118.三つ
ありがとう、とシスに礼を言いつつ意識を入れ替える。僕は表へ出て、シスは裏へ。休ませてくれた上に難しい戦いを制してくれた彼女には本当に感謝しかない。おかげで僕の気力もいくらか戻ってきたように思う。
それにしても、よくあの二人に勝てたね。それもほとんど体を動かさずに術だけで……特A級とA級のコンビにそうやって勝ち方を選べるなんて、ひょっとしなくてもとんでもないことなんじゃ?
《そうでもありませんよ》
え……そうでもないの?
《まず第一に、エミウア自身も言っていたように彼女は手加減こそしていませんでしたが、それはあくまで組手レベルでの話。正真正銘実力の全てを出していたとは言えません。唯術の奥義や拡充もなく基本だけで戦っていたのがその証拠でしょう》
……そっか、言われてみればエミウアの攻め方は単調そのもの。いくら【質量】という唯術がそれに向いたものだとしても「それだけ」で彼女が特A級に昇り詰めたとは考えにくい。ベーシックな力だけを武器にして、行動もこの上なくシンプルにして。それで出せる全力を出していた、ということなのか。
それだと確かに、とてもではないが実戦レベルの戦い方だったとは言えないな。
《コメリも拡充こそ使っていましたが干渉は最低限にも達しておらず、降参も早かったですよね。エミウアがあそこから打つ手なしとは彼女も考えていなかったでしょうから、あのタイミングでユイゼンへ判断を促したのはやはりあなたへの塩なのでしょう》
それは僕も裏から見ていて感じたな。まだしも常に攻勢を取ろうとしていたエミウアとは違い、コメリからはそういう前のめりの姿勢が一切見受けられなかった。サポート専門の、つまりはエミウアを助ける外部装置のような役割と言ってもあれではいくらなんでも勝負へ手を出さな過ぎだ。
両手を上げての降参も、諦めが早いというよりもむしろ一刻も早く負けたがっていたようにすら思える……ということはそれだけコメリは、僕らがS級に相応しいと思って応援してくれているってことなのかな。
《さて、それはどうですかねぇ。鳴り物でのS級への昇格に不服がなさそうなのは見て取れますけど、その手助けまでするのが果たして単なる優しさから来るものかは疑問ですよ》
むむむ……それも、確かにその通り。ミーディアだって何も意地悪であそこまで僕をボコボコにしたわけではなく、その逆。S級という重い立場で、敵方の大将との一騎打ちという最も危険なポジションにつこうとしている僕を心配しての愛ある厳しさ。優しさの裏返しであることはわかっている。
エミウアもそうだ。彼女としてはリグレやユイゼンといったS級のテイカーと縁が深いこともあって、また彼女自身が特A級として最強の次点にいるだけに、S級という特別な等級への強い思い入れを抱いていて。だからこそ会議の際にもユイゼンの推薦に異論を唱えたのだし、今回も組手レベルとはいえ本気で僕のことを試した。それも確かなんだろうけど……でもそれだけじゃない。彼女の眼差しからは、打ち込む拳からは僕の身を案じる先達としての確かな配慮が感じられた。
で、コメリはどうなのかと言うと……何故僕の昇格に対して少しも反対的でないのか、それどころかどこか歓迎ムードですらあるのはどんな理由があってのことか、正直言って完全に不明だ。彼女の動機がまったくわからない。
だからシスの言う通り、ややもすれば何か思惑があるのではないか──あるいはその反対に、なんの思惑もなくて。平たく言って「どうもいい」からあの態度なんじゃないか。などと色々と想像してしまう。
《どちらにしろイオと戦うためにはありがたいことなので、仮にコメリがなんらかの目的であなたの謀殺を図っていたとしても……今はそれに乗っかるしかりませんよね?》
や、やなこと言うなぁ……よりにもよって例として出すのが謀殺って。シスってそういうとこあるよ、いつもいつも。
まあ、エミウアだけでなくコメリも合格判定を出してくれたっていうのは少なからずユイゼンからの評価にも影響があるだろうし、ありがたいことは確かだ。……そういえばミーディアも組手の直後にユイゼンと何やら話し込んでいる様子だったけど、いったいどんな風に僕のことを評したんだろうか。すごく気になる……けど、もうミーディアはこの場にいないので聞きようがない。
彼女だけでなく、エミウアもコメリも。救護担当のマーゴットさえもいない。皆ユイゼンの指示によって第一訓練室から出されてしまった。なので、この場に残されたのは僕とユイゼンの二人だけだ。
「さてと」
全員の退出を見届けてから僕の下へ、つまりは訓練室の中央へとゆっくりとした歩調でやってきたユイゼンは、満を持したように言った。
「わかっているだろうね。テストはまだ終わっちゃいない──あんたが克服すべき課題は、まだ残されているってことが」
「はい。コメリさんが言ったように『最終試験』……ユイゼンさんが直々に僕を試すテストもあるんですよね」
厳しい顔付きで頷いた彼女を見て、僕も改めて気を引き締める。ユイゼンが課すテスト。僕がS級へ昇るに相応しいかを見極める、最後の試練。それがこれまでの二戦同様にまた組手形式のものなのか、それともまったく別の何かなのかはまだわからないが……どういった内容にせよミーディアやエミウアのそれよりもずっと厳しく難しい、最も高いハードルになることは間違いない。
何せ前者二人は──各々にそれを引き受けるに足る理由もしっかりとあったにせよ──指令を受けて試験官を請け負ったに過ぎず、そしてその指令を出したのが、ひいてはこのテスト全般を企画したのがユイゼンなのだ。その張本人が直接に試す最終試験となればそれは、疑問を挟む余地もなく確実に最高難度のテストになるだろうと。それくらいは誰にだって予想のつくことだ。
……いやまあ、そういった事前情報からの推測を抜きにしても今の僕の状態。体力も魔力も相当に目減りしているコンディションを思えば、たとえ難易度の面で前の二戦と変わらずとも相対的により高難度になることは確かなのだが。それでもきっとユイゼンはお構いなしに──否、だからこそいいのだと嬉々として途方もない試練を与えてくるんだろうな。
そうでないといけないと思うのは、僕も同じだ。これくらいのことでへこたれるような者にS級の称号は相応しくない。……僕の目的はS級になることそのものじゃなく、あくまでその位に達せば許されるという「イオとの一対一」の権利。それを手に入れることが目標なわけだが、しかしそれらはどちらが先に立つものだとしても変わらない。
イオとの戦いを望むならS級並の実力はあって然るべきであり、また逆に、このような変則的な形でのS級昇格を認められるには敵の親玉との一騎打ちからでも生還が十二分に見込めるくらいの実力がなければならない……という、表裏一体の条件が僕には課されている。もちろん、それに見合っただけの過酷な課題も。
そう理解しているだけに、最後のテストを始める前にどうしても確かめておきたいことがあった。
「教えてくださいユイゼンさん。あなたが思う僕の課題って、いったいなんなんですか? いくつかあるような口振りに思えましたけど……」
「……できれば自分で足りないものに気付いてもらいたかったんだが、わからんままにあんたはよくやっている。これもひた向きさの為せることだろうね。いいよ、教えてやろうじゃないか。ライネというテイカーに不足しているもの──より正しく言えば、S級になるため早急に鍛え伸ばさなければならない『三つの要素』をね」
S級になるために、早急に延ばすべき要素……と聞こえた文言を咀嚼する間もなくユイゼンは「まずひとつに」と言葉を続けた。
「体術に不安があった。何もあんたの身体の使い方が他のテイカーに比べて特別鈍いとは言わないが、ライオット戦の顛末を聞くに……リグレの凩を拾えてなければ高確率であんたの方が死んでいたであろうことを踏まえるに、もっと体術を発展させるべきだとあたしは判断したよ。悄然組手はそのためのもんさ。強敵との戦闘で魔力が切れかける、っていうのは長くテイカーやってりゃ多くの者が経験すること。そういう場面でこそ物を言うのが素の強さだからね」
うむむ……素の強さ。体術の練度、か。それは確かに、明確に僕に不足しているものかもしれない。
新しい生を受けたこの肉体はシスが何度となく告げたように「特別製」。明らかに他の人とは違う才能の恵まれ方──言うなれば魔術師向けにデザイニングされたものだとは、僕自身常々に実感してきていることではあるけれど。その一因として「肉体の強さ」も(この線の細い見た目からは想像もつかないほどに)優れてはいるけれども、しかし強度と練度とは話が別だ。ステータスが別物なのだ。
授かった肉体強度も間違いなく僕の体術面での強さに繋がるものではあるが、それはあくまで支柱。強度以上に大事な練度は主柱であり、経験に浅い僕は──前世でもとんと喧嘩や武道に縁がなかったために──そちらの成長が魔術方面に比べて遅く、他のステータスの伸びとアンバランスになってしまっている。
もしも体術も、唯術の習熟と同程度に伸ばせていれば。ひょっとすればライオットの反則めいた引斥混じりの格闘にももう少し対応できていたかもしれない……上手に戦えて、自分有利にあの戦いを進められていたかもしれない。そう思えばユイゼンの指摘には何も言い返せないというもので。
《交代することで私が不足をカバーしていたのも昔の話。敵がS級並の魔術師ともなると私の長所だけでどうにかなるレベルではありませんし……何よりも現状の虎の子である「負担分割」、そしてそれの発展とでも言うべき「二心同体」の実行中には交代のしようもない。となればますますあなたの体術の習熟の重要性が増している、ということになりますね》
シスの言葉に内心で同意を示す僕へ「ふたつに」とユイゼンが次の足りないものを教えてくれる。
「あんたは良くも悪くも戦う際に術の行使と体の行使がセットになっている。当然だが術にかかり切りでその最中には一歩も動けません、なんて魔術師はテイカーとしては論外。動ける術者であることはあんたの優れた点であって欠点ではない……じゃあなんで『良くも悪くも』なんて冠を付けたかというと、あんたの場合はまず『動かない』っていう選択肢がない。そこに行動と思考の幅があるのがいけないって話だ」
「えっと、すみません。仰っている意味が僕にはよく……」
「わからないかい」
素直に頷く。だって本当にわからないのだから。
思い返せば僕に「術だけで戦う」という発想はなかったように思う。最初に見たお手本が剣のみを武器とするミーディアだったこともあり、そして……フロントラインの地下基地にてライオットと数え切れないほど行った組手が常に体術混じりのそれだったせいで、僕のスタイルは「術と共に動く」というものに自ずと確立された。
僕にとって重要な指標となった(ライオットをそう認めるのは少し癪な思いもあるが)二人が揃って近接戦を重視するタイプだったことは、影響としては抜群に大きいと言える。
とはいえまあ、仮に二人からの影響がなかったとしても【氷喚】最大の必殺技は接触凍結並びにそれを強化した氷蝕。共に「相手に触れること」がその機能をフルに活かすための絶対条件なのだから、敵への肉迫は僕からすればマストの行為。それを実現させるためにも術と肉体の併用は不可欠。切っても切れない関係にあるのだから、程度やかかる時間に差こそあれど結局はこういったスタイルになっていたと思うが……それはともかくとして。
「唯術だけでなく体術でも攻めていくことは、それに対応する敵方のリソースを削る上でとても有効だ……と習ったんですが」
「そうさね、それは正しい。しかし『そういうこともできる』のと『それしかできない』のとではまったく違う。同じことをやっていても天と地ほどもかけ離れているよ。現にあんた、エミウアとの組手ではほとんど体を動かさずに戦っていたがその間、随分とやりづらそうにしてたじゃないか?」
それでもあたしの予想よりはずっと巧みにクリアまで漕ぎつけていたがね。と、ユイゼンはまるで僕の内側にある何かを……裡にいる「誰か」を探して覗き込むかのような眼差しで、そう言った。
心臓が跳ねる。思慮と疑念を感じさせる彼女の静かな瞳を見つめ返しながら、僕は咄嗟に言葉を返すこともできずただ口を閉ざすしかなかった──。