現実:土の種類 - 黄土・黄砂(タクラマカン砂漠・ゴビ砂漠・黄土高原)
▼黄土その利用法:
古代より黄色の顔料として用いられ、この顔料として使用される黄土はイエロー・オーカー (yellow ochre) あるいは単にオーカー (ochre) と呼ばれるが、この顔料の色合いがまさに黄土色なのである。
岩石が風化されてできたシルトであり、各種のミネラルに富む事や保水特性に優れるため、コウリャンなどの栽培には適している。
日本の風土に合うことから、家屋の壁にしっくいと同様に黄土を使用した土壁が伝統工法として用いられる。
黄土は古くから天然の泥パックに用いられてきたが、近年は黄土のもつミネラルや遠赤外線放射を利用したサウナや、岩盤浴にも使用されている。
紀元前1500年頃に書かれたエーベルス・パピルスでは、消化器疾患や眼病など様々な疾患の共通の治療薬として黄土の処方を推奨している。
★黄土の飛散-黄砂:
▼黄砂:
黄砂(こうさ、おうさ、黄沙とも)とは、特に中国を中心とした東アジア内陸部の砂漠または乾燥地域の砂塵が、強風を伴う砂塵嵐(砂嵐)などによって上空に巻き上げられ、春を中心に東アジアなどの広範囲に飛散し、地上に降り注ぐ気象現象、あるいはこの現象で飛散した砂自体のことである。
黄土自体はシルトを主とした細粒性の堆積物であり、その鉱物成分は石英が多く雲母や長石からなり、細かくは数十種類に分類されるため、多様な母岩から構成されていることが判明しているが、それらは発生源に近づくほど粒径は粗粒となり地域毎に成分の差異が認められているが、黄砂はこの砕屑物の粒子径が小さくなり風に巻き上げられて自由大気に達し遠くまで運搬されて降下するものでもある。
▼黄砂の季節・気候性:
●その季節性:
黄砂は砂塵の元になる土壌の状態・砂塵を運ぶ気流など、大地や大気の条件が整うと発生すると考えられているが、その発生頻度には季節性があり、春はそういった条件が整いやすいことから頻繁に発生し、また比較的遠くまで運ばれる傾向にある。
ただ注意すべきは、春に発生する頻度が極端に多いだけであり、それ以外の季節でも発生していることである。
●その気候性:
気候との関係については、その実一般的認識とは逆の推定がされており、発生地域が寒冷期にあるときには乾燥化が進むうえ、大気循環経路の変化により寒気の南下回数が増え、それに伴い砂塵嵐の頻度が増えることから、それによって黄砂が増加すると考えられる。
逆に温暖期にあるときは、湿潤化が進むことなどから黄砂が減少すると考えられている。
2千年紀(過去1000年)間の中国での塵の降下頻度の記録から、塵の降下頻度の増加が気温の上昇と逆相関関係にあるという研究があり、この説を裏付けている。
▼気象学的に定義する複数の現象:
「黄砂」という語でひとくくりにされているこの語を気象学的に定義すると複数の現象が含まれている。
「砂塵嵐」
発生地付近では黄砂の元となる「砂塵嵐」(砂嵐)であるが、この砂塵嵐とはその名の通り砂や塵が強風により激しく吹き上げられ空高くに舞い上がる気象現象でサンド・ダストストームと総称されるが、砂塵嵐等の定義は国や研究者により異なる。
「大気エアロゾル粒子」
黄砂は大気中に浮遊しエアロゾルを構成する微粒子「大気エアロゾル粒子」である。
「風塵」「(ちり)煙霧」
風の有無にかかわらず黄砂が空中に大量に浮遊・降下している状態は「風塵」や「煙霧」「ちり煙霧」である。
また、「視程障害現象」にも分類されるなど、東アジア各国では気象機関がそれぞれ「黄砂」の定義や強弱の基準を定めているが、いずれも少しずつ異なっている。
●「砂塵嵐」:
現在、黄砂の大部分は、発生地である乾燥地帯を襲う砂塵嵐により大気中に巻き上げられると考えられている。
砂塵嵐の発生の度合いは、年中乾燥した土地であればほぼ風だけで決まるが、降水のある土地では風に加えて、地形、表土の湿り具合、積雪や凍結の有無、植生(植物の繁茂)、土壌粒子の大きさ、地表の凹凸の粗さなど、地表面のさまざまな状態に左右される。
土壌粒子の大きさに関しては、表土や岩石が温度変化を受けたとき、特に凍結と融解を繰り返したときに、風化により砂粒の微細化が進む。
タクラマカン・ゴビ・黄土高原ともに上空10mの平均風速が5m/sを超えると、局所的に地面から砂塵が舞い上がり始める。
これが激しいもの、つまり砂塵嵐に発達するときには、ゴビで10m/s、タクラマカン・黄土高原で6m/s以上の風が吹いているという研究結果がある。
砂塵嵐によって砂が巻き上げられる高さは最大で上空7 – 8km という報告があるが、観測装置が故障することがあるため推定である。
また、強い低気圧が通過した前後などは砂塵嵐が多く発生し、黄砂の量も多くなる。
また降水量との関係で言うと、発生地で降水量が少ないほど黄砂の発生は多い傾向にある。
降水量によって、土壌の乾燥状態、積雪や植物の有無といった地面の状態が変化するためである。
●「沙塵暴」と「黒風暴」:
実は砂塵嵐のことを中国語では沙塵暴といい、中国の市民の間では「黄砂」という言葉はほとんど使われず「沙塵暴」の方をよく用いる。
この沙塵暴は時に猛烈に発達することがあり、中国の気象当局は瞬間風速25m/s以上で視程が50メートル以下の強烈な砂塵嵐を、俗に「黒い嵐」などとも呼ばれている「黒風暴」または単に「黒風」と規定している。
その発生はごくまれではあるが、黒風暴は寒冷前線の通過時などで大気が不安定になったときにダウンバーストやガストフロントなどの局地的な突風をきっかけに発生する。
水平方向の大きさは小さいものでも数百メートル、大きいものになると100キロを超え、大きな渦を巻きながら移動し、これが押し寄せてくると高さ数百メートルの「砂の壁」が迫ってくるように見える。
この「砂の壁」の中に入ると、急激に周りを飛ぶ砂の量が増え、昼間であれば次第に周囲が黄み・赤みを増しながら暗くなり風も強まってくる。
こうして数十分ほど屋外は真っ暗となり、歩くことさえままならない状態となるが、例え屋内に避難していても砂の進入によって日常生活が難しいほどになる。
▼黄砂の発生地:
代表的な発生地としては、西から
・タクラマカン砂漠(中国西部 新疆)
・ゴビ砂漠(中国北部 内モンゴル・甘粛・寧夏・陝西 - モンゴル南部)
・黄土高原(中国中央部 内モンゴル・甘粛・陝西・山西)・
の3か所が挙げられる。
面積は、これら3大発生地だけでも日本の国土面積の5倍(190万km2)以上と広いが、これ以外にも黄砂の発生が考えられている乾燥地帯がある。
地域はほとんどが東アジアだが、一部は中央アジアにも及んでいるが、これ以外に中国東北部(旧満州)、モンゴル北部、ロシアの一部なども発生源となっている可能性がある。
これらの発生地は、おおむね年間降水量が500ミリを下回り、所によっては100ミリ以下という乾燥地帯であるため、地表が砂で覆われている。
また、乾燥地帯が発生地ということは分かっているものの飛来する砂塵の分析結果から、発生地は砂漠のみであるとする説、砂漠以外の乾燥した地域であるとする説、その両方であるとする説の3つが唱えられている。
●タクラマカン砂漠:
中央アジアのタリム盆地の大部分を占める砂漠で、南は崑崙山脈、西はパミール高原、北は天山山脈、東はゴビ砂漠に囲まれ、一帯は現在中国の新疆ウイグル自治区に属している。
面積はおおよそ324,000km2、東西約1000km、南北約400kmとされるが、砂漠の境界は明確ではないので、数値は諸家により大きく異なる。
砂漠の中央を東西方向に縦断することは極めて困難であり、かつてのシルクロードも、北縁のオアシスに沿って進む西域北道(天山南路、漠北路とも)と、南縁のオアシスを辿る西域南道(漠南路とも)とに分岐していた。
19世紀末から20世紀初頭にかけてヘディンはこの一帯を踏査し、その旅行記にタクラマカン砂漠で九死に一生を得た経験を記したことから「死の砂漠」として世界に知られるようになった。
世界の砂漠の中では16位の大きさだが、その大部分が砂丘に覆われており、砂砂漠としては世界最大級ともいわれているが、標高は非常に低く最低海抜はマイナス130メートルである。
「タクラマカン」は中国では「塔克拉瑪干」と表記するが、これは漢字による現地名の音写に過ぎないので、この文字に特段の意味はない、そこんとこ夜露死苦。
名称の由来については諸説ある。
世界大百科事典では、ウイグル語で「入ると出られない」の意味でウイグル語の「タッキリ(死)」「マカン(無限)」の合成語と言われ、「死の世界」「永遠に生命が存在し得ない場所」といったニュアンスとされる。
スウェーデンの探検家スヴェン・ヘディンの旅行記には、その昔この砂漠の中に「タクラ・マカン(大戈壁)」と呼ばれる大都市があったという言い伝えが残されていることが紹介されており、こうした伝説が元となっているとされる。
またWikipedia英語版には次のようにあるが、出典についてはネット上で読めるもの以外は未確認である。
ウイグル語で、ペルシア語の語義を借用したtark(放棄する)とmakan(場所)の合成語と言われる。
それを「帰れない場所」、より一般的には「一度入ったら絶対に出られない場所」と解釈している情報源もある。
また、「遺跡の場所」を意味するチャガタイ語taqlar makanに由来するとする説もある。
南はヒマラヤ山脈やカラコルム山脈・崑崙山脈・チベット高原・西はパミール高原、北は天山山脈といった山岳地帯に囲まれ、東にはゴビ砂漠が広がっているため、典型的な砂漠気候であり、降水量は年に数ミリ程度と非常に乾燥している。
タクラマカン砂漠のあるタリム盆地は、ヒマラヤ造山運動に伴って形成された地形であり、この窪地は今からおよそ2万年前の最後の氷期から現在の間氷期へと遷り変わる頃には、溶けだした氷河によって次第に湿潤な土地になっていき、やがてその盆地のほぼ全域がカスピ海のような極めて広大な湖となったが、その後気候がさらに温暖化するにつれて氷河が失われると今度は次第に水が失われていき、大部分が現在の砂漠になったと考えられている。
そう、カラコルム山脈とヒマラヤ山脈は地球科学においていくつかの意味で重要である。
まず、これらの山脈は2つの大陸の衝突によってできたものでありプレートテクトニクスを研究する上で重要であるが、4,000万年以上前にこの山脈ができた時に、この地域を中心として大規模な気候の変化が訪れた可能性も指摘されている。
屏風のような山塊の出現により風の流れがかわり、東南アジアから日本まで湿り気を乗せて吹きわたる‘モンスーン’が誕生し、湿潤アジア独特の文化を育む一方、屏風の裏側のチベット高原やシルクロードは広い範囲にわたって寒冷な乾燥地帯となり、また大量の岩石が二酸化炭素と反応して風解することにより、大気中の温室効果ガスが減少して氷河時代の引き金になった可能性もあるのだ。
なお、氷河は気温や降水量の長期的な変化によって長さが変動するため、気候変動の観測にも利用できる可能性がある。
氷河と言うと極地を除けば世界最大の氷河地帯もある広義のヒマラヤ山脈の一部で氷河の多くが瓦礫に覆われテュルク語・モンゴル語で「黒い砂利」という意味であるカラコルム山脈を源とするタリム盆地を流れるタリム川を始めとするいくつかの河川があるが、いずれも内陸河川である。
ホータン川などは崑崙山脈の雪解け水が増える夏季のみ砂漠を南から北に横断して流れる季節河川として知られ、ヤルカンド川やアクス川などと合流してタリム川となるのだ。
なお、「さまよえる湖」として知られるロプノールは、この川の末端湖のひとつであった。
また、現在タリム川自体も途中で消えてしまっているという。
なぜなら一帯の砂漠化は今なお進行しており、周縁部の農場や村に深刻な影響が及び始めていて、これは愚かな事にタリム川下流域の水不足を補うため、コルラの北東にあるボステン湖からの水供給量を増やしたところ、水量が大きく減少した上、水質も劣化しつつあるからだという。
この他、チベット高原から延々水を引いて農地化を進めようというプロジェクトも発足しているが、極度の乾燥地帯の上、流れ出る河川がない孤立した盆地なので、塩害の発生が懸念される。
現在研究によりかつての河川跡の堆積物の粒度と元素の存在度との間に一定の相関がみられること、石英の酸素同位体組成はタクラマカン砂漠の砂漠堆積物について場所によらず特定の範囲の値を示すことなどの成果を得たこと、また天山山脈内を南北方向に流れる氷河をもつ河川の河成堆積物の礫種を検討してみると、どの河川においても礫種の組成が同じであったことが判明した。
これは天山山脈の地質構成が東西に連続するためであり、氷河による岩石の細粒化過程が砂漠物質生成の第1段階であるとみなされ、次いで河川の侵食作用と砂漢乾燥環境へ運ばれたあとの風成作用による混合を通して砂漠堆積物のく均質化>が進行していると考えられる。
更に第四紀にタリム盆地に供給された膨大な量の礫層のマトリックス、天山山脈やコンロン山脈の山岳地帯に分布するレスなどの分析から、黄砂の原因である広域レスの大きな給源の一つはタクラマカン砂漠にあることを見い出した。
現在ゴビや黄土高原からの黄砂は上空1-2キロでよく観測されるのに対し、周囲を6,000メートル級の山脈に囲まれるタクラマカンからの黄砂は上空6キロ程度によく観測される傾向にあり、夏の「バックグラウンド黄砂」のおもな発生源となっている。
また、周囲を山脈に囲まれたタクラマカン砂漠などの高低差が大きい発生地では、山谷風と呼ばれるほぼ毎日同じ時間帯に吹く強風が砂塵嵐を強める要因になっているとの指摘もある。
●ゴビ砂漠:
中国の内モンゴル自治区からモンゴルにかけて広がる砂漠で、東西約1600km、南北約970km、総面積は約130万km2で、世界で4番目の大きさを誇る。
ゴビ砂漠は内陸にあるため大陸性気候であり、雨雲がヒマラヤ山脈に遮られる為非常に乾いた風が吹き付け、他の砂漠と比べ非常に高緯度(北緯43度付近、日本の札幌市に相当)であるにもかかわらず夏である5月〜9月までの間の最高気温は45度を超えることもある。
しかし冬である12月〜3月の間は、砂漠の年中灼熱といったイメージとはかけ離れた寒風吹きすさむ厳冬の地である。特に1月末から2月にかけては最低気温がマイナス40度を割り込むことも少なくない。
ゴビとは、モンゴル語で「沙漠、乾燥した土地、礫が広がる草原」などを意味する様に、ある種の砂漠を意味する。
つまり「ゴビ砂漠」は「砂漠砂漠」という畳語表現だが、日本では「ゴビ砂漠」で定着している。
中国においても瀚海沙漠・戈壁灘・戈壁(音読み:かへき)沙漠とも表記され、古くは秦朝の頃から"大漠"と史書に記されている。
古くから匈奴を始め柔然・突厥・回鶻・モンゴル帝国などの活躍の場であり、シルクロードの重要な拠点都市が幾つか存在した。
また、現在は砂漠だが古代には植物の豊かな地域であり、大型恐竜が多く生息した。
そのため、恐竜化石の世界的発掘地として知られており、卵を抱いたオビラプトルやプロトケラトプスとヴェロキラプトルの格闘の化石など珍しい形の化石なども発見されている。
黄砂は、この地などから巻き上げられ気流に乗り運ばれる砂の事であり、春先には日本にも多く飛来する。
●黄土高原:
黄河の支流、大夏河の下流が黄土高原を切り刻んで険しい渓谷を作っている。
高原は北西から南東に傾斜し、海抜は1,000mから2,000mの間である。
岩石の多い山地を除き、大部分は黄土が地表を覆っている。降水による長年の浸食で無数の渓谷に覆われた台地は、ガリ侵食によって平らな地形を刻む特殊な景観が見られる。
黄土高原の東端は太行山脈で、呂梁山脈や六盤山脈なども高原上の主要な山地である。
黄土高原は間を蛇行する黄河により、東から山西高原、陝甘黄土高原、隴西高原の三つに分かれている。
平らな台地の縁側では、崖状の急斜面を成す地形が形成され、降水時期にはがけ崩れが頻発する。
このため、大小さまざまな崩壊跡が随所でみられ、中には斜面の安定性が損なわれた大規模な地すべりをも誘発している。
これらの黄土は雨季には濁流として黄河に流され、乾季には風に巻き上げられやすい状態にある。
また、黄土高原では風成堆積物に特有の陥没が頻繁に発生している。
現在、黄砂の発生源となっている黄土高原は、250万年前から始まり200万年前から増えた風送ダストによってできたと考えられている。
これら黄砂や風送ダストの量の変化は、気候変動や地殻変動によって、風や降水、地形などのパターンが変わったことによる。
●日本:
古く日本では、少なくとも7万年前以降の最終氷期には黄砂が飛来していたと考えられている。
最終氷期の初期にあたる7万年前から6万年前ごろの風送ダスト(風によって運ばれ、堆積した砂や塵のこと。黄砂もこれに含まれる)の堆積量は10cm3あたり12グラムであった。
完新世にあたる1万年前から現在までは同3-4グラムである。つまり、最終氷期初期は現在の3-4倍と、かなり多かったと推定されているが、このほか1万8000年前にも黄砂の堆積量が増えたというデータがある。
日本の九州島南方から台湾北東にかけて位置する島嶼群- 南西諸島には新第三紀およそ2500万年前から200万年前ごろの地層であるクチャ(学術名:島尻層泥岩)と呼ばれる厚さ約1,000メートルの泥岩層が分布しているが、この層には黄砂由来の粒子が含まれていると考えられ、このころにも黄砂が飛来していた可能性を示唆しているが、さらなる堆積物の分析結果から、もっとも古い時代では白亜紀後期約7000万年前から黄砂が発生していたと考えられている。
▼その功罪:
黄砂は国境をまたぐ範囲で被害を発生させ、しかもその程度や時期に地域差がある。
発生地に近づくほど被害は大きくなり、田畑や人家が砂に覆われたり、周囲の見通し(視程)や日照を悪化させたり、交通に障害を与えたり、人間や家畜などが砂塵を吸い込んで健康に悪影響を与えたりするなど、多数の被害が発生する。
海を隔てた日本でも、黄砂の季節になると建物や野外の洗濯物・車などが汚れるといった被害が報告されている。
東アジア全体での経済的損失は、日本円に換算して毎年7,000億円を超えるとされる。
発生地に近いほど砂塵の濃度は濃く・大きな粒が多く・飛来する頻度も高い傾向にある。
モンゴル・中国・韓国などでは住民の生活や経済活動に多大な支障が出る場合があり、黄砂への対策や黄砂の防止が社会的に重要となっている。
近年は東アジア各国で、黄砂による被害が顕著になってきているとされており、一部の観測データもこれを裏付けている。
これに加えて、環境問題への関心が高まっていることなどもあり、黄砂に対する社会的な関心も高まっている。
一方、黄砂が自然環境の中で重要な役割を果たしていることも指摘されている。
飛来する黄砂は、洪水による氾濫堆積物や火砕物と並ぶ堆積物の一種であり、土地を肥やす効果がある。
また、黄砂には生物の生育に必要なミネラル分も含まれており、陸域だけではなく海域でもプランクトンの生育などに寄与している。
芸術の分野では、黄砂のもたらす独特の景観などが文化表現にも取り入れられており、黄砂のもたらす情景を詠った古代中国の漢詩が伝えられるなどその歴史は古い。
黄砂が生活に深刻な被害を与えている地域もある一方で、影響が軽微であり珍しい自然現象・季節の風物詩などとされている地域もあるのだ。




