15 飛んで火に入れ夏の虫
侍女マチルダ視点です
アーノルド伯爵家の使用人たちは退屈していた。
なぜなら、平和だからである。
今までも平和だったのだが、それは全てこの家のお嬢様が危険を未然に防いでいたからで、危機一髪の場面は何度も見ていた。そしてその危機をかわすお嬢様を見るのが、何よりの娯楽であり癒しでありストレス解消でありカタルシス効果だったのだ。
とくにこの間までは、後妻で入ってきた女とその連れ子が、お嬢様をほぼ毎日殺そうとするから、その都度お嬢様の雄姿を見ることができて、夢のように楽しい期間だった。
しかし、その母娘は修道院に行ってしまった。
それなりにポカをする父親も僻地に行ってしまった。
現在は、領主代行を務めるアラン王子殿下が毎日このお屋敷に来ているが、優秀な殿下が怪しい話に乗るはずもなく、また、殿下に向かって失礼を犯す人間がいるはずもない。ただひたすら、お嬢様とほんわかふにゃらかした時間を過ごしているのをながめているだけなのだ。
平和だけど…とてもいいことなんだけど…つまんないー!
それまでが怒涛の毎日だった直後だけに、使用人たちの物足りなさはひとしおであった。
侍女である私、マチルダも、最初のうちは「殿下の照れた顔が見られるなんて! 楽しい!」と思っていたけれど、一週間もすれば「はいはい、仲が良くてよござんしたね」という気持ちになっていた。
そんな時に現れたのが、ターニャ男爵令嬢である。
「領地もない貧しい男爵の娘です。けれど、一通りのマナーは身につけているつもりですので、こちらで侍女として、雇ってもらえないでしょうか」
(カモキターーーー!)
使用人たちは歓喜した。
紹介状も何の伝手もなく、そもそも侍女を募集してもいないこのアーノルド家に、直接来ることがすでに怪しい。謙虚に頼んでるようだけど、お金に困ってるなら『メイドでも下働きでもなんでもいいから働かせて欲しい』と言うはずなのに、いきなり『侍女』指定。図々しい。
そしてその言い方のあざとさ。「この角度、かわいいでしょ?」というのを研究しつくしたような、斜め下からの上目遣い。心細そうな表情。けれど隠しようもない、野心に燃えた目。
もうこれは、殿下狙いでこの家に入り込もうとしているに違いない。危険人物決定だ。だが。
使用人たちの気持ちは一つになっていた。
(この子を!)
(雇って!)
(きっとなんか悪いことをしてくれるよ!)
という期待に満ちた目が侍女長に向けられる。
侍女長もまた、同じ気持ちだったに違いない。コホンと咳払いをひとつすると、言った。
「いいでしょう、まずは見習いとして、マチルダさんに付いて働いて下さい。最終的に雇うかどうかは、殿下とお嬢様に判断していただきます」
「あ…ありが」
「よろしくね! ターニャさん」「がんばってね! ターニャさん」「期待してるよ!」
ターニャが返事する間もなく、使用人たちが「わあっ」と取り囲み声をかける。
みんな…本当に娯楽に飢えてたのね…。
ターニャは他の使用人たちからの歓迎っぷりに驚いていたが、『私がかわいいから?』とでも思ったのだろう、特に気にする様子もなく、
「ターニャです。よろしくお願いします」と頭を下げた。
◇◇◇
しばらくの間は、念のため殿下やお嬢様と関わることのない、備品の整理などをやらせた。
そしてターニャの出自である男爵家を調べた。たしかに領地はないが、商会を経営していてそれなりの収入はある。娘が働きに出る必要性は感じない。さらに反王家とのつながりや隣国との関わりもなさそうなので、明確な「殿下狙い」と決定づけた。これで安心して、うきうきウォッチングできる。
「じゃあお茶出しをやってもらおうかしら。お茶の淹れ方はわかる?」
「はい! 実家でも私の担当だったので!」
自信満々に言うだけあって、お茶の淹れ方は普通に上手だった。練習したんだろうな。
「では運んでもらいましょうか。お嬢様はアラン殿下と一緒に執務室にいるから、失礼のないようにね」
と言うと、目に見えて嬉しそうにした。わかりやすすぎて吹きそうになった。
ドアをノックして「失礼します。お茶をお持ちしました」と声をかけると、中から「どうぞ」とお嬢様の声がした。
ワゴンを押すターニャと一緒に部屋に入り、
「先日から見習いで働くことになったターニャです。行き届かないところもあるかと思いますが、よろしくお願いします」
と紹介すると、ターニャが
「ターニャです! よろしくお願いします! 趣味は読書と観劇です!」
と言った。また吹きそうになったが我慢して「余計なことは慎んで」とたしなめた。
「まあ、私も読書も観劇も好きよ。気が合いそうね、ターニャさん」
にこにこして会釈するお嬢様。あからさまな殿下狙いが近づいたのに、この危機感のなさ。さすクラ。
それに対して殿下は(おまえ、わかっててこいつを雇ったな)という苦笑を浮かべながら「よろしく」と言った。そうよね、経験的に、殿下狙いかどうかなんてわかるわよね。
ターニャは殿下の前にカップを置こうとして、急に手を揺らしてカチャカチャと音を立てた。
「も、申し訳ありません! 殿下の前だと思うと緊張して…」
いやおまえ、さっき自分の趣味まで堂々と話してたくせに、よくもそんな白々しいことを言えるな。
こいつ絶対お茶を注ぐときもこぼすんだろうな、印象づけたいのはわかるが、殿下に火傷でもさせたら殺すぞ、と思っていると、お嬢様が立ち上がった。
「まあ、私もアラン様の前だといまだに緊張してしまうから、その気持ちわかりますわ。一緒に練習しましょうか」
と言って、ティーポットを持って続けた。
「まず私がアラン様にお茶を注ぎますね。その後、あなたは私のお茶を注いでください」
「わあ、君からお茶を注いでもらえるなんて嬉しいな」
微笑むアラン様。
「またそんなことを。私こそ、このお茶をアラン様が飲んでくださると思うと嬉しいですわ」
頬を染めて、とぽぽと注ぐお嬢様。
二人のラブラブを見せつけられて「はい、では私のカップにお願いします」とティーポットを渡されたターニャは、虚無の表情でお茶を注いだ。
「まあ、もう手の震えは止まったのね。良かったわ、上手よ、ありがとう」
と、たぶん本気で褒めるお嬢様。私とアラン様は、笑うのを我慢するために息が止まりそうになっていた。
◇◇◇
「ちょっとちょっと、あの子今、自分の腕にお湯かけてたわよ!」
翌朝、使用人の休憩所で、ベッドメイク担当のメイドが嬉しそうに報告してきた。
「うわー熱そう」
「お嬢様にお茶をかけられたとか言うつもりなのかな」
「体張ってるねえ」
殿下はここに住んでいるわけではなく、午後に来て夕方までの時間を過ごし、王宮に帰っている。
だから殿下が不在の間に「お嬢様が何かした」と証言しても、殿下は見てないのでわからないのだ。
というか、わからないと思っているのだ。使用人全員が見張ってるのに。
そしてターニャの腕の火傷は、殿下が来る前にお嬢様に見とがめられ(急に侍女室にお花を飾りたくなったらしい)、「なにその手! 誰か来て! 手当てしてあげて!」と叫ばれて包帯を巻かれ、「今日は水仕事はしちゃダメ、お茶の当番は別の人に」と言われていた。
それでもまだあきらめなかったらしく、殿下が屋敷に来る時間を見計らって、入口近くの庭園で泣きまねをしながらベンチに座っていた。
しかし殿下が屋敷の門を通ると、玄関をバーンと開けたお嬢様が「アラン様ーー! いけません、今こちらに近づいてはいけませんー!」と泣きながら走って行った。
「ど、どうしたの、何があったの?」
殿下があわててお嬢様を抱きとめる。
「アラン様に、急に、クッキーを焼いてさしあげたくなって! 初めて焼いてみたんですけど! アラン様のことを考えていたら、いつの間にか真っ黒焦げになったのです!」
「うんうん」
「それで今、屋敷中が煙だらけで! 空気の入れ替えをするまで、外でお待ちください! 本当にごめんなさい!」
泣きながら謝るお嬢様に、とろけそうな顔で「かわいいなあ、君は、もう~」と言って頭をなでる殿下。
庭で泣きまねをしている侍女見習いの姿なんて、目に入るわけがなかった。
もちろん、ターニャの行動の一部始終は殿下に報告したので、大喜びしてくれた。
その後もいろいろやっていた。わざと転びかけて殿下にしがみつこうとしたこともある。しかしターニャが転びそうになったその時に、お嬢様が廊下にあるツボを割ったので、殿下は「大丈夫か!」とお嬢様に駆け寄ったため、ビターンと転んでいた。
殿下が執務室に行く途中の廊下で、いかにも「人生に悩んでます」とばかりに座り込んでいたこともある。
しかしその時、お嬢様が「アラン様にドミノ倒しを見せたい」と言って、回り道をさせるルートにドミノを並べていたため、その廊下は通らなかった。
ターニャが来てから、使用人たちはイキイキしていた。顔もツヤツヤだ。
「これだよこれ」
「この屋敷は本当に働き甲斐のある職場だよな」
「お嬢様に一生仕えていたい」
しかし、そんな幸せな時間は、あまり長く続かなかった。
アーノルド家にお客様が来たのである。お嬢様と殿下が玄関で出迎えた。
「みゆちゃん! 来てくれたのね!」
「りんさん! 会いたかったですー!」
お客様の名前はメイベル様。平民だったが、アイゼンベルク辺境伯の婚約者となり、陛下から一代限りの伯爵を叙爵されたので、今の身分は伯爵様だ。お嬢様とメイベル様は、前世(?)なるものが一緒の国だったことがわかって意気投合したとかで、今では、前世での呼び名だったらしい、「みゆちゃん」「りんさん」と呼び合うほどの仲良しだ。
「君たちが仲良しすぎて、妬けてしまうな」
とつぶやく殿下に、
「またもう、アラン様ったら、からかうのがお好きなんだから!」
と肘でちょんとつつくお嬢様。
「わー、また見せつけられちゃった! いいなあ、うらやましいなあ!」
と笑って愚痴るメイベル様。いつものやりとりだ。
それを、悲壮な顔で見ている侍女見習いがいた。ターニャだ。
「な、なにあの美女…あんな、人知を超えたような美しい女性が、殿下の知り合いなの?」
うんうん、私たちもびっくりした。この世にこんなに魅力的な女性がいるのかって。
この、神聖不可侵としか思えない美女に、求婚できる勇者がいたことにもびっくりしたけど。
「あの美女を前にしても、殿下はクラウディア様が好きなんだ…」
そうなのよ。クラウディア様の魅力も、ある意味人知を超えてるのよ。
ちょっとかわいいぐらいで、殿下がなびくと思ったら大間違いなのよ。
「すみません、こちらで働くのには向いてない気がするので、お暇させていただきたいです」
身の程を知ったらしいターニャは、戦意を喪失したらしく、仕事を辞めてしまった。
まあこうなるとは思っていたけれど、予想より早かった。
◇◇◇
屋敷にはまた平和が戻った。
「エリー様のほうが根性があったよなあ」
「ほんとほんと。あのくらいであきらめるなんて」
使用人の間で、愚痴を言い合う日々。ぜいたくな悩みとわかっているが、退屈だ。
早く新しいカモが来ないかしら。




