3話 聖騎士団第4番隊隊長、強襲
「気をつけろよ。……上から、『白い悪魔』が降りてきたって噂だ」
情報屋の男は、怯えたように声を潜めた。
「悪魔? 聖騎士団がこんなスラムに何の用だ」
「分からねぇ。だが、そいつは音速で移動して……『堕ちた天使』を探してるらしい」
私の心臓が、冷たく跳ねた。
堕ちた天使。
それは間違いなく私のことだ。ソロモンの追手か、それともこの国の女王とやらが私の存在に気づいたのか。
どちらにせよ、見つかればただでは済まない。
「見つかった奴はみんな、ミンチにされてるってよ。じゃあな、俺はもう逃げるぜ」
情報屋は足早に路地裏の闇へと消えていった。
残された私たちは、重苦しい沈黙に包まれた。
「……おい、アザゼル」
リドがキセルの煙を細く吐き出しながら、私を流し見た。
「お前のことじゃないだろうな?」
「……知らん。私のような高貴な存在を探し求める者は、地上にも数多くいるというだけだ」
私は強がり、ボロ布のフードを深く被り直した。
手が微かに震えているのを、悟られないように。
「ふん。まぁいい。とりあえず、今日はもう稼いだんだ。さっさとアジトに帰って焼肉にするぞ。マリィ、行くぞ」
「わーい! お肉お肉ー!」
マリィが私の手を引っ張る。
私たちは警戒しながら路地を抜け、下水道の奥にある薄暗い廃墟――臨時のアジトへと戻ってきた。
* * *
アジトの扉代わりの木の板を閉めると、ようやく息がつける気がした。
リドは早速、部屋の中央にあるドラム缶の切れ端で火を起こし、買ってきた安い肉を網の上に並べ始めた。
ジューッという音と共に、脂の焦げる暴力的な匂いが部屋に充満する。
「うわぁぁ! いい匂い!」
マリィが目を輝かせて火を囲む。
「ほら、焦げる前に食え。天使様も、いつまでも隅っこで突っ立ってねぇでこっち来い」
「……何度も言うが、私は肉などという下等な食べ物に興味は……」
言いかけて、私のお腹が『きゅるる……』と情けない音を立てた。
リドがニヤリと笑う。
「はいはい、素直になれよ。ほら、お前の分だ」
差し出された小汚い皿には、こんがりと焼けた肉が乗っていた。
私は無言でそれを受け取り、フォークを突き刺して口に運ぶ。
「……ん」
美味い。
泥スープに大量の角砂糖を入れた時とは違う、本能に直接訴えかけてくる旨味。
天界の果実などよりも、よほど「生きている」という実感が湧いてくる。
だが――。
「……少し、足りないな」
私はボソッと呟き、おもむろにボロ布のポケットから「小さな瓶」を取り出した。
コトリ、と机に置かれたそれを見て、リドが怪訝な顔をする。
「おい、なんだそれ。どこから持ってきた」
「言っただろう。疲労回復には糖分が必要不可欠だと。アジトを出る前に、少し失敬した」
私は涼しい顔で答えながら、瓶の蓋を開けた。中に入っているのは、白く美しい結晶――貴重な角砂糖だ。
私はフォークの先で角砂糖を器用に一つ突き刺すと、自分の手元にある「焼肉のタレ」が注がれた小皿の中に、ポチャリと落とした。
「あ」
リドが声を上げる。
私は気にせず、フォークの背でタレの中の角砂糖をゴリゴリとすり潰し始めた。醤油ベースの塩辛いタレに、暴力的な甘さが溶け込んでいく。
「……まあ、甘めのタレが好きな奴もいるからな。限度はあると思うが」
リドがこめかみを押さえながら、自分を納得させるように呟く。
だが、私の調理工程はここからが本番だった。
私は網の上で一番脂が乗り、こんがりと焼けた大ぶりの肉を拾い上げた。それを自分の皿に広げると、再び瓶へと手を伸ばす。
コロン、コロン。
熱々の肉のど真ん中に、角砂糖を「二個」、綺麗に並べて置いた。
「…………は?」
リドから、間抜けな音が漏れた。
私はその声など聞こえていないかのように、真剣な手つきで肉の両端を折りたたみ、角砂糖をすっぽりと包み込んだ。熱を帯びた肉汁に触れ、内側に閉じ込められた角砂糖が微かに溶け出すのを指先で感じる。
完璧だ。
私はその「角砂糖の肉巻き」を、先ほど錬成した激甘タレにたっぷりと浸し、大きく口を開けて一気に放り込んだ。
――シャリッ、ジュワァァァ……。
咀嚼した瞬間。
溶けきっていない角砂糖の心地よい歯触りと共に、強烈な砂糖の甘みが弾け飛ぶ。そこに肉の濃厚な脂と、タレの塩分が混ざり合い、未体験の化学反応が口の中で爆発した。
「……っ!」
私は目を閉じ、クールな表情を保とうと必死に努めたが、口元がだらしなく緩んでいくのを止めることができなかった。美味すぎる。天界の神々ですら、この悪魔的な味覚にはひれ伏すだろう。
「…………」
「…………」
ふと目を開けると、異常な静寂がアジトを包んでいた。
リドは手に持ったトングを落とし、幽霊でも見たかのような顔で固まっている。
いつもはニコニコしているマリィでさえ、信じられないものを見るような、完全に引いた真顔で私を見つめていた。
文字通り、「????????」という感情が、二人の頭上に浮かんで見えるようだ。
「……なんだ?」
私は口の中にシャリシャリとした食感を残したまま、首を傾げた。
「なんだ、じゃねぇよ!!」
リドが勢いよく立ち上がり、机をバンッと叩いた。
「お前、今何食った!? 肉で角砂糖巻いて食ったよな!? 味覚どうなってんだよ、脳みそにウジでも湧いてんのか!?」
「失礼な。私が何をどう食そうと、私の自由だろう。……この高次元の味覚の調和が理解できないとは、やはり人間は哀れだな」
私はツンと顎をそらし、もう一個の肉で角砂糖を巻き始めた。
「ねえ、お姉ちゃん……」
その時、マリィがおずおずと身を乗り出してきた。
彼女は私の手元で作られている狂気の食べ物を、少しだけ興味深そうに見つめている。
「それ、美味しいの? マリィもやってみていい……?」
「やめろマリィ! 味覚がぶっ壊れるぞ!」
リドが冷静かつ切羽詰まった声で制止する。
「なんでだ。未知の探求を止める権利はお前にはないぞ、リド」
私はマリィに体を向け、無駄に真面目なトーンで語り始めた。
「いいか、マリィ。コツは肉の温度だ。焼き立ての熱い肉で巻くことで、中の角砂糖の表面だけが微かにカラメル状に溶け出す。口に入れた瞬間の『シャリッ』とした食感と、後から溢れる肉汁の塩気が、互いを究極に高め合うのだ。タレは多めにつけた方が……」
「教える程のものじゃない!! ただの砂糖の塊だろうが!」
リドの怒号が響き渡る中、私は平然と二つ目の「角砂糖の肉巻き」を口に運び、至福の吐息を漏らしたのだった。
「……ん」
美味い。
泥スープに大量の角砂糖を入れた時とは違う、本能に直接訴えかけてくる旨味。
天界の果実などよりも、よほど「生きている」という実感が湧いてくる。
だが――。
「……少し、足りないな」
私はボソッと呟き、おもむろにボロ布のポケットから「小さな瓶」を取り出した。
コトリ、と机に置かれたそれを見て、リドが怪訝な顔をする。
「おい、なんだそれ。どこから持ってきた」
「言っただろう。疲労回復には糖分が必要不可欠だと。アジトを出る前に、少し失敬した」
私は涼しい顔で答えながら、瓶の蓋を開けた。中に入っているのは、白く美しい結晶――貴重な角砂糖だ。
私はフォークの先で角砂糖を器用に一つ突き刺すと、自分の手元にある「焼肉のタレ」が注がれた小皿の中に、ポチャリと落とした。
「あ」
リドが声を上げる。
私は気にせず、フォークの背でタレの中の角砂糖をゴリゴリとすり潰し始めた。醤油ベースの塩辛いタレに、暴力的な甘さが溶け込んでいく。
「……まあ、甘めのタレが好きな奴もいるからな。限度はあると思うが」
リドがこめかみを押さえながら、自分を納得させるように呟く。
だが、私の調理工程はここからが本番だった。
私は網の上で一番脂が乗り、こんがりと焼けた大ぶりの肉を拾い上げた。それを自分の皿に広げると、再び瓶へと手を伸ばす。
コロン、コロン。
熱々の肉のど真ん中に、角砂糖を「二個」、綺麗に並べて置いた。
「…………は?」
リドから、間抜けな音が漏れた。
私はその声など聞こえていないかのように、真剣な手つきで肉の両端を折りたたみ、角砂糖をすっぽりと包み込んだ。熱を帯びた肉汁に触れ、内側に閉じ込められた角砂糖が微かに溶け出すのを指先で感じる。
完璧だ。
私はその「角砂糖の肉巻き」を、先ほど錬成した激甘タレにたっぷりと浸し、大きく口を開けて一気に放り込んだ。
――シャリッ、ジュワァァァ……。
咀嚼した瞬間。
溶けきっていない角砂糖の心地よい歯触りと共に、強烈な砂糖の甘みが弾け飛ぶ。そこに肉の濃厚な脂と、タレの塩分が混ざり合い、未体験の化学反応が口の中で爆発した。
「……っ!」
私は目を閉じ、クールな表情を保とうと必死に努めたが、口元がだらしなく緩んでいくのを止めることができなかった。美味すぎる。天界の神々ですら、この悪魔的な味覚にはひれ伏すだろう。
「…………」
「…………」
ふと目を開けると、異常な静寂がアジトを包んでいた。
リドは手に持ったトングを落とし、幽霊でも見たかのような顔で固まっている。
いつもはニコニコしているマリィでさえ、信じられないものを見るような、完全に引いた真顔で私を見つめていた。
文字通り、「????????」という感情が、二人の頭上に浮かんで見えるようだ。
「……なんだ?」
私は口の中にシャリシャリとした食感を残したまま、首を傾げた。
「なんだ、じゃねぇよ!!」
リドが勢いよく立ち上がり、机をバンッと叩いた。
「お前、今何食った!? 肉で角砂糖巻いて食ったよな!? 味覚どうなってんだよ、脳みそにウジでも湧いてんのか!?」
「失礼な。私が何をどう食そうと、私の自由だろう。……この高次元の味覚の調和が理解できないとは、やはり人間は哀れだな」
私はツンと顎をそらし、もう一個の肉で角砂糖を巻き始めた。
「ねえ、お姉ちゃん……」
その時、マリィがおずおずと身を乗り出してきた。
彼女は私の手元で作られている狂気の食べ物を、少しだけ興味深そうに見つめている。
「それ、美味しいの? マリィもやってみていい……?」
「やめろマリィ! 味覚がぶっ壊れるぞ!」
リドが冷静かつ切羽詰まった声で制止する。
「なんでだ。未知の探求を止める権利はお前にはないぞ、リド」
私はマリィに体を向け、無駄に真面目なトーンで語り始めた。
「いいか、マリィ。コツは肉の温度だ。焼き立ての熱い肉で巻くことで、中の角砂糖の表面だけが微かにカラメル状に溶け出す。口に入れた瞬間の『シャリッ』とした食感と、後から溢れる肉汁の塩気が、互いを究極に高め合うのだ。タレは多めにつけた方が……」
「教える程のものじゃない!! ただの砂糖の塊だろうが!」
リドの怒号が響き渡る中、私は平然と二つ目の「角砂糖の肉巻き」を口に運び、至福の吐息を漏らしたのだった。
「はぁ……で、マリィはもうお代わりか?」
「うん! マリィ、まだまだ食べられるよ!」
他愛のない、貧しくも温かい会話。
この泥にまみれた街にも、こんな時間が存在することに、私は少しだけ安堵を覚えていた。
だからこそ、気づけなかったのだ。
「あ、俺はよく焼きでお願いしまーす」
ごく自然に。
まるで最初からそこにいて、一緒に食卓を囲んでいたかのように。
背後から、底抜けに明るい男の声がした。
「おう、よく焼きだな。……って、ん?」
肉をひっくり返していたリドの手が、ピタリと止まる。
マリィがきょとんとして、声のした方向を見た。
私も、口に肉を含んだまま、ゆっくりと振り返った。
壊れたスプリングの飛び出したソファ。
私がいつも座るのを嫌がっていたその場所に、見知らぬ男が深く腰掛けていた。
「いやー、外歩き回ってて腹減っちゃってさ。いい匂いするから寄っちゃった。焼肉とかサイコーじゃん」
男はニカッと笑い、勝手に戸棚から出したマグカップに水を注いで飲んでいる。
白銀に、黒と金のメッシュが入った派手な長髪。
この泥だらけの街には似つかわしくない、純白のコート。
だが、その着こなしは酷く乱れており、はだけた胸元からは、無機質な金属の装甲板が剥き出しになっていた。
そして、何よりも異様だったのは。
彼の左顔面――皮膚が焼け落ちたかのように剥き出しになった機械の骨格と、血のように赤く明滅する『カメラアイ』だった。
「…………」
静寂。
肉が焦げる音だけが、やけに大きく響く。
「……えっと」
リドが、引きつった笑いを浮かべた。
「誰、お前?」
「俺?」
男はマグカップを置き、人懐っこい笑顔で自己紹介をした。
「俺はザント。聖騎士団第4番隊の隊長で、お前らが噂してた『白い悪魔』ってやつ? まあ、悪魔ってのは失礼だと思うけどね。俺、アイドル的なポジションだし」
ザント。聖騎士団。
その単語が出た瞬間、リドの顔から血の気が引いた。
「いつから……」
「ん? お前らがドア開けて入ってきた時から一緒に入ったよ? 気づかなかった? 俺、足音消すの得意なんだよねぇ。サイボーグだから」
ザントは自分の金属の足をコンコンと叩いた。
嘘だ。
一緒に扉を潜っただと? そんなはずはない。私はずっと警戒していたのだ。
だというのに、今の今まで、気配すら感じさせなかったというのか。
「さて、と」
ザントがゆっくりと立ち上がる。
その瞬間、彼の身体の隙間――首筋や脚部の排気口から、『プシュゥゥゥ……』と青白い蒸気が噴き出した。
部屋の温度が、一気に数度跳ね上がる。
「飯のお誘いはありがたいんだけどさ。仕事、仕事。……エノク様がご立腹なんだよね。『不純物』が紛れ込んでるって」
ザントの赤いカメラアイが、ギョロリと私を捉えた。
「見ぃつけたぜ。……堕ちた天使ちゃん」
殺気はない。
敵意すらない。
ただ、圧倒的な「死」の気配だけが、男の笑顔に張り付いていた。
「……リド、マリィ」
私は手に持っていた皿を落とし、右手の小指をザントに向けた。
「逃げろッ!!」
私の叫びと同時。
ザントの姿が、音を置き去りにしてブレた。




