3話
3日ほど経過しただろう。俺は何も食べていないし寝ていなかった。何もできなかった。何もかも失っていた。
「すみれ…」
俺はただ自分を責め続けていた。
精神的にも物理的にも。そんな時にトビラのノックが聞こえた。
「なんですか?」
扉を開けるとそこにはすみれの母がいた。その手には一枚の紙が握られていた。
やつれた顔の中年女性だった。
目の下に深い隈があり、化粧っ気のない肌には疲労の色が濃い。大輝の顔を見て一瞬息を呑んだが、すぐに目を伏せた。
「あの子の……クラスメイトの子よね。少しだけ、話を聞いてもらえる?」
「はい、いいですよ」
澄玲からの手紙だった。日付は三日前。
つまり、あの夜の前に書かれたものだった。「お母さんへ」という宛名が丁寧な丸文字で書かれている。
母親は大輝の返事を待たず、震える手でそれを差し出した。
自分で読む勇気がなかったのかもしれなかった。
俺はそっと手紙を受けとり優しく開いた。
お母さんへ、いつも父親から守ってくれてありがとう。お母さんは私に何もできてあげれなくてごめんねって言ってたけどいるだけで私は安心したよ。大好き。
あのねお母さん、もう1人私の事を守ってくれた人がいます。それは隣の住人の大輝くんです。彼にもこの手紙を渡してあげてください。大輝くんへ、こんな私の事を愛してくれてありがとう。大輝くんの笑顔が私にとっての幸せでした。学校にいる時も家にいる時も私は大輝くんの事しか考えられませんでした。「何ができることはないか?」そう言ってくれた時私はとても嬉しかったです。何かが私の中で変わった気がしました。一緒に寝てくれた時ありましたよね。大輝くんの腕の中は暖かくて安心しました。私もこういうお父さんが欲しかったな笑なんてね、私には一つの夢がありました。警察官です。私みたいに困っている人を助けたかった、病弱な私が慣れるかわからないけど笑。その時は大輝くんも一緒になりませんか。確かに口下手であまり感情を表に出さないですけど心の中にある正義感を私は感じ取っていました。実は、明日、いや手紙が渡されるのが明日だから今日か?児相職員の人がきます。母が連絡してくれました。これで私も幸せになれるかな?離れ離れにだったら嫌だから先に言っておくね。ずっと好きでした。相談を受けたあの日からずっとずっと好きでした。私の分までまで幸せになってください。私からのお願いです。好きでした。愛しています。
すみれより
泣いた。
色々な感情が混ざり泣き続けるしかなかった。
幸せになってください。
すみれの願いだった。
「警察官になりたい」
小声で言ったすみれがなりたかった警察官に。もうこの悲劇は2度と起こさない。感情が入り混じる中でこの思いだけはぶれなかった
「お母さんありがとうござます。自分の気も少しは晴れました。」
母も泣いていた。俺の感情を汲み取ってくれたのたまろう。俺はすみれの分まで強く生きる。そう決心した。
母親は何度も何度も頭を下げながら、途切れ途切れに言葉を絞り出した。
「あの子が……あの子にそんな友達がいたなんて……知らなくて……」
しゃがみ込み、廊下で声を上げて泣いた。離婚して家を出た自分には何もできなかったという後悔が、その嗚咽に滲んでいた。
それから数日後、澄玲の父親には傷害致死の容疑で逮捕状が出た。裁判では実刑が確実視されているという報道が地方欄に小さく載った。
大輝生活は変わった。枯れたはずの食欲は少しずつ戻り、眠れなかった夜には澄玲とのLINEの履歴を読み返した。「ありがとう」「おやすみ」「好き」。全部過去形になってしまったメッセージを何度もスクロールしては、机に向かう。参考書を開く。警察官採用試験の赤本。ページの端が涙でふやけるたびに破って新しいのを買った。
夏が来た頃、大輝の部屋からは壁を殴る音も怒号も消えていた。隣室は空き部屋になり、「入居者募集」の看板がかかった。もう二度とあの暗い部屋に怯える子供は出ない。
5年、長いようで短い年月だった。
彼女の命日。
俺は警察官になった。何もかもなかった俺に夢を与えてくれた。
「すみれ、ありがとう。大好きだよ」
俺の頬に熱い水が流れる。あいにく俺はクールガイなので彼女の墓の反対を向いてそっと目を閉じた。
そよ風が吹いて花々のいい香りがした。彼女にぴったりな美しい場所だった。
その時聞こえた。
気のせいかも知れない、幻聴かも知れない。
でも確実に聞こえた。
私も好きだよ




