キャプテン・ノーフューチャーの誕生③
《こちら仮設コントロール。ガンマ、聞こえますか? シナリオC-4を開始する》
「こちらガンマ、感度良好。準備完了、いつでもいいぜ」
サイズ調整済みの操縦席に深く座り、やや汗ばんだ手でM字型の舵輪を握る。窓の外は漆黒の宇宙。灯りを暗く落とした操縦室の中は、姿勢儀やエーテル流速計などの計器パネルが赤と黄色に光っている。
それらメーターの表示は全て適正値。つまり、飛行は順調だ。
「メル、現在位置は?」
「えっと、ちぃねえちゃんの月軌道を離脱したところ。地球から五十万キロ…かな」
左隣のナビシートは、メルの大きさに合わせてアタッチメントが取り付けてある。数値と航路図を見比べながら、若干おっかなびっくりでも現在位置を特定する。
「了解…ちょっと行き過ぎたな。妹側の月周回軌道に戻って、一周してから地球の帰還ルートに乗せる。いいか?」
「わかった。太陽と地球の位置確認、よし。ちいねぇちゃん軌道への遷移、よし。進路変更の噴射用意、よし!」
「右舷スラスタ噴射、出力三十パーセント。せーの、で行くぞ…せぇ、のっ!」
クルマと同じように舵輪を左に傾けると、右舷の船首スラスタが噴射して船は左に回頭する。宇宙船は空気のない場所を飛ぶから、曲がりたい方の反対側スラスタを噴いてやらなきゃいけない。
「噴射そのまま、あと四…三…二…噴射、停止」
舵輪を戻し、スラスタの噴射を終了する。そのつもりだが、噴射が止まっていない。それどころか噴射出力が三十パーセントから五十、七十と上昇している。
「ちょっとガンちゃん!? これじゃぐるぐる回っちゃう!」
言われなくても姿勢儀のボール見りゃわかるわい! とうにグルッグル回ってるよ!
「右舷スラスタのエーテル供給停止、左舷側を起動…ダメだ、起動しねえ!」
「わかった! 操縦系を予備に切り替えるよ!」
「予備切り替え、了解! スラスタのエーテル供給、開くぞ…ウソだろ応答しねえ!?」
右舷スラスタの制御スイッチをカチカチしても、ランプは消えたままでエーテルが供給されない。ついでに、メインエンジンの出力もおかしくなってきた。
「メル、いっぺん全部の推進系を停止する! 現在位置と月までの距離は余裕あるか?」
「距離は大丈夫…だと思う! けど、現在位置が…これじゃわかんないよ!」
操縦系を予備に切り替えた時に、変な信号が混ざって動作異常を起こしたのかもしれない。単純な電装トラブルなら、リセットして再起動すりゃ直る…はず。それでもダメなら、伝統の斜め四十五度チョップしか思いつかん。
「現在位置は姿勢を安定させてから再確認だ。まずは推進系リセットして再起動!」
シートベルトで固定された上半身から、手を伸ばしてギリギリ届くリセット用トグルスイッチのカバーを跳ね上げてパチンと入れる。一秒後、計器盤の推進系メーター類がすべて消灯した。
「リセット完了。推進系は予備のまま、再起動する」
マニュアルに沿って宣言し、スイッチを戻すと消灯していた推進系のメーターが息を吹き返す。現在、船は反時計回りの水平回転を続けている状況だ。本来なら横方向に三から四Gの加重を受けているだろう。
「回転方向の逆にスラスタを噴射する。噴射時間はこっちで調整するぞ」
ドリフト中に逆ハンを当てるように、細かく舵輪を操作して少しずつ左舷スラスタを噴かす。窓からの景色に変化はないが、姿勢儀の回転は目に見えて改善しているのが分かる。
「もうちょい…もうちょい…よし、止まった」
「えと、現在位置を確認…三千キロくらい月軌道に寄ってる。進路は…えーと、えーと…ガンちゃん、真後ろって何て言うんだっけ?」
「百八十度回頭とか、六時方向とか…ありゃ? でもハカセは太陽基準で方向指示って言ってなかったか?」
「わわわ、そうだった! うーんと…そしたら、太陽がこっちで地球がそこだから…ああんもう! とにかく後ろなの!」
航路図を回したり天地逆にしたり、自分の首までひっくり返すメルに肩をすくめて百八十度の方向転換をする。そしてメインエンジンの動作状況が正常であることを確認して、月軌道に乗るための噴射準備を進めておこう。
「回頭完了。ちゃんと家まで連れてってくれよナビゲータ?」
「わかってるもん。窓から見ればどこにお家があるかなんて、すぐわかるのに!」
《こちら仮設コントロール。トラブル対処と計器飛行の訓練なんですから、それ言っちゃダメです。状況終了。シナリオC-4は…まあ、及第点にします。食事にしましょうか》
操縦室内の照明が明るくなると、オレとメルが座ってたシートと計器盤以外は作業途中なのが見えるようになった。戦闘艇の乗員は四名で、内訳は操縦、航法、通信、機関に各一人。前列の操縦と航法のシートは設置済みだが、後ろはシートどころか計器もなく板切れでフタしてあるだけ。
「了解ハカセ。実機で訓練できるのはいいが、そろそろ大砲の一つもぶっ放したいな」
《お向かいの漁船でも撃沈する気ですか? 主砲だと桟橋ごと消し飛びますが、やります?》
「……やめとく。お向かいさんに恨みはねえ。交信終了」
ヘッドセットを舵輪に引っかけ、五点式シートベルトを外して立ち上がると背骨がボキボキ鳴る。訓練とはいえ、四時間も同じ姿勢でいれば肩も凝るってもんだ。腹をすかせたメルを抱き上げ、新品のフライトジャケットの肩に乗せて操縦室のドアを開けた。
「よう、お疲れ。ほれほれ、とっとと出てけ」
ドアを開けると、部品の詰まった木箱を抱えたシュタイナーたちが出待ちされていた。
戦闘艇はもうすぐ完成といったところだ。実機で訓練できるようになったのが昨日で、これまでの座学を元に基本操作やら応用操作訓練を行った。
そして窓からの視覚情報に依存しない計器飛行訓練と、飛行中に想定されるいくつかのトラブルに対応する訓練が進行中である。
作業開始から六日が経って艤装作業はほぼ完了したとはいえ、これ明日で納品・引き渡しまで終わるのかね? メインエンジンや、親方の作業してたスラスタの取り付けはすでに完了している。手すきになった者を人手の足りない部署に回して作業するから、後になるほど作業進捗は加速する話だけど。
半ば追い払われるように足場の階段を下りたオレたちは、ハカセの待つ仮設コントロールに向かう。これも、かなり仮設っぷりが高くて試作品やら余剰在庫やらを寄せ集めてデッチ上げた代物だ。
「お疲れ様ですメル、頑張ってましたね。ですが、針路指示の時は基準になる星をきちんと伝えないと、パイロットは言う通りに飛びませんよ。次は気をつけましょう」
「はぁーい」
ラリーでも運転手が運転に集中できるようにする、ナビの役割って大事だからなあ。メルの負担を軽くするように注意してるつもりだけど、やっぱり気持ちの余裕がなくなるとダメだ。
「気遣いは良いですが、パイロットは操縦と武装の照準に集中すべきです。まあ…その辺は実際に運用するあなたたちが決める事ですね」
出過ぎた真似を、と肩をすくめたハカセは訓練で使った書類をトントンと揃えて立ち上がる。
「ああ、そういえば財布…いえヌ=バローラさんから伝言が届いてます。明日の引き渡しに先だって話したいことがあるので、いちど下宿に戻ってきて欲しいとのことでした」
「あいよ。この後、少し出てくるぜ。そういや、戦闘艇の建造費用ってどのくらいになるんだ?」
「外出は問題ありません。建造費用の方は…そうですねえ。見積もり無しで突貫作業ですけど、資材と機材の八割方は有りもので賄ってますが…やはり、精霊石ばかりは代えが利きません」
「精霊石ってのは高価なのか?」
「採掘された星だとか大きさで価値は上下しますが、砂粒一個で金貨五十枚くらいだと思ってください。この船の精霊石はスポンサーに提供していただく予定ですがね。海賊の着陸船を奪ってきたそうですし、それでしょう」
「ああ、あれか」
なるほど、精霊石は高価で使い回しが利く部品なのね。あれ? そういやメルって精霊石に意志が宿った存在じゃなかった?
「ガンちゃん、それだとあたし船から離れられなくなっちゃうでしょ」
「世の中そう都合良く行かないものです。まあ、僕もそうできないか考えたんですけどね…乗船中なら、メルが船体の管理を行うこともできるらしいですけど」
「うん。航法もそれでやれば、さっきみたいにグルグルしても大丈夫なんだけど…」
「その場合、異様に正確な航法データを勘で収集することになります。それでは君以外が理解できないので、やはり基本となる知識を持たないとダメですよ。何度も言ったでしょう?」
「むぅ。わかってるもん」
確かに、地球のそばなら目印になる物がいくつもある。けれど、惑星間の移動となれば目印は遠く小さくなって、他の星に紛れてしまうだろう。そうなったときに「あっちらへん」とか「ギュっと曲がって」なんて感覚優先の指示を出されちゃたまらない。
…そういう指示を出されて頭を抱える未来が、ありありと想像できてしまう。
「頼むぞメル、オレに分かる指示を出してくれ。宇宙で迷子はごめんだ」
「わかってるもん!」
頭の上でぷんすか怒って髪を引っ張るメルをなだめつつ、ハカセと別れてクルマまで歩く。今の時間は…昼前か。なら、昼飯は下宿で食おう。久しぶりに焼肉以外のまともなメシが食える。いつもなら焼肉と言えば、ごちそうメニューなのに…食い飽きるとは。
すっきり晴れた空の下、クルマを走らせてスクラップヤードを離れると空気の匂いが違う。ああ、ヒゲハゲ軍団たちの縄張りから離れると…空気から焼肉と炭火の匂いが消えるのか!
「ほんとだ…風が脂っぽくない!」
服と髪と身体には染みついてるんだろうけどな。
微妙に感慨深い気持ちで下宿に戻ると、エプロンをつけたローラがぱたぱたと出迎えてくれた。
「おかえりなさい、ガンマさん。向こうはどうでした?」
「なかなかキツい。特にメシが」
「ただいまローラちゃん! お肉ばっかりで、もう嫌になっちゃうよ」
「はぁ…食事ですか。あ、そうそう、お昼ごはんってまだですよね? ウドン作ったんですよ。食べませんか?」
それでエプロンしてたのか。てか、気に入ったらしいな。うどんを打つ大神官さま…金星名物になったりして。炭水化物に飢えていたところなので、喜んで御馳走になろう。
「おいしいのは良いんですけど、名前がちょっと恥ずかしいんですよね。ぶっかけって…」
いいえ大神官さま。恥ずかしいのはお前の残念なエロ脳です。ぶっかけ、というのは勢いよく汁をかける意味の口語であって、決してそっちの意味の言葉じゃねえんです。真っ昼間から白濁した妄想に浸って、うどん捏ねてたのお前?
「えっ!? や、やだなあガンマさんったら! そんなこと、あるわけないでしょう!? ちょっと乱暴っていうか、ただの口語ですよね! 知ってましたよ? あは、あはははははは!」
……大神官サマ? エロマンガばっかり読んでんじゃねえっスよ。あれファンタジーだから鵜呑みにすると将来大変だぞ。
そそくさと台所に引っ込んでいく後姿に、なにやら不安になってしまう。トップの女官長がアレなら、部下も大なり小なり影響を受けているのではなかろうか。金星まで送って行くのは決定事項だけど、長居したくねえなあ。
「おう、来たにゃ。まあ、話は食いにゃがらしよう」
煙管を咥えて一服するババアと、手ぬぐいを姐さん被りにしたララに招かれてちゃぶ台に座る。台所から漂ってくる出汁の効いたつゆの匂いに腹が減ってくるな。
それにしても、なんというか…金髪エルフが手ぬぐい被って、かけうどん用意する光景を目にするとは。オレの乏しい想像力を斜め上に超えられた気分だ。
「最近は二日に一度くらいウドンですわね。作り方、すっかり覚えましたわ」
半分くらいネタで作らせたんだけど、まあ気に入ったのなら良し。
メルと猫舌のババアがざるうどん、それ以外はかけうどん。付け合わせは焼き魚と漬物という、久しぶりの脂っ気の少ない食事にほっとする。成長期の肉体的に問題なくても、中年の精神的に胃もたれ不可避の肉食オンリー生活は辛かった。
「ずるずる…それでにゃ、暗号のことにゃんだが解読されたものを見るに…ずるずる」
「女官長の暗殺指示書でしたの。私たちの目的や移動経路が…ずるずる…」
「ずるずる…一部には、ガンマさんとメルちゃんと思われる記述もありました。やはり…ずるずる」
「もぐもぐ…ずるずる…もぐもぐ…おかわり!」
なあ、深刻な話だろこれ? うどん啜りながらしていい類のもんじゃねえよな? OLのランチよもやま話っぽいノリでいいのか? ララも、いま解読した書類を出そうとすんな。汁が飛ぶだろ。話すか食うか、どっちかにしてくれ。
「「「ずるずる…」」」
「ガンちゃんおーかーわーりー!」
そうか…食う方にするのか……おかわりをオレに要求するのか…
結局全員分のうどん五玉をゆでて、平らげてから改めて話を聞くことになった。アーバレストの持っていた暗号文書をジャンク屋の変態に解読させたら、ローラの暗殺指示書でオレとメルのことについても記載があったらしい。
「なるほど? それで、あいつは使いっ走りだろ。暗殺を依頼した黒幕についての手がかりはあったのか?」
「あるにはあったのですが…【陰謀皇帝】という名前でして。誰の事やら……」
なんだその、ふざけた名前。自分で陰謀とか名乗っちゃうのかよ。あげく皇帝って…痛すぎだろ。
「金星には、王はいても皇帝という身分はありませんの。より正確に言うと『今の金星』には、になりますわね…」
「今の? 昔はいたってことか」
「ええ。歴史学者は古王朝の時代は、皇帝を頂点とする社会だったと言ってますわ」
古王朝ねえ。アレだ、メルの姉ちゃんが言ってた『惑星霊がキレて絶滅させた』連中。自分たちを『選ばれし種族』とか抜かして、好き放題やってたとか聞いたぞ。その辺りと関係ありそうな気がするんだけど、ローラとババア的にどう思う?
「その辺が臭いと思うが、メルの姉ちゃんって何の話にゃ?」
「ちょっと待ってください。それも気になりますが、惑星霊がキレたってどういうことですかガンマさん?」
あ。やべえ、まだ話してなかった!
「あたしのおねえちゃんね、お月さまなの! だいねえちゃんと、ちぃねえちゃん! ガンちゃんがヘルメット割られて死にそうだったけど、助けてくれたの!」
ああっ! メルお前、そこで核心ぶっちゃけたら……ほら、オレが全部説明するハメになる。いやいや、もう済んだ話だから。なあララ? そのロープはどこから出したの? ローラもさ、にっこりするなら目も笑ってほしいなあ。
すみません。みなさまに隠し事をしてごめんなさい。ボクが悪かったです。すみません。もう隠し事はありません。本当です。だからもう降ろしてください。目が回るより、股間に食い込んだのがキツいんです。
「くかかかっ、メルが双つ月の妹か! 【星の娘】か。聞けば道理にゃ。それでも、会えたとはにゃあ」
「……二柱の星霊からご褒美を、ですか…おそらく【不変】の加護でしょう。地球人のガンマさんが宇宙服を着ずに生存できたのも、野ば——あの人たちの非常識な訓練に耐えられたのも、それで説明できますね」
「女官長、その加護というのはどういったものですの?」
それはオレもはっきり知らねえ。なんせ『ご褒美』としか聞いてないんだから知りようがない。
「文献を全て記憶している訳ではありませんが、歴史上の……英雄とされている人物が受けた惑星霊の加護のひとつに【不変】というものがあります。それを授かった者は、戦いで受けた傷が原因で死ぬことがなく、半神のような存在になると」
「待て待て。ヒゲハゲ軍団の連中と乱闘したときに、ボコられて何度か意識飛んだぞ」
「ええ。負傷で死なないだけで気絶しますし、骨が折れたら動けなくなります。その間に首を斬られたら普通に死にますね。それに毒殺された英雄の物語もあります。半神と言っても、半分は人間のままですから」
あ、その辺はフツーなんだ。不死身の身体になってワンマンアーミーだとか、アダマンタイトの骨と爪を生やしたオッサンみたいなことにゃならんのね。マーベラスなアメリカ人の仲間入りするのかと思っちまった。
大変お待たせしました。
今後の事をあれこれ用意したり考えてるうちに、すっかり時間が…
もう一話か二話で、第二章終了となります。
***ここから引用のご紹介***
クァール…A・E・ヴァン・ヴォークト氏「宇宙船ビーグル号の冒険」より
重力等化装置…エドモンド・ハミルトン氏「キャプテン・フューチャー」より
ムーンドッグ…同上
ガーニー警部補…同上、エズラ・ガーニーより
シートン監査官…E・E・スミス氏「宇宙のスカイラーク」リチャード・シートンより
素晴らしい作品に敬意をこめて。