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11話 時計屋さん?

「どけ、素人が触ると余計に壊れる」

 ギルレッドはアザゼルを押しのけ、作業台の上に横たわるマリィの瞼を親指でこじ開けた。



 少女の呼吸は依然として浅く、早鐘を打つ心臓の音が、静まり返った店内にまで響いているようだった。

「瞳孔散大。脈拍数、通常の二倍強。......典型的な『魔力中毒』の併発だな」

 ギルレッドは棚から青紫色の液体が入ったアンプルを取り出し、慣れた手つきで注射器に吸い上げる。

「魔力中毒......?」

 アザゼルが聞き返すと、ギルレッドは注射針をマリィの細い腕に突き刺しながら答えた。

「裏都市の空気は淀んでるが、魔力の濃度は薄い。対して、この王都は清潔だが、人工的な魔力が充満しすぎている。急激な環境変化と、精神的なショック......幼い身体には負荷が強すぎたんだ」

 薬液が注入されると、マリィの荒い呼吸が嘘のように落ち着き始めた。

 赤く火照っていた頬から熱が引き、穏やかな寝息へと変わる。

「......とりあえず、峠は越えた。あとは眠れば治る」

 ギルレッドが手を拭きながら言うと、アザゼルは膝から崩れ落ちるように安堵の息を吐いた。

 その背中に、冷たい金属の感触が触れた。ザントが缶入りの水を放り投げてきたのだ。

「ほらよ。お前が倒れたら、このチビを誰が運ぶんだ」

「.......余計なお世話だ」

 アザゼルは水を受け取り、一気に喉に流し込んだ。冷たさが乾いた内臓に染み渡る。

「さて」

 ギルレッドは作業用の椅子に深く座り直し、ルーペ越しにアザゼルたちを見回した。

「治療代の代わりに、話を聞かせてもらおうか。ザントのサーボモーターが悲鳴を上げるほどの『化け物』と、お前のその『光る小指』についてな」

 ザントは舌打ちをして、懐から記録媒体チップを取り出し、ギルレッドの卓上端末に投げた。

「見ればわかる。聖騎士団の新兵器だ。.......俺がいた頃の開発プランにはなかった『悪趣味なゴミ』だがな」

 ギルレッドが端末を操作すると、空中にホログラム映像が展開された。

 映し出されたのは、倉庫でアザゼルたちが戦った『歪んだ騎士』の姿と、その生体データだ。

「......なるほど。権力の宿っていない肉体に、無理やり高濃度の魔力触媒を埋め込んだか」

 ギルレッドは画面上の数値を指先で弾きながら、冷ややかな声で解析する。

「人間の神経系を焼き切り、痛覚を遮断し、脳のリミッターを強制解除している。これなら確かに、一時的には超人的な力を出せるが......」

「長くは持たねえ。使い捨ての特攻兵器だ」

 ザントが吐き捨てるように言った。

「俺たち第4番隊は、肉体を機械に変えて効率化したが、脳みそまでは弄らなかった。だが、今の聖騎士団は違うらしい。『正義』のためなら、魂ごと人間を消費する道を選んだようだ」

 その言葉に、リドが拳を震わせる。

「......あいつらは、元は人間なんだろ? 俺たちと同じ.......」

「ああ。おそらくは、裏都市から連れ去られた『罪人』や『浮浪者』だろうな。素材としては安上がりで、誰も行方を気にしない」

 ギルレッドの淡々とした事実は、王都の美しい静寂が、どれほどの犠牲の上に成り立っているかを如実に物語っていた。

「.......腐っているな」

 アザゼルは低く呟いた。

 天界と同じだ。美辞麗句で飾られた秩序の下には、必ず踏みつけにされた弱者がいる。

「で、次はお前の番だ、お嬢さん」

 ギルレッドがくるりと椅子を回転させ、アザゼルに向き直った。

 彼はアザゼルの右手を強引に引き寄せ、包帯を解いた。

 露わになった右小指は、平常時でも微かに温かい光を帯びていた。

「.......美しいな」

 ギルレッドはうっとりとした表情で、様々な計測器具を指に当てていく。

「波長が既存の九つの権力のどれとも微妙に異なる。だが、根源的な性質は間違いなく『豊穣』だ。......命を育み、傷を癒やす、失われたはずの神の力」

「失われた?」

「ああ。500年前、ソロモンが消えて以来、豊穣の権力者は現れていない。歴史から抹消された力だ」

 ギルレッドはルーペを外し、素顔の瞳でアザゼルを射抜いた。

「だが、奇妙だ。なぜ『小指だけ』なんだ?」

「.......私が知るわけがない。気づいたらこうなっていた」

「ふむ。通常、神に愛された権力者は、心臓や脳、あるいは利き腕など、重要な部位に力が宿る。だがお前の場合、まるで.......」

 ギルレッドは言葉を選び、残酷な推測を口にした。

「........まるで、身体そのものが権力を『拒絶』しているようだ。あるいは、神がお前に力を与えるのを『躊躇』して、指先だけで止めたか」

 アザゼルの心臓が跳ねた。

 拒絶。躊躇。

 それは、彼女が「堕天使」であるという事実と、あまりにも符合していた。

 天界を追放され、地上にも馴染めず、神の力さえも中途半端にしか宿らない。

 自分はどこまで行っても、何者にもなれない「半端者」なのか。

「.......そうか。私は、神にも嫌われているのか」

 自嘲気味に笑うアザゼルを見て、ギルレッドは肩をすくめた。

「悲観するな。裏を返せば、お前はその指先一つで、聖騎士団の包囲を抜けてきたんだろう? 『嫌われ者』にしては、随分としぶとい」

 彼はニッと笑い、アザゼルの小指に新しい包帯を巻き直した。

「さて、診断は終わりだ。問題はこれからどうするかだが.......」

 ギルレッドは地図を広げ、王都の中心にある巨大な城――『王城ドロステ』を指差した。

「お前たちが追っ手から逃れるには、一番安全な場所に行くしかない」

「安全な場所?」

 リドが地図を覗き込む。

「灯台下暗し、だ。今の王都で、聖騎士団が最も警戒していない場所.......それは、奴らの本拠地である『王城の地下』だ」

「はぁ!? 敵の腹の中に飛び込めってのか!?」

「あそこには、古い時代の『忘れられた区画』がある。廃棄された搬入路や、使われていない倉庫だ。そこなら、歪んだ騎士のセンサーも届かない」

 ザントが嫌そうな顔をした。

「.......なるほどな。確かに、あいつらは外ばかり警戒して、自分の足元はお留守だ。だが、どうやって入る? 正門から堂々と行くわけにゃいかねぇぞ」

「策はある」

 ギルレッドは悪戯っぽく笑い、店の奥から数着の服を取り出した。

 それは、王城に出入りする下働き業者――清掃員や洗濯係の制服だった。

「早朝、王城の北門からリネン類(シーツや制服)の回収業者が入る。その荷物に紛れ込み、下働きのフリをして潜入するんだ」

 アザゼルは、渡された粗末な服を見つめた。

 かつて天使として白い翼を背負っていた自分が、今は泥にまみれ、嘘の衣を纏って敵の城へ潜ろうとしている。

「......いいだろう」

 アザゼルは服を強く握りしめた。

「生き延びるためなら、泥にでも何にでもなってやる」

 その瞳には、かつての「諦め」ではなく、泥臭い「覚悟」の光が宿り始めていた。


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