報告書11-ハラスメントは意図ではなく結果で決まる
馬車の席は正直に言って狭かった。
左右に据えられた木製の長椅子は大人が三人座れば余裕がなくなる幅で、そこに荷物まで積まれている。
結果として俺とエミーナは自然と肩が触れる距離に座ることになった。
揺れるたびに肘が当たり、道の段差を越えるたびに身体が寄る。
まずい。
いやぶっちゃけ俺に実害はないが、気持ちだけが焦る。
周りは誰も気にしておらず、当人であるエミーナもまったく意識していない様子だが、それがなおさら問題だった。
俺だけが過剰に状況を意識している。
この距離と年齢差。
頭の中では仕方ないとか不可抗力と言い聞かせているのに、気にすればするほど余計に気になる。
その結果、俺は必要以上に身体を引き馬車の揺れに逆らうような、不自然な姿勢で座る羽目になった。
エミーナはその様子に一瞬だけ不思議な表情を向けたが特にそれについては何も触れず、たまにこぼれる雑談を続けるのだった。
**********
馬車が街道に乗り揺れが一定になった頃から、会話は途切れなくなった。
思えばエミーナとこうして腰を落ち着けて話すのはこれが初めてだった。
よろず屋ではいつも用件が先に立ち、世間話も二言三言で終わっていたのに、今は時間だけは無駄にあるのだ。
彼女は店に来る変な客の話を面白おかしく語ってくれた。
値段も聞かずに危険な魔道具を掴もうとする冒険者や、用途も分からないまま『とりあえず強そうだから』とマニアックな武器を欲しがる連中の話。それから絶対に売らないと決めている、少し癖のある道具の話も教えてもらった。
俺は最初こそ相槌を打つだけだったが、気づけば話に口を挟み、突っ込みを入れ、いつの間にか笑っていた。
仕事や立場の話でもなく、ただの雑談。
ビジネスマン同士の雑談といった、言ってみればたまにしか顔を合わせない他部署の同僚と話をしているような感覚だった。
こういう会話相手として、彼女を意識したことはこれまでほとんどなかった。
だから肩が触れる距離を、必要以上に気にし始めたのだろうか。
そう気づいた時、内心で小さく舌打ちした。
なんてことはなく、これは俺の側の問題だ。
ちょうどそんな事を考えていたとき御者が声を上げ、最初の野営地点が近いことを告げた。そこは街道沿いに定期的に用意されている脇の広場で、他の乗合馬車も次々と集まり始めているのが見える。
助かったと思った。
ピッタリとくっついた状態から離れる理由がようやく自然にできたのだった。
**********
複数の乗合馬車が集まり御者や乗客たちが、それぞれ慣れた手つきで野営の準備を始める。
この夜ははっきりと役割が分かれていた。
女性と子どもは馬車の中で外套に包まって雑魚寝となる。
男たちは外で簡単な酒盛りをしながら、見張りを兼ねる。
この人員配置には正直安堵した。
俺は焚き火のそばで、他の男たちと当たり障りのない話をしながら、時折馬車のほうに目を向ける。
エミーナは馬車の中でランプの明かりを頼りに本を読んでいるようだった。
今日は問題ないと判断して俺はようやく、少しだけ気を緩めたのだった。
しかし俺はこの時点ではまだ、この旅がどれほど自分の中の常識を揺さぶることになるのかを、まだ理解しきれていなかった。
**********
翌日、日の出とともに乗合馬車は出発して1日目と同じような様子で時折休憩を挟みつつ街道を進んだ。
そして夕方になり街道沿いにある小さな街――ロートハインに到着した。
「この街の宿にある食堂、ご飯が美味しいのよ!」
街につくなりエミーナは何の気負いもなくそう言った。
この街は赤茶色の屋根が並ぶ街道沿いの中継地で、規模は小さいが旅人向けの宿と食堂だけは妙に評判がいいらしい。
常時空いているというより乗合馬車が来るタイミングに併せて開いているお店のようだ。
乗合馬車の場合、基本的に街に泊まった夜は『各自、適当な場所で休んでいい』という取り決めなのだ。馬車の周りでそのまま寝る者もいれば、少し街を出て野営を選ぶ者もいる。
それでも――
エミーナの「飯がうまい」という一言は、初めての馬車旅で二日分のダメージをしっかり蓄積していた俺にとって、十分すぎる説得力を持っていた。
結果、エミーナに賛同する形で俺も宿に泊まることになった。
**********
「部屋なら二人分、空いてますよ」
乗合馬車が停まっている広場からほど近い小さな宿の主人は、当然のようにそう言った。
この時点ではまだ何も問題はなかったが、部屋に通されて初めて違和感が形になった。
主人は確かに『二人分の部屋』と言ったはずだ。
だがこれは『二人分の部屋』ではなく『二人部屋』というやつだ。
……いや、それ以前に。
ベッドが一つしかない。
少しだけ幅は広いが、どう見ても『二人で寝る前提』の大きさではない。
――待て。
「二人分の部屋……と、おっしゃいましたよね?」
思わず確認すると主人は不思議そうに首を傾げてから頷いた。
「ええ。二人で泊まるなら、十分でしょう?」
エミーナは何も言わず部屋を見回し「ちょっと狭いけど、十分じゃない?」とだけ言って、主人から鍵を受け取った。
……そうか。
この世界ではこれが普通なのだ。
宿の主人もエミーナも、誰一人として疑問を持っていない。
立ち尽くしているのは、俺だけだった。
「……俺、別の部屋を探す」
口から出た言葉は自分でも驚くほど硬かった。
エミーナが目を丸くしてこちらを見る。
「えっ?」
「いや、その……」
予想以上の反応に俺は慎重に言葉を選ぶ。
「距離が近すぎる……この状況は、良くない」
エミーナは一瞬きょとんとしたあと、少しだけ眉を寄せた。
耳も、いつもより気持ち下がっている気がする。
「……私と、一緒にいるのが嫌になった?」
その言い方に胸の奥がチクッと痛み、その質問を即座に否定した。
「そうじゃない。立場の問題だ。年齢も、役割も違う」
「私は、もう自分で判断できる大人だよ?」
静かな声だった。
別にエミーナは怒っているわけではないのだろう。
けれど、少し距離を取られたような響きがあった。
……まずい。
俺は『彼女のため』に線を引こうとしている。
なのに結果として、これは相手を突き放しているだけではないだろうか。
――ある意味、ハラスメントでは?
頭の中に、嫌な言葉が浮かぶ。
『配慮』という名の決めつけ。
『善意』という名の拒絶。
「すまん……説明が足りなかった」
俺は深呼吸をして前置きしてから言葉を続けた。
「俺のいた国では、今みたいに恋人同士でもない男女が同じ部屋で泊まる状況は、問題になる。相手が女性で、しかも自分より半分も年下なら、なおさらだ。下手をすると……警察、いや衛士に捕まるような話なんだ」
「えぇ……」
エミーナは素直に驚いたように目を見開いた。
「そんな国が……というか、捕まるの? こんなことで?」
それだけ言って彼女は俺の言葉の続きを待つように黙った。
「そうだな……でも、俺の昔の考えが原因で、エミーナが少しでも傷ついてしまうなら……これは俺の考え方が間違っている」
必死で言葉を探しながらそう告げた。
しばらくの沈黙の後、エミーナが小さく息を吐いた。
「……そっか。私こそ自分の常識だけで行動しちゃだめってことだよね」
その一言でこの問題は解決した――そう思った俺は安堵しながら言った。
「そうだな……じゃあ、俺は主人にもう一部屋用意してもらえるか聞いてくる」
踵を返した瞬間、後ろからエミーナに手を掴まれた。
驚いて振り返ると彼女は少し呆れたような顔をしていた。
「いやいやいや、なんでよ。お兄さん? 私は納得したよ? 自分の中の考えだけが全てじゃないって」
「あ、ああ……」
「それに、お兄さんの中にも、別の考えがあるってことも」
「……ああ、そうだな」
エミーナは一歩近づいて、言った。
「で、その上でお兄さんは自分の考えが古いかもしれないって言ったよね?」
「ああ……言った」
「じゃあ、なんの問題もないと思うんだけど?」
彼女は、きっぱりと言い切った。
「お兄さんは自分の考えと、この世界の考えの違いがだんだんとわかるようになる。私は、何の不安もなく夜ぐっすり眠れる」
完全に言いくるめられた。
俺は必死に頭を回し、自分なりに『及第点』だと思える案を提示した。
「この部屋は使う。俺は床で寝る。それでいいかどうか、エミーナが決めてくれ」
エミーナは少し考えてから、ゆっくりと頷いた。
「私はそれで構わないけど……せっかくベッドがあるのに、もったいなくない?」
……うん。
俺の焦りは最後まで理解されていなかった。
**********
後になってエミーナからセクハラだと訴えられることのないよう、人生で一番慎重な行動を取る必要がある。
正直に言ってしまえば年頃の女性と同じ部屋で宿泊する時点で、すでに『重大なコンプライアンス違反』で、俺の脳内ではコンプラ委員会が開かれていた。
この世界には就業規則も、ハラスメント研修も、内部通報窓口も存在しない。
だが仕方がない。
通常は『密室』『年齢差』『立場差』『長期同行』の4つが揃った瞬間、全会一致で『アウト=懲戒』の札が上がる。
4つ揃ってなくてもアウトなのだ。
だが一つ教訓にもなった。
近づきすぎても離れすぎても、人は傷つく。
正しさは沈黙してはくれない。
言葉にしなければただの拒絶になる。
わかっていたはずなのに、この世界に来て厄介な教訓を思い出した夜だった。
なお、たとえ冒険者ギルドから弁明書を書けと言われても、俺には何一つ弁明できる自信がなかった。そして、エミーナの目的地についてはまだ聞けていない。
『当時同意に見えた反応は、免罪符にならない。
不快だったという申告が出た瞬間にアウト』
引用
ビジネスマンが『もうダメだ』と思ったときに開く本4
~忠誠心よりあなたの人生。感情論を捨てて撤退せよ~
(著:宇佐木九郎)




