9話 歪んで裏切る
倉庫に現れた聖騎士は、アザゼルたちが知るどの敵とも異質だった。全身の甲冑は煤と泥で汚れ、虚ろな目つきで宙を見上げている。剣は力なく地面を引きずられ、その姿は異様な苦痛を体現していた。
アザゼルは即座に戦闘態勢に入り、熱を持つ右小指に豊穣の権力の光を集める。
「なんだ、こいつは……まるで生きている屍だ」リドがヒューイに耳打ちした。
「様子がおかしい。権力の波長を感じねえ。ただの強化された肉体とも違う、無理やり動かされている感じだ」ヒューイは起爆装置を握りしめ、冷や汗をかいた。
ザントは冷静な表情を崩さず、その歪んだ騎士を全身のセンサーで分析していた。しかし、彼のサイボーグの顔に、明確な驚愕と動揺が走る。
「……ありえねぇな」ザントは、ただ一言、深く低い声で呟いた。その言葉は、彼が自身の知識や聖騎士団の常識を超えた事態に直面していることを示していた。
その瞬間、歪んだ騎士は虚ろな視線をアザゼルに向け、地面に引きずっていた剣を異常なスピードで振り上げた。
「伏せろ!」
リドが叫ぶ。剣が通過した軌道の壁が大きく抉られる。リドは即座に騎士の足元へ爆薬を投擲し、閃光を放った。
豊穣の光、そして限界
爆発で一瞬動きが止まった騎士に対し、アザゼルは右小指の光を集中させた。豊穣の権力の爆発的な力が、光弾となって騎士の胸甲に叩き込まれる。
ドオォン!
騎士の胸甲はわずかに凹んだだけで、彼は数歩後退したのみだった。アザゼルは力の限界を痛感する。
「くそっ、全然効かねえ!右小指の先だけじゃ、これが限界なのか!」アザゼルは焦りを滲ませた。
「貴様の権力は右小指の先っぽだけじゃねえか! 爆発的な力もその部位の範囲相応だ! 力を集中させろ、アブ!」ザントが初めて戦闘で具体的な指示を出す。
戦闘が泥沼化する中、ヒューイが仕掛けたトラップが解除される音が、倉庫の別の入口からも響いた。
「嘘だろ、増援だ! しかも、あいつらと同じ歪んだ騎士だ!」ヒューイが絶叫した。
歪んだ騎士は次々と倉庫に侵入し、その数は合計5人に達した。リドたちは完全に包囲され、絶望的な状況に追い込まれる。
「リド、アブ! 壁際に隠れてたマリィを連れて逃げろ! ここは俺が爆薬で時間を稼ぐ!」ヒューイが叫びながら、連続して爆薬を投げる。
マリィは、倉庫の奥、気絶したド・ガンの隣に、恐怖で丸くなりながら隠れていた。彼女は、目の前の戦闘の恐ろしさに、小さな震えを止めることができない。
歪んだ騎士の一人が、ヒューイの爆煙を無視して、一直線にマリィの隠れている場所へ向かった。騎士は虚ろな目を見開いたまま、マリィを狙って剣を振り下ろす。
マリィは小さく悲鳴を上げるが、既に回避は間に合わない。彼女の前に、巨大な死の影が迫る。
その瞬間、監視下にあったはずのザントが動いた。
ザントの動きは、リドやヒューイ、そしてアザゼルの動体視力さえも置き去りにした。それは、聖騎士団の技術や裏都市の体術とは異なる、機械と計算によって最適化された純粋な運動だった。
ザントは、甲冑の背部装甲から、高速で切り離した3枚の鋭利な金属片を投擲した。
ターゲットは、騎士の右腕の上腕三頭筋、尺骨、そして手首の腱。
金属片は凄まじい精度で騎士の腕の機能中枢を寸断し、剣はマッハの唸りを上げて空中で軌道を逸れた。剣はマリィの頭上数センチの壁に深く突き刺さり、火花を散らす。
騎士は苦痛に呻き、攻撃を中断する。マリィは、何が起こったのか理解できず、ただ目を見開いて震えていた。
アザゼルは、その非人間的な正確さと、敵を救った行動の双方に衝撃を受け、即座に叫んだ。
「なんの真似だ!? なぜ、おまえがこの女を庇う!」
ザントは、マリィの無事を確認すると、投擲した手をゆっくりと引っ込め、冷たい目でアザゼルを見返す。彼のサイボーグの瞳には、一切の感情が映っていなかったが、その声には、微かな、しかし揺るぎない感情が滲んでいた。
「なんだよ悲しいねぇ、気にすんな、ただ、この女は死んで欲しくなかっただけだ」
ザントは、感情を排した声で、しかし強い拒絶を含んで言い放った。
「テメェらのような感情論で動く人間には分からねぇだろうが、俺にも死んで欲しくねえ奴はいる。このマリィは、この裏都市で唯一、俺に優しくしてくれた人間だ。ただ、それだけだ。俺は、命の恩を計算で返したに過ぎねぇ」
彼の言葉は、彼がマリィの命に「利用価値」ではなく、「恩義」という個人的な感情で見返りのない価値を見出していることを示唆していた。その意外なまでの人間性に、アザゼルとリドは驚愕する。
ザントの介入で一瞬生まれた隙を見逃さず、リドが叫んだ。
「行くぞ! 早くマリィを連れ出せ!」
「俺の害虫を!こんなゴミどもに無駄遣いするんじゃねぇ!」ザントがアザゼルに迫る。「この騎士どもは、俺が知る聖騎士団の敵じゃねえ。真実を知るためにも、王都へ行くしかねえじゃねえか」
リドは走る足を止め、ザントを振り返った。その顔は警戒心に満ちているが、ザントの知識と力が今の状況で不可欠であることを理解していた。彼の、聖騎士団への「不信」が、彼を一時的な協力者に変えたのだ。
「分かった。行くぞ、王都へ。だが、貴様は俺たちの監視下にあることに変わりはない。お前の知識と力が、今、必要だ」
リドは、ザントと監視付きの協力関係を正式に結んだ。
ヒューイの爆薬による撤退支援を受け、アザゼルはマリィを抱きかかえ、リドと共に倉庫を脱出する。
彼らは、ド・ガンを裏都市の信頼できる仲間に預け、新たな敵「歪んだ騎士」の追跡を振り切った。
アザゼル、リド、そして監視役のザントの3名は、右小指の小さな熱と、マリィを守るという決意を胸に、夜明け前のドロステ王国の王都へ向かう。
夜明け前の裏都市を、アザゼル、リド、そして監視役のザントの3名は疾走していた。アザゼルは恐怖で震えるマリィを抱きかかえ、リドは後方を警戒する。ヒューイは爆薬で追跡の時間を稼ぐため、裏都市に残った。
彼らは、裏都市と王都を隔てる、古い下水路のトンネルに潜り込んだ。そこで初めて、一息つくことができた。
「あの騎士どもは何なんだ、ザント」リドが息を整えながら、厳しい視線でザントを睨みつけた。「俺たちが知ってる聖騎士団の連中とは、全く違ったじゃねえか」
ザントはトンネルの壁にもたれかかり、表情を変えずに倉庫での戦闘データを頭の中で再生していた。
「全く、とんでもねえゴミを見せられたもんだ」ザントは吐き捨てるように言った。
「テメェらが持っている『神の権力』の定義を思い出せよ。権力は身体に宿る。宿った部位でしか使えねえ。だが、あいつらはどうだ?」
「権力を使ってなかった」アザゼルが答えた。
「そうだ。権力は使わず、ただ肉体的な異常強化だけで動いていた。あの動きは、人間の限界を遥かに超えている。神経伝達速度は通常の5倍以上。ありえねえな」
ザントは冷たい目でリドを見た。
「あの騎士どもは、権力による恩恵じゃねえ。外部からの薬物か、あるいは禁断の技術で無理やり肉体を捻じ曲げられた。しかも、あの苦痛。全身の細胞が壊死しかかっている状態を、意志でなく、強制的に動かされている。だからこそ、俺が助けた女に、あんな虚ろな目で剣を振り下ろした。理性がほとんど残っていねえ証拠だ」
リドは、歪んだ騎士たちの虚ろな目と苦痛の表情を思い出し、背筋が寒くなるのを感じた。
「……それが聖騎士団のやることなのか。お前が元いた第4番隊のやり方か?」リドが問い詰めた。
ザントは、その問いに答えなかった。
「俺が知る第4番隊は、こんな非人道的な実験はしなかった。だが、俺が離れた後に、誰かがこの歪んだ技術を王国内部に持ち込んだ可能性はある。あの騎士どもは、ビター総隊長や女王エノクが、権力者に対抗するために、極秘で生み出した『ゴミ』じゃねえかと推測している」
ザントは腕組みをした。
「俺たちの追跡が、ただの『豊穣の権力』の捕獲だけじゃねえ。王国の闇に踏み込んでいる証拠だ。だからこそ、王都へ潜入し、あの歪みの根源を探る必要がある。そして、豊穣の権力の謎もな」
ザントは続ける
「いいか、これは王国の闇に踏み込んでいる証拠だ。だからこそ、王都へ潜入し、あの歪みの根源を探る必要がある。そして、豊穣の権力の謎もな」
ザントは、普段の冷徹な分析とは異なる、どこか人間的な嫌悪感を滲ませた口調で続けた。
「正直、あんなえげつねえものを見たのは初めてだ。目が虚ろで、人じゃなかったみたいだ。機械の体でも冷や汗をかきそうだったね。アブ、お前がここに来てから、何かの歯車が異常な速度で動いているのは確かだ。考えてみれば、たった一人の罪人を捕まえるためだけに、あんな総戦力で裏都市を襲っている所からおかしいんだ」
ザントは静かに状況を分析する。
「元々、緩やかに進んでいた浄化作戦も、お前が来てから突然強行された。しかも、強行するという話は知ってたが、あそこまで非道なやり方だとは、俺にも伝わってねえ」
ザントの言葉に、リドは驚愕を隠せなかった。
「何? お前にも作戦の詳細は伝わってなかったのか?」
「ああ。強行するって話は聞いてたが、そもそも、俺が裏都市に来た理由は、浄化作戦のための偵察だ。偵察した情報を元に、部隊をそれぞれに配置して、効率よく作戦を立てるつもりだったんだ」ザントはため息をついた。
「でも、まさか俺の話も無しに、正面から突撃するとは思わなかった。しかも建物も、無関係な人々まで、破壊し尽くすとはな……。王国のやり方は、俺が思っていたよりも遥かに効率が悪く、そして狂っている。まあ、元々、俺には窮屈な場所だったし、抜けるキッカケが出来たから、まあ良しって感じだな」
アザゼルは、ザントの言葉を静かに聞いていた。彼の言葉の端々から、彼が単なる機械ではなく、聖騎士団の非道なやり方に対する個人的な嫌悪を持っていることが伝わってきた。同時に、自分の存在が、巨大な組織の**「歯車」**を狂わせる引き金になったという事実に、新たな重圧を感じた。
ザントの言葉を静かに聞いていたアザゼルが、ふと、疑問を口にした。
「なぁ、お前は...」
「聖騎士団を抜けたかったのか?」
ザントは、鼻で笑うように吐き出した。
「ああ?聞いてなかったか? 窮屈だったんだ、あの『正義』の看板の下はな。すぐにでも抜けたかったよ」
「そう...か」
アザゼルは、それ以上何も言わなかった。ザントが持つ「離脱」という明確な動機は、彼が裏切りの可能性を抱えつつも、今は彼らの敵ではないという最低限の保証になった。
下水路を抜け、彼らはドロステ王国の外壁近くの廃墟に身を潜めた。王都の城壁からは、夜明け前の静かな喧騒が漏れ聞こえてくる。
リドは額に汗を浮かべたまま、思考の切り替えを促した。
「クソッ。ともかく、ここに長居は無用だ。情報漏洩の原因は、王都に潜入して真実を突き止めてから考える。ザント、王都で一番情報が集まる場所はどこだ」
アザゼルは、未だに震えの止まらないマリィを落ち着かせながら、ふとリドに問いかけた。
「なあリド。あの騎士たちは、なぜあの倉庫の場所を知っていたんだ」
リドはハッとした表情を浮かべた。
「そうか……おかしい。俺たちが裏都市に入ったことは知られていただろうが、あの隠し倉庫の正確な場所を知っているのは、俺とヒューイ、気絶したド・ガンの3人。そして、お前とザントだけだ」
リドは即座にザントを睨みつけた。
「テメェ、鎖を外された後、情報を流したんじゃねえだろうな、機械頭!」
ザントは冷笑した。
「馬鹿げた質問じゃねえか。俺が裏切って、貴様らの情報を流したところで、俺が聖騎士団に戻れる保証はどこにもねえ。むしろ、あのゴミどもの手に渡れば、俺の解析対象が破壊されるリスクが高まる。そんな効率の悪い真似はしねえ」
ザントの冷徹な論理は、リドの疑念を完全に払拭することはなかったが、一時的に矛を収めさせた。
「じゃあ、ザントじゃなかったら、誰が……?」リドは額に汗を浮かべた。
ド・ガンは気絶したままだった。ヒューイは今も裏都市で時間を稼いでいる。疑うべき仲間はいないはずだ。
「ヒューイじゃないな?」リドは確認するようにヒューイが向かった方向を見つめた。
「だとすれば、アブか……」リドはアザゼルを見るが、すぐに首を振った。アザゼルにそんな余裕も動機もない。
リドは、思考の行き詰まりに苛立ち、言葉を詰まらせた。そして、彼は無意識のうちに、マリィが預けられている方向、つまり裏都市の仲間の潜伏先を、一瞬、強く見つめた。
しかし、すぐにその考えを振り払うように顔を正面に戻した。
「クソッ。ともかく、ここに長居は無用だ。情報漏洩の原因は、王都に潜入して真実を突き止めてから考える。ザント、王都で一番情報が集まる場所はどこだ」
「賢明な判断じゃねえか」ザントはニヤリと笑った。
「王都には、知恵の権力者ナヴィの弟子が管理してる情報網があるが、それより確実で、より安全な場所がある。かつて、前聖騎士団長が潜伏していたと噂される場所だ。そこなら、貴様らの正義の権力の追跡も、あの歪んだ騎士の追跡も届きにくいだろう」
リドは覚悟を決めたように頷いた。
「行くぞ。王都へ。ザント、テメェの首は、俺が握ってるからな」




