116.発揮
羽から放つ光によって目を焼きながら顔へ群がる蝶。その視界封じは充分に特A級にも通用する立派な「技」ではあったが、しかしエミウアとていつまでも蝶の自由にさせたりはしない。
小粒な邪魔者は一斉に払うに限る──と彼女の身に纏う魔力量が増加。魔力放出によって周囲の氷蝶をまとめて排する手段へ訴えんとする。
魔力の放出それ自体を攻撃法とするのは、高い出力と体外へと離れた魔力を維持する技術──これは修練よりも先天的なセンスが物を言う部分だ──が必要な高度な魔術であり、それでいて非常に費用対効果が劣悪な「使う余地のない技術」でもある。
一般的な魔術師であれば魔力を放って攻撃することはまずない。消耗に対して与えられるダメージがあまりにも低いのだからそんなものを手札の一枚には数えたりしない。例外があるとすればアイアスのような魔力を放つことに特化した唯術を持つか、あるいはライオットのように常人よりも遥かに魔力総量に優れているか。こういった者たちでもなければ普通、魔力放出そのものを武器にしようなどとは思わないし、思っても実行が不可能だ。
けれどもうひとつの例外として、例えばこのような場面。ひとつひとつ潰していくには時間と手間がかかる小さなものに群がられているようなシーンにおいてはまた事情も変わってくる。特に、基本的に殴打しか攻撃手段を持たないエミウアにとって魔力放出は──それも指向性を持たせないでざっくばらんな範囲攻撃とする手法は、とても有用な解決策に他ならず。
故に迷わず実行する。特A級である彼女は魔力の総量・出力共に安定して高い。形振り構わない魔力の爆発とでも称すべきほどの規模でなくとも、ある程度の放出だけで簡単に片づけられるだろう。造形やサイズからして先の氷鳥よりも見るからに脆そうな氷蝶にそう判断を下したエミウアがまさに漲らせた魔力を体の外へ放とうとした、その直前に。
氷蝶が爆ぜた。
「っ……!?」
エミウアは何もしていない。魔力の放出はまだ行われていないというのに、勝手に蝶が散った──それも自らの破片を撒き散らして、ド派手にだ。その理由は明白だった。
(壊される寸前で自壊! そんなことをしてまで自分の目を潰しにきたからには──)
次に来るのは本命。そう察してまだ視界が戻らぬ内から受けの体勢を取るエミウア。【質量】という唯術によって自身の硬度、防御力の確かさには並ならぬ自負を持つ彼女ではあるが、先のライネが醸していた雰囲気。そして執拗なまでの目晦ましから、何かしら「この先」に繋がる策があっての行動と推測し守りを固める選択をした。
果たして特A級テイカーとしての彼女の洞察は的を射ており、ライネは既にすぐそこまで迫っていた。エミウアの優れた感覚器官の全てを掻い潜って静かに、疲れ切った体でも無理のない、無駄のない動作で的確に刀の間合いへと入っていた彼女は流れるような所作で刃を振るった。
首。視力が働かず、気配や魔力でもライネを捉え切れぬままにどこが狙われるかを正確に当ててみせたエミウアのそれは、五感を超えた六感がそうさせたのか、あるいはただ当てずっぽうに急所の一箇所を庇っただけの山勘か。いずれにせよ見えず感じなかったはずの斬撃をエミウアは咄嗟に跳ね上げた左腕で防いでみせた。
ギンっ、と刃と生身の肌がぶつかったとは思えない硬質な音が響く。その際エミウアは自身のガードが成功したことを知ると同時に疑問を抱いた──軽い。隙へと付け込む絶好の一撃、にしては刃があまりにも、想定よりもずっと軽過ぎる。
疑問はすぐに氷解する。止めたはずの刃が、そこからぐんと勢いを増したこと。それとほぼ同時に飛び散った氷片の影響から脱したエミウアの瞳が映した光景が、ライネが何を狙っていたかを克明に物語っていた。
(ッ、刀の峰に腕を押し当てて──二段階の攻撃を!)
これは太い枝を切り落とす際などに使われる技法だ。剣士というよりも山師の如きその剣術は、故にこそ戦闘の場においてエミウアの予想には上がらなかったものだった。
「はぁっ!!」
裂帛の気合。彼女が滅多に上げないそれを叫べば、振り上げ直すこともなく再度の推進力を得た刃が思い切り振り切られた。防御の成功を「誤認」させられたことで僅かなりとも腕の力が緩んでいたエミウアは、そこから伸びた斬撃をそれ以上押し留められなかった。追加で注がれた魔力も手伝って堅い守りが力で強引にこじ開けられ──ガンッッ!! と先のそれよりもずっと激しい音が訓練室に鳴り響く。
首筋を強かに叩かれてたたらを踏んだエミウア──彼女の肌にそれでも傷がないことを確認したライネは即座の反撃を警戒し、相手の射程よりも外へと素早く後退。満足とも嘆息とも取れぬ息を吐いた。
「呆れた頑丈さですね。ここまで魔力と腕力を込めても斬れないとなれば──」
エミウアが指摘したように、ライネに卓越した剣技はない。それはシスも同様で、これ以上の「斬り方の工夫」は望めないだろう。つまりどうやっても刀が本来有するはずの、素手では及ばない殺傷力……枯渇気味の体力を過度に用いることなく勝負を決着させ得るその力が、活かせない。ということが確定した瞬間だった。
だとすれば攻め方を変える必要がある。だが勿論それは……とそこまで思考が及んだところで。次なる攻め手のために行動を開始しようとしたところでライネは──シスはそれを中断。全力でその場から回避する。
すぐにはエミウアの格闘が届かない安全圏から更にもう一段階深く下がったシスが視線をやった先には、片腕を伸ばした姿勢でぱちくりと瞬きをするコメリの姿。
「……これは驚き。完全に攻めへと。エミウア姉弟子へと意識が集中し切っている。そう見えたのですが」
ただでさえ視認できず、また他の手段による知覚も極端に難しい唯術である【念力】……を、あそこから躱してみせるとは。二対一かつ一方的に疲労しているという二重の苦難を背負っている相手への僅かなりの情けとして、片手を向けて【念力】が生む力場を差し向けるというわざわざの「モーション付き」の発動にして察しやすいようにしたコメリだったが、だとしても。この動きに反応できたとしてもここまで見事な完全回避が可能とは少しも思っていなかっただけに、漏らした言葉通りに彼女の胸中は純粋な驚きで満たされていた。
それこそ情けなど不要だったのではないか。そう思わせられるくらいの鋭敏さと機敏さであったが、しかしそれを見せつけた当の本人は──コメリが知るライネの人当たりと比べるといっそ異様なまでに──実に淡々と、大した感慨もなく。
「まさか、あなたへの注意を怠りはしませんよ。と言っても、今のは運にも助けられたのでそう誇れもしませんが」
ライネの肉体が持つ性能を十全に引き出せるシスの五感は、一流の戦士であるエミウアやミーディアと比較してもなんら劣らない程度には鋭い。しかしその一流どころが感覚を研ぎ澄ませたとしても【念力】は察知困難なのだ。これは人外の感覚器官を有するティチャナが──最警戒相手たるユイゼンの存在に大きく調子を乱されていたとはいえ──全力で探ってもなおコメリの術の起こりを嗅ぎ取れなかった、その事実が明確に証明している【念力】最大の長所である。
では何故シスは気取れないはずの攻撃を事前に知ることができたのか。
無論のこと「裏」に控えているライネがそれを警告したわけでもなく、他にこれといった要因があるわけでもなく。シス自身にもまったく不明なこと故に彼女はこの出来事をたまたま鳴った虫の知らせであると、再現性のない幸運に助けられての結果だろうと一応の結論を下していたが……けれどもその裏で、まさに裏にいる彼の存在もあってシスにはもうひとつの仮説。彼女からしても突拍子もないと思える「とある可能性」が浮かんでいたが、今はそれを解明する時ではない。
「さて……」
刀身を消した凩を逆手持ちに構える。そして蝶の──翼よりも小さな羽を模した──契印。先ほどライネは柄を離さないままに両手を用いて鳥の契印を組んでいたが、やはり無手で行うよりもずっと隙が大きくなっていた。
今の今まで介入のタイミングなどいくらでもあったろうにそれを控えていたコメリのこと、そんな真似は元よりするつもりなど皆無だったろうが……しかし、もしも契印を組まんとするあの瞬間を【念力】で狙われでもしていたら、意識も体勢も対処に向かない状態になっていたライネにはどうすることもできなかったはずだ。
刀をメイン級の武器に据えて戦うのなら、両手を使う動きとはどうしても相性が悪い。術の昇華のために必要不可欠であるからして氷鳥の作成に印が組み込まれているのは仕方ないことだとはいえ、ライネはそれらの併用に関してもう少し考えるべきだろう。
それに比べてシスが拡張した(と言うほど術の構成は弄られていないが)氷蝶は指を伸ばしたまま閉じた掌を開くという二手からなる契印だが、それぞれ「片手」で済むので刀が邪魔にならない。裏からいたく感心した声が聞こえてくるが、それにシスは返事をしなかった。する、余裕がなかった。
既に構え直しているエミウアと、ここからはいつ邪魔をしてきてもおかしくないコメリの双方へと牽制の視線を向けながら慎重に氷蝶の展開を終えた彼女は、そこで敵二人が個々人ではなく次はコンビで仕掛けようと契機を図っている。と直感した。
ごく小さくではあるが互いが互いを窺うような気配を覗かせているからには間違いないだろう──そしてそれが実行に移されれば非常にマズいことだ。氷蝶の助けを得ながら刀を振るうというやり方では、対処できたとしても二人のうち片方まで。それも同じ戦法が二度続けて通じるとも思えない点を踏まえれば、一人すら抑えられるかも怪しいところだった。
エミウアを捌くためにコメリに捕まってしまうか。コメリから逃れるためにエミウアに殴られてしまうか。いずれにしろ今のままではそのどちらかの状況に陥ることが確かであり、どちらにしたって致命的である。
なのでシスは否が応でも対応を変えねばならず。
「コォオオオ──」
「「!」」
大技の使用に踏み切った。
氷霧、展開。これは苦肉の策でもある。コストパフォーマンスの良い生成系の術──氷礫やそこから派生した氷鳥・氷蝶と違い、ただの氷としてではなくそこから工夫を施して霧状に散布させる氷霧は魔力の消費が安いとは言えない、どちらかと言えば凍結系の術に近しい高コストの代物だ。
ライネ最大の殺しの技である氷蝕。これが最も彼の術の中で魔力を食うことは言わずもがな、そこまでのレベルでこそなくとも氷霧もまた、氷蝕の元となっている接触凍結と同程度には──つまりは乱用すればあっという間に魔力切れの危険が迫る程度には、使い時をきちんと選ぶ必要のある術である。
そしてそういった高消費の術は魔力と精神力だけでなく、その発動や維持に少なからず体力も奪われてしまう。これは肉体が極限まで疲れていると思考まで働かなくなるのと同様に、物を考える。とりわけ魔術の行使のために頭や心へ燃料を注ぐことそのものが、元を正せば体力によって賄われていることの証左だろう。
翻って今、ミーディアとの悄然組手を経てへとへともいいところのライネの身体で、消耗の大きな凍結系並びに氷霧を用いるのはシスにとって本意ではなく、できれば避けたいと思っていた事態だ。しかし更なる体力の低下を恐れて手を誤り、あっさりと負ける。そしてユイゼンから失格の烙印を押される……などという事態になってしまう方が、よろしくない。そんなのは論外中の論外である、
故に致し方なしとして切り札の一枚を切ったのだ。それに対する特A級とA級のコンビの反応は劇的であった。
「……なるほど。流石に経験豊富ですね」
エミウアもコメリも、身に纏う魔力量を引き上げて基本的な防御力を上げたうえで、きっちりと体内……正確には呼吸器から通じる臓器の内部までも守っている。氷霧内の全てが手に取るようにわかるシスには、その感触からして二人が氷霧に対する最適な守りを実践していると明確に理解できた。
これは凄まじいことだ。例えば最初に氷霧の餌食となった、フロントラインの幹部の一人ダイン。彼の魔力操作や素早さはここにいるエミウアとも遜色のない高次元のものであったが、しかしそんな彼でも氷霧の危険性は完全に把握できていなかった。まんまと霧を吸い動作阻害と凍りやすさの両方を満たしていた。それと同じ道を辿らない、という時点でエミウアとコメリはダインを凌ぐ実力者。単純な戦闘力だけでは測れない魔術師としての強さがそこにはあった。
──けれど氷霧の脅威は何も、デバフを撒くことだけではない。
深い霧もなんのと、またしても真っ直ぐに攻め込んでくるエミウアを前にして。シスも氷蝶と共に音もなく動き出した。




