132.接敵
「おう、お早いおつきじゃないか。何を使った? 他のテイカーの術か」
いきなり目の前に現れた少年に対し驚くこともなく、親しい友人に声をかけるようにして少女は訊ねる。頷きが返ってきたのを確かめて、その口元は弧を描いた。
「おいおい、大丈夫かよ。大方そっちも転移使いに備えさせてたってところだろ? だが雑に空間を越えると酔っちまう。これから大事な用を果たそうって時にそいつはよくないぜ」
「……無用の心配だよ。協会にはどんなに急ぎ仕事でも丁寧に運んでくれる凄腕の転移使いがいる。それに、もしも雑な飛び方をしたって『その程度』で支障なんてない。君もそうだろ? だって僕らは特別製なんだから」
淡々とした喋り、落ち着いた態度。そしてその静かな眼差し。堂々たる佇まいに以前までの彼との明確な違いを少女は感じ取る。何があったのか。今日に至るまでの準備期間は短くなかったが長くもなかった。テイカー協会からすれば魔人側よりもやるべきことが多く特にそう感じていたはずだ。なのにその間で少年はガラリと印象を変えた。
あの日、ライオットを倒してみせたことにも彼の確かな成長を感じたものだが。けれど此度の変貌ぶりはあの日に見た彼の比ではない。言うなればこれはそう、育ったのではなく「孵った」。正しく生まれ変わった姿であるように少女には思えた。
「特別製ね。そいつは人の範疇外へ気軽に出られる魔法の言葉じゃあないはずだが、お前さんの場合はまさしくだな。元から人間じゃねえ俺と相対する人間、となればそれもやむなしってところか」
そこで少女は少年の足元を見て。
「空中に立っているんじゃなく浮かべた氷の膜の上に乗っているのか。そういうこともできるようになった、と。まあ生み出した氷を操れるってんならできて当然なのかね。少なくともユイゼン・ロスフェウの影響はデカそうだが……さぞかしいい手本になったんじゃないか? 同系統の唯術を使う大先輩の存在は」
「ああ、ユイゼンさんの術は大いに参考になった。あの人の指導があってこそ、今の僕がいる」
羨ましいねぇ、などと嘯く少女に少年は「君こそ」と何もない彼女の足元を指して言った。
「器用な真似ができるようになったじゃないか。随分と【離合】に慣れたらしい」
「おっ、わかっちゃう? 頭の上に発生させた引で重力と釣り合わせているんだが、地味にけっこうな高等技術なんだよな、これ。一瞬ならまだしも持続させるとなるとまー大変ったら。繊細な分、力任せである程度は再現できた拡充術よりもムズい。奪い立てじゃあ引っ繰り返ってもやれっこなかったろうよ」
つまりはそんな繊細な術の扱い方を、会話の片手間であってもなんの苦労もなく行えるようになった。それくらいに【離合】の習熟が進んだという証だった。
「進化だ。大袈裟な言葉だと思うか? いやいやとんでもない、お前さんはそりゃあえらく様変わりしたが、俺だってあの日の俺とは別人さ。【離合】を本当の意味で『手中にした』からにはちっとも過言じゃねえよ」
「わかっている。【離合】にはそれだけの力がある。大袈裟だとは僕も思わない」
本来の【離合】の使い手であるライオットを下したのは、他ならぬ彼だ。その力の脅威は誰よりも理解できている。その上、目の前の少女の気負いも力みもまったく感じさせない、まるで日常の中にいるような雰囲気からしても、言われるまでもなく「そちら」だって理解できていた。
──強くなっている。更に、尚更に、殊更にだ。
その出で立ちをよくよく観察するように僅かに目を細めて見つめてくる少年へ、少女はからからと笑って。
「進化したのはお互い様だもんなぁ。んでもって、いいのか? せっかくお強くなられたってのにそれを仲間のために振るわなくてよ。お前が防衛に加われば死なずに済む命もたくさんあるはずだろ? 逢引きに乗ってもらえて俺としちゃ嬉しいが、テイカーとしては良くないんじゃねえの」
「こんな簡単な優先順位を間違えるはずがない。僕が戦場に立てば魔人の軍列に加わるつもりでいたんだろう、君。そして死ななずに済んだはずの命を殺して回った。そんなことはお見通しだよ」
「かっか! まー約束を反故にされたらそんくらいは暴れるわな。乙女を傷付けた代償ってやつさ」
「一方的に取り付けておいてよく言う……君こそいいのか?」
「あん? 何がだ」
「高みの見物なんかしている余裕があるのか、と訊いている。見たところ魔人側の損失も相当なものだ。いくら『増やせる』と言ってもこれだけの数が全滅するのは君の目標からすると痛手じゃないのか」
ああ……、と彼の言いたいことを理解し、ちらりと眼下へ。今も激しい乱戦の真っ只中にある地上の景色を眺めて、少女は笑みを消さないままに答えた。
「いいんだよ、別に兵隊なんざどうなろうと。生き残ってほしいのはティチャナとトリータくらいのもんさ」
「それは、ここで失ったとしても魔人軍を再編する元手があるってことか」
「いーや、そうじゃねえ。素材は今回のために全部使い切った、新たな調達の用意があるわけでもない。じゃあなんで魔人兵を大事にしないかって? そらお前、調達だの再編だのなんていつでもできるからだよ。協会を壊しちまえばな」
「……だから今いる魔人は使い潰すって?」
「そのとーり。魔術的な武力を担うテイカー協会さえこの世から消えちまえばあとは好き放題だ。いくらでもじっくり時間をかけて魔人軍を作り出せる。人減らしと魔人の増産が同時に賄えるってんだから一石二鳥だしな。まあ時間のかかりようからして効率的とはまるで言えねえんだが」
「【同調】で人を魔人に、か。よくもそんなことを思い付いたものだね」
吐き捨てるように告げられた少年の口調にははっきりとした軽蔑の色があったが、それを知ってか知らずか少女はその言葉を額面通りにのみ受け止めたようで。
「おうとも、コピった唯術は俺の理解・発展のさせ方次第でその性質が変わることもザラだ。ティチャナ本来の【同調】は相手に自分を合わせるもんだが、俺の【同調】は自分に相手を合わせるって寸法でね。ライオットに連れられてきたお前さんの強度を引き上げてやったのもそういう理屈さ。俺との間にあるレベル差を強引に埋めたんだよ」
「なら、やろうと思えばあの時。僕を魔人化させることも可能だった?」
「くくっ、そりゃ無理だな。お前さんの言ったように特別製だからな、どんなに技術を向上させたって俺と同じ『プレイヤー』を魔人に変えちまうってのはできっこねえしあり得ねえ。なんたってそんな裏技でゲームが終わっちまったら『誰か』さんたちが納得しねえだろうしな」
誰か。少女のそれは少年の口にする『何か』と同じ意味の、未知なる存在を指すワード。肩をすくめてあたかも上からこちらを見下ろす何者かがいるかのように天上を見上げる少女からは、いかにもそれを鬱陶しく思っていることが窺い知れた。
そんな少女も、本心はどうあれ唯々諾々と使命に従わなければならない。そう思えば少年は少しばかり不思議な気持ちになった。こうして対峙している自分と彼女が、どちらも共にとてもちっぽけなものに感じられる。どこかの誰かが見ている夢の中の登場人物のように、曖昧で不安定な存在なのだと──。
気を取り直すようにして少女は。
「しっかし、なんともいい天気だよな。天の計らいかって具合に絶好の戦争日和だ。曇り空やどしゃ降りの中で殺し合うってのもそれはそれで味があって乙なもんかもしれないが、俺はやっぱり晴れが好きだな。根が単純なもんで快晴ってだけでワクワクしちまうんだよな、昔から。今日はどこへ行こうか、何をしようかってさ」
もっとも、と彼女は空と地上を行き来させていた視線を目の前の一人へと固定して言った。
「今日の俺に予定を悩む楽しみはないんだけどな。なんせとびきりの相手と待ちに待ったデートの当日だ。それ以外のことなんざ頭からは消えちまう」
「それがミーディアを狙わない理由か」
「ミーディア……ああ、屋上で見た再生能力の女剣士か。そうだな、あそこで浚えてたんならともかく今となってはもう遅いからなぁ。これから決戦だって時に新参の唯術で貴重な三枠の内のひとつを潰すのは挑戦通り越して無謀だろ。あの力が俺の見立て通りの性能なら是非とも欲しいって点に変わりはないが……ま、それは決着の後でいい。運良くあの女が生き残っていたらその時にまた改めて貰い受けるとしよう」
「見立てね。あの短いやり取りでミーディアの能力をどう見たって? 再生能力なんて魔人が基本で持っているようなものでしかないだろうに」
「ははは、吹かしてくれるじゃねえか。わかってて言ってんだろ? 魔人はそりゃ、人体と魔力体の混合。魔力による自己治癒のハードルが人に比べりゃ低くて当然……ではあるが、だとしても大きな傷を癒すにゃそれなりに魔力を食うってのは人と変わらん。それも膨大な魔力量でカバーできるっちゃできるが、消費が激しいっていう根本はどうしようもないわけだ。それが部位の欠損だとか致命傷みたいなデカすぎる傷なら尚更だ」
わかるよな? ともう一度訊ねながら少年を指差して少女は。
「一応の人間としてお前さんを例に上げさせてもらうが、仮に魔人並みに自己治癒が可能だとして、そこへ加えてあの女の再生能力を手に入れたとして──『なんの意味もない』とお前さんは言うのか? 違うよな、そんなわけがない」
「…………」
「あれだけの傷の再生に奴さんはほとんど魔力を使っちゃいなかった。そんくらいは見ただけでもわからぁな。そんでもってあの死を恐れないような特攻ぶり、そしてお前さんがああも必死に守ろうとしたことからもほぼ確定だろ? 奴の再生能力は間違いなく自己治癒のそれを大きく凌駕する……! 制限も、限界もな。ともすれば治癒じゃあどうしようもねえ即死級の傷だってどうにかできちまうかもしれん。と俺は睨んでいるんだが、そこんとこどうよ?」
問いかけに、少年は。
「──呆れたな」
「んん? なんか的外れなことを言ったか、俺は」
「わからないなら、本当に魔人だな。守ることがイコールで戦力的な価値の保証だと思っている。人間的じゃないよ、その考え方は。仮にミーディアの唯術が、君が手に入れたところでなんの脅威にもならないような代物だったとしても僕は──僕たちは、そんなこととは関係なくミーディアを守る。それがテイカーの仲間に対する姿勢だ。魔人とは、違う」
「……くっく、そうかい。確かにな。俺もいつの間にか魔人としての思考が板についていたってところか……人を唯術の入れ物くらいにしか捉えてねえってのは仰る通りおおよそ人間のそれじゃねえわな。【模倣】って力の性質を抜きにしたってこりゃ酷い。と、思いはするぜ? 他人事だったらな」
「充分に他人事じゃないか。お前は一事が万事その調子なんだろう。そうでなきゃ『そちら側』に選ばれたりするはずがない。お前がそういう奴だから、今こうして僕と対立している。『何か』に選ばれて対立させられている。違うか?」
「いんや、違わない。それも仰る通りだよ。まったくもってな」
はー、と少女は薄く息を吐きながら両手を腰に当てて。実に気だるげに、実に億劫そうに続けた。
「しょうがねえ。今更語ることでもないが……だからこそ語っておこうかね」
「何を」
「俺が何者か、だよ。深いだろ?」
「どこが? あまり興味ない」
「そう言わずに聞いてくれよ。俺はライオットと違って自分にも他人にも興味があるタイプでね。それはお前さんも同じだと思っていたんだが、違ったか」
「……違わないな。お前個人の事情には興味なくても、どうしてお前なのかっていうのと、それが『何か』に関することでもあるなら確かに。是非とも聞いておきたいとは、思う」
ひひ、と少女は低く笑って。
「ああそれでいいさ。それで充分だ……そんじゃ、行こうか」
と手を差し出した。
「移動するつもりか? ここじゃダメなのか」
「ダメってこともないが、あんまし他の連中に聞かれたくはねえな。ここはしっかり見張られてんだろ? それに……翼持つ身でもなし、お互いに得意なのは地上戦だろうしな。だったら舞台を変えようぜ」
「…………、」
出された手に悪意はない。そう判じた少年は、無言で少女の手を取った。それに少女は嬉しそうに頷いて。
「飛ぶぜ──【離合】拡充」
ふっとその場から二人の姿がかき消えた。それは観測班の監視映像でも捉えきれないだけの速さでの移動。本館の上空にはもう誰もおらず、ただ風が吹くばかりだった。
地上では変わらず血と熱が舞い上がっている。




