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40光年  作者: 遊歩人
第一章 ヤマト
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029

2ヶ月前ーー


エリュシア王宮・静謐の間


白大理石の床に、朝の光が淡く反射していた。

王座の前に進み出たのは、銀青の法衣をまとった男――

神官長セレファン・ル=アリステス。

三十代半ばにして神官長にまで上り詰めた“神童”。

"境界の神"の声を最も鮮明に受け取るとされる人物である。


彼は深く礼を取り、静かに口を開いた。


「――カリスト星より正式な伝令がございました。」


国王エルディオン三世は、ゆっくりと視線を上げる。

その眼差しには威厳が宿っているが、どこか遠い影も落ちている。


「アレイン王子とカリスト王女の巡礼の旅の折、我がエリュシア星がヴァリド星への立ち寄りを望んだ件でございますが、この度、カリストの使者がヴァリドの長と交渉を行った結果、先方より正式に認可されたとのことです。」


王は小さく頷いた。


「……そうか。それは良い知らせだ。」


短い沈黙が落ちる。

王はゆっくりと息を吸い、

慎重に言葉を選ぶように続けた。


「しかし、セレファン。

なぜ我が星は、これまで親交のなかったヴァリド星を婚姻巡礼の立ち寄り先に望んだのだ?

そのような要請を、わたし自身は出してはいない。」


神官長セレファンは、わずかに目を伏せた。

その仕草は礼儀正しく、しかし揺るぎない。


「それは――境界の神のお告げにございます。

我ら神官団は、その御心に従ったまでにございます。」


王は眉を寄せたが、反論はしなかった。

王の位は高い。

だが、この国では “神託は王命より重い”。

それを誰より理解しているのは、王自身だった。


王は玉座の肘掛けに手を置き、

静かに視線を落とした。


「ただひとつだけ望む事がある。

アレインとカリスト王女の身に、決して何も起こらぬよう、それだけは注意してくれ。

巡礼は両星の未来を担う大切な儀式なのだ。」


セレファンは深く頭を垂れた。


「御意にございます、陛下。

すべては境界の神の御心のままに。」


その声音には、王への敬意と、自らが“神の代理”であるという揺るぎない誇りが同時に宿っていた。


王はその気配を感じ取りながら、胸の奥に小さな不安を抱いた。

エリュシアはアルタル商盟の中でも最も“境界の神”の力が濃い星。

中立を掲げながら、実際にはノスリア寄りの判断を下すことも多い。


そんな国が――

なぜ今回ヴァリド星を望んだのか。


王は何も知らない。

王子も何も知らない。

神官達も理由は分からない。

理由を知っているのは、“境界の神”だけだった。


セレファンから王への報告後、一月が過ぎた夜、エリュシアの神殿は、風の音すら吸い込むように静まり返っていた。

“九環の間”と呼ばれる聖域の中央で、神官長セレファンは膝をつき、深い祈りに沈んでいた。


祈りは儀式ではなく、彼にとっては神の声を受け取るための“感受の型”だった。

幼い頃から境界の神の囁きを最も鮮明に感じ取るとされ、神童と呼ばれた男。

三十代半ばにして神官長となったのも、その深い感受性ゆえだった。


長い沈黙ののち、空気がわずかに震えた。

燭火が揺れ、影が円環の壁に伸びる。

セレファンは目を閉じたまま、その変化を“神の到来”と理解した。


胸の奥に、言葉ではない“響き”が落ちてくる。


――銀の種を奪え。


セレファンは息を呑んだ。

銀の種。

聞いたことのない言葉だった。

だが、神の声は続く。


――ヴァリドの地に眠る。

境界を乱す芽だ。

争いの火種となる前に、奪い、封じよ。


ヴァリドの星――

巡礼の行程に境界の神の意向で組み込まれた星。

青灰色の種族が住むと聞くが、その文化も施設も、セレファスは詳しく知らない。

ただ、プレアデス連邦の影響下にある星だということだけは知っていた。


神託はあまりに唐突だった。


アレイン王子巡礼の一行は、数ヶ月後にヴァリドの星を訪れる。

その直前に、あの地で争いを起こすことになっても良いのか。


セレファンは、恐れを押し殺しながら口を開いた。


「……境界の神よ。

我が国の王子の巡礼の折、我らは貴方様の意向でヴァリドの星を訪れます。

この時期に、かの地で争いの火種を起こしても……

本当に、よろしいのでしょうか。」


一瞬、空気が凍りついたように感じた。

次の瞬間、境界そのものが囁くような声が降りる。


――銀の種がある場所は、ノスリアに属するグレイ種族の施設だ。

心配はいらぬ。


それを聞きセレファンはさらに問う。


「では……ノスリアに対しては、問題がございませんか。

彼らは、我らにとって……」


境界の神は、まるで興味がないかのように答えた。


――お前が心配する事ではない。


それだけだった。

争いにも、秩序にも、誰の命にも興味がない。

ただ“境界が乱れるかどうか”だけを見ている。

その冷たさに触れ、セレファンはハッと我に返った。


自分が――

神託に疑問を投げかけたことに気づいたのだ。


彼は慌てて額を床に擦りつけた。


「申し訳ございません……!

貴方様のお告げに口を挟むなど……

どうか、罰をお与えください……!」


境界の神は、淡々とした声で言った。


――罰などどうでもよい。

我が望むことを成せば、それでよい。


セレファンの胸に、熱いものが込み上げた。

恐れと歓喜が混ざり合う、神官だけが知る“陶酔”の感覚。


「……御心に、深く感謝いたします。」


そう言って静かに立ち上がったとき、彼の中ではすでに決意が固まっていた。


今回の神託を国王に報告すれば、巡礼の安全を理由に必ず反対される。

アレイン王子とカリストのセリナ姫の身を案じる王の気持ちは理解している。

だが、セレファンにとって神託は王命より重い。

境界の神の意志は、この星の誰よりも優先される。


ならば――

秘密裏に私が行うしかない。


アルタル商盟の出入域では、生体反応が厳しく監視されている。

その為、普通の神官や王国兵を使えば、必ずどこかに痕跡が残る。

それに彼らを使えば、出兵の事実を国王に内密にする事も難しい。

だが、エリュシアには“機械神兵”と呼ばれる機械の兵があった。

生体反応を持たず、境界の神の名を冠した無機の兵。


彼らなら、痕跡を残さずヴァリドの星へ侵入し、銀の種を奪える。


セレファンは静かに目を閉じた。

境界の神の囁きが、まだ耳の奥に残っている。


――銀の種を奪え。


その一言が、彼の全ての迷いを断ち切った。


神託を受けた翌夜、セレファンは神殿地下の制御室にひっそりと降りていた。

ここは王も王子も感知出来ない、エリュシア神官団だけが扱う“境界技術”の心臓部だ。


壁面を走る光の線が、静脈のように脈打っている。

その中央に、銀白の装甲を纏った自律型ロボット――機械神兵が整然と並んでいた。


セレファンは端末に手をかざし、境界の神の紋章を入力する。

水晶板に、機械神兵達の視界が映し出された。


「……銀の種を奪え。

行け。境界の神の御心のままに。」


静かな命令とともに、機械神兵は無音で起動し、エリュシアの影の航路を通ってヴァリド星へと向かっていった。



制御室の水晶板に映るのは、機械神兵の視界そのものだった。

赤黒い大地、薄暗い施設の外壁、

そして無人の通路を進む金属の足音。


セレファンは息を潜めて見守った。

銀の種――

神託が示したそのカプセル群は、この先の中枢にあるはずだ。


機械神兵が扉を破り、施設の内部へ侵入した瞬間だった。


まず視界の端に、灰色の影が揺れた。


――グレイ。


セレファンは知っている。

ノスリアの支配下にある灰色の種族。

だが、彼らは地上では非戦闘的で、強大な武力を持つ種族ではないと聞いていた。


だからこそ、次に映った光景はセレファンの理解を超えていた。


灰色の影の背後から、別の存在が飛び出し、次々と機械神兵達の視界が破壊されていく。


まだ視界を捉えている水晶板に映る影は、神の姿に似た姿。

ただ、見た感じでは、境界の神程の身体の大きさはない。

しかし鋭い動き、異様な反応速度。


「これは何だ?……神の……種族……?」


セレファンは思わず呟いた。

その姿は、古文書に描かれる“神々の使い”に似ていた。

だが、そんな存在がヴァリドにいるとは聞いた事がない。


理解が追いつかないまま、機械神兵は次々と破壊されていく。

金属が砕け、視界が揺れ、最後の一体の視界にも鋭い光が走り、水晶板に映る映像は全て闇に沈んだ。


水晶板が静かに黒く染まる。


セレファンはしばらく動けなかった。

胸の奥が冷たく締めつけられる。


「……なぜ……」


神託に従い、境界の神の意志を実行したはずだった。

それなのに――


神託に対する初めての失敗。


「……私が……甘かったのか……

グレイ種だけだと……思い込んで……」


声が震えた。

境界の神の意志を、自分が汚したのではないかという恐怖が、胸を締めつける。


「申し訳……ございません……境界の神よ……

私は……私は……」


膝が崩れ、額が床に触れた。


神託は絶対だ。

失敗したのは自分。

神ではない。


その思い込みが、彼の精神を静かに、確実に追い詰めていく。


やがて、セレファンの瞳に宿ったのは、恐れでも後悔でもなく――


“次こそは必ず成し遂げる”という、危うい決意だった。


境界の神の声が、まだ耳の奥で囁いている気がした。


――奪え。


その一言が、彼の心を深い闇へと導いていく。



一方、エルヴァ=トゥーンの中央施設では


ヤマトからの報告が終わり、中央施設の会議場にはまだ静かな余韻が残っていた。


藤堂は腕を組み、報告の内容を反芻するように目を閉じていた。

その横で、ノイ賢老がゆっくりと口を開く。


「……此度の、あの施設を襲撃したロボットの件、藤堂殿はどう思われますかな。」


藤堂はゆっくりと目を開けた。

その瞳には、まだ状況を測りかねている色があった。


「まだ全容は掴めていません。

ただ――報告を聞く限りでは、碧眼の神の遣いでは無さそうですね。」


「一体どこの勢力でしょう……

あの施設を何故ロボットが狙ったのか、理由が見当たりません。」


ノイ賢老は、静かに頷いた。


「そう言えばヤマト殿が申しておりましたな。

襲撃者の乗っていた宇宙船の形が“涙滴型”であったと。」


藤堂は眉を寄せる。


「その形状は、アルタル商盟のステルス船によく見られるものです。

もちろん、だからと言って商盟があの施設を狙っているとは限りませんが。

それに、アルタル商盟の中でも機械兵の運用が許されている星というのは非常に限られております。」


藤堂は息を呑んだ。


アルタル商盟――

中立を掲げながら、時にノスリア寄りの判断を下すこともある複雑な連合体。


「しかし……アルタル商盟の主要な星々は、ヴァリドの星とは普段ほとんど関わりがないはずです。」


「そこが気になるところですな。」


ノイ賢老は目を細めた。


「どこで、あの施設の存在を知り得たのか。

そして、何のために狙ったのか。」


藤堂は無意識に拳を握りしめた。


「……いずれにせよ、益々悠長にはしていられませんね。」


藤堂は低く言った。


ノイ賢老は深く頷く。


「ええ。

計画を急がねばならぬようです。

第三勢力が動き始めたとなれば、我らもまた、歩みを早める必要がありましょう。」


二人の視線が交わり、その短い沈黙の中に、これから訪れる変化への覚悟が確かに宿っていた。

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