奇跡の果実 2/4
「イナバちゃん!」
身体がぐらぐらと揺らされて、今にも泣きそうな表情を浮かべたサリアを見てしまえば罪悪感が浮かび上がってきます。凛はといえば、傍で様子を見守っているだけ。周囲を警戒しながら、ですが。
「失礼しました。情報アクセサリーの基本機能を使ってユウに確認をしていたのですが、凛と同期で間違いはなく健康体だとのことです」
「それは最初に言ってよ……不完全な召喚だったのかと思って心配したんだから」
「問題ないようでなによりだ」
私に手を置いたまま、ほっと一息ついた様子のサリアと、安堵の声音を伝えてくれた凛。心配されるというのは、どうにも感情が混ざりますね。嬉しいですし、"安心"できます。
「2人とも、心配してくれてありがとうございます」
だからでしょうか、答える私に声にも嬉しさが漏れ出ている気がしました。ならばこちらも聞いておくべきでしょう、心配を完全に解消しておくために。
「ところで不完全な召喚とはなんですか?」
「え、イナバちゃんなら知ってるかと思ってた」
驚きの表情を浮かべたサリアは立ち上がり、やや得意気に人差し指の立てられた手を振りながら説明を始めてくれます。
「不完全な召喚はね、精霊を召喚する時に足りない、または過剰な詠唱を行った時に発生するものなの。症状としては召喚された精霊の能力欠損や意識の消失。召喚直後じゃなくても突然、症状が出ることもあるみたいだから、それかと思ったの」
魔法の想定外起動と似たようなものですか。能力欠損は身体生成の失敗、意識の消失は定着が十分ではなかったといったところですかね。まあ十分に会得した人物が傍にいれば問題はないでしょう。
それにしても、やはりこのあたりは魔法よりも情報体が優れていますね。基本起動するだけであれば訓練の必要すらないといってもいいほど簡単なのですから。
「そうでしたか。しかし情報体は決められた効力しか発揮できませんが扱いは簡単で、普通に扱うだけなら失敗はまずないので安心してください」
「たしかにそうだな。初めて触った私ですら問題なく扱えた」
そう言い右手の位置に鞘に収まった刀を展開した凛。魔物が出現する場所に来ても武器を展開しないと思っていたら、そういうことでしたか。
たしかに情報体は誰でも扱えるほど簡単ではありますが、誰もが即座に展開や起動できるものではありません。今の凛が見せてくれたように即座に展開できるまでにはそれなりの訓練か、あるいは才能が必要となるでしょう。はたして凛はどちらなのでしょうかね。
「私も1回でできたから、簡単なのは間違いないよね」
「そういえば始まりの質問とやらで貰える情報体は決められていないのですね。私のような従魔も数が少ないみたいですし、完全に見合ったものが貰えるのでしょうか」
ふと疑問に思ったことを質問してみます。決められた複数からの選択かとも思っていたのですが、街や外で見かけた様子から種類がとても多いように感じました。それこそ被っているほうが珍しいほどに。
「どうだろうな。私は2つ貰えたが、他の皆に聞いたら1つだったらしい」
「そうなんだ。私は3つ貰えたけど、ユウくんやアリサさんはどうなんだろう」
どうやら貰える数も1つには限られていないようです。しかし、よく考えてみればユウも『契約』、『召喚』、『白兎』と3種を貰っているのですね。まあ私は0ですけど。
そんなことを考えながらも、私が足を進め始めたことでサリアと凛も歩みを再開します。それと同時に顎に指をあてたサリアが口を開きました。
「そういえばイナバちゃんも貰ったの?」
「私はこのアクセサリーだけですね。まあここまでの道中で色々と回収したので情報体自体は持っていますが」
「なにかいいものはあった?」
「未完成の黄金林檎とか便利ですね。食べても不老不死にはなれませんが、それなりの健康を与えてくれます」
その言葉を聞いた凛がぴくっと身体を揺らしたのがわかりました。それでも会話に加わってくることはしません。
「それってさ……ううん、なんでもない。ここは現実じゃないんだから……なに言ってるんだろう、私」
同様に足を止めたサリアは何かを問いかけて、首を振り言葉を止めます。そして小さく、風に流すように呟きました。再び足を足を動かし始めたサリアの表情は既に先程までと変わらぬ、明るいものです。
「まあ情報体を展開した物質を食べたとしても、それは幻想の産物。エネルギーが続くまでの夢であり、覚めれば現実へと引き戻されます。結局は情報であり、それを一時的に物質化させているに過ぎません。その物質の本来の効力を得たければ、本物を消費するしかないのです」
「そうだよね。それができればもっと皆が幸せになれるけど、そんな都合の良い奇跡は起こらないよね」
そう言い悲しく笑うサリア。
陽炎は早めに打ち消しておいたほうがいいのです。それに、その奇跡が起こったとして源泉はどれだけの水を要求されるのでしょうか。水が減り、底が見え、それでもなお求められる。時間あたりの総量が減ればそれは争いによって分配され、ついには枯れ果てる。
「……私はそれを奇跡だとは思えないな。まあ平和な世界で過ごしている者の戯言だ、聞き流してほしい」
「そう、なのかな。やっぱり都合の良い奇跡を望むのは間違っているのかな」
空を見上げて呟くサリアと、そんな悲しそうな少女を静かに見つめる凛。噛み合っていないように聞こえて、どうにも噛み合っているような気がします。だから私も噛み合わせましょうか。
「2人とも、なぜ黄金林檎がこの世界だけの産物だと思っているのですか?」
「別にこの世界固有だとは考えていないが、少なくともアルファ世界では神話などで語られるだけで、存在はしていないと思うよ。少なくとも、今は」
「ガンマ世界もそう。遥か太古だけに語られる伝説の果物。竜族はそれを食べたから強大な生命力を得たって聞いたこともあるけど、結局は物語の中の話。今は存在しないよ」
「結局は仮想でしか存在できない、奇跡の果物だと?」
「ああ」「ええ」
それが当然だといわんばかりに納得した様子を見せる2人。これは確かに奇跡の果物でしたね。2人にとっては起こることを待ち望む、そんな果物なのですから。
……ユウや楓は、四葉はなんというでしょうか。少なくとも楓は、奇跡なんて待たない。存在するものとして置換するように動くでしょう。
「それでは奇跡の果物を食べてみますか?」
そう言い左右の手のひらに黄金色の林檎を展開します。小さな手のひらに乗る、風が吹けばすぐにでも落ちてしまいそうな果実に2人の視線が釘付けになりましたが
「いや、やめておくよ」
「私もいいかな」
すぐに誘惑を振り払われ否定されましたが、この反応を見られたことは十分な収穫でした。特にサリアに関しては。
「りんごジュースにするとおいしいものですよ」
「……どういうことだい? それでは、その黄金林檎がこの世界では実在しているように聞こえるのだが?」
「え、実在するから情報体を回収できたんじゃないの?」
2人は互いの意見に首を傾げます。本当のところはじっくりと考えてもらいたいのですが、少し先に魔物が出現し始めています。そこに悩みを持ち込むのは避けたほうがいいでしょう。
「凛、回収したままに展開できる情報物質は、すべて存在していなければなりません。サリア、存在しない、たとえば噂だけの情報も情報体となりえます」
「ん? んん?」
唸るサリアの横で、凛が息を呑みました。その瞳は先程よりも輝きが増したようにも思え、同時に暗さも増したように思えます。
「とりあえず少し先に魔物がいます。周囲にプレイヤーはいないようですから、私達が倒しておきましょうか」
街から少し離れた程度、歩いてすぐの距離だというのに、既にプレイヤーの姿はほとんど見えません。出現する魔物が違うことをその目で確かめたのかもしれませんし、先を進んだ他のプレイヤーから聞いたのかもしれません。なににせよ、多くのプレイヤーが安全を選択した風景なのでしょう。
「見えるのかい?」
「あなたも気づいているでしょう?」
「"魔物が"存在している程度だが、たしかに気づいてはいるよ」
そう答えた凛の手元には、既に刀が展開されています。
「え、私には見えないよ。どこに何がいるの?」
目の上に手のひらをかざし、遠くを見るポーズで前方を見渡すサリア。
「誰が戦いますか?」
「あれだけのことを言ったのだ、私が行こう」
鞘に手を添え、足を止めている私とサリアの前に出るように移動した凛。そしてゆっくり、先にいる魔物を迎えるように歩みを進めます。駆け出すような迂闊な真似はしません。
「ね、ねえ。どんな魔物なの?」
「凛、知りたいですか?」
サリアの質問を聞き、凛に問いかけます。
「いや、いい。あまり強くない感じがするし、相手の位置もわかる。いつでも相手の情報がわかるわけではないのだから、今のうちに未知の魔物という状況を経験しておきたい」
「では秘密で」
「で、でも……」
心配そうに凛と私を交互に見やるサリア。
「危険に晒すような真似をしてすまない。まあイナバが問題ないと判断して教えない選択肢をくれたと思って、安心してくれ」
そんなサリアの様子を感じ取ってか、こちらに背を向けたまま落ち着き安心させるような声音でそう告げた凛。サリアはやや納得できないようで、それでも諦めた様子を見せます。
そして静かなになったこの場所で、ようやく魔物が見えてきた頃。
「さて、私は届くだろうか」
魔物を見据える凛がぽつりと呟きました。
光を飲み込むような黒い表皮。包まれた身体は大きいだけでなく引き締まっており、内部に強靭な筋肉が溢れていることを主張するようです。特に目を引くのは頭に生える、曲がりくねった2本の角でしょうか。アルファ世界の生物、バッファローに似ているかもしれません。
そんな身の丈ですら凛を超える魔物が、四肢で大地を力強く踏みしめながら悠然とこちらに近づいてきます。
距離が少し近づいたところで牛の魔物が足を止めました。そして右前足で何度も地面を抉り力を貯めるようにしながら、その赤い瞳の先に凛を捉えています。
対して凛はゆっくりと、相手の動きをよく観察するように近づくだけ。
1歩、さらに1歩と距離が近づいていき――先に大きく動いたのは魔物側でした。弾丸のように発射されたあとに残るのは大きく巻き上がる土の波。僅かでも目を離せば次の瞬間には標的である凛を吹き飛ばしていそうな速度と威圧感に、凛は踏み込みました。
交差する大質量の弾丸と鋭い刃。動き続ける魔物と足を止めた凛。油断なく仕舞われた刀に手を添えて振り向く少女と、同じく振り向こうとして巨体で地面を抉り進む魔物。
豪快な音に続いて迫る土塊を魔法で生み出した風で僅かに押し返してみれば、晴れた視界の先に勝負の決着が見えました。仕舞われた刀に手を添えたままの凛と、地面に伏し光の粒子となり始めた魔物。立ち昇る粒子のすべてが胸元へ吸い込まれてやっと、凛は息をつきます。
「すごい……」
呆然と眺めるサリアの呟きは風に乗って凛に届いたのでしょうか。凛は笑って手を振りながら近づいてきます。
「すまない。思ったよりも丈夫だったのか、仕留め損ねていたようだ。やはりまだまだ未熟だということか」
どの観点で見るかによりますが、アルファ世界から来たばかりの人族が成したこととして見れば十分を過ぎて優秀といえるでしょう。魔物のいない比較的安全な世界の少女が、情報物質の刀を得たとはいえ、ランク2の魔物を倒せるのですから。それも魔法で遠距離からならまだしも接近戦。このまま魔物がいる異世界に放り出しても十分に通用しそうな気がします。
「凛は、魔物がいない世界から来たのよね?」
それが事実だと再確認するように問いかけるサリア。
「ああ、そうなるな。まあナイフがあれば熊程度なら斬り伏せることができていたから、普通よりは戦えたはずだが」
ほう、最近の女子高生って強いんですね。
「凛、その時の熊は怖かったですか?」
「当然、怖かったさ。あの太い腕で一撫でされれば、きっと動けなくなっていた。そうなれば信じてその場を離れてくれた皆に魔の手が迫るのだからな」
変わりませんね、凛は。まあしかし、そうであれば。
「誰かが近くに残っていたのではないですか?」
「よくわかったね。すぐ近くに1人、少し離れて1人が残ってくれていたよ。嬉しいものだが、もし私が負けていたらと思えば、ぞっとしたよ。だから思った、止められて本当に良かったと」
それは誰でしょうね。しかし、それを語る凛の表情はとても嬉しそうで、これが大切な思い出であることだけはわかります。きっと今も交流している、大切な親友なのでしょう。
「……凛ちゃんはさ、自分が死ぬのは怖くなかったの?」
それは静かに、呟くような問いかけ。
「まあ死ぬよりも怖いことはいくらでもあるさ。私も今であれば……いや、なんでもない。ところでもう1体、近づいてきているようだが?」
「把握しています。あれの情報体は求めていたものなので、譲っていただいても?」
「私は今しがた倒したばかりだし構わないよ」
凛の了承を得たところでサリアに視線を向けます。しかし凛を見つめたまま何かを考え込むような様子のサリアは応えてくれません。まあサリアでは相性が良くないですから、譲ってもらいましょう。
「それでは回収してきます。凛はこの場で警戒をお願いできますか?」
「ああ、任せてくれ」
凛もサリアの考え事を邪魔してまで応えを求めるつもりはないようです。
凛達から離れ、とことこと駆ければ、すぐに魔物の姿が視認できるようになりました。
曲がりくねった2本の角を生やした頭。蹄で大地を踏みしめる四肢。そして真っ白な毛の塊から頭と四肢が飛び出しているように見える身体。先程、出現したばかりの羊型の魔物であり、データベース登録名はそのまま羊です。
よくよく思い返してみればデータベースの登録名称は統一感がまったくありませんね。まあ取り決めなく複数人で名付けているのですから、しかたありませんか。
私が近づいてみれば、羊はこちらへと顔を向けました。一見、その大きな角を武器に突進してくるかのように思えますが、その場に留まり動きません。それがこの魔物の厄介なところでしょうか。
下位の羊なので、まだそこまで気にすることはありませんが、反射系統の情報を有しているのです。
少し観察した結果、動かぬ素材だと思って強力な攻撃をしてみれば、こちらがダメージを負ってしまう。弱ったところで近づいてきて、そのもふもふに埋もれさせ徐々にエネルギーを吸収していくという珍しい戦い方をします。
下位の羊であれば死に至る前に開放されることが多いので脅威度は低いのですが中位ともなれば脅威度は跳ね上がり、下位の羊だけを知っており中位でも同様の考えで死なないからと油断してかかれば、エネルギーだけでなくその生命も座れることでしょう。そして私も、ここで知っている魔物だと油断してしまえば同様の結果を辿るかもしれません。
魔物は場所や状況によってその情報が変異するため、見た目が似ており観測できた情報が同一であったとしても、多少の確認は行うべきなのです。ウルフもカマキリも、そして軍森も確認を行い、結果としてあまり差はない程度。今まで通りの方法で無視できる程度の差しか存在していませんでしたが、この羊も同じとは限りません。そもそも違う界域なのですから、どの程度の差があるのかサンプルが欲しいのです。その点において、あちらから積極的に攻撃してこない羊は好都合な魔物といえるでしょう。
ということで、まずは近づき跳びはねて頭にかかと落としです。羊の目前に着地しても反射がこなかったことを確認し、続いて周囲に加熱魔法、冷却魔法を羊の身体半分で区切って展開。肉眼ではわかりませんが、千里眼により反射を確認できたので続いて弱い衝撃を与えるマッサージ魔法を身体の数カ所に展開。一部を除いて反射を確認した結果として、これまでのものも考慮し頭などの毛に包まれていない部分は反射されないと仮定。最後に精霊召喚を行い足元に極小さな人型の土塊を召喚し、それらに尖ったものや円盤状のものなど様々な種類の土製弾丸を発射させて各部位の反射条件に威力が含まれていないかを確認。
頭を撃ち抜かれ倒れて消滅する羊を眺めながら観測結果を精査します。結果として毛に覆われている部分は小さな衝撃であろうと、おそらく『ダメージ』や『環境異常』と認識されるものはせき止め、逆行させる。それ以外の部分、たとえば脆かった頭などは通常の魔物と変わらず、同じランクの魔物と同程度の情報強度を有するだけ。毛が増量して包まれていない部分を守ることもなければ、頭などを引っ込めて守ることもなし。反射下限を個体差と考えれば、知っている『羊』とそう変わりないですね。
簡易とはいえ観測を終了したところで、足元でいまだに形を保っているゴーレムを分解します。反射威力の上昇がなかったとはいえ、毛の部分に多数の弾丸を撃ったゴーレムは穴が空いていたり一部が吹き飛んでいたりと羊の怖さを示してくれています。
さてと、消えていった羊が残した情報片をすべて回収したところで千里眼の認識範囲を広げて、周囲に存在する羊を把握します。その中でもプレイヤーが近くにいない個体だけに絞り、目の前に不可視の風の弾丸を魔法で展開して頭から身体に通すように発射すれば、身体の中で何度も反射を繰り返し狙っている情報素材のドロップ条件を満たして撃破となります。同時に精霊召喚を行い、羊が残した情報体を不可視の風檻で閉じ込めて私のもとまで輸送させて回収すれば、この素材集めは完了です。雑に扱ってもいい情報体限定とはいえ、便利な方法だと思います。




