36.金星のセレナーデ
空気が割れて、収縮して、また割れてまた収縮する。
あっちこっちに乱気流が生じて掻き消されてを繰り返す。
乱気流の最中を思いのままに泳ぐオッドの鎌が唸りを上げ旋回し力也の腕に牙を剥く。それを渦巻く大気に妨害される上に身体全体が吸い寄せられ、彼の拳に引き寄せられる。
そんな些細な事を気にする素振りはなく、大振りに鎌を構えたオッドが目の前に現れ力也の腕を刎ね飛ばす。
「人体切断マジック、だったっけ?」
痛みはなく、切り落とされた先の感覚があるし、何だったら自由に動く。いくら一度経験した事があるとしても気持ちが悪い。
モノクロツートンの仮面が笑って一言応答する。血赤色の三日月からは血は滴らない。
「ご明答」
再度振り下ろされる鎌を掴んで止め、脇に蹴りを穿ち切り落とされた腕が顎を揺らす。切断面を押し付け半ば無理矢理にマジックを解く。解いて終えば魔法は消え元通り、元気ピンピンのいつもの腕でラッシュを打ち込む。
ラッシュを喰らいながらも片手で鎌を自在に操り、余った片手でジャックナイフを遊び喉笛に突き立てる。
これ程の近距離となると互いにそう簡単に能力を使う訳にいかず、純粋なフィジカル勝負に。速度と膂力が上回るのはどちらか、この勝負はそういう話で決まる。
右腹や左胸、脇、鳩尾に沈み込む拳が敵を吸い込んでより威力を増す。拳打の雨の中を走り、太腿に突き立てるナイフが血を纏い、蹴り上げられた膝に押し返される。
(現状はコイツの方が上。問題は人体切断マジックが能力の無効化かどうかだ)
押し返した膝で地面を蹴り、背後に引力を作り前線から引いて空けた空間に斥力を挟んで飛ばした奇術師が観葉植物の葉を散らす。
植木に寄り掛かる奇術師がバラバラのカードとなり散る。
(硬さだけで言えば彼の方が上か?だが、それでもジリ貧。それだけでは彼の勝利にはなり得ないだろう。問題は術式の性能で言えば私が圧倒的に下の事か)
背後に姿を見せた大鎌を身を屈め躱し、そのまま回転して捻った身体で変体水平蹴りを放つ。
重い身体は白銀の輝きを帯び、血赤色の鎌があまりに不恰好で、壁を凹ませたそれが持っているべき物ではない。
床に大剣突き立て跳躍、顔面に跳び蹴りを浴びせ流れるように追いついて大剣を振るう。剣は彼の身体をすり抜け、傷を付けるには至らない。
「しれっとカード引いてるな。イカサマだろ、それ」
白銀の鎧がギクシャクした動きで再度動き出す。おおよそ、後一発でもまともに喰らえば再起不能になるであろうそれをさっさと引力で捻り潰す。
「嘘を吐かない奇術師を見たことがあるか?」
消えかけの大剣を投げ、落ちた三日月を拾いに走る。
それを阻止する為に斥力を生み出し炸裂させる。目の前に迫る大剣は僅かに軌道が逸れ、頬を切り、貼り付けられた『ハートの5』が閃光を放ち爆裂。黒煙が視界を覆う。
(今の逆式は消さなかった…いや、消せないのか。能力の無効化には条件がある?それとも出来ないのか?どっちにせよ、僕の二個目は無効化されないのはさっきので決まりだろ)
黒煙が渦巻いて一箇所に纏まっていく。強力な引力で小さく、風を靡かせ球状になる。
渦巻く煙の中からしれっと拾ったのか、大剣の切先が見えた途端に塵となって風に乗って消えていく。
(彼のことだ。マジックの種を明かしたいのだろう。勘がいいのが相手となると気付かれるのも時間の問題か)
視線を大剣に誘導され、下から迫る三日月に気付くのに瞬間遅れた。突き上げる切先を身体を反らして避けるが微かな切り傷が付けられる。
煙が凝集し、ついに晴れる。仮面が嫌に嗤い、連撃を穿ち出す。
連撃を柄を掴み腹に蹴りを打ち込み、引力で動作にズレを生じさせたり、斥力や体術で応戦する。呼応するように奇術師の動きも加速して、回転する大鎌が唸って床板を削る。
鎌刃の目前にて破裂する大気が迫る三日月を押し返し、ガラ空きの胸に正拳一発。その反動を利用した奇術師の中段への回し蹴りが突き刺さるがピタリと動きを止まり効果はなし。
胸ポケットに突っ込んだ手が取り出したカードは『ダイヤの6』。予想的中とはいかず行動に制限がかかる力也にジャックナイフが飛来してくるがピタリと止まって血を流すには至らない。
三秒間の停止。これは戦闘においてあまりに長い時間であり、事S級相当同士のものにおいては尚更で、ジャックナイフを散々投げた後に盛大な大振りの一撃を放ったとてお釣りが来るほどにもなる。
片腕が半分切り落とされそうになったところで奇術師の足場が崩れ落下を始める。芋づる式に力也の足元も瓦解し自由落下する頃には三秒が経過しており拘束から解き放たれる。
「『逆式』」
仮面が奇術師を押し出し落下速度が増す。急いで拾い顔に押し付ける仮面から血が溢れる。
投擲される先ほど生まれたばかりの瓦礫はするりと24センチはある奇形のネズミに姿を変え、青い最強を求め胸元に飛び込んで、「ちゥ」と鳴いたら皆須らく発光して血肉を撒き散らす。
「クラブの9。お次はどう出る?」
着地寸前に人知れず捲られていたカードが示すのはクローバーが九つ。なぁにが幸運のクローバーだ。とんだアンラッキー運んで来やがって。幸運運ぶのは四つ葉だったっけ?
じゃあ三つ葉は何を持ってくるんだっけ?
答えは九振りの槌。
右に五、左に三振りの槌を視認して斥力を右半身に固め左半身を雑にあしらって無事着地。
床に足を着けた瞬間から低姿勢で疾走、奇術師の懐まで潜り込む。
歓迎するのは温かいティーセットやカトラリーではなく、深紅の三日月と大振りの木槌。二振りの大型武器が床板を割り穴を空ける一方で力也には当たらず丁寧にいなされる。
(位置のズレは魔力探知で大方補完出来るが、あまり期待しない方が良いか、彼も慣れてきたようだし。しかし、万有引力でどうやっているのか…)
「見物だね」
仮面の下の誰かは笑っているのだろうか。上気した声で呟く彼は振るう腕を止める素振りはまるで無く、力也が投げ飛ばしたデスクを瞬時に木屑に変わり果てる。
「こっちは全然楽しめてないんだけど?」
さっきまでデスクだった物の片割れの影から突き出る拳に木槌が掴まれ、片腕を封じらた状態でぐるりと回って背中を合わせ。掴んだのを槌から手首に持ち替えているもんだから何でも放してくれなさそうだ。
こうなってしまえば即座に鎌を手放し小ぶりな物に持ち替える。
「スペードのA」
一振りの両刃の剣は黒手袋には握られておらず、アウイナイトが輝く左手がそれをしっかりと掴んで離さない。
ジャックナイフを抜き出すが早いか、長剣が脇腹から肋骨のすぐ下を通り抜け、横隔膜、肺を経由して心臓を貫通する。
「あー良かった。ずっと失敗ばっか見せられてたからさ。やっと上手くいってるとこが見れたよ」
不定形の観客が沸き立つ。
二人のエンジンは爆発的に燃え上がっている。
向き合い。仮面の下の眼を見つめる双眸は鋭く、夕陽に等しい眼が今この瞬間は業火に見紛う程の火を宿す。
「あんたさ、僕の『万有引力』は知ってるんだろ。あんたの仲間も知ってるっぽかったしな。人体切断も斥力だけをどうにかする為に創ったろ」
小さな足音が緊張のせいか、嫌に大きく聴こえる。穴の空いた心臓が高鳴る。
(ハッタリ…いや時間稼ぎか?)
このタイミングでハッタリを言うメリットはない。時間稼ぎだとするなら待っているのはおそらくは瞬間移動のカードを切るタイミングか。
「YES」
身体をカードにばらけさせない。力也の知りたい瞬間移動のタイミングは一切知らせない。この時間で傷を治す。
窓の向こうで垂れ下がった紅白の幕に映った不定形の観衆共の笑い声が遠のいて、二人の足音が割れたデスクを挟んで共鳴る。
「だろうな。んで、こっからが本題」
冷たい汗が熱った身体を冷却し、エンジンを冷ます。
奇術師の脚がデスクだった物を力也の頭上まで蹴り飛ばし、斥力によって本来の着地点に落ちることは無く一つ飛んで背の裏に。
「あんたそれ、どいつから聞いた?」
デスクの半身に突き刺した三日月を抜き、先まで飛んでいた接地面を蹴って振るわれる一撃は引力を帯びさせた拳に吸い寄せられて衝突。
これを何食わぬ顔でやってのけた力也の声は静かな怒りを内包していて、瞳孔が開いている。
「…と言うと?」
鍔迫り合い。モノクロの常笑の仮面と冷ややかに燃える少年の顔が相対している。仮面の奥からはいつもとさして変わらぬ落ち着き払ったオッドの声が聴こえてくる。
拳が突如鎌の柄を通り抜け、カードがハラリと舞う。
力也の背後の壁に寄り掛かる奇術師が現れて、またブラッドムーン引っ提げて歩き出す。
力也も応えるように振り返り足を運ぶ。
何を焦る、何を事を急く、奇術師。
胸元に手を突っ込んで取り出したのは『ハートのQ』と『クラブのJ』。呼び出されたギロチンの女王と木槌を手に持つ騎士が奇術師の背に控え、今か今かと時を待つ。
「とぼけるなよ。僕はな、人に能力を伝えるとき絶対に嘘張るようにしてんだよ。『万有引力』って伝えたのはうちの部の奴らとプラスαだけ。そのプラスαはお前が殺しちまってる」
龍田ホールにて行われた新人戦。
神具を持つ少年に力也は自身の能力を『万有引力』と説明した。少年はその後現れたどっかの奇術師が神具を奪った挙句に死亡が確認されている。
他に同じ説明をした人間は同部活のメンバーのみ。
時が訪れるのは遅くはなく、一度合図が出ると二体の巨体が一人の少年に飛び掛かる。
枷に嵌められ、即座に女王の手が刃に掛かろうとそんな物知ったことかと言う風に枷も刃も取り外し、奪ったギロチン刃を投げ捨て木槌の上半分を切り落としたことで渾身の一撃は掠りもしない。
左手、右足と切断される。
三日月が切断したそれは互いに引き合いすぐに元通りになって、引き寄せる拳とナイフがぶつかって魔力が散る。
静かな怒りはもう隠れる事を忘れ、露わになって伝わる。
「さっさと答えろ。あんたと繋がるような馬鹿はどいつだって聞いてんだよ」
首を枷に嵌められて鍔迫り合いから解放され、ローキックを顔面に一発。
蹴りの威力で枷が壊れて後方に飛んでいく少年に追撃と木槌を振り下げては振り上げてを繰り返して攻撃を入れる騎士から逃れるように後方に引力を創って緊急離脱をして持ち直したところでまた枷に嵌まる。
(ずっとこれが続くのは面倒だな。やっぱ手早くあれは片しておくべきだな)
腕力で枷を砕き、自らに向かって飛翔するジャックナイフを掻っ攫って三日月を迎え撃つ。
「答えれば君の気は済むのかね?」
そんな筈のない戯言をほざく仮面に余計に腑が煮えくり返る。
重心操作がより巧みな奇術師の扱っている上に重量が大きい鎌とナイフがぶつかれば当然ナイフが押し負け軌道は逸れる。
その反動を腕力で打ち消し、引力によって加速させたナイフを再度ぶつけて押し合う。
魔力量だけで言えばオッドのそれは力也のを遥かに凌ぐ。故に魔力で膂力も速度も後からどうとでも出来るこの世では力也がオッドにこの二点で敵うはずがない。
されど実力伯仲。
散る魔力が輝いている。
ナイフと半身を一度下げて鎌をあらぬ方へと追いやってる隙にニ撃目を受けさせろ。
腹部への蹴りがオッドを吹き飛ばし、壊れた槌を握りしめた騎士が彼を受け止める。その瞬間に魔力多め、威力高めの『逆式』をぶち込んでしばらくの間さようなら。
「行きたいなら行きなよ。こっちはこっちでバカデカ人形壊すだけだから」
主人も女王も守れやしない騎士とその主人が開けた穴を大事そうに抱えた頭が見ている横で、慰める訳でも無く少年が立っていた。
危機を覚えた女王の顔が歪んで絶叫。戦慄く腕をギロチン刃を握りしめて振るい落とす。
無情にも四肢を捥ぐように生じた引力により、刃が床に触れるより早く身体をバラバラにされた彼女の顔前にて夕陽色の彼は仁王の如く立ち伏せていた。
衝突の衝撃は背後の鉄塊こと騎士君が吸収してくれたのが幸いして実質的なダメージはあまり見られず、顕著に見られる豪邸へのダメージとのギャップに風邪を引きそうになる。
騎士がゆっくりと身体を起こしてくれるのを片手で御し、ブラッドムーンが三日月の柄の中程を握り込んで立ち上がり正面より迫る獣に備える。
ついさっき自分らが通った穴を通り抜ける黒い影は人一人分はあるようで、獣かと待ち構えるが埃の舞う物置に入ってきたのは四隅を結んだカーテン。
それを騎士が反射的に叩いて破けた箇所から女の首が溢れる。元より血の気の無い顔であったがここまで血に塗れろと言った覚えは無い。
首が強い引力を発信源となり、色んな物ごと奇術師も騎士も呑み込み始める。強い引力の下で自由は剥奪され人の形を保つことに精一杯。目一杯の力と魔力を脚に注いで堪えたまま一階まで落下する。
「忘れ物のお届けでーす」
わざわざ扉を開けて入ってきた彼は奇術師が女の首に吸い寄せられていく様を見下ろしている。
(この能力!やはり出鱈目に引力や斥力を生み出す能力では無かった!あの理論を再現し、物質に仮想の引力を付加する能力か!)
たった今理解した彼の持つ本来の能力の特性。
しかし、理解したところで何だと言うのだろう。対処法が思い付くかも知れない?弱点が見つかるかも知れない?
ではもし、完全無欠を押し付けて来たらどうか?
「『逆式』」
大気に存在する分子が持つ微力な引力を底上げする能力。これが今までの彼の能力の通説だったが、現在、オンタイムで更新を続ける異能戦のインフォメーションセンターにて改めて誤植だと発表された。
「天は二物を与えず」とは良く言ったものだ。天はいつも偏食の極地にいるんだから。
仮面の下で何者かが苦笑い。いつだってこの世は不平等である、と。
右手を台上に突き平皿を落として割りながらオッドが着地するのに対し、力也はフワリ悠々と降臨。
(恐らく奴の能力は『相対性理論』!強力な引力の下では空間も時間でさえも歪めてしまうというあの理論の要素を自在に操る能力か!)
後ろに厨房の床を蹴って平皿を投げる。力也の視界がほんの一瞬だけ塞がれた隙に調理場作業台の裏に回り息を潜める。
オッドの辿り着いた答えは事実、正解である。惜しむらくはこの才能を自らの手で開花させてしまったことか。
能力は解釈の世界だ。解釈次第でどうとでも使えるし、どこまでも使えなくすることも出来るし、消費する魔力量を抑えることさえも可能である。
彼―力也―は今、思春期特有の複雑に絡み合い作用し合う感情構造の最中で、その解釈の極地に至り『真眼』を開眼させるまでに到達する。
木槌はまるで力也に近付くことが出来ず、一定の距離で留まる。焦る鉄塊を身に纏う巨体が手にした骨切り包丁もまた虚しく接近禁止令が出ていて近付けない。
「自分の武器に誇り持ちなよ、騎士なんだから」
両腕を掴んで軽く跳んでの顔面への両脚跳び蹴りにて図体ばかりの鎧は壁まで吹っ飛んで、動かない。
千切れて血を噴き出している腕を振るい、背後まで回って来た奇術師を殴打。それに応答して三日月を唸らせ旋風を纏って攻撃を続ける。そのどれもがおおよそ表皮まで一センチのところから先に進んでくれない。
「もうちょっとかくれんぼしてても良かったんじゃない?」
「隠れさせるつもりも無いのによく言うね。一面更地にすれば終いだろう?」
啀み合う両者の間に火花の錯覚を見る。
ここに来て力也のエンジンギアが更に高速で回り出し、愉快になって来たのか嘲笑しか知らない仮面とは異なる笑顔を表情として浮かべている。
壁掛けの長包丁が小刻みに揺れたかと思えば宙を遊泳して奇術師を的に飛び交う。
左足を軸にした回し蹴りを腹に入れて後退させたら作業台の上を滑って包丁の群れを躱す。床石に突き刺さったそれらはほんの一部で二群目が襲い来るのを奇形のネズミが迎え撃つ。と言っても身代わりになって息を絶やしながら敵前まで疾って自爆するだけだが。
四散する血肉も、爆炎も須く彼に到達せずただちょっと視界を悪くするだけ。
視界の悪い厨房で今度飛ぶのは高さ800mm奥行750mm間口1800mm総重量90kg越のステンレス作業台。それに鮮やかな切口で両断するのは血赤色が三日月、開口部から切り口から溢れる器具が金属音で雨音を飾る雨の中を躊躇わず進む二人の影。
両者構えを取ったまま動かず、間合いのすぐ手前にてじっと待つ。
永遠を想う刹那にて二人の呼吸が共鳴する。胸が膨らみ、萎んでお荷物を取っ払う。
極限の視界、類稀な異常とも呼べる動体視力の世界でフライパンが目の前を通過し、相手を覆うように隠してしまう。
瞬間、両者共に動く。
細やかなダイヤでコーティングされた円形の鉄板を喰い破る正拳が空を突く。
低姿勢、床石スレスレから放たれる斬撃が力也の体を裂く。
「それやれるんなら最初っからやっとけばいいのに」
嫌味を言ったつもりか、ニヤリと笑う少年の顔。
三日月が斥力を発して飛んでいくのを拾いに行くでもなく、奇術師は無理に少年の手を引きダンスに誘う。
右手のジャックナイフが少年の首を裂く。血が流れるのを互いに引き合わせ止血する荒療治で乗り越えられ、加えて掴まれていない左手で応戦までしてくる。
力一杯に手を引いて一度放し、ハット帽に添えた手を近寄る顔に覆わせる。
「それじゃ、芸が無いんでね」
口を開けていていいのか?
パチンと指を鳴らせば小降りのネズミが出て来て口腔へと迷い入る。
「ちゆゥ?」
喉でネズミが炸裂。
270℃の炎が喉を焼き裂き、血液も溢れず蒸発させてしまった。
口から溢れた爆風にて宙を舞うハット帽を捕まえて再度金糸の束に被せ、のらりくらりとブラッドムーンを拾いに行く。
「その眼、扱い難いだろう?入手してすぐにこれだけやれている分マシかも知れんが…爪先から髪の先、漲る魔力までの一挙手一投足を余す事なく操る全能感に加え、研ぎ澄まされた感覚」
知った口振りのオッドがやっとの思いで血を吐き出す力也に脇目も振らず大鎌に手を掛け握る。
「苦しいか?痛覚までもが研ぎ澄まされ、到底堪え切れる苦しみではなくなっているだろう。人間誰しも死に損ないの身体で闘える様に造られていないのだから」
脳裏に浮かぶのは縦長の蛇のそれに似た瞳孔に黒い瞳をした不可視の刃を振るった銀髪の若輩者。
誰しもが彼の様に死ぬ事が唯一の救済かの如く思える地獄で身を焦がしながらも狂いを捨てずに戦い続けられる訳じゃ無い――
「苦しいだろう。今、楽にしてやる」
ゆっくり俯いて歩く奇術師の足が力也の頭のすぐそこで止まって、血赤色の三日月を掲げてギラつかせる。
――だと言うのに
(何故…なんで!こんなにもお前の目は生きている!)
燦然と闇夜に輝く夕陽はまるで自らの終わりを感じさせず、己が御光の下に飛び込む者悉くの終点となる。
声帯がやられた為に声は出ず、口腔から溢れ返った熱を帯びた血液を止めず振り下ろされる鎌に向かい両手を広げて直進。
右の手の平を貫くジャックナイフを握る拳を握り返し、左手で鎌を持つ右手を掴む。
ギラつく眼光で奇術師を睨み付け、盛大に勢いをつけた頭突きをかます。
蹌踉めいている癖にピアノ線に繋いだナイフの扱いは一流で、おいそれと追撃を許してはくれず左脇腹から横薙ぎに切り裂かれる。
ミキサーのすぐ側に置いてあった取り替え用の刃を投げピアノ線を切って、制御を失い墜落するナイフを奪い去ってミキサー刃と同時に攻撃を仕掛ける。
ミキサー刃はコインをぶつけられたのか軌道を逸らされて壁に突き刺さって活動停止、ナイフはリーチの差があり過ぎたせいで届くよりも早く右手首より先と共に失う。
「ッ!!」
激痛が襲う。全身を熱した有刺鉄線に締め付けられているような痛みがさっきからずっと止んでくれない。
回転する大鎌は少しも休む暇を与えてくれずに追撃を入れてくる。紙一重でそれを躱しても次点がまたやってくるからそれを斥力で中断させてやった上で引力で削る。
息がしづらい。
肩で呼吸をしても焼かれた喉に血が溜まっているせいで酸素が肺まで通って来ない。
倒れそうになるのを調理台に手を突き抑え込んで、口から滝のように血を吐き出す。
「しつこいね…だが、その様子を見るにもう限界だろう」
嗤う奇術師の膝が笑っている。
限界を迎えているのは両者同じ。
――次の一撃に全てを賭ける
風音を立て、空を裂き回転する深紅の三日月が莫大な魔力を帯びている。
蹌踉ける身体を起こし、脚を開き腰を落として喉の血が留守の内に深く息を吐いて吸って、両手で構えを取る。
観衆に熱が入る。歓声が沸き立ち、留まりを知らずに鳴り響く。
湾曲した仮面の目から覗く眼光が、燻る夕陽のように輝く眼光が交錯する。
刹那の中に永遠を視る。
中庭でアーチを描く水流が、空振を轟かせ地を割る星屑が静止したかの如き世界で、二人だけのダンスパーティとしよう。
緩まった蛇口から一滴の雫が溢れてシンクに跳ねて――
二人の影が消え、高速で動く。
突き上がる膝を軽く押し退け、鎌を持つ手とは逆の方へと回る。
背を貫く凶刃を受け、悶えながらもガラ空きの動体を拳が吸い込んで一撃、インパクトの瞬間に最大火力の斥力を浴びせる。
凄まじい勢いで彼方まで吹き飛んでいった奇術師の姿は見えず、劇場の幕が細々とした魔力の欠片となって上がる。
(…結界がなくなった)
それと同時に高らかに轟かせる雷鳴の如き銃声が祝砲。
星屑が鳴らした地響きも、身を蝕む呪いの聖女も鳴りを潜め明け方の空に消えていった。
何処かから崩壊が始まっている。
これだけ派手に暴れられたのだから幾ら豪邸と言えども耐え切れる筈もなく、音を立てて塵と化そうとしている。
(ひばりのとこ…行かなきゃ…)
よろける身体、鉛のように重い足を引き摺りながら少年は歩き出す。
先程の戦闘、最後の一撃に叫ぶ身体に無茶を強いて全霊を使い果たした上に、元より本来まともに動ける傷では無い。
数歩歩いてノブに手を掛け扉を開けて一歩踏み出すと同時に力無く倒れ込んで、閉じようとする瞼に抵抗しながら地面を這い進む。
(俺が、誓ったんだ)
術式は慣れない真眼との同時使用、そして極限状態まで追い込むまでの酷使に関わらずともこの傷によって使用は困難。治癒魔法を使える人間が身近に居ないことを心の底から悔やんでも仕方ないと、埃を伴り瓦礫が落ちる道中を匍匐前進する。
(絶対…絶対に…)
ぐしゃりと嫌な音が伝う。玉の汗が頬を伝って寒気が全身を這う。
下半身が瓦礫の下敷きになって動かない。
奥歯で苦虫を噛み潰す。
限界まで伸ばしてそこから進まない手を開く。
(お前を…幸せにするって…側に居るって…)
力無くうなだれて動けない。
血を流し過ぎ、体温も下がり過ぎて目も見えない、耳も聴こえない。挙げ句の果てに痛みも感じられない。仄かに残るのは下半身にあるじんわりとした熱だけ。
(約束したばっかりなのに…)
閉じた瞼の裏に愛しき貴女を視る事をどうか赦して下さい。
嗚呼でも、最期に視るひだまり微笑む貴女はどうしてこんなにも美しい。
「…クゾ…認めたくないケど、やっぱり…可愛いなチクショウ………ッ!!」
薄れゆく意識の中で力強く拳を握っても身体は動いてくれず、嗚咽を漏らして意識を手放した。
瓦礫の側に近寄る橙色のコート。
手錠を持って入って来た彼がそれを仕舞い、少年に近寄って小さく呟く。
「それは、彼女に直接伝えてあげなよ」
崩壊するのはここ、屋敷の主人が日々の大半を過ごす部屋も同様である。その主人、醒次は諦観して力無く壁にもたれかかって座り込んでいて、娘であるひばりは左手薬指をなぞって静かに座して待つ。
「パパ。やっぱり私は私の人生を生きるから。あなたの言いなりにはもう、ならない」
固く握りしめた手が膝の上で微かに震えているのを深く息を吸って落ち着かせ、真っ直ぐな瞳で小さな鳥は真っ直ぐに囀る
「…やっとか。あぁ、勝手にしろ。何処へ飛ぶかも、何処を巣にするかもお前の勝手にしろ」
それをどう思ったかは分からない。知る由もないが、確かなのは醒次は顔を上げ、皺がれた声でそう言い放ったこと。
「勘違いはしてくれるな。使い道の無かった道具が貰われていくだけだ。たった…それだけのことだ」
こんな時にまで憎まれ口を叩くとは、彼の性分はこれきしで変わる程に軟くないのか。それとも、型にはまってしまって変わらなくなってしまったのか。
それが何処か今は清々しくも感じる。
だって娘はそんな父親のそんなところは色濃く受け継いでしまったのだから。
「そっか。ねぇ、パパ。私に……ッ…なんでもない」
『愛着』はあったのか。
それを言おうとして息が止まってしまって、紡ぐ言の葉を飲み込んだ。
それを聞いて仕舞えば、何かが変わってしまうと思ったから。
「あったさ。どんなに使えなくとも、役に立たなくとも、利かん坊でも、長く過ごせば勝手に湧いてくるものだ。だが私はどうしてもそれを認められなかった、認めることが出来なかった」
どんな形であれ、彼も人の親であった。
例えそれが無償の愛で無くとも他と違っていようと、人に向けるのとは違っていようと歪であろうと、彼は彼なりに道具を…。
それを受けたひばりの目が大きく開く。
あまりに予想だにしていなかった、彼らしい答えに驚きを漏らしていた。
「…そう。じゃあ改めてちゃんと言うわ」
立ち上がり、僅かに涙を浮かべた瞳で醒次の前に立ち伏せる。握った手は硬く、結んだ唇を解き言い放つ。
「大っ嫌い、クソ親父」
「私もだ、バカ娘」
これまで過ごした十七年の日々を、彼女にとって苦痛でしかなかった日々を思い返し、涙を溢す。
かつての栄華に囚われ、その為に捧げた日々を、彼にとって紛れもなく意味があると思っていた日々を思い返し鼻で笑う。
もし。
もしも、この家がこんな金持ちで無ければ、少しでも歩んだ道のりが違えば、結末は違ったかも知れない。
いつかは家族揃って笑い合えた日が来たのかも知れない。
そんな日々を手放したのは他でもない彼ら自身で、彼ら自身の選択の数々の辿り着いた結末で。
ほんの少し、後悔する。
内開きの扉には息を絶え絶えにした夕陽。
色んなところに傷を負って、あまり格好が良いお出迎えとは言えない不恰好な彼だけれど、こうしてここへ帰って来た。
「帰ろう、ひばり。俺…じゃなくて、僕と一緒に」
差し伸ばされた左手に右手を乗せ、元気一杯に頷いて答える。
彼女を抱きしめ、力無く座り込んだ醒次を見つめ一言。
「お義父さん!娘さん、貰って来ます!」
澱んだ目、善き事悪き事も綺麗な物も汚れた物も目を逸らさずに受け入れた目。血みどろの顔、誰かの為に、今夜は他ならぬひばりの為に血を被る事を厭わない精神。
きっとここに居るのが普通の家庭の普通の父親なら今の特徴だけを聞けば「こんな男に娘はやらん」と息巻くところだろう。
ここに居るのは残念ながら普通の家庭の普通の父親では無く、貴族崩れの足りない父親なのだから出てくる答えも自ずと違ってくる。
「君に…お義父さんと呼ばれる筋合いはないよ…」
天を仰いで呟くしわがれた声は瓦礫の音に掻き消されてしまったか、青年に届いたか否かは本人はつゆ知らず。
さらば、私のただ一つの汚点。
お前の行く先が平坦で無いことを願うばかりだ。
「で、二人を見送ってハッピーエンドとはいきませんよ。明星卿」
今度こそ満を持して、手錠ぶら下げて登場した橙色のコートに血をまぶした刑事は二人がたった今走り去った扉にもたれて腕を組む。
「あ、手錠はただ持ってるだけですからご安心を。別に今すぐ逮捕しようって訳じゃないんで」
そっと微笑んだ黄髪の男はそう言ってのらりくらりと醒次の仕事用デスクへと向かって歩き出し、次の言葉を紡ごうとするよりも前に先に痩せぎすの男が問う。
「…卿は余分だ。ここに何の用かね?君が救うべき人間なら居ないはずだが」
やや不満気な様子の醒次を他所に天峯は醒次の居る方へ背を向けてデスクに手を沿わせ周をなぞる。
「では醒次さん。僕は『正しい正義』を追いかけてここまで来ました」
机上に散らばった紙束を手に持ち、一枚一枚隅々まで目を通して気に留まる物があれば最後尾へ、気に留まらなければサッと捨てる。
言動と声色、態度がまるで一致していないがそれを気にしてやる気力もないのでいっそ無視することに。
「それがどうしてここを訪れる理由になるのかね?」
痩せぎすの男には目もくれず、机上な紙全てに目を通したら次に取り掛かり、引き出しを一つ残さず開けて書類や気に留まる物を取り出し、隠し戸があればそれも開け、鍵穴が着いてればそれも開けて全てを公にしていく。
だが話はちゃんと耳に入っているようで、デスクを漁り終え、紙束や物品の数々を机上に並べた後に、その手に着けた黒のドライビンググローブを軽く引っ張り、煙草に火を点けて醒次のすぐそこまで歩み寄り、目の前でしゃがみ込み、赤橙基調に黒の混じった瞳を向ける。
「フゥー…単刀直入に言います。今回の一件、不問にさせてあげましょうか」
煙を吐く天峯がちらりと目線を背後のデスクへと向ける。
並んだ品々はおそらく今夜起きた一件に繋がるまでの全容、即ち明星家が『odd moues』と連絡を取り、協力して事件を起こしていたことの証拠になり得る物たちだろう。
「それは君の追う理想に反するのではないのかね?」
目線が醒次へと帰ってくる。
部屋に入って来た時の陽気さは何処へ行ったのやら、まだ熱い灰を落とすシガーを二本の指で挟む彼の眼は先程に見た澱みとは異なり、よりグロテスクでいるように見える。
「正義とか悪とかに『正解』も『不正解』も無いなんて僕が一番理解ってるんですよ。それでもいつか、絶対的な正義が生まれる礎になる為なら、僕は進んで道を間違えてやります」
歪んでいる。
追い求める物が空虚な子供騙しの戯言だと理解しておきながら、追求することを止めずここまで来た、来てしまった人間。
「で?どうします?」
黄色の髪に隠れていた右眼には周りは凍傷痕が残すような黒色に変色していて、一筋の刀傷が刻み込まれている。
ぴっちり閉じていた瞼を開けばそこにあるのは吸い込まれるような闇を孕む窪んだ頭蓋の洞。
これに見入ってしまった人間にしか判らない恐怖とも違う感覚、悪寒に脳を支配される。
「…条件を飲もう」
気が付いた時には頷いていた。
あの洞はとっくに揺れる黄髪の中に隠れ姿を消し、先程までの暗い表情から一転、にんまりとした笑顔に切り替わってパンと手を叩く。
「じゃあ話は決まりですね。では僕はあなたを市民として外に連れ出し保護致します」
煙草を咥え直し、初老の男性が乗りやすいようにしゃがんで背を向け手を広げて軽く「どうぞ、乗ってください」と促す。
大人しくおぶられている醒次からは加齢臭と古紙の香りがする。
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崩れる道はさっさと走り抜け、腕に抱えた彼女を芝生の上に降ろしたらばお姫様の右手を左手が包んで並んで帰り道を歩く。
これからの二人が帰る場所となる玄関まで手を繋いで歩く。
2DKの団地の一部屋はきっと、二人で暮らすには手狭に感じるだろう。
しばらくは私の、僕の寝る場所が無いって言い合ってそれで結局狭いベッドで二人で眠りについて、先に目を覚ました方が作った朝食の香りに釣られて起きるようなそんな日々を過ごそう。
狭いって文句よりも、貴方をより感じる広さだと言って何の用もないのにくっついてみたり突っついてみたりして、邪魔しないでっ貴方が笑って…
これからは朝、家を出る時は一緒に行こうとか、ゴミ出しは誰がするとか、料理は洗濯は誰の分担にしようとか、掃除は二人とも苦手だから一緒にやるとか、喧嘩した時のルールとかは据え置きにしようとか、それから…式をいつにするだとか。
そういうくだらない話をしながら目を覚まし出す都市を東へ。
四時前の文月の東の空はほんのりと明るく、明けの明星が一番に輝いている。




