報告書10-旅は道連れと言い出したのは誰だ
『一人では起きなかった問題は、
だいたい道連れがいると発生する』
引用
異世界インスペクション
(著:宇佐木四郎)
そうして迎えた旅立ちの朝。
宿の1階に降りると、いつもより早い時間だというのに女将さんはもう帳場に立っていた。
湯気の立つ湯沸かし器と、焼き立てのパンの匂い。
この2ヶ月近く、何度も目にしてきた光景だ。
「おはようございます」
声をかけると女将さんは顔を上げ、すぐに状況を察したように目を細めた。
「あら……もう行くのかい」
「ええ。朝イチの乗合馬車で」
俺がこの世界に来て最初に世話になったのがこの宿だった。
右も左も分からず金勘定も怪しく、言葉の癖すら掴めていなかった頃からだ。
遅く帰っても、雨に濡れて戻っても、ここには灯りがあり、俺を迎えてくれた。
「さみしくなるね」
女将さんが、ぽつりと呟いた。
「最初に来たときは、どうなることかと思ったよ。身なりは妙だし、目は落ち着いてないし」
「否定できませんね」
苦笑しながらそう言うと、女将さんは小さく笑った。
「でも、ちゃんと仕事してちゃんと帰ってきてた。それだけで、十分さ」
そういって帳場の下から、小さな包みを取り出して差し出してくる。
「余り物だけどね。道中で腹が減ったら食べな」
それを受け取ると、ずっしりとした重みがあった。
乾燥肉と保存用のパンだろう。
「ありがとうございます」
「達者でね」
それだけだった。
だが、その一言に、この世界で過ごした2ヶ月が詰まっていた。
「また戻ってきたら泊まりなさい。あんたの部屋は、当分空けておくよ」
「……その時は、よろしくお願いします」
深く頭を下げ、背を向ける。
宿の扉を開けると、朝の冷たい空気が流れ込んできた。
その向こうに、若手の二人が立っているのが見える。
リーナとミレイだ。
「先輩みたいな、立派なギルド職員になります」
真っ直ぐな目で、ミレイがそう言った。
リーナも、少し照れたようにしながら頷く。
「一人前になったら……私たちから会いに行っても、いいですか」
そんな告白じみた言葉に思わず苦笑した。
「その時は、ちゃんと報連相してから来い」
二人は笑い、何度も頭を下げたのだった。
**********
俺は崩れた城壁を横目に見ながら、南門を抜ける。
城壁の修復作業はすでに始まっているが、砕けて崩れた跡がまだ生々しく、後始末が完全には終わっていないことを嫌でも感じさせた。
そうして門の外、乗合馬車の停留所まで向かうと意外な――見覚えのある姿があった。
黒髪で頭にぴょこんと垂れた耳を載せた女の子。
よろず屋の主人エミーナだ。
「……そういえば、あんな物を咄嗟に投げ渡してきた理由について聞けなかったが、正直お陰で助かったよ。この間会ったときに礼を忘れていた」
もう合うこともないだろうと、俺は最低限の礼を述べると彼女は肩をすくめると、足元においてあった大きな荷物を背負い直した。
「気にしてないよ――じゃあ、行きましょう」
「……は?」
そのセリフに俺は思わず尋ね返した。
エミーナは少し気まずそうに視線を逸らしながら当たり前のように続けた。
「店のほうはしばらく知り合いに任せることにしたの。ちょうどいい機会だから、古巣に戻ろうかなって思ってさ」
その言い方に色々な感情が混じっているのがわかったがあえて指摘しない。
いや次に何を言うのかが気になりすぎて、指摘できなかった。
「そしたらさ、お兄さんも同じ方面に行くって言うじゃない。行き先が同じなら、わざわざ別々に行く理由もないでしょ?」
確かにここは俺が元いた世界ではない。
乗合馬車とはいえ見知らぬ土地を一人で移動するのは、一人旅をするのは確かに少しウキウキしていたというのも認めるが、精神的には楽ではない。
知識としてのサバイバル術は頭に入っていても、そこに知り合いの気配があるかどうかで気の張り方はまるで違う。
俺は小さく息を吐いた。
「……そうだな、顔見知りがいるなら助かる」
「顔見知り……ねぇ?」
エミーナは、少しだけ口の端を上げて笑った。
それはどこか納得したような、最初からそう決めていたような笑みだった。
そんなこともありながらも俺はエミーナと並んで乗合馬車に乗り込んだ。
**********
馬車の中は思っていたよりも狭く、木製の長椅子が左右に据えられているだけの簡素な造りで、長年使われて角が丸くなった板張りの座面がそのままむき出しになっている。
すでに数人の乗客が腰を下ろしており、行商人らしき男と、冒険者風の男女が互いに干渉しない距離を保って座っていた。
馬のいななきと御者の掛け声、そして車輪が古い石畳を噛む鈍い音が響く。
新しい街へ。左遷という名の次の仕事場へ。
馬車が動き出し、南門が少しずつ遠ざかっていく。
しばらくは馬車の揺れに身を預けながら、俺は無意識のうちに行程を頭の中でなぞっていた。
南門を出て最初の中継地までが2日だ。
そこから街道を乗り継いで、徒歩で峠を超え、向こう側の街からまた乗合馬車。
順調にいっても目的地までは30日から40日。
……40日。
その数字が遅れて妙な重さを持って意識に引っかかった。
成り行きで隣に座っているのはよろず屋の店主として知り合っただけの女の子。
出発前の雑談で聞いた話では兎人族の18歳だそうだ。
店主をしていたのだから、年齢はもう少し上かと思っていたがまさかの18歳だった。
顔見知りではあるし、それ以外でのやり取りもしてきた。
会話も普通にできるし、信用もしている。
だが、旅は旅だ。
宿を転々とし街道を進み、場合によっては雨に降られ、足止めを食い野盗や魔物の噂を聞きながら移動する30日以上の行程。
――待て。
俺はそこでようやく気づいた。
『中継地点まで一緒』
そういう話ではなかった?
少なくとも俺はそう思っていたが、馬車に乗る前にエミーナの言葉を頭の中でもう一度なぞる。
『行き先が同じなら、別々に行く理由もないでしょ?』
……同じ、街?
これは中継地点のことを指していたのではないのか。
思わず視線が横に流れそうになるのを理性で止めた。
今さら聞き返すのも不自然だし、何より自分が妙に意識しているのを悟られたくなかった。
冷静に考えろ。
相手は18歳。こちらは35歳。
年の差は明白で、立場も違う。
変な意味はない。
ないはずだ。
……ないのだが。
『30日以上、野宿も伴う2人旅になる可能性がある』
そう整理した瞬間、胸の奥に説明のつかない落ち着かなさが生まれた。
別に、危険な状況ではないはずだ。
今回の旅程は人通りの多い街道しか通らない。
盗賊や魔獣が出現したという情報もここしばらく入っていない。
だから護衛が必要なわけでもない。
男女の恋愛だとかそういう話でもない。
それでも『気にしない理由』を脳内で探している時点で、もう気にしている。
俺は、深く息を吸って、ゆっくりと吐いた。
仕事だ。
これは仕事の延長なのだ。
左遷先に向かう移動。
その途中で、たまたま同行者がいるだけ。
……たまたま、にしては都合が良すぎる気もするが。
馬車の揺れが一段大きくなり、外の景色が少しずつ街道の色に変わっていく。
まだエミーナの本当の行き先も聞けていない。
どこまで一緒なのかも……聞くべきか、それとも知らないままにしておくべきか。
そう考えながら俺は結局、何も言わないまま前を向いた。
その時のことは、その時に考えればいい。
問題は先送りだ。
馬車は何事もなかったかのように進み続けていた。
『問題の先送りは、コストを未来に転嫁する判断である。
ただし、高い利息が確実に付く』
引用
ビジネスマンが『もうダメだ』と思ったときに開く本3
~あなたが壊れても、組織は通常運転です~
(著:宇佐木九郎)




