第1話 消えたい理由
透明な人間には、透明な優しさしか似合わないと思っていた。
これは、誰にも見つけてもらえなかった少女が、消えるための場所で、消えない何かと出会ってしまう話です。
【簡単な世界観】
舞台は、致死性フルダイブ型VRMMO「ニルヴァーナ」。「生きる意味を見出せた者だけが、現実に還れる」と謳われるこの場所は、深刻な希死念慮を抱える人々に向けて、秘密裏に運営されています。参加者は、フェーズごとに変化する「生還条件」を満たさなければ、現実の肉体もろとも命を落とします。そして参加者一人ひとりには、固有の"力"が宿ります。
デスゲームですが、殺し合いが主目的の物語ではありません。誰かを守ること、誰かに守られること、そしてその両方が、いかに人を壊し、同時に救いうるか——そんな、心の機微を大切に書いていきたいと思っています。
更新は不定期になりますが、気長にお付き合いいただけると嬉しいです。
残酷な描写を含みますので、その点だけご了承ください。
序章:招待
水無瀬澪という名前を、澪自身、何度も忘れそうになる。
教室の中で、澪の席だけがいつも少しだけ静かだった。
誰かが澪に話しかけないわけではない。ただ、澪と交わした会話は、その日のうちに誰の記憶からもこぼれ落ちていくようだった。
出席を取る声に「はい」と答えても、その声は空気に溶けて消える。
まるで最初から、そこに誰もいなかったかのように。
澪は、自分がいなくなっても、この教室の温度は一度も変わらないだろうと知っていた。
それは悲しみというより、もっと乾いた確信だった。
高校を卒業してからの二年間、澪はアルバイトと家、そしてたまに通うカウンセリングルームの間を往復していた。
そのカウンセリングルームで、澪は皆瀬千夏という女性に出会った。
千夏は、他のカウンセラーと違って、澪の話を「聞いている振り」をしなかった。
相槌のタイミングがずれることもあったし、時々黙り込んで、まるで自分自身の何かと闘っているような顔をすることもあった。
それが澪には、奇妙な信頼になった。
この人は、少なくとも「演技」をしていない。
「澪ちゃんは、誰かに“見つけてもらう”経験をしたことがある?」
ある日、千夏はそう尋ねた。
澪はしばらく黙ってから、首を横に振った。
「見つけてもらうって、どういうことですか」
「存在を、確かにここにあるものだと、誰かに認識してもらうこと」
澪には、その感覚がまったく想像できなかった。
――――――――
千夏がその話を持ち出したのは、それから半年ほど経った、ある雨の日の夕方だった。
「これは、まだ公にはなっていないプログラムなんだけど」
千夏の声は、いつもより低く、慎重だった。
「VRを使った特殊な治療的プログラムがあるの。深刻な希死念慮を抱えている人が対象で……その中で“生きる意味”を見つけられた人だけが、現実に戻ってこられる、という建前になっている」
「建前」という言葉に、澪はわずかに反応した。
「でも、参加した人たちの中には、本当に何かを取り戻して帰ってきた人もいる。私はその人たちを、何人か知っている」
千夏の目には、迷いと、それを上回る何かがあった。
後から思えば、あの時の千夏は、澪を助けたいという気持ちと、自分自身が長年抱えてきた罪悪感の間で揺れていたのかもしれない。
だが、その時の澪には、そこまで読み取る余裕はなかった。
澪はただ、「消えたい」という感覚と、「消えても誰も困らない場所」という言葉が、自分の中で静かに重なっていくのを感じていた。
「それは、私にも参加できるものですか」
千夏は、少しの間、答えなかった。
――――――――
Nirvanaという名前を知らされたのは、参加が決まった数日後だった。
同意書に近い書類には、リスクについての曖昧な文言が並んでいた。
だが澪は、ほとんど読まずにサインをした。
読んだところで、何かが変わるとは思えなかった。
出発の前夜、澪は珍しく、千夏からのメッセージを何度も読み返した。
「何があっても、あなたは戻ってきていい場所がある。それだけは覚えていて」
その言葉の意味を、澪はまだよく分かっていなかった。
ただ、初めて誰かに「戻ってきてほしい」と言われたという事実だけが、胸の奥に小さく、居心地悪く残った。
フルダイブ用の機材に横たわりながら、澪は目を閉じた。
意識が沈んでいく感覚の中で、澪は最後にひとつだけ思った。
――ここでなら、私は何かになれるだろうか。
視界が白く塗りつぶされ、やがてゆっくりと、見知らぬ世界の輪郭が浮かび上がってきた。
ここから『ニルヴァーナ -Nirvana-』が始まります。
「消えたい」と感じていた少女・澪が、仮想世界Nirvanaで出会う人々や出来事を通して、自分の存在と向き合っていく物語です。
よければ、ブックマークや評価、感想をいただけると励みになります。




