噂の令嬢
――社交界デビューから三日後。
私は、自室の机に突っ伏していた。
「……どうしてこうなったの!」
目の前には、手紙の山。
一通や二通ではない。
二十を悠に超えている。
舞踏会で挨拶を交わした令嬢からのお茶会への招待状。
一度も話した覚えのない侯爵夫人からの昼餐会への誘い。
遠縁を名乗る貴族からの手紙。
そして何より多いのが、――ハインリヒ公爵とのご関係について、ぜひ一度お話を。
「……社交界って怖い」
イヴァン・ハインリヒに求婚されただけで、私は今や「今季もっとも注目されている令嬢」の一人になってしまったらしい。
もちろんーー求婚は、ハッキリ、キッパリと断った。
それなのに、そんな部分は都合よく無視され、《冷酷公爵が一目惚れした男爵令嬢》《公爵夫人候補現る》などという話だけが、一人歩きしているのだ。
「……公爵夫人になる予定なんて一切ないんですけど」
呟きながら、一番上にあった手紙を裏返す。
また招待状。
その下に、さらに招待状。
さらにその下――そこで、手が止まった。
見覚えのある紋章だ。
「……」
見なかったことにしたいけれど、見なかったことにしても消えてはくれない。
私はしばらく封筒と睨み合ったあと、観念して封を切った。
中に入っていたのは、意外なほど簡素な便箋だった。
ただ一行。
《明日の午後、会いに行ってもいいか?ーーイヴァン》
「……」
私はペンを取った。
《お断りします》
そこまで書いて止まる。
少し考えてから、下へ文を付け加えた。
《明日は予定がありますので、またの機会に》
嘘ではない。
明日はアメリアと街へ出る約束をしている。
舞踏会でまともに話せなかったから、昼食でも食べようと言われていたのだ。
これなら角も立たないだろう。
封をして、侍女へ渡す。
「こちらをハインリヒ公爵邸へお願い」
「かしこまりました」
(これでよし!)
私は再び手紙の山へ向き直った。
イヴァンのことは、とりあえず置いておく。
それよりも、考えなければならないことがあった。
ーー原作のことだ。
あの夜から、ずっと考えている。
原作では、イヴァンが執着する相手はセシリアだった。
それが変わっている。
けれど、その他の出来事は大きく変わっていないようだった。
王太子アレクシスとセシリアの関係、エレノアの嫉妬、そしてーーこの先に起こる事件。
これからも原作通りなのだろうか。
それともーーイヴァン一人の感情が変わったことで、少しずつ、他のところまで崩れていくのだろうか。
考えても答えは出ないので、私は一つだけ決めた。
しばらく、原作の主要人物とは距離を取る。
特にーーイヴァンとは。
***
そう決めた――翌日。
「リゼ、こっちよ!」
ーー王都の中央通り。
待ち合わせ場所の時計塔の下で、アメリアが大きく手を振っていた。
「ごめんなさい。待った?」
「全然。それより聞きたいことが山ほどあるんだけど!」
開口一番それだった。
「話しません」
「まだ何も言ってないでしょう!」
「どうせ、イヴァン様のことでしょう?」
「当たり前じゃない!」
アメリアが私の腕へ絡みつく。
「あなた、あのハインリヒ公爵に求婚されたのよ!?三日経っても信じられないわ!」
「私は三日間忘れようとしていましたけど?」
「無理よ。だって、王都中が知ってるんだもの」
「最悪だわ……」
私たちは二人で歩き出す。
久しぶりに普通の時間だった。
貴族の令嬢同士とはいえ、今日は夜会ではない。
ドレスも簡素なもので、護衛と侍女は少し離れてついてきている。
街には焼き菓子の匂いが漂い、通りには買い物客の声が溢れている。
ーーこういうのでいい。
私は、こういう平和な生活が欲しかったのだ。
「それで?」
アメリアが横から顔を覗き込む。
「何が?」
「公爵とは、その後どうなったの?」
「何も!」
「手紙くらい来たでしょう?」
「来たけど断ったわ」
「ええ!?」
大声を出され、通行人が振り返る。
「声が大きい!」
「だって!ハインリヒ公爵からの誘いを断る令嬢なんて、この国にあなたくらいよ!」
(だから目を付けられたのかもしれないわね……)
私は嫌な事実に気づいてしまった。
「でも、本当にいいの?」
アメリアが急に真面目な顔になる。
「何が?」
「公爵のこと」
「……」
「怖い噂もある方だけど、あなたと話している時は……なんというか、全然違ったから」
私は何も答えなかった。
「……今は、何とも言えないわ」
正直に答えた。
「ふうん」
アメリアがにやりとする。
「嫌い、とは言わないのね」
「……帰るわよ?」
「ごめんなさい!」
そんな話をしながら歩いていた時だった。
前方が妙に騒がしい。
「何かしら?」
アメリアも気づいたらしい。
見ると人だかりができていて、その中心から、男の怒鳴り声が聞こえた。
「だから違うと言っているだろう!」
続いて、何かが割れる音がする。
私とアメリアは足を止めた。
護衛たちがすぐ前へ出る。
「お嬢様方、少々お下がりください」
人垣の隙間から、一瞬だけ中が見えた。
地面に倒れた男。
割れた木箱。
そしてーーその中から転がり出たもの。
それは、白い布で包まれた小さな銀色の箱。
「……嘘でしょ」
咄嗟に声が漏れた。
それは、原作のもっと先で登場するはずのものだった。
聖女セシリアの力を増幅する古代聖具ーー《月の聖櫃》。
ーーそして。
これが王都へ現れるのは、まだ半年以上先のはずだった。
「リゼ?」
アメリアが私を見る。
その時、人垣の向こうから鋭い声が飛んだ。
「聖騎士団だ!道を開けろ!」
人々が左右へ割れ、その向こうから、黒い騎士服の男が歩いてくる。
そしてーーこちらを見つけた瞬間、赤い瞳がはっきりと見開かれた。
「……リゼ?」
私は心の底から思った。
(どうして断った翌日に会うのよ!!)




