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七話

春とはいえ、深夜ともなればその寒さは推して測るべし。火の灯りに透かせば息も白み出してくる。

しかしその女がいる地下の一室。

春の夜の寒さだけでは到底説明のつかないひんやりとした冷気が、扉の隙間から廊下にまで漏れ出してきていた。


「さて、始めようか」


女は大きな長テーブルを前にしてそう呟くと、その上に置かれた人間大のーーいや、人間の死体に指先を滑らせた。


「冷たい……人形と同じ。でもこのままじゃ駄目だ。腐らないように、腐らないように」


そして銀色に鈍く光る刃物を取り出すと、何の躊躇いもなく死体の腹を割いていく。

出てきたのは真っ赤な臓物である。

女は人体に対して何の興味も持ち合わせていないので、この黒ずんだものやら、このやたら長いものが何なのかはサッパリわからない。

故に掻き出すそばから躊躇なく床へと捨ててゆく。要するに、腹の中が空っぽになればそれで良いのである。


「……ふぅ。大変だな、人間を材料に人形を作るのは」


全ての処理を済ませた後。

鮮度を保つ為に魔法で室温を下げたにも関わらず、女の額には薄っすらと汗が滲んでいた。


やはり慣れないことはするものではない。

しかし、これもあの美しい少年を永遠の存在、つまり人間人形にする為。

一切の不手際が許されない一度きりの本番を前に、練習は欠かせなかった。


「はぁ…」


憂鬱に溜息を吐く。

嫌いな人間の、その汚らしい部分を見て触り、大変に気分が悪かったのである。

女は湯あみのため、そして人形たちと戯れリフレッシュするため、空っぽになった死体を残してその場を後にした。



▲▲▲▲▲



リャリエ二日目。

昨夜の豪勢なディナーのせいで未だ重い胃をさすりながら、ミリアムは割り当てられた部屋を出た。


「あっ坊ちゃん…」

「やぁ、おはようシメーヌ。いい朝だね」

「はい。おはようごじゃ……ございます…」

「はは…」


相変わらず恐縮した様子の村長夫妻の娘シメーヌに、思わず掠れた笑い声で応えてしまう。


「うっ…失礼を…」

「あ、いやっ、呆れていたわけじゃないんだ。ただ僕はそんなに大層な人間じゃないって、そう言いたくて」

「そんな…坊ちゃんは大層な方です。公爵様の家の子だし、偉いし、その、すごく綺麗です」


耳まで真っ赤にして答えたシメーヌであった。


「え、えーっと。ありがとう…」


その純朴な村娘の様子に、さしものミリアムも世事やごますりなどではなく、本心からの言葉なのだと理解し、頭を掻く。

そうやってしばらくお互い照れあったのち、二人は示しあって階下へと向かった。


「ミリアムさま!」


すると、ちょうどミリアムを起こしに行こうとしていたのだろう。

湯の入った桶や身繕いの道具一式を持ったメイドのアニーが、その巨体で階段の1段目を盛大に軋ませているところであった。


「失礼しました、すぐに朝のご用意を…」

「いいよ、身繕いくらい自分で済ませるから。水場どこ?」

「いけません。さぁお部屋へ。男性が起き抜けの姿を無闇に晒すものではありません」

「大袈裟だなぁ…」

「お、起き抜けの姿…」


なにやら頬の赤みが増したように思えるシメーヌの脇を通り抜け、ミリアムは二階の部屋へと押しやられる。

アニーはさっそく世話を焼き始めながら、この無防備極まりない主に対して苦言を申し入れた。


「まったく、貴方はもう少しご自分の魅力をご自覚下さい。もしあのシメーヌとかいう村娘がミリアム様に欲じょーーごほん、いえ、不敬な感情を抱きでもすれば、一体どうなることか…」


そちら方面に対しての免疫が薄いからか、角ばった頬を僅かに桃色に染めてアニーがそう言う。


「僕は気にしないよ」

「き、気にしないとは何ですか!」

「もしそうなったとしても僕は不敬だなんて思わないってこと。アニーだって、もっと気軽に接してくれたらいいのに」

「な、何を…!」


がたん。

巨漢のアニーが動揺して身ゆるぎをする。すると、彼女の硬い爪先に水の入った桶が引っかかった。


「!」


そして宙を舞う。

今まさにひっくり返らんとする桶の口は、真っ直ぐミリアムの方へと向いていた。


「うわっ!」


ぱしゃんと、見事に頭の上から桶の中の水をひっかぶってしまったミリアム。

まだ使用前だったのが不幸中の幸いか。水は清潔なままだった。

とはいえ寝巻きとして使っていた薄手の服は肌にびっしょりと張り付いて、ミリアムの美しい体のラインを浮かび上がらせてしまっていた。


「も、申し訳ありま……!?」


失態である。今度は顔を真っ青にしたアニーだったが、しかしあっという間に元の桃色へ、通り越して赤へと至ることとなる。


「あはは、気にしないで。それより、何か拭くものを持ってきてくれたら嬉しいな」

「う…あ…」


透けている。

ミリアムの白い肌が。緩やかに膨らんだ尻が。そして胸の頂にある、ピンクの蕾が。


「ミ、ミリアムさま…むねっ、胸当てはいかがなさいました…」

「僕はついさっきまで寝ていたからね。それに…必要ないんじゃないかな。女性ならともかく、男が胸当てなんてさ。何のためにするのかもわからないし」

「今この瞬間のためにです! 透けてしまっております!」


思春期の乙女の絶叫であった。


「あはは。こんなもの、見たいならいくらでも見せてあげるよ」

「冗談でもそのようなことは仰らないで下さい!」


あまりにも明け透けな主に、アニーは純な反応で持って返す。

ミリアムはその様子に降参とばかりに肩をすくめ、忠実なるメイドの進言を渋々と受け入れた。


「わかったわかった。これも文化の一つとして受け入れることにするよ。奇妙だとは思うけど…」

「奇妙はこっちの台詞です。ミリアム様はもう少し一般常識をーー」


ーーお学び下さいませ。

危うくそう言いかけたところで、アニーは己の迂闊さを察して口を噤んだ。


「(昨日キャロル様に言われたではないの。そう、ミリアム様は…)」


頭に上っていた血が一瞬にして戻る。

アニーは一流メイドの立場に相応しい振る舞いを取り戻し、ミリアムに深々と頭を下げた。


「アニー?」

「……すぐに拭くものを持って参ります。お叱りはその後に」

「そんなことしないよ」

「いえ。不手際をしたのですから罰はお与え下さい。では」


整えられた金髪を翻して部屋からアニーが去っていく。と同時に、ミリアムは気疲れの溜息をひとつ吐いた。

あの金髪のメイドは良くミリアムを気遣ってくれるし、尽くしてくれる。しかしこと主の身形のこととなると、凄まじい剣幕で正すよう迫ってくるのだ。

まるで男性が女性に対してそうするように(紳士の場合である)アニーはミリアムの露出をふしだらであるとして忌避する。


「…………ふぅ」


だらしないのが嫌いなのだろう。

ミリアムはそう結論付け、今はそれ以上深く考えることなく納得した。


『ミリアム…』


背後から突然の声。

と同時に、さきほどまでミリアムの体をぐっしょりと濡らしていた水気が一瞬のうちに消し飛ばされていた。

驚いて振り向くと、そこにいたのは水色の髪の妖精リリーであった。

ふよふよと宙に漂いながら、ミリアムのことをジッと見つめている。


「リリー!」

『こんなときこそ…わたしの出番だよ…役立った…?』

「もちろん! ありがとう、リリーは凄いな。ドライヤー代わりにもなるんだから」

『どらい、やー…? 何かはわからないけど…ミリアムにはもう必要ないね…だってこれからは…ずっとわたしがついてるから…』

「あはは、頼もしいなぁ」

『えへへ…』


両頬を抑えて照れるリリー。

その姿に一頻り和んだのち、ミリアムは手早く朝の身仕度を済ませ、今度こそ階下へ向かおうと自室の扉を開けた。


「あっ…」

「えっ…?」


そこに、シメーヌがいた。


顔を真っ青にして、中腰のまま固まっている。その様子からミリアムの部屋の中を覗いていたであろうことは一目瞭然だった。


「あ、お、お許しを坊ちゃん! つい出来心で…!」


覗きがバレたことを理解したのだろう。シメーヌが這いつくばって許しを請うた。

そして、ここで焦ったのはミリアムも同じだった。


「坊ちゃーー」

「もう少しでアニーが…メイドが帰ってくる。場所を移そう」


そう言うと、ミリアムは小さく震えるシメーヌを伴って、村長宅の裏庭へと向かった。


その間、シメーヌといば気が気ではなかった。

シメーヌの行いは完全なる犯罪行為である。

貴人の、それも年若い男性の部屋を卑怯にも覗き見たのだ。

さらにミリアムは着替え中であった。つまり、卑しい身分の女に対して肌を晒してしまったということ。

貞操観念の強いこの国に置いて、これは口にするのも躊躇われるほどの恥辱であった。


覗き魔の処遇としては、温情がなければ不敬罪で死刑。


シメーヌの背筋に震えが走った。


「さて、ここ辺いいかな」


目の前でミリアムの足が止まる。

気がつけば、そこはすでにミリアムが指定した裏庭であった。


もう着いてしまった。

まだ何も言い訳を考えていない。

シメーヌは頭が真っ白になって、焦点すら定まらない有様となっていた。

しかしそんなシメーヌなど御構い無しに、断罪のときはやってくる。


目の前でミリアムがゆっくりと振り向き、そして口を開いた。


「見たね、シメーヌ」

「ち、ちがっ…! 違うんです! あの美人のメイドさんが大慌てで出てったから…! 何事かと思って…! 心配になって…!」

「見たね、と聞いたんだ。僕は」


何とか釈明を続けようとするシメーヌだったが、ミリアムは容赦なく同じ質問で問いただす。

これほどの美人による詰問。

それはいち村娘に過ぎないシメーヌにとって、大き過ぎるほどのプレッシャーであった。


しばらくしたのちに、観念したシメーヌはあっさりと自白した。


「……み、見ました。坊ちゃんの、着替えを…」

「? いや、そんなのはどうでもよろしい」

「!?」


シメーヌが驚愕に目を見開く。


「僕はこの子を、リリーを見たなと尋ねたんだ」

「リ、リリー? そういえば…妖精がいたような?」

『わたし…?』


何もない空間から声がする。

シメーヌが驚いて辺りを見渡すと、周囲の靄が固まるようにして水精リリーが姿を現した。


「うえっ…」


そして、その吐き気を催すほどの気持ち悪さに、シメーヌは思わず嗚咽を漏らした。


シャリエの人間にとって、妖精は別段珍しいものではない。

領地東を流れるセリーヌ川の上流には、毎年夏になると妖精たちが涼みにくる秘境があるのだが、ブス妖精たちがキャッキャウフフとはしゃぎ回る様相はまさに地獄絵図。

とてもこの世のものとは思えない、思いたくない、そんな光景を、シャリエの領民たちは毎年のように目撃しているのである。故にシメーヌは知っていた。妖精がどれだけ醜いのかを。

しかし、そのシメーヌを持ってしても、このリリーとかいう妖精は直視することすら難しい。それほどのブス妖精であった。


「ごめんリリー。僕の不注意で君のことがバレちゃったよ」

『気にしないで…ミリアム…』

「でも、契約のときに妖精の庇護者〜って言ってたよね。僕と君が一緒にいることを知られるのはマズイんじゃ…」

『ふふ…大丈夫だよ…ミリアムは心配性だね…』

「うーん、ならいいんだけど…」


その絶世のブス妖精が、絶世の美男子であるところのミリアムと親しげに会話を楽しんでいる。

それはシメーヌの理解の範疇を超える出来事であった。


「……坊ちゃん」

「あ、ごめん。放ったらかしにして」


気遣われた。


「覗きをしてしまって、すいません」

「あはは、だから構わないって」


あっさり許された。


「それより、何だか詰問するような真似をして…ごめん」

「…………」


それどころか謝られた。


わたしブスなのに。


「お詫びの印といってはなんだけど、僕ができることならーー」

「あっ、じゃあ! ぼ、坊ちゃん…!」

「何?」

「わ、私とお出かけしませんか!?」


一大決心の元で成された、一世一代の逢引の誘い。

ミリアムはそれをーー


「うん。僕も今日は暇だったんだ。お誘い嬉しいよ」


花の咲くような笑顔で了承した。


「は、はい!」


シメーヌに、春が来た。



▲▲▲▲▲



いま、村の中心を仲良く並んで歩く、二人の少年少女の姿がある。

少年の名をミリアム。つい先日公爵家の使いで来村した、黒髪黒目の美男子である。何でも将来のシャリエ領主と目される人物で、私生児なれど、その血筋は王家に連なるほど高貴なものなのだとか。

さらには十二歳という若さで属性魔法を操る才媛であり、その習得には十日も要さなかったとか。


対し、少女の名はシメーヌ。

この村の長の娘。

その外見は村一番とはいかないまでも、まごう事なきブス。特筆すべきところは無し。以上である。


容姿、家柄、能力、全てにおいて隔絶した差がある両者。

本来ならば、ああやって並びあって歩くだけでもおこがましい。そんな二人なのだが。


「へぇ、シメーヌって料理できるんだ」

「は、はい。女らしくないって思うかもしんないけど…」

「あはは、まさか。やっぱり料理がうまい奥さんっていうのは、男にとって魅力的だよ」

「そ、そんなこと初めて言われました…」


楽しくおしゃべりをしている。

あまりの出来事に、驚愕の面持ちのまま固まってしまうシャリエ領民。しかしその硬直も、シメーヌのさらなる不遜な行動により弾け飛ぶこととなる。


「ぼ、坊ちゃん…」


何と、あろうことかあのブス、自ら震える手を伸ばしてミリアムのそれを握ろうとしているのだ!


「「「(やめろ!)」」」


それを見咎めた全員が、声にならない声で静止を呼びかける。

不敬罪で罰せられるぞと。身の程を知れと。はたまたその方を汚すなと。


しかし、その想いは叶わない。


蛮勇を発揮した少女の手と少年の手が段々と接近していきーーいま、繋がった!

同時に沸き起こる押し殺したような悲鳴。今すぐ離せ、という声がその大半である。


しかし、ブスの革命は止まらない。


「シメーヌ、ほら」

「えっ…」


何と、ただ握られているだけだったミリアムの手が、シメーヌの手を握り返したではないか!


「嘘でしょ…」「あり得ない」「何のために…」


衆人にとってはただただ疑問である。

しかしそれも当然のこと。あんな美人が、己より全てにおいて劣った者に対し、あれだけ親しく接する。そんな光景を、人々はついぞ見たことがなかったのだから。


「何だか気恥ずかしいね」

「はい……みんな見てます」


「「「…………」」」


しばらくの間、セリーヌ川の方へと去っていく二人の後ろ姿を、領民たちはただ呆然と眺めることしかできなかった。

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