17
「君は、」
「セドリック様、ご無沙汰しております」
「……息災か」
「えぇ」
第二王子――デュークの誕生パーティの日。
王都に住む高位貴族は皆令嬢令息を連れ、一人でも顔馴染みを増やそうとやっきになっている。王族主催のパーティは、異なる陣営の者とも話せるいい機会だ。
政変によって生まれた現王家は、それから20年を過ぎても未だ安定していない。それはやはり、男系の王家に嫁ぎ実質の王女となった、リオノーラの存在が大きいだろう。
パーティに出席するため、普段離宮から一歩も出ないリオノーラが、4人の実子を連れて王宮にやってきた。
リオノーラは夫であるセドリックと二、三言話すと、騒動に巻き込まれないよう壁際の花となっていた。いつも輪の中心に立ちたいと考えるリオノーラにしては珍しいその態度は、これから起きることを知らぬ者でも異変を感じるほどの光景で、普段は彼女の周りに集まる高位貴族たちもあまり近寄ろうとしなかった。
お陰で立食の時間にもなると護衛の手が空き、人員の配置を確認するため近衛騎士として会場を歩き回っていると、偶然セドリックの目に留まり、話しかけられたのだ。
護衛として控えているのは、老騎士マイルズだけ。王派閥の近衛騎士も居るはずだが、この場には連れてきていないようだ。
「君は、……うぅん、なんだろうな、荒唐無稽なことを聞くことになるが、一つだけ質問しても良いかな」
「はい」
「ここに来るより前、――僕に会ったことがあるかな」
二度目の問いに、私は――
「えぇ。ずっと昔に」
「……あぁ、そうか。やっぱり、そうだったんだな」
セドリックに話しかけられたこと自体は、驚きこそすれ困惑するほどではない。彼の言葉の意味だって、分かっている。
今から1年以上前、王太子ノアの剣術指南を受けた時には誤魔化したその質問に、答える必要がないのに正直に答えた。
――きっと、これが最後の会話になると思ったから。
王になってからはよほど気苦労が多いのか、セドリックはまだ若いのに白髪が多い。根拠もないのに常に自信満々だった陽気な婚約者の面影は、もう残っていなかった。
その表情は、何かに諦めてしまったようにも思えたけれど、きっと、かつての私だったら、彼の様子が変わったことにも気付かなかっただろう。
でも、今は違う。無邪気なまでに陽気で無神経で、それでいて母親似の悪辣さも兼ね備えたノアと一緒に居て、少しだけ、他人を見るということが分かってきたから。
――かつてのアシュリーは、失敗した。
それはノアの言う通り、他人の劣等感というものを理解していなかったからなのだろう。優秀な人間に、誰よりも優秀になるよう育てられた彼女は、はたして優秀でない人間を理解出来るか――というお話。
誰しもが、自分と同じだけのことが出来ると信じていた。どう足掻いても足元にも及ばない人は、ただ努力が足りないだけだと思っていた。
――違ったのだ。人には向き不向きがあり、得意なものも違えば、得意の尺度だって違う。きっとアシュリーは、おおいに人を見下しているように見えていたことだろう。
俯き、目頭を抑えたセドリックは、嗚咽を漏らすように小さな声で話し出す。
それはまるで、懺悔室にでも居るかのような、弱々しき告白で。
「僕のことを、許してくれとは言わない。都合が良いことを言ってるのは分かってる。それでも、」
泣きそうな顔を上げたセドリックは、縋るように私に言った。
「――ノアのことを、助けてやってくれないか」
「承りました」
懇願に答えると、セドリックの目から涙が一滴零れた。
言葉を紡ごうとし、しかし失敗して。
顔を振ると、離れたところで高位貴族の令嬢に囲まれるノアを見かけ――自分もかつてはあぁだったなと、僅かだけ穏やかな顔になった。
親が子を見る目は、きっとこうであって然るべきだろう。だが、彼は突き放してしまった。リオノーラとの間に出来た子に、愛情を注ぐことが出来なかった。
――それは、彼の、過ちだったのかもしれない。
けれどきっと、その時は幸福だったはずだ。邪魔者を追い出して、一時とはいえ、二人の愛の巣を作れたはずだった。愛する子も、授かったはずだった。
「……どうして、こうなったんだろうな」
20年間、王宮に居なかった私は、その問いに答えられない。
いやきっと、アシュリーでは答えられなかった。こんな表情をされても、「自業自得ですね」くらいの、突き放す言葉しか出なかったはずだ。
――けれど、私は違う。
「セドリック様は、間違えたと、そうお思いですか」
私の問いに、彼は眉をひそめ、俯いた。
「……どうだろうな。今となっては、どこが過ちかも分からない。けど、そうだな。もし彼女がここに居ても、あまり変わっていなかったかもしれないな」
「そうですか」
「だから、間違えたかと言われたら――そうだな、間違えていない。きっと、あの時の僕にとっては、あれが最善であったはずだから」
「…………」
私には、効率を求めた末の最善しか分からない。だから人の感情という不確かなものを理解出来るほど、人を見ることが出来ていない。
だが、どうだろう。この答えは、ひょっとしたら、あの時の私が一番望んでいたものなのかもしれない。
「……よろしく頼む」
言いたいことは言ったのか、セドリックは私から離れていった。
背中越しに、一言だけ。誰にも聞こえないほど小さな声で「おつかれ」と伝えると、まるで聞こえてでもいたかのように、元婚約者は小さく手を挙げた。
そのまま会場を出て行くセドリックに、声を掛ける者は一人も居なかった。
「さっきは父様と、何を話してたんだ?」
令嬢の輪から抜け出したノアが近づいてくると、壁際に追い詰められ小さな声で囁かれた。ロマンス小説で『壁ドン』と呼ばれるポーズということは分かるが、全然ときめかないし、何なら顔近すぎて蹴飛ばしてやろうかと思ったくらいだ。
その様子を離れたところから見ていた令嬢たちが、口を抑え小さな声で「きゃー!」「やっぱりそうだったの……!?」などと言い合っている。――あぁ、同性愛モノってまだ流行ってるんですね。っていうかやっぱりってなんですかやっぱりって。
「他愛のない雑談ですよ。実の父親に嫉妬ですか?」
「なんなら俺は母上にも嫉妬しているが?」
「……それもそうでしたね」
離宮暮らしが長くなると、流石に慣れてきたのもあって、以前のようにノアに愚痴ることは少なくなった。
ただそれは不満がないわけではなく、考えないようにしているだけだ。
公衆の面前で押し退けるのも失礼なのでそのまま話を続けていると、ふとノアの体つきが以前とは変わってきていることに気付き、胸板に触れる。黄色い歓声が聞こえるが、無視した。
「身体、しっかりしてきましたね。やはり薬の効果でしょうか」
「そこはトレーニングの成果と褒めてもらいたいが……悔しいことに否定は出来ないな」
今のノアは、はじめて会った頃に比べて胸板が厚くなっているし、服のサイズも変わったようだ。腕や足も、一回りというほどではないが太くなっている。
最近は、毎日一人で身体を動かしているらしい。剣を握らず、私が最初に教えた、基礎体力を付けるためのトレーニングメニューを忠実に守っているようだ。
お陰で体力もついたし、腕力も――指一本対両手なら腕相撲に負けるかもしれない。それが腕相撲として成立してるかは知らない。
それに加え、彼にはとある薬を飲ませている。ドーピング、というやつだ。
「……なぁ、一応聞いておくが、本当に薬飲むのやめたら戻るのか?」
「そうですね、大体の人は」
「戻らないこともあるのか」
「100人中、2人か3人か――そのくらいは居たらしいですよ。でも性欲って、そんなに重要ですか? なくても生きられるんなら、もう要らないんじゃないですか?」
「男として死ぬだろ」
「男性は下半身に脳を支配でもされてるんですか?」
「まぁ……否定は出来ないな」
そっぽ向いた彼が服用している薬は、所謂ポーションと呼ばれる魔法薬だ。
その中でも、持続回復に重点を置いたものを毎日飲ませている。
主にトレーニングの合間に飲んで筋肉の超回復を活かすという効果があるのだが、副次効果の一つに、性欲が極端に減る、というものがある。
かつて父の代の騎士たちは、仕事中、女にうつつを抜かさないよう皆がそれを飲んでいたらしい。その昔話を聞いていた私は、これはいいと当時の薬師を探し、仕入れたのだ。
「勉強にも励んでるそうで、噂を聞いたリオノーラ様が驚いてましたよ。あの子は私にもセドリックにも似てないのね、って」
「……喜んでいいのか? それは」
まぁ、二十歳をすぎた王太子が今更これまでしていなかった勉強をするという時点で、話題性は抜群だ。
それも、明らかに子供向けの簡単な学問から、王族向けの統治学まで学んでいるとなると、これは本気で王座を狙いに行くと思われてもおかしくはない。
――もっとも、それに危機感を抱いたのは現王でなく、リオノーラ陣営の――特に息子たちのようだったが。
「放蕩息子だと思っていた王太子が、いきなり真面目に勉強始めたら誰でも驚きますよ。私も普通に驚きましたし、嘘かと思ってクレアさんに確認しちゃいました」
「いや信じろよ。部屋に教材転がってただろ」
「勉強してるフリだけかと……」
「俺がそんな器用なことするように見えるか?」
「見えませんね」
「いやそこは否定しろよ」
脇腹を小突かれたので、小突き返した。――やっぱり、会ったばかりの頃より随分と筋肉がついている。今なら全力でどついても穴は開かなそうだ。折れたり凹みはすると思う。
壁にもたれながら二人で話しているだけというのに、令嬢たちは離れたところからずっとこちらを見てキャーキャー騒いでいる。飽きないなぁ。昔からあぁいう子達居たけど、どうして遺伝するのかな。
「最近はメイドたちからの評判も悪くないようで。下半身に支配されていた頃とは大違いですね」
「……一応聞いておくが、俺の評判は元々どうだったんだ」
「金持ちの強姦魔」
ノアは唇を噛み締め、「ぐ……っ」と唸る。
ちょっと誇張したが、私がメイドとして雇われたばかりの頃、先輩メイド達からはまぁ大体そんな評価だった。
避妊はされるとか、全力で拒否すれば止めて貰えるとか、一夜を共にしただけで翌月の給金が一桁増えてるとか。実際お手付きされたメイドからはそこまで評判が悪かったわけではないけれど、それを見ている同僚にとっては違うだろう。こういう噂を流すのは、大抵周囲の人間だし。
「ここで否定しないのは偉いですよ。罪を認めてるんですね」
「俺が褒められるのは罪を認めたところくらいなのか……?」
「ノア様はセドリック様に似て顔と外面だけは良いんですから、ちょっとちゃんとしてるだけで救いようがないほど馬鹿でもそれなりの評価されるってことですね」
「お前それ褒めてんのか貶してんのかどっちなんだ?」
「黙秘します」
「嘘でも褒めろよなぁ……」
がっくりと項垂れたノアに、「はいはい偉い偉い」と感情を込めず頭を撫でておいた。この人無駄に身長高いから、このくらいまで頭下ろしてくれないと届かないのよね。
かつて大陸を支配していた帝国由来のプラチナブロンドの髪は、人毛とは思えないほど細くきめ細やかだった。なんというか、長毛種の犬みたいな肌触りだ。
セドリックの、――5年間婚約者をしていてついぞ一度も触れたことはなかったけれど――力強いゴールデンブロンドの髪とは随分違った優しさを感じさせるその色は、王妃リオノーラから受け継いだもの。
鏡を見るだけで嫌というほど血の繋がりを感じさせてくれる、決して逃れ得ない呪いのような色で、故に彼はこの色が好きじゃないということも、私は知っている。
私にとっては、――どうだろう。嫌いじゃあ、ないかな。
「さっきまで令嬢たちに囲まれてまんざらでもなさそうな顔してたじゃないですか。こんなとこで近衛騎士と駄弁ってる暇があったら、あっちで正妻候補見繕ってきたらどうですか。どこぞのメイドと違って、あっちは由緒正しい高位貴族の令嬢達ですよ」
「あれは社交辞令だ。それにその枠はもう決まってるからな。今更探す必要はない」
「へーすごいすごい。今度紹介してくださいねー」
「お前なぁ……っ!?」
全く表情を変えずコントのようなやり取りをしながら、あぁ私はこの関係がそれなりに楽しいんだなと、ようやく実感した。
ノアと離れ、離宮で仕事をするようになり。
前世の宿敵ともいえるリオノーラと毎日話し、触れ、関わっていても、私は全くもって彼女に共感出来ず、一片の愛情すら湧かなかった。
それを、この人は知っているのだろうか。
こんな不愛想な、男なのか女なのかもよく分からない女に、こうも執着する彼は、私の何が好きでこんなにも求めてくるのだろう。
――分からない。けれど、不快なわけではない。
人間関係が不快でないことなど、アシュリーはついぞ知り得なかったことで、これは本当に私が、アシュリーでなくメイベルである証なのだろう。




