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12話 完璧なお遊戯会を斬り裂いて

「おっと、動かない方がいいぜ、泥棒クン」

 ザントの腕が滑らかに動き、抜かれたばかりの冷たい刀の刃が、リドの泥と汗にまみれた首筋にピタリと押し当てられた。

 刃先が薄皮を微かに裂き、一筋の赤い血がリドの首を伝って落ちる。

 炎の爆ぜる音が遠く聞こえる中、その一帯だけが奇妙なほど静まり返っていた。

「ザント……! 貴様、最初から我々を売るつもりで……ッ!」

 私は怒りと屈辱で全身の血を沸騰させ、彼を睨みつけた。

 裏切られた。いや、そもそもサイボーグに義理など期待した私が馬鹿だったのか。あの時、檻の中でこいつを解体してド・ガンに売り払っていれば、こんな最悪の事態にはならなかった。

 私の殺気を帯びた視線を受けながらも、ザントは悪びれる様子もなく、ヘラヘラと笑ったまま軽く肩をすくめた。カシャリ、と首の関節パーツが無機質な音を立てる。

「人聞きの悪いこと言わないでよ、天使ちゃん。俺は最初から嘘なんて吐いてないぜ? 『面白い方』に付くって、ちゃーんと宣言したはずだ」

 ザントは赤いカメラアイのレンズをキュイッと絞り、周囲を取り囲む白亜の聖騎士たちを見回した。

「どう見ても今の戦力差じゃ、俺の可愛い部下たちとお利口な隊長サマたちのいるこっちが、圧倒的な『勝ち馬』でしょ。サイボーグの電子頭脳(ポンコツ脳みそ)で計算するまでもない、誰にだって分かるシンプルな算数だ」

「……賢明な判断です、ザント」

 部下の裏切りを前にしても、総隊長であるビターは眉一つ動かさなかった。

 彼女は静かに頷き、白磁のバイオリンに添えていた指揮棒をゆっくりと下ろした。その瞳に宿るのは、完璧に管理された『正義』を執行する者としての冷徹な光だけだ。

「あなたが国に刃を向けたことは、本来ならば死に値する大罪です。しかし……その下劣なネズミ共をその手で仕留め、王都の浄化に貢献するのであれば、総隊長として女王陛下に寛大な処置を願い出ましょう。さあ、まずはその男の首を刎ねなさい」

 ビターの宣告は、まるで神の信託のように絶対的な響きを持っていた。

 逆らえば死。従えば恩赦。王都の法とは、そういうものだ。

「いやいや、大罪だなんて人聞きの悪い。俺はいつだって、偉大なるエノク様に忠誠を誓ってるっての」

 ザントは軽口を叩きながら、刀の柄を両手でしっかりと握り直した。

 リドが悔しげに歯を食いしばる。彼の首筋の筋肉が強張るのが見えた。

 いつの間にか聖騎士団に捕縛され、第2番隊隊長・ヴェリーナの腕の中に拘束されていたマリィが、「リドぉ……! だめぇッ!」と涙と鼻水で顔をくしゃくしゃにしながら泣き叫ぶ。

 絶体絶命。

 私の小指の権力では、リドの首が落ちる前にザントを吹き飛ばすことなど到底不可能だ。

「じゃ、そういうことで。……悪いな、泥棒クン」

 ザントが刀を大きく振り上げた。

 炎の明かりを反射し、白銀の刃が冷たく輝く。

 空気が張り詰め、世界がスローモーションのように感じられた。

 リドの首が飛ぶ。血が噴き出す。その光景を脳裏に描き、私が思わず目を背けようとした――次の瞬間。

 ――ガキンッッッ!!!

 鼓膜を破らんばかりの、強烈で鈍い衝撃音が鳴り響いた。

 だが、それは肉を断ち切り、骨を砕く音ではなかった。

 目を開けた私の視界に飛び込んできたのは、無傷で呆然と立ち尽くすリドの姿。

 ザントの振り下ろした刀の峰は、リドの首の横を数ミリの隙間を開けて通り過ぎ――背後の『地面』の石畳を、クレーターのように粉々に叩き割っていたのだ。

「……え?」

 リドが間抜けな声を漏らす。

 ビターの表情が、僅かに凍りついた。

 その刹那。

 ザントの姿が、完全に私の視界から『消失』した。

「――なッ!?」

 一拍遅れて驚愕の声を上げたのは、十メートル以上離れた場所でマリィを拘束していたヴェリーナだった。

 彼女の目の前に、風の音すらも置き去りにして、突然湧き出たかのようにザントが現れていた。

「お人形は、持ち主のところに返さなきゃダメだぜ、お姉さん」

 ザントの赤い瞳が凶悪に光る。

 彼の左手刀が、蛇のような軌道を描き、ヴェリーナの腕の神経が集まる急所を正確かつ無慈悲に打ち据えた。

「くぅッ……!?」

 電撃のような痛みにヴェリーナの腕が硬直し、拘束が緩んだその一瞬の隙。

 ザントはふわりと宙に浮いたマリィの小さな身体を、まるで羽毛でも扱うかのような繊細さで引ったくるように奪い取った。

「きゃっ!」

「よっと。捕まえたぜ、お姫様」

 そのまま、物理法則を無視したような滑らかなバックステップ。

 ザントは呆然とする私とリドのすぐ隣へと着地し、奪い返したマリィをリドの胸にポンと押し付けた。

「……ザ、ザント……お前……?」

 リドが、信じられないものを見るような目でザントを見た。マリィを抱きしめる彼の手が小刻みに震えている。

 私も驚きのあまり声が出なかった。

 この男は、一体何を考えている? 勝ち馬に乗るのではなかったのか?

「悪いな、隊長サマたち」

 ザントは二振りの刀を両手に構え、聖騎士たちへ向けてニヤリと凶悪な笑みを浮かべた。

「俺さ、ああいう『完璧に仕組まれた嘘くさい台本』の通りに動くの、昔から最高に嫌いなんだわ」

「……どういう意味ですか、ザント」

 ビターの瞳に、決定的な冷酷さが宿った。

「どういう意味もクソもねぇよ。お前らがやってることは、ただの気味の悪いお遊戯会だ。都合よく転がってきた『正義のシナリオ』に思考停止で飛びついて、証拠だ何だと騒ぎ立てて、目の前の弱者を悪役だと決めつける。そして、自分たちは悲劇のヒーローぶって涙を流しながら殺戮を正当化する。……虫唾が走るんだよ。俺を作ったナヴィもそうだった。俺を『最高傑作』だの『正義の剣』だの持ち上げといて、結局は自分の管理下に置いて操りたいだけの人形遊びだ」

 ザントはチャキリ、と刀を交差させ、金属音を鳴らした。

「それに比べて……こいつらはいい」

 ザントは親指で、私やリドを指し示した。

「泥水啜って、金に目が眩んで、自分の欲望にバカみたいに忠実で。みっともなくて泥だらけだけどよ……お前らみたいな綺麗すぎる人形より、ずっと人間くさくて面白いんでね!」

 その言葉は、完璧な正義の国に対する、彼なりの明確な決別宣言だった。

「……ザント。あなたの魂まで不純物に染まってしまったのですね。哀れなことです」

 ビターは深く嘆くように目を閉じ、そして、ゆっくりと指揮棒を構え、白磁のバイオリンの弦に当てた。

 周囲の聖騎士たちが一斉に殺気を放ち、武器を構え直す。

「私たち全員を相手にして、勝てるとでも思っているのですか?」

 圧倒的な戦力差。

 第1番隊のゼンガル、第2番隊のヴェリーナ、第3番隊のガイム、そして総隊長のビター。隊長格が四人に、加えて百近い精鋭の騎士たち。

 どう考えても絶望的だ。

 だが、ザントはふはっと噴き出し、刀を肩に担いで腹を抱えて笑った。

「ああ、無理無理! 勝てるわけねぇさ。俺一人ならともかく、お荷物三人抱えてちゃ、三秒でミンチにされちまう」

 ザントの足元から、シュゴォォォォ……と高圧の蒸気が噴き出し始める。

 赤いカメラアイが、限界まで鋭く発光した。

「でもさ……お前ら、いくら強くても『音速』では走れないんだろ?」


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