ケモノとケダモノ
その瞳は猫岳斗を突き刺すように射抜いていた。途端に心の底から氷のような冷たさが猫岳斗を襲った。
「……ッ」
「ケ……モノ…………」
全身を返り血で染めながら、少年岳斗は呟いた。人間の外見をしているものの、心はケダモノだ。少年が立ち上がって、岳斗の方に駆け出した。森の隙間から見える星の光がナイフを死神の鎌のように妖しく煌めかせていた。
「ハッ……!」
岳斗も地面を蹴って、少年の突きをかわす。その勢いで木の後ろに回り込んで、竹刀を正面に構える。木を挟んで、少年と岳斗はしばらく睨み合っていた。少年が音もなく闇に溶けた。
「なっ……!?」
驚く岳斗。猫の瞳は少しの光さえあれば、暗闇でも昼間のように見える。しかし、少年は完全に消えてしまった。
「どこ行ったんだ?」
耳を立てて、鼻腔に空気を深く吸い入れる。気配はな……無意識に足を蹴って、横に跳んでいた。痛い……? 左腹を裂かれていて、そこから血が勢いよく溢れ出す。
「な――」
自覚した瞬間、激痛が岳斗を襲った。なんとか転ばずに着地して、持っていた竹刀を再び構えようとした。竹刀が柄を残して、斬られていた。
「いつの間に……!」
闇が蠢いて、少年を形作り始める。半ば闇に溶けながら、岳斗に歩いてくる。
「コロス……コロス…………」
辺りを包み込む闇の中で、ナイフが獣の牙のように鋭く光っていた。光に吸い込まれそうになる。
(岳斗!!)
「ハッ……!」
シャルルの声が響いて、我に帰った岳斗。
「シャルル!」
(岳斗! 俺が回復魔法で治す! お前は目の前の……岳斗なのか?)
「ああ……そうだ」
柄を投げ捨て、ボクシングの構えを取った。
(まあ、戦いはお前に任せて、俺は応急処置するぞ!)
「ああ!」
岳斗の左腹を光が包み込んだ。痛みが少し和らいで、出血が小さくなった。
少年が地面を勢い良く蹴って、岳斗に飛び掛かる。体を捻って、降りかかるナイフを避けた。その勢いで左ジャブをこめかみに叩き込む。当たった。そう感じた瞬間、少年が闇の粒子に分解されて、霧散した。
「何っ!?」
口を大きく開けて驚く岳斗。闇が後ろで蠢いた。
(燃えたぎる豪炎よ、万物を無に返せ!)
シャルルの鋭い声と共に、蠢く闇が炎に包まれた。
(どうだ!?)
後ろを振り返って、確認する。闇から気配が消えた。そして、音も完全に消えた。
(やった……のか?)
「分からん。それにしても、俺はタクマさんと試合をしてたはず……」
突然、胸を風が走った。衝撃を感じ、大きく後ろに飛ばされた。木に激突して、呻く岳斗。胸が痛い。触ってみると温かい液体が手にくっついた。血だ。左胸から右腹まで大きく斬られたようだ。
「……ッ?」
胸と背中から激痛が襲ってきた。立っていられない。闇が蠢いて、少年が形作られながら、歩いてくる。
「しゃ……シャルル」
(分かってる! その傲慢なる翼を神なる光に焼き尽くされてしまえ!)
光柱が少年を包むように射抜いた。しかし、再び闇が蠢き、少年を形作る。何度か射抜いた所で、闇が大きく波打ち、岳斗を木の幹に縛り付けた。
「グッ……! 動けねえ!」
(今、なんとかして……)
闇が頭に侵入して、思考がぼやける。呪文が頭に浮かばなくなる。
(あああ……くそ! 頭に霧が……)
少年が目の前で再び姿を現す。右手に握られたナイフが残酷なほどに美しく光っている。
「コロス……ツヨク……ナル…………ツミトバツ………………」
段々近づいてくる少年。間合いに入った所で、ナイフを振り上げる。
「く……くそ、動けねえ」
岳斗の心臓に狙いを定めて、ナイフを勢いよく振り下ろそうとした。その瞬間、どこからか矢が飛んできて、眩しい光に変身した。少年の悲鳴が聞こえて、岳斗の動きを封じる闇が消滅した。
「ウパシ! ホロケ! |トアン チャペ エ コㇿ アン《あの猫は任せたぞ》!」
「ケラマン!」
「この声は……まさか」
木にもたれながら声の方に振り向いた。アイヌ民族の服装を身に包んでいる三人の狩人が目に入った。スキンヘッドの頭と顎を隙間なく覆い尽くす灰色の髭で、藍色の鉢巻きをつけた筋肉質老人が奥で弓を左手に持っていた。筋肉質のウパシと細身美男子のホロケが岳斗に駆けつける。
「じ、じいちゃん……!」
懐かしく嬉しい笑顔を浮かべながら、意識を失った。力なく木の根に座り込もうとするのをウパシに抱えられ、あっという間に片手で肩に担がれた。
立ち上がったウパシの目の前に闇が蠢き、ナイフが何本も発射された。
「アッ……!」
「イテキ!」
ホロケが長いエムㇱを抜いて、全てのナイフを素早く斬り落とした。
「イヤイライケレ。ヤイケウェホㇺス!」
「ウンコイ、キラホクㇾ!」
ウパシとホロケが走り始めた。と、後ろで闇が大蛇に姿を変えて、大きく口を開ける。
「ハッ……!」
後ろの気配に顔を青くする二人。
「ホサリエチキ、パイェヤン!」
老人が大喝を響かせて、弓に矢をつがえた。二人の頭上――大蛇の口に狙いを定める。
「カムイ、アペ エトコ ヌプリ ルウェンペ |オマレ ラムカラ ヤン《追い払ってください》」
神への祈りを唱えて、迷いなく矢を射った。ウパシとホロケが老人の横を通り過ぎた瞬間、矢が大蛇の口の中に入り、突然大蛇を包み込むように炎が燃え始めた。すぐに周りの林に燃え広がる。
大蛇の叫び声を聞きながら、二人の後を追う。すぐに追いつき、岳斗を一瞥した。
「|ガクト ウトゥラ ヌマㇰ コロ《岳斗がひどい怪我だ》。アランケ ヤン」
老人の命令に二人とも頷いて、力強く熱帯雨林を駆け抜けていく。
しばらくして、大蛇が燃え広がる炎を振り切って、脱出した。周りを見渡すが、三人は何処にもいなかった。




