修行と宇宙空港の裏側
アストロ・エクスプレスの建物内には、ジムが併設されている稽古場がある。
そこではネッドがコウガに投げ飛ばされていた。
柔らかいマットが敷き詰められた床に叩き付けられ、ネッドの肺の空気が一気に吐き出される。
「もっと呼吸をしてリラックスしろ。姿勢を正せ、動きを止めるな。小さい体をもっと活かせ」
平然と立っているコウガはアドバイスをしてくれるが、ネッドは体中に広がる痛みでそれどこれではない。
最速運送の事件以降、ネッドはコウガに稽古を願い出た。
休日の3時間程度の稽古は激しく。コウガは容赦ない。
パイロットスーツが支給され。これから配達区域が広がる。
リーの時の様に足手まといにはなりたくなかったし、他にもネッドには厳しい稽古を続ける理由があったのだ。
「すみません」
それしか言えなかった。動かせない体は現実を突きつけてくる。
やはりコウガに頼んだのは無理があったのだろうか。
コウガの動きは無駄がない。
教えてもらった技を華麗にかわし、的確にネッドをマットに沈める。
Tシャツとスエット姿のコウガは、細身だがしっかりと筋肉がつき、引き締まった体だ。
貧弱なネッドが勝てるわけないのだ。
「今、お前に必要なのは状況判断かもな。危険なことに近づかない。怪しい人物を見分ける目」
「また強盗などに出会ったら、荷物を守れません」
「逃げればいいだろう。それに警棒もある」
ぐぅの音も出ない。確かにそうなのだが、ネッドは納得できなかった。
「あの警棒、恐ろしすぎます!」
暴力という行為を経験してこなかったネッドにとって、ネイルに渡された警棒はもっと恐ろしいものだった。
苛立つように見ているコウガは、ネッドがうだうだと考えていることがわかったのだろう。
「人を殴ることもできないやつが何言ってんだ。何かを守りたかったら、捨てなくてはいけないこともある。お前は何を捨てられる? その優しさか? リーを守ろうとした勇気は何処から出てきたんだ?」
マットに伸びているネッドを覗き込んでくる彼の黒い瞳。
ネッドの覚悟と心の底を覗き見ているようだった。
その瞳に何も言えず、コウガの視線を避けることしかできなかった。
「ひとまず体力をつけることだな。基本的にそこが足りてない。何も持っていないお前は、お前だけのものを得る必要がある。焦るなよ、無駄に怪我するぞ」
そう言ってコウガは稽古場を後にし、残されたネッドはその場に座り込んだ。
ネッドもわかっている。知識や経験、なにもかも足りない。
もどかしい気持ちが心の片隅にずっとあった。
生きているであろう父と会うために……。
(僕は何を得たらいいんだろう?)
※※※
「ネッドが……、護身術だと?」
ネッドの自室、机上にある時計型デバイスのホログラムには、親友であり幼馴染のタオが驚いている表情が映っていた。
タオは旧中国特有の顔つきだ。家系図があるほどの長い歴史を持つ現代では珍しい家の息子だ。
しかし、忙しい日々を送っているのか。健康的だった顔色は目の下に隈ができ、血色も悪い。
「うん。見てよ。青痣の数」
ネッドはタオに背中を見せた。そこにはおびただしい数の痣が広がっている。
タオが顔を歪めている。
「親父さんらしきの情報が手に入ったからって、無茶なことを。けど、探していた親父さんの情報が見つかって良かったな」
ネッドの母親はもう死んでいるであろうと、ネッドの捜索願いも袖にしてしまった。
だからネッドが密かに父親を捜している。タオはそのことを知っている、唯一の人物だ。
「意外なところで発見した。詳しくは言えないけど、貴重な紙の本もたくさんあったんだ。そこで調べてみれば、もっと父さんの消息が分かるかもしれない。それに統一国にも無い本がたくさんあって、大戦前の世界のこととかもわかるかも」
親友との久しぶりの会話は、ネッドを饒舌にさせた。
タオは相変わらず、うんうんと聞いてくれる。
「あの資料の事か? 親父さんが残した資料は意味が俺にはわからなかったが……。あの資料は母親に取り上げられたんだろう?」
「大丈夫。資料のデータはここにある」
ネッドは首にかけているネックレスをタオに見せた。
「なるほど。ネックレス型のUSBか」
小指程の大きさの長方形の黒い箱。今はあまり使われていないが、隠したいデータを保存するためにまだ使われている物だ。
ネッドは肌見放さず、このネックレスを付けている。
父親の残した唯一のデータは、ネッドにとって宝物だった。
「母さんに内緒でコピーした」
意地悪な表情で言ったネッドに、タオも同じ表情で笑い返してきた。
「やるじゃん」
「でしょ。このデータと本で、父さんが何をしようとしていたのかわかれば、会えるかもしれない」
ネッドはいつか会えるかもしれない父に想いを馳せた。
「すげぇじゃん。おっと、もう時間だ。ネッドに負けないよう、俺も頑張るわ」
白い歯を見せ笑うタオに、ネッドは親友の変わらなさに懐かしさと、少しの寂しさを覚えた。
卒業以降の生活は様変わりし、お互いに少し変わったような気がしたのだ。
お互いに頑張ろうと、通話をきった2日後。
普段通りに過ごしていたネッドに、その時がきた。
ネッドが事務所兼配達受付の窓口に行くと、奥から声が掛かった。
「ネッドさん。第四コロニーへの配達依頼がきてますよ。初めての外の仕事ですね。頑張ってください」
広い事務所の奥から、黒髪のポニーテールを揺らし、駆け寄ってきた事務員のアカネ。
可愛らしく、宝石のような緑の瞳が印象的な彼女は「はい」とタブレットを渡してきた。
配達物は作物の苗に肥料、粗飼料、配合飼料だった。
(とんでもない量の荷物だ……。でも、外に行ける!)
「気をつけて、行ってきてください」
初めてのコロニー間の仕事に高揚と不安の混じったネッドに、アカネは元気づけるよう背中を押した。
会社出ると、いつもの小型トラックの前でコウガが待っていた。
2人はトラックに乗り込むと、コウガの運転で出発した。
空港はトップエリアの端にある。そこまでは1本道だが反対車線には大型トラックが多く走っている。
そのトラックを見送ると、今度は中立国第3コロニー空港と書かれた看板が目立つ横長の建物が見えてきた。
少し薄汚れたクリーム色の建物は、ネッドがコロニーに足を踏み入れた時の記憶を思い出させ、懐かしさを感じさせた。
まだ3ヶ月ほどしかたっていないここでの生活は、ネッドに強烈な印象を植え付け、時の流れすら速く感じさせていたようだ。
トラックは空港の出入り口の前を通り、建物裏にある地下へ続くトンネルに入って行く。
ライトが点々とした薄暗いトンネルを抜けると、ネッドは目を瞑った。
トンネルの先は眩しいほどのライトが無数にあるドーム型の天井をした駐車場だった。
そこには先程見た大型トラックがたくさん並び、ここでもドローン達がせわしなく働き、大勢の整備士たちが大きな声で話し合っている。
その脇では目つきは鋭く、険しい顔をした重装備の警備兵たちが巡回していた。
ネッドが特に気になったのはナンバリング達だ。
車を浮かせ整備士の補助をしている者、空中を飛び工具を届けている者。電気の能力でバッテリーを充電している者も居る。
「最速運送のナンバリングはここで働かなかったのだろう?」
「能力の優劣だろうな。コロニーの裏側で働くやつらは膨大な力を精密にコントロールしなければならない。あのナンバリングはそこまでの能力が無かったんだろう」
ネッドの小さな呟きが、コウガに聞こえていたのだろう。
律儀に答えてくれる先輩だ。
「同じ能力でも強さがあるんですか?」
「あぁ、例えばリーの透視。リーは障害物の向こう側にある物や人が見えるが、物の情報や遠くのものを見ることはできない。それができる奴もいる。透視と言われてもできることは千差万別だ」
ネッドはナンバリングも非能力者と変わらないような気がした。ネッドも中等アカデミー時代に優劣で苦労した。
もちろん劣等のランクに近かった。その時の母親の顔は忘れられない。
40歳半ばの割に美しい美貌。そんな母の強気な表情が、絶望と期待外れな表情だった。それ以来、母親は仕事に集中し、ネッドと顔を合わせることが少なくなった。
どうにもならない寂しさで、ネッドは父親が残した数少ない研究資料をタブレットで眺めることが、日課になったのである。
あのナンバリングのように、どこかが優秀だったら、母親はネッドを見てくれただろうか?
母親に背を向けられた日の記憶を振り払うように、バッテリーを一瞬で補充しているナンバリングを食い入るように見てしまった。
トラックが進んで行くと、またトンネルが見えてきた。
短いトンネルの先には、もっと大きな空間があり、ネッドの目に飛び込んで来たのは、トラックの形をした大きな宇宙船だった。
5隻ほど並んで停泊している船には、運送会社の名前やコロニーの数字が書かれている。
初めて見た宇宙専用の貨物船は、ネッドにこれから外にへ行くことを改めて教えてくれるようだった。
「第3コロニーは他のコロニーからの荷物以外にも、各国からの荷物が集まる物流の中心だ」
おのぼりさんのように興奮を隠しきれていないネッドに、コウガは第3コロニーの役割を教えてくれた。
「だから第3コロニーにたくさん運送会社があるんですね」
「競争も激しいけどな。特にアストロ・エクスプレスは各国を行き来している。重要な荷物も運ばなければいけないこともあるぞ」
コウガが荷物を守らなければいけないと、リーに言っていたのはこのことだったのだ。
ナンバリングの存在はアストロ・エクスプレスにとって重要な存在になっている――能力を正しく使うことが前提にあるが。
そんな事を考えていると、大型のトラックの2倍以上ある宇宙船に近づいていく。
アストロ・エクスプレスと白字で大きく書かれているオレンジ色の宇宙船が見えた。
船は3つの大きなラッパ型の排気口が付いた土台に、オレンジのコンテナがどんと乗っている。
コンテナには小型トラックが入れるようになっているようだ。
小型トラックは小さな両開き扉に進み、タラップを登って吸い込まれるようにコンテナへ入って行く。
コンテナの中は広い空間になっており、頑丈な箱が高く詰まれ、何重ものベルトで固定されていた。
ネッドが物珍しさで視線をさまよわせていると、小型トラックが2台分ほどの駐車スペースには、もう1台の小型トラック。
そこには手を振っているリーと初老の男性が待っていた。
ネッド達がトラックから降りるとリーが駆け寄り、コウガの腕に抱き着いた。
「コウガ! ついでにネッドも遅いよ」
相変わらずのリーはコウガしか視界に入ってないようだ。
ネッドには一瞥くれるだけで、コウガにうっとりと寄り添っている。
苦笑いをしているネッドに、リーと共に居た男性が手を上げて近寄ってくる。
「コウガ、久しぶりだな。それと初めましてネッド。ヤスだ。皆、やっさんと呼ぶ。ネッドもそう呼んでくれ」
角刈りの髪型、四角い輪郭には年相応の皺があった。
歳の割に腹がでていない。工場で働く親父のような体格をしていた。
「ネッドです。よろしくおねがいします」
ネッドの丁寧な挨拶に、品定めをするように頷いたヤス。
「コウガの相棒は上品だな。不運な変人と聞いていたが……コウガにはもったいない」
豪快に笑うヤス。裏表のない性格のようだ。
ただネッドの進化した2つ名が浸透している。おそらくマナカだろう。
リーは口を大きく開け、笑っていた。
(マナカ……許すまじ)
ふつふつと怒りを沸かせているネッドを置いて、3人はコンテナの奥へ歩いて行った。
アストロ・エクスプレスの人間は、マイペースがデフォルトのようだ。
2台の小型トラックが自動で固定されていく音が、置いて行かれたネッドの横で響いた。




