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第29話『ダグラ・マゴラ』

「まじゅまちゃ――」

私が言い終えるよりも早く。

「|Brutta mocciosa《このメスガキゃあ》〜ッ!!!!!!!!!」

ミスティの怒号が闘技場に炸裂した。

次の瞬間、腹部へ巻き付けていた鎖鎌を引き連れながら、猛(たけ)り狂う闘牛の如く、激昂したミスティがせんじゅの方へ一直線に駆け出す。


「|Muoriiiiiiiii《死に晒せぇぇええッ》ッ!!!!!!!」

そのまま殺戮マシンの両脚部の間へ身を低く滑り込ませると、そのままスライディングの勢いを殺さぬまま股下をすり抜ける。

着地と同時に全身を捻り――。

鋭い回し蹴りを、せんじゅへ叩き込んだ。


「Come(なに)ッ!?」

だが、その一撃はあと一歩のところで阻まれる。

突如、殺戮マシンの胸部装甲が展開し、そこから射出されたマジックハンドのような機械腕が、離れたミスティの右脚をがっちりと抑え込んだのだ。

「ッ……!!」

ミスティは脚を何度も振り抜こうともがいてみせるが、鋼鉄の機械腕はびくともしない。

 

「邪魔(ちゃま)ちないでよ。せっかくいいとこなのに」

せんじゅは水を差された子どものように頬を膨らませると、おもむろに右手を掲げ、短く命じた。

「阿修羅道(アシュランド)——ボキボキ」

「ッ!?」


刹那、殺戮マシンの両眼を走る一本の赤い光条が、ギラリと鋭く明滅した直後。


バキッ。

メギィ……メギギギゴギィッ!!

骨が軋み、工場のプレス機に無理やり鉄骨を噛ませたような、耳障りな破砕音が響く。

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁぁぁ゛ぁぁ゛あ゛ッ!!!」

ミスティの絶叫を意にも介さず、マジックハンドは万力のように右脚を締め上げ続ける。金属の指は容赦なく食い込み、その握力はなおも強まっていく。もはや人間(ヒト)一人の抵抗など歯牙にも掛けない。そんなあまりにも理不尽な光景に、私たちは言葉を失っていた。

 

そんな中、せんじゅは顔色一つ変えることなく、なんならミスティへ一瞥すらくれず、淡々と言葉を続ける。

「急所(きゅうちょ)を貫いたんだもん。どっちにしたって助からないよ。この子」


「……はっ……かっ……」

その間にも、まじゅまの胸元からは血が溢れ続けていた。

事態は一刻一秒を争う。考える時間なんて、もうない。

私の身体は、頭が命令を下すよりも先に動いていた。

拳銃を両手でしっかりと握り締め、照準を合わせると、引き金に人差し指を掛け言い張った。


「今すぐ彼女から離れて」

「……」

せんじゅはこちらを一瞬一瞥すると、私と目が合うや否や笑みを浮かべ叫び出す。

「キャーーーッ!コワイッ!こんないたいけな少女(ちょうぢょ)に、そんな物騒なもの向けな――」


バンッ!!

私は躊躇なく引き金を引いた。

銃弾はせんじゅの右肩のすぐ脇を一直線に駆け抜ける。

数センチ横を通過した弾丸が髪を掠め、橙色の髪がぱっと宙へ散った。

 

「次は当てる。これは威嚇でも脅しでもない」

私は銃口を下ろさぬまま、一歩、また一歩と、じりじりとせんじゅとの距離を詰めていく。

照準は微動だにしない。指先だけが、じわりと汗ばんでいく。


——最初から、当てるつもりはなかった。

だが、あとほんの数センチ弾道が逸れていれば、私はこの少女の命を、自分の手で奪っていた。

その事実が遅れて胸にずしりと重くのしかかる。

覚悟が揺らぐ、ぐらりとぶれる。

生き残りたいというその意思に、嘘はない。

だけど、人を撃つ覚悟と、人を殺す覚悟はまた別物。

少なくとも今の私には、その境界を越える勇気はまだなかった。

 

「こんな試練(ゲーム)はもうやめて。あなた達は私達を使って何がしたいの。最終的にこんな事を一人残るまで続けるつもり?」

だからこそ、私は対話を試みた。

運営側の人間と、こうして直接繋がる(コンタクト)を取れる機会は滅多にない。少しでもいい。この状況を変えられる情報が、一つでも欲しかった。


「う〜ん、それをせんじゅに聞かれても困っちゃう。せんじゅも、おねぇちゃんとそんなに立場変わらないち」

「変わらないって……どういう意味?」

「そのまんまの意味」

せんじゅは悪びれる様子もなく肩をすくめる。

「せんじゅは頼まれたものを作ってるだけ。細かいことは知らないち」

そう言ってから、小さく指を一本立てた。


「でも、一つだけ聞いたことあるよ。ここには才能(ギフト)を持った人間が、いーっぱい集められてるの。その中でも、とびきりの才能――ううん、異能を持った特異点。”色(カラー)“の遺伝子(いでんち)を集めることが、一番大事なんだって」

「何、それ」

「ほらこれ。見覚えあるでちょ」

そう言って、せんじゅは懐からボロボロになった鼠のお面を取り出した。


「せんじゅはすごいから、このお面持ってるの!」

誇らしげに掲げてみせる。

「これはねぇ、今いちばん”色(カラー)“に近い証(あかち)なんだよ」


だめだ……理解できない。

才能(ギフト)?

特異点?

色(カラー)?

遺伝子?


確かに、この場所へ集められた私たちは、誰もが少なからず一癖も二癖もある人間だ。それは否定しない。

だけど、せんじゅの言う"色(カラー)"の遺伝子とは、そんな共通点すら見えない私たちを殺し合わせることで、生み出されるような代物なのだろうか。

そもそも、色(カラー)になった先に何が待っている?

何を得られる?

どれだけ思考を巡らせても、何一つ見えてこない。

 

「仮に、その”色(カラー)“の遺伝子を集めたとして、それに何の意味があるの?目的は何」

「知(ち)らな〜い。"世界ちぇいふく"だったりちて〜?ニシシシシ」

「ふざけないで」

駄目だ。

この子とこれ以上言葉を交わしても、時間を無駄に浪費するだけ。それに、今は一秒でも時間が惜しい。

そう判断した私は、再び拳銃へと手を伸ばした——その時だった。

 

「ゔぅ……ゔぅ……」

胸部をサバイバルナイフで貫かれたはずのまじゅまが、呻き声を漏らしながら、自らの胸元に突き立った刃を掴む。

「まじゅまんっ!!」

その様子を見て、脚を潰され身動きの取れないミスティが思わず叫んだ。


「あれ〜?まだ動けたんだ」

「まじゅまは……まじゅまは……まだ、死(ち)ねない……っ!」

叫ぶと同時に、胸元からナイフを力任せに引き抜く。

同時に、堰を切らしたように血液が溢れだす。

呼吸は荒く、誰がどう見たって致命傷だ。

本当なら、とっくにこの場に立っていることすらままならないはず。だが、今にも崩れ落ちそうな華奢な身体とは裏腹に、その瞳は鋭くせんじゅを捉えている。

 

「あっ」

その瞬間、せんじゅの口から小さく声が漏れた。

私へ意識を向けた、ほんの一瞬の隙。

まじゅまは、そのわずかな隙を見逃さなかった。

一歩、二歩。

瞬く間にせんじゅとの間合いを潰し、まるで鏡写しにするかのように、せんじゅの胸元――心臓めがけて、一片の躊躇もなく刃を突き立てた。

 

ずぷりっ。

 

「……っ!?」


「これで、おあいこ」

 

✳︎ ✳︎ ✳︎


××年前——。

とある人里離れた隠れ里にて。

寂れ果て、風化しきった廃校舎の校庭。

そこには、十数人の子供たちが寸分の乱れもなく整列していた。


少し離れた場所では、同じ装束に身を包んだ大人たちが、子供たちへ向かって静かに合掌している。

よく見ると、その場にいる大人は全員が女性だった。

空には雲ひとつない晴天が広がり、運動会日和と言っていいほどの快晴。

それなのに、なぜだかその場に漂う空気は、葬儀のような、はたまた何かの戴冠式のような、厳かで不穏な重苦しさに満ちていた。

 

少しすると、一人の男がゆっくりと壇上へ姿を現す。

年の頃は二十代後半から三十代ほど。

病的なまでに白い肌に、肩まで伸びきった黒の長髪。

髭ひとつない端正な顔立ちで、身に纏うのは僧衣を思わせる萌葱色の法衣だった。

男は慈しむように子供たちを見渡すと、静かに口を開き始める。

 

「嗚呼、愛する我が子(ブモモ)達よ」

その声色は、気味の悪さを感じるほどに穏やかだった。

「私はこの時を待ち侘びていました。切実に、一心に、ただひたすらに」

子供たちは、その一言一句を一言も聞き漏らすまいと、期待に満ちた瞳で男を見つめている。


「人間(ヒト)は皆、誰しも少なからず魂に穢(けが)れを宿しています。もちろん、それは私も例外ではありません」

男は自らの胸元へ、そっと片手を添えた。

「そして穢(けが)れとは、放っておけば自然にパッと消えてくれるような、都合の良いものではありません。静かに、着実に、それらはやがて澱(よど)みとなり、澱みは濁りとなり、最後には魂そのものを蝕(むしば)み尽くしてしまうのです」

男は両腕をゆっくりと広げ、まるで神聖な教えでも授けるかのように語り続けた。


「そうした魂の人間を、私——いや、私たち輪土辺菩(りんどへんぼく)教は悪魂(ダグラ)と呼ぶ」


「ダグラは、もはや人間(ヒト)ではありません。愛を忘れ、慈悲を忘れ、祈りを忘れた——魂だけが醜く肥え太った、忌まわしき化け物です」

口調こそ穏やかなままではあるものの、その瞳は子供たち一人ひとりを吸い込むように、ゆっくりとなぞっていた。


「彼らは奪います。笑顔を。命を。家族を。そして、未来までも」

男の声に、少しずつ熱が宿っていく。

「近づいた者の魂を穢し、その穢れは、また新たなダグラを生み出す。そうして憎しみは憎しみを、穢れは穢れの連鎖を生み、この世界は幾度となく滅びと偽りの再生を繰り返してきました」

そこで男は一度言葉を切り、沈黙のまま数秒間、子供たちを見つめ続ける。


「それこそが——今日(こんにち)まで続く、人類の悪しき歴史なのです」

その言葉を受けて、子供たちの顔から、先ほどまでの無邪気な笑みがゆっくりと消えていく。


「決して憐(あわ)れんではなりません。決して赦(ゆる)してはなりません。悪魂(やつら)は、この世界で最も醜く、最も忌むべき存在なのですから」

その言葉を聞くほどに、子供たちの表情は強張っていった。

自分たちもいつか、得体の知れない化け物へ成り果てるのではないか。そんな恐怖が、幼い胸の内へ少しずつ植え付けられていく。男はその変化を確かめるように見渡すと、満足げに目を細めた。そして再び、慈愛に満ちた微笑みを浮かべる。


「ですが——安心しなさい」

先ほどまでの熱が嘘のように、声が柔らかさを取り戻す。

「愛する我が子(ブモモ)達が抱える不安も、恐怖も、穢れも。私がすべて取り去ってあげましょう」

子供たちの強張っていた表情が、僅かに和らぐ。


「皆は、選ばれた美しい"善魂《マゴラ》"の持ち主なのです。だからこそ今日、この場所へ招待しました」

男はゆっくりと壇上から手を差し伸べると、目を細め微かに笑みを浮かべた。


「これから少しだけ、お腹が空くかもしれません。眠くなるかもしれません。寂しくて、泣きたくなることもあるでしょう。

ですが、それらはすべて、魂から不純物が剥がれ落ちている証です。怖がる必要などありません。目を閉じ、ただ一心に祈り続けなさい」

子供たちは、さっきまでの恐怖が嘘だったかのように、目を輝かせて男を見つめていた。否、見つめるというより、見惚れていた。その姿はまるで、神託を授かる瞬間を待ち望む敬虔な信徒そのものだった。


「最後まで耐え抜いた我が子(ブモモ)には、誰よりも清く、誰よりも美しい魂が待っています。同時に、その魂に相応しき者へ——私の唯一無二たる後継者の器を授けましょう」

そして男は、再びゆっくりと両腕を広げた。


「さあ——"浄化(ジーダパ)"の時間です」

男のその一声を合図に、ぞろぞろと萌葱色の法衣を纏った大人達が現れた。子供たちは抵抗することなく、連れられていく。

その小さな背中に、恐怖はない。

あるのはただ、"選ばれたい"という純粋な願いだけだった。


✳︎ ✳︎ ✳︎


輪土辺菩(りんどへんぼく)教。

それは、理想郷たる地下都市”ジャンバァラ”への到達を掲げ、世界の統一と人類の救済を説く新興宗教。

——だが、その実態は、歪んだ選民思想を信奉する危険思想カルト集団だった。

そして、その頂点に君臨する男こそ、先ほど壇上で熱弁を振るっていた鴻(おおとり)業真(かるま)その人である。

信者たちからは"現世神(うつしよがみ)"と崇められ、その圧倒的なカリスマ性によって、教団は急速に勢力を拡大していった。

 

表向きには、新興宗教団体や慈善団体として活動している。

貧困者支援、孤独な若者の保護、終末思想に惹かれる信者の受け皿、家庭に居場所のない人間たちの救済などを掲げ、各地に支部を広げてきた。

しかしその実態は、洗脳や過剰献金、思想教育、集団生活、外部との断絶に至るまで、信者の人生そのものを支配する歪んだ支配構造にある。


構成人数は推定五千から六千人ともいわれているが、信者の中には戸籍上存在していない者、失踪者扱いになっている者、偽名で活動している者も含まれているため、実数はさらに多い可能性があるとされている。

教団内では、悪魂(ダグラ)を排除する行為を殺人とは呼ばない。ある種の必要な選別とされている。

構成員の中には、戦闘訓練を受けた実行部隊も存在しているとされているが、本当に恐ろしいのは、ごく普通の一般信者である。

普通の主婦。

学生。

会社員。

老人。

子供。

一見すると何の危険もなさそうな人間が、教祖の一言で自らの命すら容易く投げ出す。輪土辺菩(りんどへんぼく)教の最大の武器は、銃でも刃物でも毒でもない。

人の心そのものを作り替える力である。


だが、唯一の欠点を挙げるのであるとすれば、それは教祖である業真(かるま)が不治の病を患っていたこと。

余命は僅か半年。それは彼がまだ齢三十六歳の時だった。

理想半ばで自らの死期を悟った彼が求めたのは、己の思想と血脈、そのすべてを受け継ぐ、たった一人の”後継者”だった。

その選別のために行われる儀式こそが——”浄化(ジーダパ)“である。


儀式の内容は至って単純。

はじめに、子供たちは教団内の隔離部屋へと一人ずつ送られる。

部屋の中は一寸先すら見えない闇。

そこに置かれた椅子へ座り、目を閉じ、ただひたすら心の中で念仏を唱え続ける。


その間、決して椅子から降りてはならない。

それだけ。

たったそれだけ。

ただし、飲まず、食わず、うたた寝でもしてうっかり椅子から落ちてしまえば、そこで後継者の道は閉ざされる。


一度儀式を開始したら、外へ出る方法はただ一つ。

生き残ること。

泣こうが、喚こうが、助けを求めようが、誰も扉を開けることはない。空腹に苛まれようと、渇きに喉を焼かれようと、精神が錯乱しようと、救いの手が差し伸べられることは決してない。

業真にとって必要なのは、自らの後継者となる器が、たった一人見つかればそれで十分なのだから。


そうして、気の遠くなるような時間が流れ、他の我が子(ブモモ)たちの呼吸が、完全に途絶えた頃。

ただ一人だけ、一度たりとも椅子から降りることなく、静かに目を閉じ、念仏を唱え続けていた少女がいた。

その時間——実に、不眠不休で八日と十六時間。


その少女の名こそが——"小鳥遊(たかなし)まじゅま"である。

それはまだ、彼女が当時八歳の出来事だった。

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