<92> 正直
昔から正直者が馬鹿を見る・・などと言われている。人生を正直に生きるかどうかは本人の気持次第だが、どうも、アレコレと騙し騙し生きるよりは結果がどうであれ、正々堂々と正直に生きる方が気分が爽快だろう。騙し騙し生きて成果を得られたとしても、心に傷が残り自分が惨めになってしまう。本人はそう思っていなくても、本人の潜在意識に残るのである。それが積もり重なれば、隠れた潜在意識まで傷んでしまうから感心出来ない。私なんかは騙すことさえ出来ない小心者だから、取り分けて正直に生きている訳ではないが、いつの間にか正直に人生を歩んできた部類です。^^
竹鋸は、どういう訳か出世に縁のない男だった。
「竹鋸さん、専務がお呼びです…」
「ええっ! 専務がっ!!?」
竹鋸にすれば、課長にさえほとんど呼ばれなかったから、専務と聞いて驚いた。何かしでかしたか…と最近の仕事を振り返ったが、コレといって心当たりはなかった。
専務室では神名が笑顔で専務席に座り、竹鋸を待っていた。
「おうっ! 竹鋸君、来たか…。どうだね、アレの方は?」
聞いた瞬間、竹鋸はアレを思い出した。
「ああ、なんとか走ってます…」
「そうか、そりゃ、よかっった、心配しとったんだよ、ははははは…」
仕事は今一の竹鋸だったが、取り得は半プロとも呼べる馬通で、資産家の専務が馬主になる馬を厩舎の知人と過去に選んだことがあったのである。専務はその後の馬の様子を訊ねたのだ。
「大分、仕上がってますから、そのうちデビュー戦に出走できると思います」
「そうか、そりゃよかった…」
「まあ、勝ち鞍になるかは別の話ですが…」
竹鋸は正直に話した。勝てるんじゃないですか…などとヨイショするのは竹鋸の性分に合わなかった。
デビュー戦は思いのほか早くやってきた。3コーナーを回ったところで、専務の馬は一瞬、勝ったかに見えた。しかし、その直後、騎手が落馬し、勝鞍は夢と消えてしまったのである。
「勝ったのは勝ったんですが、騎手が落馬してご破算です…」
竹鋸は正直に専務に報告した。
「そうか…」
次がありますよ…と竹鋸はヨイショせず、部長室を去った。はっきり言って次のレースに自信が持てなかったのである。
人生で自信が持てないことは正直に話さず、沈黙するのがいいようです。^^
完




