絶望の深淵
(え――)
加那江は認識出来なかった。 岳斗とシャルルの死に様も、自分が再びツォンに空中に浮かされていることも、体の動きを封じられて声が出ないことも。 と、ツォンとマカロフが前に出た。 天井の穴の真下にジェシカたちが意識を失って、四組の二人三足のように浮かんでいる。 ジェシカ&レオナルド、ダニエル&アレキサンダー、ロント&スメグル、仙&夜。
「四獣はこの我が持つべき物だ。 貴様ではないッ! フハハハハハハハァァァァァァーーーーーッ!!!!!!」
両腕を広げて、狂ったような笑いを浮かべた。
(う……ッ! ゆ、許さな……)
「女、お前に会いたい客人がいるようだ。 紹介してやろう」
(なんですって……?)
ツォンが指を鳴らした。 黒いゲートが大きく渦巻きながら開いて、客人が続々と出てきた。 瞬間、加那江の心が宇宙空間よりも冷たく凍った。
ドクン……ドクンッ……ドクンッ! ドクンッ!! 心臓が警告信号を発している。
(ど、どうして……!? よりによって、この人たちがツォンと組んでいるなんて……!)
「まさかこんなところで会うなんて思わなかった。 やっぱり疫病神ね」
若い女性に続いて、痩せて神経質な中年女性と腹を大きく突き出して厚化粧をしている中年女性が岳斗とシャルルの死体に気づいて、眉毛をひそめながら後ずさった。 厚化粧の女性が血の池を踏んで、悲鳴を上げる。
「キャアーーーーーッ! どけて! 誰かどこかに捨ててきて! 目にも入れたくないわ!」
厚化粧の女性がそう言って、岳斗の顔を蹴り上げた。
(……ッ!? 今、何を……)
「あぁ……! なんて汚いの!」
「おいおい……! 滅多なことを言うな。 バチが当たったらどうするんだ」
ハゲかかった中年小太り男性が慌てて嗜めるように言ったのを、二人の女性が睨みつけた。
「はぁ? 私の服を汚された上にどうしてバチを受けなきゃいけないの! こんなボロ雑巾なんて死んで当然じゃない!」
(……! ぼ、ボロ雑巾!? 仲間を侮辱するなんて……!)
神経質女性の暴言に加那江の中で激しい怒りが湧き上がった。 しかし、悔し涙を流すことも睨みつけることも罵倒することも銃を向けることも…………あらゆるどんな行動も出来ない。 それが憎しみと怒りをさらに加速させている。
と、今度は大卒の新人程度の歳に見える陰気な男性が吃りながら小さく呟いた。 猫背の上に長い前髪と丸眼鏡で顔が隠れて、表情がよく見えない。
「あぁぁぁぁ……! き、き、き、綺麗で、こここここ……こ、興奮し、ししししまままま、すぅ……。 ぼぼぼぼぼぼ……ぼくの嫁……?」
「おーーーーっほっほっほっほ!!! まさかぁぁあぁぁぁぁーーーーーッ!!!! こんな白髪の気持ち悪い女なんかと付き合う必要などありませんわッ! あなたなら一流官僚の娘とも結婚出来るでしょう! お祖父様の威厳でなんともなりますわ!」
吊り目の傾きと並行な眼鏡をかけているパーマ中年女性が息子らしき男性の頭と顎を掴んで、激しく撫で回した。
「よぉお〜〜〜〜〜〜し、よしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよし! あぁぁぁぁ〜〜〜〜!!!!! なぁぁぁぁぁぁんてええええええええ、いいいいいiiiiii井縺薙?豌玲戟縺。謔ェ縺?け繧ス雎壽?蟄舌′縺ヲ繧√∴縺ッ繧上◆縺励?險?縺?%縺ィ縺?縺題◇縺?※縺?l縺ー縺?>縺ョ縺ゅ≠縺ゅ≠縺ゅ≧縺」縺オ縺オ縺オ縺オ縺??縺ッ縺」縺ッ縺ッ縺√=縺」
途中から呂律を怪しくしながら、眼球を半分飛び出すほどの興奮で舌を長く突き出して、息子の頬を粘っこく舐め回す。 滝のように流れ出した涎が息子の肩を濡らしていった。
その後ろで上品な着物を着こなした老人が車椅子に座っている。 ここ数年の衰弱で急激に痩せ細り、完全なる禿頭で骸骨に近い。 そのせいか、目を完全に閉じることが出来ず、眼球が乾燥している。 彼の目尻や鼻、腕、心臓などからそれぞれ数本の管が出ており、背中の大きな装置に繋がっている。
そして、老人の後ろで、手を前に組みながら絶えず微笑んでいる黒スーツの中年オールバック男性が僅かとも揺れないで直立している。 しかし、その笑顔は能楽で使う能面と違って、どんな表情も浮かばない不気味さがある。
と、二人にマカロフが歩いて来た。 老人が眼球をギロリと動かして、マカロフを見据える。
「フォフォフォ、よく来られました。 お手筈は如何でしょうか?」
「うむ……」
「ええ、もう! 問題はありません! 計画も最終段階に入っております!」
「それは何よりです。 ところで、もう一つ貴方様にお力添えしていただきたいことがございます」
「ええ! 喜んでお聞きいたしましょうッ! 何でしょうか?」
マカロフが中年男性に耳打ちして、その内容を老人に耳打ちした。 老人が震えながら、ゆっくりと頷いた。
「はいッ! お義父さまも承諾したようでございます!」
「フォフォフォ、それは何よりです。 光様もそれで宜しいですか?」
「ああ。 これからも良い協力関係を結んでいこう」
「はい! ええ、もちろんです! あなた方様と我が家の永遠なる繁栄を!」
中年オールバックが何度も頭を軽く下げて、気味悪い笑顔を絶やさない。
「ところで! この忌々しい女はどうしましょうか!? フフフフ……殺しますか? 串刺し? ギロチン? 舌抜き? 剥がした爪に唐辛子を詰め込む? 溺水? 酸の水槽に沈める? …………ッううふふふっふうふふふうううっふうふうううーーーーーッ!」
興奮してきて、涎を垂らしながら狂い笑いした。 そして、黒スーツのポケットに手を入れて、大量の唐辛子を鷲掴みで取り出した。
「あはっははははぁぁああッ!」
狂気の笑いで口を大きく開けて、唐辛子をその中に捩じ込んだ。 いくらか地面に落としながらも、数回噛んで飲み込んだ。 そして再びポケットに手を入れて、大量の唐辛子を取り出す。 それを数回繰り返して、全てのポケットから出し尽くした。 荒い息を繰り返しながら、目をほとんど赤色に染めて、穴という穴から体液が大量に流れ出している。
「はぁはぁはぁ……ッああああaaあ阿阿アアaああァァaaa亜あァアアあ!!!」
先ほどよりもさらに目を開きながら荒い息をしたのち、スーツを脱ぎ捨てて、地面に四つん這いになる。 そして、狂ったように叫び、スーツを掻きむしり始めた。 あまりの強さに爪がいくつも弾かれたように剥がれた。 指が血だらけになったところで、ずたずたのスーツを持ち上げ、中の唐辛子を滝のように地面に下ろした。 それらを四つん這いで一心不乱に貪り食うこと数分。 胃腸への大きな負担で血を勢いよく吐き始めた。 同時に目からも血が滝のように溢れ出す。
「がはぁッ、ごほほぉぉお……あふひひっひいひへへっへえぇええ…………ッ!!!」
オールバックの狂気の叫びを背中で聞きながら、ツォンが加那江に向かって歩いた。
「なんて愉快で素晴らしい家族じゃないか……」
(本気で言ってるの……!? あれは人間じゃないッ! いいえ、認めないッ!)
「そこで提案がある。 どうだ、私の駒とならんか? さすれば、この家族と理想郷で暮らせる。 なんと夢物語ではないかッ! 本来、この世界と共に滅ぶ運命を変えられるのだ。 我に感謝するが良い」
そう言って、大きく見開いた自分の右目を加那江の左目に1センチの距離まで近づける。
(……ッ!? 一体何を……)
「特別に口を動かす許可を与えよう。 この我にはっきり聞こえるように返事せよ」
ツォンが指を鳴らした。 恐る恐る口に力を込めると、自分の意思で唇や舌を動かせる。
「どうした、遠慮するな」
両親と兄弟を葬儀した夜の悪夢が蘇って、しばらく唇を震わせていた。 しかし、岳斗とシャルルの死体を見て、決意を固めた。
「……あの時にお父さんとお母さん、兄さん、姉さん、すみれさんは炎の中で亡くなった。 その夜、貴方たち……いいえ、生者にも死者にも敬意を払うことを知らない哀れな愚か者たちはッ!」
恨みや怒りを乗せて、最後の一言を親戚たちに冷たく言い放った。 瞬間、空間がざわついた。
「父さんたちの尊厳を理解しようとしなかった。 十分見下される……いいえ、あまりにも深すぎる深淵。 貴方たちは人の目に入れていい存在ではないの! そして、岳斗とシャルルすら侮辱した。 これは許せないことだわ。 人間として許してはならない!」
そこまで言って、心の中でツォンを鋭く睨みつけた。
「ツォン、貴方は人の名前を名乗るべきじゃない。 無知の知……自分を神様だと勘違いしている貴方にはその言葉を理解出来ないでしょう。 自分自身が吐き気がするほどの邪悪だということを知ることも出来ないでしょう。 その邪悪は環境のせいにするには邪悪すぎる。 そんな貴方に理想郷など作れるとは思わないわ!」
ガシッ! ツォンの左手が伸びて、加那江の首をきつく握りしめる。 目にが血走り、瞳孔が小さくなっている。 拘束魔術を解除して、加那江の体が重力に従ってぶら下がったが、腕の力だけで加那江を掴んだ。
「……言うことはそれだけか」
「ッ……ぐ、ぅ……! い……いい、え……。 たとえ……私の、命……魂の、誇りが……失われ、ても……貴方が……その、理想郷を……作れた、としても……ッ! ……絶対、に……いつか……いつか……誰、かが……岳斗……たちの、遺志を……継いで……立ち、上がる……ッ! ……貴方の、理想郷は……崩れる……運命、にある……ッ!」
そこまで言って、鋭い視線でツォンを睨みつけた。
「……ッ!」
「…………」
瞬間、ツォンの脳内に風景が蘇ってきた。 胸を抉られて、心臓を抜かれた夜が横たわっている。 そして、夜の頭を膝に乗せて、仙がこちらを…………漆黒の眼差しで見つめていた。
「……ッ!」
硬直して、瞳孔がさらに小さくなった。 思わず首から手を離して、加那江を地面に落とした。 額から大量の汗を流して、激しく震え始める。
「ハァハァハァハァハァ…………ッ! そ……その目でッ! その忌まわしい目でぇ……この我を見るなァァァァァァァァァーーーーーッ!!!」
怒号を上げて、開いた手を上空に振り上げる。金色の粒子が手の上に集まり、槍となった。
「死ぬがいいッ! 呪われし娘ェェェ!」
槍が振り下ろされ、加那江の心臓に突き刺さった。赤い血が大量に噴き出す。
「がはあぁ……!」
口からも、血を勢いよく吐き出した。瞳が小さくなり、揺れていたが、やがて揺れも完全に止まった。そして、瞳は光を失っていく。
「はぁはぁはぁ……マカロフ、死体は貴様の方で処理しとけ。 四獣の管理も任せる」
「ハっ、かしこまりました」
お辞儀するマカロフを素通りして、オールバックに命令した。
「おい、この女を死人として蘇生せよ。 私は父上君と話を進める」
「ははっ! 仰せのままにッ! おい! お義父さまをお引き連れしろ!」
「はい! お父さま、お行きしましょうカァ! 貴方も付いてきなさい!」
パーマ中年女性が丸眼鏡青年にヒステリックな高音で命令した。
「は……はい、お母様」
呟くように返事して、ツォン、女性と老人の後を追った。 他の親戚も黒いゲートを通過した。 マカロフが炎魔法の呪文を唱えて、3人の死体を燃やし始めた。
ここに岳斗たちの冒険は終焉を告げたのだった。
第五章 完
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空。 雲一つない青空。 地面には深緑色の樹林が広い範囲で、隙間なく生えていて、所々山が突き出ている。 その世界で広く羽ばたいている一羽の茶色い鷹がいた。
「ピィー……ピョロロロォォ〜〜」
遊空の気持ちよさに開放感を感じて、鳴き声を上げた。 と、彼の目が樹林が切り取られた空間を捉えた。 白い宮殿の裏に広い庭があって、草が隙間なく敷かれている。 庭の中央に立派な大樹が一本目立つように植えられていた。
「ピ……? ピーイッ!」
鳴き声と共に、大樹目がけて滑空した。 十分なスペースがある枝を見つけて、翼を広げながら優雅に着地した。 同時に大窓が開かれて、1人の女性が裸足のまま庭に踏み出した。 と、鷹に気づいて、首を上げた。
「あら……来ていましたか。 今用意するので待っててください」
小走りで宮殿に戻った。 しばらくして、生肉を入れたトレーを持って、再び庭に出た。
「テーブルに置いとくので食べてくださいね」
宮殿の屋根の下にある木のテーブルに置いた。 鷹が歓声の鳴き声を上げて、テーブルに着地するのを微笑ましい笑顔で見守る女性――エリス・フィッシャーだった。
「さて、手は打っときましたがどうなったのでしょうか……」
と、空に広がる枝の分岐点の一つから赤紫色の枝が生えていた。 それを見た瞬間、エリスの表情に緊張が走った。
「……ッ! あの枝は切り取ったはず! ……まさか」
勢いよく振り返って、鷹に申し訳なさそうに言った。
「すみません、急用が出来てしまいました。 貴方はここでのんびりしていてください」
「ピュイ?」
鷹が首を傾げて、エリスに問いかけた。
「ええ、この状況は放っておくことが出来ません。 この宇宙……ひいてはさらなる高次元の宇宙の滅亡が懸かっていますので。 では、行ってきます」
そう言って、足元に白い魔法陣を浮かべた。 魔法陣が光って、エリスを包み込んだ。 光が消えた後は、この広い世界と鷹だけが存在している――。
第六章へと続く。




