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13話 解体室の不協和音

 重厚な鉄扉が、音もなく開く。

 鼻を突いたのは「死」の匂いではなかった。

 それは、薬品と錆、そして煮詰まった果実のような甘ったるい血の腐臭。

 王城の地下深くに隠された『忘れられた区画』は、冷え切った冷気の中に、生暖かい湿気が混じる異様な空間だった。

「......」

 リドが思わず鼻を覆おうとして、手を止める。

 ここで動揺を見せれば、怪しまれる。

 アザゼルも眉をひそめたまま、息を殺して足を踏み入れた。

 広い石造りの部屋には、無数のガラス管や解剖台が並んでいた。

 ガラス管の中には、緑色の溶液に浸された「何か」が浮いている。人間の腕、肥大化した心臓、あるいは眼球だけが葡萄の房のように繋がった肉塊。

 恐る恐る、足音を殺して奥へ進む。

 誰もいないのか?

 いや、部屋の中央に人影があった。

 薄汚れた白衣を血で濡らし、背を丸めて解剖台に向かっている男。

 彼は何かを口ずさみながら、手にした器具で台の上の物体を「加工」していた。

 ギギギ、ガガガ......ブチッ。

 骨を削り、筋繊維を引きちぎる湿った音が、静かな地下室に反響する。

 アザゼルたちが息を呑んだ、その瞬間。

「......誰だい?」

 男の手が止まった。

 振り返りざま、凄まじい殺気が放たれる。

 

 ボサボサの黒髪の隙間から、焦点の合わない三白眼がアザゼルたちを射抜く。

 その手には、血まみれの電動メスが握られていた。

「ここは許可なき者の立ち入り禁止区域だ。......私の演奏を邪魔するなら、君たちも素材にするよ?」

 シグラの声は、黒板を爪で引っ掻いたように神経を逆撫でする。

 明確な「死」の予感。

 アザゼルは瞬時に硬直し、リドも喉が張り付いて声が出ない。

 マズい。殺される――そう思った刹那。

「遅くなり申し訳ありません、3番隊隊長、シグラ隊長」

その声を聞いてリドは声を漏らした

『3番隊隊長...!?』

『シッ....』

 野太く、しわがれた声が響いた。

 声の主は、最後尾にいたザントだった。

 彼は分厚い布の下で、自身の発声デバイスを調整し、全く別人のような声を出しながら深々と頭を下げた。

「本部より派遣された、“特殊廃棄物処理班”です。実験の失敗作(ゴミ)回収の命令を受け、参りました」

 ザントの口調は、完全に下っ端の業者のそれだった。

 怯えたように震える演技まで加えている。

 シグラは血走った目でザントを見つめ――数秒の沈黙の後、興味なさげに視線を逸らした。

「......ああ、清掃業者(スカベンジャー)か。遅いよ、腐るじゃないか」

 通じた。

 シグラにとって、目の前の人間など、解剖台の上の肉塊と同じ「物体」でしかないのだ。顔や声を覚える価値すらない。

 それに、「特殊廃棄物処理班」という名称は、聖騎士団内部で使われる正式な隠語だ。それを知っているザントだからこそ通じた嘘だった。

「ほら、そこに積んである『失敗作』だ。さっさと持って行け」

 シグラが顎でしゃくった先には、部屋の隅に乱雑に積み上げられた死体の山があった。

 その中には、裏都市で見かけた顔もあった。体の一部が機械や獣の肉と縫い合わされ、恐怖の表情を浮かべたまま事切れている。

(......外道が)

 アザゼルは奥歯が砕けるほど噛み締めた。

 これが、王国の正義か。

 これが、光の下で行われている所業か。

 だが、今は耐えるしかない。

 アザゼルとリドは無言で死体の山へ近づき、台車へと積むふりをする。

 ザントも無言で続くが、その機械の拳は布の下で硬く握りしめられていた。

 その時だった。

 台車の下の空洞――マリィが隠されている場所から、小さな音が漏れた。

「......ぅ......」

 それは、極限の恐怖に耐えきれず、漏れ出してしまった悲鳴の欠片。

 死体の山と、充満する血の臭い。目覚めたばかりの幼い少女が耐えられる光景ではなかった。

 ピタリ。

 解剖台に向かっていたシグラの手が止まった。

「......おや? 今、ノイズが聞こえたね」

 シグラがゆっくりと振り返る。

 その手には、メスではなく、巨大なスパナのような工具が握られていた。

「ゴミの中から......『生きた音』がした」

 シグラがニタニタと笑いながら、アザゼルたちに近づいてくる。

「ねえ、君たち。......ゴミの中に、まだ“使える素材”を隠していないかい?」

 殺気が膨れ上がる。

 アザゼルは判断した。もう、誤魔化せない。

「......ザント!!」

 アザゼルの叫びと同時に、ザントが偽装用の布を脱ぎ捨てた。

 青白いスパークと共に、機械の右腕が唸りを上げる。

「バレちゃあ仕方ねえ! 久しぶりだなシグラァ!!」

 ザントの拳が、シグラの顔面へと叩き込まれる――はずだった。

 ギィィィィン!!

 金属音が火花を散らす。

 ザントの拳を受け止めたのは、シグラが背負っていた奇怪な楽器――『ハーディ・ガーディ』の側面だった。

 シグラは細身に見えて、その体幹は岩のように微動だにしない。

「おや、おや......第4番隊の“脱走品”じゃないか」

 シグラは嬉しそうに目を細めた。

 そして、楽器の側面にあるハンドルを、猛烈な勢いで回し始めた。

「君も戻ってきたのかい? 私の実験台に!」

 ブォォォォォン!!

 ハーディ・ガーディの回転ノコギリが高速回転を始め、不快な駆動音と、弦が擦れる不協和音を奏でる。

「開演だ! 死肉のロンド!!」

 シグラが巨大な楽器を軽々と振り回した。

 回転するノコギリが空気を裂き、ザントを襲う。

「チッ、相変わらずクソみてぇな音だ!」

 ザントはバックステップで躱すが、追撃の速さが異常だった。

 シグラは権力を持たない。だが、その肉体は薬物と外科手術によって極限まで強化されている。関節の可動域、筋肉の収縮速度、すべてが人間の規格外だ。

「アブ! こいつは“痛み”を感じねえ! 骨を折ろうが止まらねえぞ!」

 リドがナイフを投擲し、援護に入る。

 だがシグラは避けることすらせず、ナイフを腕に突き刺したまま笑った。

「痛覚? そんな不純物はとっくに切除したよ! 素晴らしいだろう!」

 シグラがハンドルをさらに回すと、楽器の側面から毒々しい紫色のガスが噴出した。

「ゲホッ......! 毒ガスか!?」

 リドが口元を抑えて後退する。

 狭い地下室にガスが充満し、視界と呼吸を奪っていく。

「素晴らしい......苦悶の声、窒息の旋律! 君たちの悲鳴で、この曲は完成する!」

 シグラは狂った指揮者のようにノコギリを振り回し、3人を追い詰めていく。

 台車の中のマリィを守りながらでは、逃げることすらままならない。

「くそっ......!」

 アザゼルは右小指を構えた。

 光弾を撃つか? だが、このガスの中で正確に狙えるか? それに、シグラの改造された肉体に、微弱な衝撃がどこまで通じる?

 迷うアザゼルの目の前で、シグラのノコギリが実験用のデスクを両断した。

 鋼鉄の台がバターのように切断される。あんなものを食らえば、一撃で終わりだ。

「さあ、まずは誰から解体しようか?

 機械仕掛けの裏切り者か? 威勢のいいドブネズミか?

 それとも――」

 シグラの濁った瞳が、台車の下で震えるマリィを捉えた。

「その新鮮な幼生体(ベビー)から、最高音(ソプラノ)を搾り取ろうか!」

 ノコギリが唸りを上げ、マリィへと振り下ろされる。

「させるかァッ!!」

 アザゼルは叫び、シグラの懐へと飛び込んだ。

 死の旋律が響く解体室で、命を懸けた不協和音が幕を開ける。


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