・ご機嫌窺い
さて、スヴェートの皇女としての名前はエカチェリーナである。
帝室典範にも第五皇女エカチェリーナとして記載されており、双子の兄であるスヴェートは虚弱児として、北の離宮で療養生活を産まれた時からしているとされている。
鏡の中の自分に笑いかければ、儚いと言われ、揶揄される情けない笑顔が映る。
スヴェートはこの自分の笑顔も嫌いだが、もっと嫌いなのは勝手に帝位後継争いの中に自分の名前が挙がっていることだ。
犯人は間違いなくあのお花畑な考えしか持ってない母親とその実家だろうし、あとはその実家と懇意な貴族と、商人やそこいらの輩だろう。
まったく迷惑な奴らであると言うのが彼の思いである。
癖のない真っ直ぐな白銀に煌めく髪を蝋人形な侍従に結わえさせながら、スヴェート皇子改め、エカチェリーナ皇女は、鏡越しに己の侍従を堂々と盗み見る。
──なんで、なんでこんなに見た目がいいんだ...!!蝋人形のクセして!!
気に入らないのはそれだけではない。
こいつは隠れて体力を鍛える為の剣術の鍛錬でも汗を一つも額に浮かべることもなく、かといって息を乱すこともない。
なんだ、コイツは完璧人間かと、最初に侍従としてつけられた時には羨んだりもしたが、そんな奴にも欠点はあった。
なーんでも出来る奴だと思ってたんだけどな。でもそんなに現実は甘くないってことか、と、一人で納得して頷いた時、髪が櫛に絡んだのか、ピンッと引っ張られ頭部に軽く痛みが走る。
鏡越しに文句を言ってやろうと、黄昏色の瞳を見開いた自分の瞳に飛び込んできた映像は、とんでもないものだった。
なんだよ、コイツ、なんて表情すんだよ。
いつも取り澄ました顔しかしない青年侍従・アステール。
城内で人気の女官に想いを告げられるときも、出自を種に嘲笑われた時も、同僚に理不尽な仕打ちをされた時も、常に凪いだ顔しかしない奴が、何かを憂いている。
喉元まで出かかっていた文句は呆気なく消え、どうしようかと悩んでいれば。
「殿下、やはり皇太后さまのご機嫌窺いに持ってゆくのは、あの焼き菓子の方がいいのでしょうか」
あれは凄く美味しいので、出来れば自分も食べたいのですが、と、蒼い瞳を焼き菓子が納められた籠へ向ける視線は間違いなく、物欲しげである。
...そうだった、コイツはこういう奴でもあった。
普段は鉄壁な凪いだ表情を崩さないが、こと、甘いものや、好物のモノを目の前にすると、表情より雄弁な瞳で語るのだ。
自分も欲しい、と。
ハァー、と、肺からの溜め息を思いっきり吐き、黄昏色の瞳を戸棚に向け、呟く。
「わたしとお前は何年の付き合いがあると思っている、アス。お前のぶんもちゃんと取ってあるから、あれは皇太后さまに持って行くんだよ」
おまけに洋酒に漬けた干し葡萄の焼き菓子もあるから、横取りをしてくれるなと言ってやれば、面白いほど雰囲気がガラリと変わる。
そうして、侍従が好きな焼き菓子を携えて、ご機嫌窺いに向かった先で皇太后陛下は。
「そろそろあなたも何処へ、何を求めるか皇帝に示さなければ、大切なものを奪われてしまうかもしれなくてよ、エカチェリーナ」
ぼんやりとした瞳を向けてきたかと思えば、急に顔を伏せ、具合が優れないからと早々に退室を求められてしまった。
自分に与えられた宮に戻りつつ、後ろからついてきている筈のいけ好かない侍従に問いかける。
「なぁ、アス、今日は一段とあの人の様子がおかしかったと思わないか」
かつての女傑であり、今はこの国の行く末を静かに見つめているだけの現皇太后。
と、ここまで考え、頭を横にふるふると横に振りかぶって、大きく背伸びをする。
自分には難しいことは解らないのだ。
今の目標は目指せ身長の成長だ。
こうして、皇太后へのご機嫌窺いは呆気なく終わった。
宮に戻って、すぐ蝋人形侍従とお茶をしたのは言うまでもない。