにはいかないの」


 彼女の呟きと共に、庭園の薔薇が一斉にその蕾を震わせた。

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