5話 浄化の前夜
地下水道のさらに奥。かつて貯水槽として使われていた広大な空間を、私たちは臨時のアジトにしていた。
その中央にある、太い鉄格子で作られた檻の中。
極太のチェーンで何重にも拘束され、さらに私の「能力」で関節部を絶妙に錆びつかされた聖騎士が一人、床に転がされていた。
下半身をプレス機(隔壁)で潰された後、這々の体でここまで引きずってきたというのに、この男には悲壮感が欠片もない。
「あーあ、暇だなぁ。ねえ、そこの紫のお兄さん。トランプとかないの? ババ抜きしようぜ」
ザントだ。
檻の中でゴロゴロと寝転がりながら、彼は大きな欠伸をした。
「……テメェ、今の自分の立場分かってんのか?」
リドが苛立ちを隠さずにドスを利かせる。
だが、ザントはケラケラと笑うだけだった。
「分かってるって。捕虜だろ? で、拷問すんの? 俺、痛みには鈍感だけど、くすぐられるのは弱いんだよねぇ。……てかここ、Wi-Fi飛んでねぇの? ルームサービスは?」
「黙れ鉄クズ。次にふざけた口を利いたら、その赤い目玉もくり抜くぞ」
「おー怖っ」
ザントは首をガシャリと傾け、赤いカメラアイを明滅させた。
こいつ、底が知れない。狂っているのか、それとも本当に死ぬことなど何とも思っていないのか。
「……おい、鉄クズ」
私は鉄格子の前に立ち、冷たく見下ろした。
「貴様、私のことを『堕ちた天使』と呼んだな。……何を知っている」
ザントの赤い瞳が、ギョロリと私を捉えた。
「何って、そのままの意味だよ。空から落ちてきた、羽をもがれた元天使様。……そして、『豊穣』の権力者」
「豊穣……権力者、だと?」
「自覚なしかよ。ウケる」
ザントは呆れたように肩をすくめた(金属音が鳴った)。
「いいか? この世界には、神様が気まぐれでバラ撒いた『神の権力』ってのがある。正義、創造、知恵、戦争、破壊、慈愛、自由……そして『豊穣』だ」
彼は拘束された指先を器用に動かし、空中に図を描くような仕草をした。
「権力ってのは、神様の『愛』の証だ。愛されてる奴ほど、広い範囲に力が宿る。全身に宿るような『寵愛者』は、神そのものを召喚できたりするらしいぜ? ……で、お前だ。天使ちゃん」
「……」
「お前の力、どこから出る? 見たところ……右手の小指の、さらに先っぽだけだろ?」
図星だった。
私は反射的に右手を隠そうとした。
「プッ、あはははは! やっぱそうだ! 傑作だなぁオイ!」
ザントは腹を抱えて(鎖がジャラジャラと鳴る)爆笑した。
「小指の先だけ! 豆粒みてぇな範囲! それ、神様に愛されてるどころか、とっっっても嫌われてるぜ! 『お前ごときにやる力はこれくらいで十分だ』っていう、神様のイジメだよ!」
「……ッ、貴様!」
「怒んなって。事実だろ? 『豊穣』なんて大層な名前ついてるけど、お前の出力じゃ、せいぜいカビを生やすか、サビを落とすのが関の山だ。……哀れだねぇ、元天使様?」
殺意が湧いた。
今すぐこいつの脳天を腐らせてやりたい。
だが、それ以上に――酷く納得してしまった自分がいた。
ソロモン。
あの傲慢な神は、私から翼を奪っただけでは飽き足らず、こんな中途半端な力を押し付けて、地上で無様に這いつくばる私を見て笑っているのか。
「……クソが」
私は苛立ち任せに鉄格子を蹴りつけた。
「……で? エノクとやらが支配する正義の国に、私を突き出すつもりだったのか」
「まあね。権力者は管理対象だから。……でも、もうどうでもよくなってきたな」
ザントは寝転がったまま、天井を見上げた。
「俺を作った奴らなんて、ただのムカつく製作者だし。親心も忠誠心もマジでねぇからさ。真面目に働くのが馬鹿らしくなってきた」
そのドライすぎる言葉に、リドが怪訝な顔をした。
「お前、聖騎士の隊長だろ? 国を裏切る気か?」
「俺は面白い方に付くだけさ」
* * *
「お兄さん、お腹空いてない?」
不意に、鉄格子の前にマリィがしゃがみ込んだ。
彼女はニコニコと笑いながら、私たちがさっきまで食べていた焼肉の残りを、鉄格子の隙間から差し入れた。
無邪気で、慈愛に満ちた微笑み。
「……なんだ、ガキ。餌付けか?」
「体、痛くないの? 半分ペチャンコだったよ?」
「あー……まあ、俺サイボーグだからな。予備パーツさえありゃ治るし」
「そっかぁ。すごいね、お人形みたい!」
お人形。
その言葉を聞いた瞬間。
「…………」
ザントのカメラアイが、ジジッと音を立てて収縮した。
彼の高性能なセンサーが、目の前の少女から奇妙な「ノイズ」を拾ったのだ。
彼女の目は笑っている。
だが、その瞳の奥は、壊れた玩具の中身を確かめる時のような、無機質で空虚な光を宿していた。
「マリィね、壊れないお人形が欲しかったの」
彼女は小さな手で、鉄格子を掴んだ。
ギリッ……。硬い鉄が、少女の握力だけで僅かに悲鳴を上げたのを、私とザントは見逃さなかった。
「お兄さんなら、いっぱい遊べるかな?」
「……ハッ」
ザントは頬を引きつらせ、乾いた笑いを漏らした。
なんだ、このガキ。アザゼルなんかより、よっぽどヤバい匂いがプンプンしやがる。
「……へぇ。面白ぇじゃん」
ザントは身を起こし、鉄格子の向こうの少女と視線を合わせた。
「いいぜ、嬢ちゃん。……俺と『お友達』になってくれるなら、この国のこと、もっと教えてやってもいいぜ?」
「ほんと!? やったー!」
マリィは花が咲いたように笑った。
檻の中のジョーカーと、無邪気な少女。最悪の二人が、鉄格子越しに秘密の同盟を結んだ。
* * *
「……あー、クソッ。計算が合わねぇ」
部屋の隅で、リドが頭を抱えていた。ド・ガンから得た銀貨を並べ、何度も数え直している。
「どうした、盗賊。金ならあるだろう」
「お前の角砂糖代と、この鉄クズのオイル代で飛ぶように消えてくんだよ! このままじゃ数日でまた泥スープ生活に逆戻りだぞ」
「なっ……私をあの泥水に戻す気か!?」
私が抗議すると、リドは忌々しげに舌打ちをして、天井――遥か上層の『王都』がある方角を睨みつけた。
「……こうなったら、上に行くしかねぇな」
「上? 王都へ行くというのか?」
「ああ。あそこの金持ちの貴族が住むキラキラの楽園なら、金目のものなんていくらでも転がってる。一発デカい山を当てれば、泥スープとはおさらばだ」
リドが、盗賊としての悪い顔で笑う。
しかし、マリィが不安そうにリドの服の裾を引っ張った。
「でも……王都なんかに、裏都市のマリィたちが行ったら……真っ白の怖い騎士さんたちに見つかって、捕まっちゃうよ?」
「普通に行けばな」
リドはキセルの煙を細く吐き出し、檻の中でゴロゴロしているザントへと冷たい視線を向けた。
「マリィ。俺たちは今、何を持ってる? 何のために、わざわざ聖騎士団の『隊長さん』を殺さずに生かしておいたと思ってるんだ?」
その言葉に、ザントの動きがピタリと止まる。
リドは鉄格子に近づき、ザントを見下ろして冷酷に笑った。
「おい、鉄クズ。お前の口添えがあれば、裏都市のネズミが王都に潜り込むことくらい造作もねぇよな?」
「……おっとぉ? まさか俺を『VIPパス』代わりに使う気? 人使い荒すぎない?」
「案内するなら、ちょっとは待遇を良くしてやる。だが……もし断ったり、上で妙な真似をしようとしたりすれば……お前の中身、全部解体してド・ガンに売り飛ばすぞ。分かってんだろ?」
リドのドス黒い殺気に、ザントは「ひゅー、おっかないねぇ」とおどけたように両手を上げた。
「オーケイ、オーケイ。どうせ暇してたし、案内くらいしてやるよ。警備の穴も、巡回ルートも全部頭に入ってるからな」
「……そういうことだ、アザゼル。お前はどうする? 嫌ならここで留守番しててもいいが」
「行くに決まっているだろう」
私は即答した。王都に行けば、あの忌々しいソロモンのいる天界への糸口が見つかるかもしれない。
「勘違いするなよ! 私は天界へ帰るための情報収集に行くのだ! ついでに敵の資金を奪い、現地の甘味……いや、食糧事情を視察するだけだ!」
「はいはい。角砂糖もついでにパクってきてやるよ」
「よーし、決まりだな。じゃあ、まずはこの鎖を外してくんね?」
ザントが両手を突き出す。
私はマリィを見た。
「マリィ。この『お人形』のリードを持て」
「はーい! ピクニックだね!」
マリィは嬉しそうに、ザントの首輪に繋がれた鎖を握りしめた。
そして、その愛らしい瞳でザントを見上げ、ニコリと笑った。
「お兄さん、逃げちゃダメだよ? 逃げたら……足、ちょん切っちゃうからね?」
無邪気な声。
ザントの表情が一瞬だけ引きつった。
「……へいへい。おっかないご主人様だこと」
金目のものと、山盛りの角砂糖。そして天界への糸口。
私たちはそんな単純な理由で、鎖に繋がれた音速の騎士を引き連れ、光り輝く楽園――ドロステ王都へと向かうのだった。




