七百四十七話 交渉終了
シルフィの探すお酒をついに発見した。妖精の花蜜酒という、香りも甘みも味もアルコール度数も別格なお酒らしい。しかも王様側にもその存在を知る人物がいて、シルフィが知らなかったのか興味がなかったのか説明されていなかった効果も把握していた。その効果に目に色が変わる王様達、タフな交渉になりそうだ。
「さて、分配だが、裕太殿はどの程度の量を望む?」
隠し部屋を全て確認した後、俺達は落とし穴部屋に戻り交渉を再開した。
宝物庫の整理は後でゆっくりするとのことで、再び鍵を閉めて見張りの騎士さん達を立たせていた。
そして妖精の花蜜酒だが、そちらは俺が欲しがっているので、そのままこの部屋まで運んできた。
その数、三十個。
その中で無事だったのが二十個なので、三段の棚に十個ずつ並べていて、下段と中断が無事だった感じかな?
ミスリルの容器には液体が五リットルほど入りそうなので、無事な妖精の花蜜酒は百リットル程度になる。
一晩で消滅する量だ。
「無事な容器を十五個、歪んで質が下がったものを五個お願いします」
歪んで匂いが漏れていたとしても、それは俺では感じ取れないほど微量で、シルフィもまだ美味しく飲めると断言していたので、両方頂くことにした。
「ふむ……よかろう」
え? 今、なんて?
あれ? よかろうって言った?
交渉で値切られて取り分が減りそうだから、全体の三分の二と強欲なことを言ったのだけど、そのまま受け入れられた?
シルフィが大喜びしているから、聞き間違いではないのだろう。
「いいんですか?」
貴重なお酒だよ? 頑張って交渉して半分半分を落としどころと考えていた俺としては、素直に受け入れられると怖くなる。
魔法使いっぽいお爺さんなんて、かなり無念そうな雰囲気を漂わせている。相当もったいないと思っているはずだ。
まあ、それを顔に出していないのは凄いが、国政の場に参加を許される王様の側近なのであれば当然かもしれない。
逆に言えば、そんな感情操作が必須なエリートが俺にでも分かるほど感情を抑えきれていない価値が妖精の花蜜酒にはあるということだ。
それを簡単にこちらに多めに配分するという。困惑でしかない。
「うむ、たしかに貴重な物だというのは認識している。だが、裕太殿が献上したマッサージチェアも、それに劣るものではないと考えている。むしろ勝るであろう」
マッサージチェアが驚きの高評価!
いや、性能が段違いで高評価も当然な品物、気持ちよくて癒されて体の内側から外側まで回復して、結果的には若返る。凄いよねマッサージチェア(ファンタジー産)。
明らかにファンタジーでチート級のアイテムである妖精の花蜜酒に惑わされていたが、改めて性能を評価するとマッサージチェアの性能も負けてはいない。
他素材に応用する柔軟性では負けているが、健康という面では一点特化のマッサージチェアに軍配が上がる。
……俺、とんでもない物をこの世に生み出してしまったのかもしれない。
「さすがに対価に頭を悩ませておったが、裕太殿は酒類に殊の外興味があるようなので、酒についてはこちらが身を引こう。セラーで裕太殿が選んだ酒も間違いなく提供する」
お酒に執着しているのは大精霊で俺ではないのだが、それを口に出すことができないのが辛い。
あ、そういうことか。
俺が妖精の花蜜酒を発見した時、王様達は明らかにドン引きしていた。内心では、お前、その酒に対する執着はなんなの? 性癖なの? くらいに思っていたはずだ。
遺憾でしかないが、そんな精霊術師は洒落にならない実力者で、王都の侯爵家を更地にするどころかクレーターを造ってしまう異常者。
お酒で争う危険性を排除するためにも、王様は身を引いたのだろう。
まあ、マッサージチェアの対価に頭を悩ませていたのも本当だろうが。
本来であれば貴重な品の対価になるであろう金銭や財宝、そして爵位も俺には魅力的に映らないと王様達は理解している。
なんせ迷宮の最先端を独占しているようなものだからな。金銀財宝は無論のこと、地位と名誉も望めば手に入る。
うん、自分のことながら質が悪い存在だな。
だから王様達は妖精の花蜜酒が貴重な品であることを理解しつつ、質の悪い実力者と敵対する可能性を避けた。こちらに恩を売る形で……。
素人考えなので見落としている部分はあるだろうが、大筋では間違っていない気がする。
そうなると、譲歩に対してこちらも誠意をもって対応するべきだろう。それが大人の付き合いというものだ。
譲歩に付け込んで更に利益を得る的な考えもあるが、そもそも俺達にお酒以外で王様に求める物が無いのが現状だしね。
「お心遣い感謝します。では、私達はこれで」
そして一番の譲歩は俺達が満足して帰ることのはず。本当はマリーさんとソニアさんを王妃様関連で残して帰るつもりだったのだが、今の雰囲気では邪魔でしかないだろう。
「待たれよ。さすがにあれほどの魔道具を受け取っておいて、こちらから提供するのが酒だけというのは外聞が悪い。もう少し明確に対価となる物を受け取ってほしい」
妖精の花蜜酒だけで十分な気もするが……ああ、知名度か。俺が献上したマッサージチェアも知名度はないが、妖精の花蜜酒も似たような物だ。
目に見えて効果が分かるマッサージチェアと、知る人ぞ知る妖精の花蜜酒ではインパクトでマッサージチェアが圧勝だよな。
シルフィが早く帰ろうと急かすが、ここはちゃんと対応しよう。
「明確な対価とは?」
「うむ、先に確認するが、裕太殿は爵位や領地を望むか?」
「いえ、自分にはどちらも身に余る物なので望みません」
領地は楽園があるし、今更地位と名誉を得てバリバリ働いて成り上がるぜ! なんて気持ちに離れない。
まだ二十代中頃で若いつもりだが、金銭の自由を得て大学のモラトリアム期間並の自由な時間を謳歌してしまえば、頑張って働いていたあの頃に戻ることは難しいよね。
「であろうな。そこで王家からは写本ではあるが蔵書を提供したい」
俺が本を集めていることも当然のように知っているんだな。まあ、マリーさんが王妃様に近づいているし、調査されていない方が異常だ。
そして、それは俺にとって悪くないどころか嬉しい提案。
自分の図書館に写本とはいえ、王家所蔵の書籍が納められる。ロマンでしかない。あれだ、図書館の一角に、クリソプレーズ王国王家提供コーナーとか設けたい。
それに知識というたしかに価値が存在していながらも、その価値基準があやふやな本と言う存在を対価とすることで、周囲の批判も抑えることができる。
マッサージチェアに匹敵する価値がある知識を提供したのだと言えば、世間は納得するしかないし、どんな知識を授けたのか知ろうにも、お前はマッサージチェアに相当する品を王家に献上するのか? なんて対応もできそうだ。
やはり頭がいい人が集まると、対価にもセンスが反映される。
「ありがとうございます。こちらとしましては大変ありがたい御提案で、なんの問題もありません」
「うむ」
帰ろうと思ったが、報酬が決まったのでそのまま品物を受け取ることになった。
そして、マリーさんとソニアさんだが、お城に来ていることが周知され、王妃様の女官さんにドナドナされていった。
一緒に帰ったら妖精の花蜜酒の交渉を持ちかけられたに決まっているから、王妃様に感謝だ。
まあ、それでも宿に戻ったらシルフィと妖精の花蜜酒を巡る攻防が待ち構えているんだけどね。
***
裕太との交渉が終わって十日後の王宮
「いよいよか」
王の目の前には関係が悪いわけではないが、何かと王の胃と頭を痛めつける精霊術師からの献上品であるマッサージチェアが鎮座している。
これまで何度も利用しようとして周囲の制止にあい涙を呑んだ王だが、ようやく周囲の反対派を黙らせてマッサージチェアの使用の時がきた。
「陛下、やはりもう少し時間を置いた方が……」
いよいよというところで再び制止の声が掛かり、声を掛けてきた執事長をじろりとにらみつける王。
「その言葉は聞き飽きた。そもそも、お主の体調に異変はないのであろう? お主だけでなく騎士団長に女官長に宮廷魔導師長、何人も儂をさしおいて快適な体を手に入れおって。しかもいつの間にか、妃まで生まれ変わったかの如く若返っておった余の気持ちが分かるか?」
王の周囲が次々にマッサージチェアを体験し、そのことに王は強い不満を持っていた。
いよいよその不満が解消されるという時に、裕太がスーパー執事と呼ぶ執事長の制止に遭い王の不満が爆発する。
たとえ城の優秀な魔導師達が隅から隅まで調べたとはいえ、本来であれば十日程度しか様子を見ずに王が未知の魔道具を使用するなどあり得ないことであり、執事長の心配は真っ当なものだ。
真っ当なものであるのだが、執事長を含め城の上層部が魔道具を使用しているので王もやすやすと納得できることではない。
身分の低い城勤めの役人で実験を済ませており、城の上層部の者達も体験済みなのだから、王としても絶対に引くつもりがない様子。
執事長は先にマッサージチェアを体験してしまい、自分が王を制止する説得力を失ってしまった迂闊さを後悔する。
「もう止めるな。すでに何人もが試し、治癒師も体に問題はないとの保証も得ておる。であれば、余は痛まぬ胃と肩と腰が欲しい」
執事長も神経を使う城勤めで体の至る所を痛めていたので、王の気持ちが十分に理解できてしまう。
執事長も確かに実感したのだ。なんの痛みもない日常の素晴らしさを……。
そんな気持ちが制止を弱めてしまったのだろう。その隙に王はマッサージチェアに座ってしまう。
「おふっ……むむ、確かに声が漏れてしまう。くっ、大臣の情けない姿には苦言を呈したが、悪いことを言ったかもしれぬな。ん…………」
「陛下?」
情けない言葉を最後に、王は口を閉ざした。このままでは大臣達の二の舞になると確信したからだ。
一瞬慌てた執事長も王の姿を見て全てを理解し、諦めて見守る体制に移行する。
「清々しい。体験した者達が生まれ変わった気分だと口にする気持ちが理解できる。まさしくこれは生まれ変わったと言って過言ではあるまい」
マッサージのコースが終わり、あきらかに若返った様子の王は晴々とした様子で己の心境を述べる。
そんな王に執事長もホッとした様子を見せる。王がどれほどの重圧に耐え、どれほどの苦労を積み重ねてきたかを知っているからだ。
当然心配が消えることはないが、晴々とした王の表情にこれで良かったのだという気持ちも浮かぶ。
翌日、なんとか玉座をマッサージチェアに変更しようとする王と、さすがにそれはと言う執事長を含めた側近達の長い戦いが開始されることも知らずに。
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