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166.弱さ

 ライネ肝入りの掌握氷霧。その性能を黒天使は大方に理解した。


 掌握、の名称通りに彼は氷霧という術を──ある意味では彼自身、発動させた後はただその恩恵に預かるだけだった応用力もなければ弾力性にも欠けていた代物を、より柔軟なものに仕上げたようだった。


 通常の氷霧でも、しっかりと強力だ。だからライネも氷霧のアップデートには維持力や瞬時での展開力を高めるという方向にばかり行きがちだったのだろうし、そして実際にそれで正しかったとも言える。当時の彼の処理能力。魔術的容量を思えば、たとえシスの助けがあったとしても氷霧に捧ぐリソースの面から言ってその程度の拡張に抑えたのは英断だったはずだ。


 元を正すなら英断も何も「それ以上」の進化の形がその時のライネには見えていなかっただけの話ではあるが、しかし必要でもない選択肢ならそもそも気付かない方がいい。余計な迷いが生じたり、もしも誤って分不相応にもそちらを選んでいたりしたら彼の成長曲線はガタつき、ともすればそれが原因でライオットやイオといった強敵に敗北していた未来もあり得たかもしれないのだ。


 なので特典というライネ本人の拡張・・。大幅な機能のアップデートがあって初めてその発想に至り、そして現在の自分にそれを実現させられるだけの能が既に備わっていると自覚できた彼の魔術的な感覚センスは大変に優れている。偶然やその場での閃きに大いに援助されてのものだとはいえ、そういった契機を掴み逃さないのもまた魔術師としての才能に数えられる大事な要素である。


 という諸々の感想を踏まえて、黒天使は多分の呆れを伴って内心で嘆息する。


(ブラフじゃないと顔付きからしてわかってはいたが……ホントに馬鹿正直に教えてくれたんだな、ライネ君)


 掌握氷霧の特色はやはり逐次の流動、そして氷霧そのものが持つ攻撃性能にある。これまでは対象の体表や、呼吸器から侵入して体内へと冷気を入り込ませ凍結系の術の通りを良くさせる。生成系の氷術への強化バフと同じく敵への弱化デバフの一環としての補助的な攻撃しか行えなかった氷霧が一転、それそのものが攻撃手段に化けたのだ──でなければ機雷を氷霧のみで誘爆させることなどできやしない。


(それに割と破壊力もある、と。俺の機雷もそうヤワには作っていないからな)


 ライネ本人が近づけば恐ろしく敏感に自爆する魔力機雷ではあるが、ライネ以外との接触に関してはそれなりに「持つ」ように設定されている。絶対的な防御が施してある、というわけではないがそう簡単に爆破処理なんてできないようにはなっていた。のを、ライネは触手のように伸ばした掌握氷霧で事も無げに片付けてみせた。


(いい性能だ。咄嗟の改造でこの完成度とは、術の組み方にもセンスがある。流石は俺の……なんて褒め方はいくらなんでも自賛と自嘲が過ぎるかな?)


 氷霧それ自体でいったいどんな被害を与えてくるのかは黒天使も気になっていたところだ。彼女が意識して硬く作った機雷を容易く握り潰せるとなれば直に触れた場合──即ち何も手を打つことなくただ無造作に接触を許してしまった場合だが──黒天使と言えどもただでは済みそうにない。


 無論、内部にアレンジこそあれど言ってしまえば単なる魔力の塊でしかない機雷と、一応は「生物」である黒天使本体とで掌握氷霧がまったく同じ作用を及ぼすとは限らない……いやむしろその可能性が限りなく低いことを思えば、未だその攻撃性能は詳らかになっていないも同然ではあるが。


 何せ【氷喚】は明らかに対生物特化。生き物を相手にこそ彼の氷術はその真価──言い換えるなら悪意をより鮮明に発揮するのだから。


(ま、そこは実際に食らってみてのお楽しみ。早いところ味わってみたいものだが……うーん)


 いくらなんでも機雷をバラ撒き過ぎたかもしれない。ライネは探知と爆破の間合いを考慮した上で直進するために必要な空間の確保、その最高率を意識して手際よく最低限の数の機雷のみを処理しながら進んでいるが……きっと彼からしても限られた範囲でこれだけの数にぶつかるとは予想外だったのだろう、と思いの外に伸びない行進速度から黒天使はそう考える。


 しかもライネを邪魔する障害は機雷だけではない。黒天使が追加で放った魔力蠅。魔力蝶よりも小さく、飛行速度が上で、それでいて接触した対象の魔力を「食べる」という厄介者が、千匹・・。機雷と機雷の合間を五十匹単位の蚊柱ならぬ蠅柱となっていくつも飛び回り、ライネの行く手へ立ち塞がるばかりか積極的にちょっかいをかけにいくのだから彼からすれば相当に鬱陶しいはずだ。


(蝶と違って蠅の攻撃法は魔力の奪取それ一択。見極めの手間はない……が、その分着弾がイコール弾の消滅じゃない。一匹一匹きっちりと潰さないとそいつらは延々と君のリソースを奪うぞ、ライネ君)


 魔力蝶が行なった侵食とは、蝶を形成するだけの黒天使の魔力が対象の術あるいは肉体へと入り込むことで魔力の運用を妨害する、というものだった。原理としては相手の術と自らが同化して内部から自己崩壊を起こさせたティチャナの【同調】のそれに同じである。つまり飛び回る蝶としての機能は接触時点で破棄されるように設計されており、侵食という目的そのものが達成されるか否かにかかわらず数が減る、言わば使い切りの術。これも講義の魔力弾なのだから使い切りなのは当たり前でもあるが、その当たり前を覆しているのが魔力蠅だ。


 魔力蠅は接触してからが本領の見せどころなのだ。魔力を食らうための時間は長ければ長いほど相手を困らせる。対象へ接触できても食らう暇もなく潰されては意味がないのだから当然にその身には小さいながらにも最低限以上の耐久性が持たされており、その上で魔力蠅は「逃げる」。一度取り付いたからといってその場で食らうことのみに専念したりはせず、我が身の危険と察すればあっさりと離脱し、また隙を窺って対象へ取り付き直す。そういう動きができるようにプログラムされている。


 そのことに気付いたのだろう、当初は蝶と変わらない対処法で処理しようと試みていたライネは蠅が持つ質の異なる──あるいはより悪質な、と言ってもいい──設定に対して少しばかり防御の仕組みを変えたようだ。掌握氷霧すら食らってしまうこの面倒な虫の群れを、同じく霧から生み出したごく小さな虫。少々形状が歪だがと思われるそれで迎撃せんとしているのが今の彼だった。


(多少は頑丈に出来ていると言っても十匹や二十匹ならライネ君だって強引に潰し切ってしまえただろうけど、千匹だものな。それも魔力波に追われている身でもある、逃走経路の確保という意味でも機雷の処理を並行させながら前に進むことも忘れちゃいけない。流石に手間取るのも無理はない)


 目には目を、とも言う。厄介な術に同様のやり口で応じるのは悪くない手だ。一対一では蠅に負けないようデザイニングされた蜂というチョイスもなかなか冴えている……これで彼も蠅を対抗策として選んでいたら基本性能において魔力蠅を上回れるかは非常に怪しいところだったし、仮にそれが叶ったとしてもしばらくは泥沼の争いとなり決着が付かず、魔力波に追いつかれてしまう展開にもなりかねなかった。


 そういった危険性を意識したにせよしてないにせよ避けた点に関しては見事……ただし見積りの甘さについても言及しないわけにはいかない。


 黒天使は氷蜂の完成度に対して物申す。


「総数は二百匹、蜂一匹あたりが蠅を五匹仕留めればいい計算か。千を用意できればすぐに片もついただろうが、君にはできなかった。機雷対策と両立させるにはその数で精一杯だった……それもマニュアルじゃなくオートで動くようにしてようやく、だ。温いな」

「……!」


 大きな声ではない。なのに過酷な作業を強いられている最中であってもよく聞こえる、まるで耳元で囁かれているかのような黒天使の言葉に、ライネは強く歯を噛み締める。返答するだけの余裕は今の彼になく、それがわかっているだけに黒天使ものんびりと独り言を続けた。


「近い規模サイズの敵術へ自動で襲い掛かるように設定したようだが……そしてその工夫自体は素晴らしいものだと思うが、しかし今この局面においては群体の強みを損なわせているのも事実だ。わかっているだろうけど俺は常にマニュアルだよ。だから君の一手はいつでも後れを取ることになる」


 加減自在だったことからも明らかな通り、黒天使は蝶も鳥も龍も、そして現在空を飛び回っている蠅の群れも揃って手動マニュアルで操作している。


 指示・管理が追いつき、他を破綻させないなら一個の命令を──組み合わせても精々数パターンが限界である──機械的に遂行し続ける自動オートよりも、細かに動きを変えられるマニュアルの方が優れているのは自明の理。もちろん、そこにかかる魔力の消費量や魔術的な容量の圧迫が問題となって大半の術師は何を操るにしてもオートこそが基本の選択肢となるし、操る対象が多ければ多いほど、あるいは大きければ大きいほど。つまりは操作の難度の上昇によってその傾向も高まっていく。


 如何にライネが特典によって更なる神性を手にし、正式な代行者としての力に目覚めつつあると言っても──黒天使からしても意外な速度で成長を始めていると言っても。しかしできなかったことがなんでもできるようになったわけではない。あくまでも彼の成長は曲線を描いている。多少の無理を押し通せるようになっていたとしても絶対的な不可能まで可能へと引っ繰り返せはしない。


 そこまでの無法・・にはまだ至っていない、ならば、可能の限りでやりくりするしかないわけで。


「それが『弱さ』だよライネ君。そもそも工夫を強いられている時点で良くないんだ。理想を言うなら、君こそがそれを相手へ強要する立場になることだ。代行者とはそういう存在であるべきなんだよ。本気で世界を守る気があるならね」

「──ッ」

「俺がしている工夫だって君のレベルに付き合うためだ。そうでないと教育にならないから、致し方ない。厳しくすると言ったのは撤回する。機雷の数を減らそう、蜂に合わせて蠅をオート設定にしよう、魔力波の速度ももっと落とそう。そうすれば君はようやく俺の下に辿り着けるだろうね。……で、それで満足か?」


「そんなわけが、ないでしょうっ!!」


 魔力の胎動。激憤に合わせてライネの身の内でのたうったそれが、すぐさま臨界点を超えて放出される。思わず黒天使が目を見開くほどの出力で広がった魔力はライネの周囲を満たす掌握氷霧に浸潤し、一瞬にしてそれが持つ性能を倍増──否、増させた。黒天使にはその変化がハッキリと見て取れた。


「おォおおおおおおぁッ!」


 咆哮、そして激動。力任せに掌握氷霧が振り抜かれ、その途上にあった機雷も蠅もまとめて薙ぎ倒してく。誘爆が連続して起こり、空の一面が魔力の爆発で埋め尽くされる。その黒い花火にも構わずライネは掌握氷霧を振り回すことをやめない。


「──はは」


 黒天使の術に壊滅的な被害を与えていく氷霧だが、案の定と言うべきか氷蜂に対しては一切の害にならない、どころか氷霧が強化されたのに伴って蜂にもバフの恩恵があったようだ。一度氷霧へ触れ直した蜂の機動力は明らかに増しており、魔力蠅とほぼ互角の戦いを繰り広げていた今し方までとはその性能がまるで異なっていた。


 特に著しいのは速度の上昇だが、上がったのは機動力だけではない。そう察した黒天使にもはやライネ本体が暴れることで蠅の処理にかかずらう必要もなくなった蜂の群れが吶喊してくる。


「当然のように機雷の合間を飛んでくるか。どんな設定へ改めたのか気にはなるが──」


 じっくりと付き合っている猶予はない。あまりにも機敏に接近してくる氷蜂のいくつもの鋭い針を前に黒天使も新たな術の起動を強いられる。飛び回る数の多い敵ならば、まとめて叩き落とすが吉。そう、それこそライネがやっているように。


「魔力鞭」


 黒天使の手から伸びた黒い物体は、鞭というにはあまりに太過ぎるようだったが。けれどしなやかに空を切り裂くその動きは間違いなく鞭のそれだった。


 中空を鋭く翻った黒鞭が蜂たちを打ち付けて粉々に砕いていく。攻撃範囲こそ広く行き渡っている掌握氷霧には劣るが、敵性対象の殲滅速度は互角だった。しばし互いが互いの術を掃除する時間を挟み、そして両者が手を止めて睨み合う頃にはもう、そこは綺麗さっぱりにただの空へと景観が戻っていた。


 残すは今もなお少しずつライネへと迫ってきている大雲のような魔力波だけ。あとはそれに追いつかれる前に黒天使へと一発をくれてやるだけ──という彼の意気込みを嗤うように、くいと。「来い」のジェスチャーで指を動かした黒天使の挑発を切っ掛けに、ライネはいよいよ彼女の懐へと飛び込んでいった。



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