正しい資質(ザ・ライトスタッフ)①
月面の冒険を終え、久しぶりの地球でエピソード開始です。
またこれかよ。
カムイ州の下宿に帰る着陸船の中で、オレは来た時と同じく精霊石にエーテルを補給する人間ガソリンスタンドとして貨物室の配管に括りつけられている。
着陸船は来た時と同型のものだから、やっぱり窓はない。現時刻のカムイ州は地球の夜の側にあるから船内は真っ暗。下宿のあるバラトから少し南側のカムイ州都・サヴォロの夜景を見たかったなあ。百万ドルとは行かなくても、それなりに良い眺めだろうに。
まあ、夜景はともかくとして…よくも無事に帰ってこれたもんだ。
死ぬ気はこれっぽっちも無かったが、意気だけで済むなら誰も苦労しねえやな。それも分かっていたから、差し迫った危険は排除できたことが何よりも嬉しくて、それと同じくらい気が抜けちまう。
なんだかんだ言って、出発の時は気を張っていたと思う。オレなんかは、元々がバイクいじりと昔から飛行機とロケットに興味があったオタク気質の中年だ。ヤクザでも警官でも自衛官でもねえ、ただの会社員ってだけ。
そんなだから宇宙に行って帰るだけで、もう身の丈以上の大冒険だ。護身術とは言えない槍術を身に着けているとはいえ、稽古場以外で使ったことなんか一度もねえ。それが他人様に刃物向ける鉄火場に飛び込む羽目になろうとは。
「ガンちゃーん、もうそろそろお家に着くって!」
「あいよ」
たそがれるオレとは真逆に、メルはいつも通り元気だ。前は三十センチくらいだったのが、姉ちゃんたちと会ったときに大きくなって、今は五十センチちょっとの身長。
それなのに小さい時のワンピースなんか着ちまって。作ってやったのを気に入ってくれるのは嬉しいが、がっつりひざ上のミニスカートになってるのは…なんというか、オレがこいつに服を買ってやれない甲斐性なしに見られそうで、ちっとばかり不愉快だ。
「新しい服、作らねえとな」
「ほんと? やったあ!」
「どんなのが欲しいか五つか六つ考えとけな。手持ちの布で足りなかったら、買いに行くからよ」
「うん! ワンピースに、長袖のシャツでしょ? ツナギもいるし…あと、かわいいパンツほしい! おっぱいに巻くやつもほしい!」
うん、買い出し決定。
それと下着なあ…あとでローラかララに頭下げて型紙起こさねえと難しいな。ただのパンツなら適当でいいけど、かわいいって注文がついちまった。面倒くせえと思わなくもねえが、姉ちゃんたちからよろしく頼まれている手前もある。
それに、こんな話ができるのが「穏やかな日常」に戻れたって実感する。だから、できるだけ沢山作ろう。手を動かして何かを作るのは大好きだ。
「穏やかな日常」ってのは…この世界じゃ中々に値が張る代物だ。ある程度の労働だけじゃ足りなくて、それを奪わせねえ抑止力も足さなきゃ手が届かねえ。バラトの商店街とか、そのへんの皆は強盗くらいなら自警団に守ってもらえる。
でかいクマだの山賊だのがウロウロしてる山ん中だと、傭兵を雇わないと最低限の安全さえままならない。
じゃあ、エディが言ってた政府や国なんかが相手だったら?
メルとオレの「穏やかな日常」には、いったいどのくらいの値札がついてて…誰が守ってくれるんだ? ローラか? ババアか? 違うだろ。誰も守ってくれねえよ。そもそも、そいつが売ってるのかさえわからねえんだ。
大好きなモノづくりをするのと同じ手で、何人もの命を奪った。それを忘れることはできねえが、この世界はそこで立ち止る弱さを許してくれねえ。自然も社会も荒っぽくて、強くなけりゃ大事なモンが奪われる。
ムーンドッグの連中もそうだ。オレはどうも、そういうのが心底気に入らねえらしい。
「…ガンちゃん、どうしたの? おこってるの…? おっぱいに巻くやつ、ダメ?」
「ああ、いや…怒ってねえよ。ごめんな、ちょっと考え事してた。ブラジャーは早いと思うけどな」
「むっ! そんなことないもん! かたくずれするから、早くつけた方がいいってララちゃん言ってたもん!」
ダメだな。メルにそんなこと気にさせたくねえって思ってるくせに、このザマだ。こんな風に考えちまうのも相棒だって思えてねえからなのか。くそ、なんだオレ。
「そういうもんか」
「そういうもんなの」
やめだ。その時にならねえと、自分が納得できる答えなんか見つからねえ。同じ役に立たねえなら、メルのブラジャーについて考えた方がまだマシだ。
とはいえ、どんな形なんだ? 記憶にあるのは…エロ動画の下着は却下だ。どうしよう。テレビCMでワイヤーがどうとか言ってたけど、寄せたり上げたりする元がない子はどうするんだ? 帝国軍人式に「ブラジャーに胸を合わせろ」ってか? それも却下だ。
そもそも、あれって背中の留め具はどういう仕組みなんだ。マジックテープ…じゃねえよな。弱った。オレにとって女性下着売り場なんてのは避けて通るもので、眺めたり立ち入るような場所じゃねえ。布地の少ない水着グラビアとかエロ動画は参考にならねえ!
大変だメル! 作ってくれと言われて、何も知らない自分に初めて気が付いた!
「うーん。すごく詳しいのも…それはそれで嫌だけど…どうしよう?」
まったくだ。
仕事ならいざ知らず、女性下着にやたら詳しい男ってのはオレも引く。イシカリのジャンク屋なら「その道」の上級者だから知ってるだろうが…その方面の事をひとつ質問したら、軽く半日は長広舌を拝聴する羽目になる。最終手段として選択肢に残すが、できることなら頼りたくない。
「じゃあ、あとでララちゃんに聞いてみるね」
「是非そうしてくれ。できれば、構造を絵に描いてくれると助かる」
「はーい。他にほしいのも考えとくね」
ぴょんと跳んでメルは右手に戻った。
オレの右手は、前は手首とひじの真ん中あたりまでがメルだった。だが、月の星霊からご褒美とやらを貰ってから…ひじまでメルになっている。気付いた時はちょいとばかり驚いたが、痛くも痒くもねえから「そういうもん」だと思うことにした。
身体が浸食されてんのかって思わなくもないが、かなり嬉しいことがある。差し引きで言うと大幅にプラスだ。
それは、メルとオレが別々に行動できるようになったこと。脳内会話であれこれ検証した結果、銀のラインで繋がっていればこれまで通り脳内会話ができるが別行動中は不可だ。
別行動中、オレの右手はメルが設定した形状で固定される。右手のままなら、普通の手として。何かの道具なら、その道具のままだ。また、メルは任意のタイミングで右手に戻れる。戻ることが可能な距離や、障害物の影響はまだ検証してねえが…これは福音と言ってもいい。プライバシーだ。
そう、プゥララライヴァ、スィー!
この半年間というもの、オレは常にメルと一緒だった。自分の身体だから当然だとはいえ、妊婦さんだって自分の腹ん中から「ママ、鼻毛が出てるよ」とか便所で「くさい」なんて文句言われねえよな? 下世話な話だけど、こういうのが地味にキツイんだ。そんなのが日常だったんだ…よく耐えた。よくぞ耐えたオレ。
これはオレにもメルにもいいことなのは確定的に明らか。
あと、すごく大事なのが健全性の確保。
これ本当に大事。マジで。
いかにオレがクロモリ鋼を超える強靭極まる自制心を持つ男でも、ものには限度ってのがある。いくらきわどくても、紐パンであったとしても、たかがパンツで反応してしまうのは素に戻ったときに泣く。でも、されどパンツ。だって男の子なんだもん。
しかし、だ。オレの高潔な魂が、生理現象に左右されることなど断じて許容できん。それはケダモノなのだ。野獣死すべしなのだ。ゆえに、ケダモノに渾身の鉄槌を振り下ろし、度重なるセクハラに半年溜まった毒を抜かねばならぬ。
そう、これはデトックスだから。
不発弾処理みたいなもので、やましくないから。
しょうがねえから。
「ガンちゃん、ふはつだんってなあに?」
メルさん、あなた右手に戻ってなかった? いや、それよりも…
「…なあ、いつからいた?」
「あたしは最初からいるけど?」
「…いや、その後ろ」
「お気になさらず。お年頃の不発弾処理は淑女の嗜み、暴発する前にお手伝いしましょうか?」
ララ…いやケイ=ララ。毎度毎度、そういう方面の察しの良さは何なんだお前。どうしてそこにいるかを聞いてんだ。あと、そういう誘いはメルの教育に悪い。ババアだけでも十分すぎるのに、お前まで加わったら月の姉ちゃんに殺されるぞオレ。
「はいはい…ジヌ=メーア様のお宅に到着したので、お知らせに参りましたの。あとロープを解こうかと」
先にそれを言え。愉快な顔をしていた? 顔は生まれつきだ。いいから解いてくれ。
「ひとこと御忠告を。月と同じ感覚で動こうとしたら転びますので、足元にご用心くださいましね」
「あー…そうだな。分かった、ありがとう」
「はい。そこで素直にありがとうって言えるのは素敵な事ですよ」
なんだそりゃ。
ガチガチのグルグルに巻かれていたロープを解いてもらうと、血が巡って身体が暖かくなった。重力か…元の世界だと月の重力は地球の約六分の一。重力等化装置はカッチリ地球と同じではなく、調整ダイヤルで体感に合せているに過ぎない。だから、体感と実際の差が大きいと違和感があったり、普通に歩けない問題が出るんだろう。
「まあ、がさつな火星の野蛮人が作るものですからね。洗練と縁遠いのは仕方ないかと思いますわ」
「へえ、重力等化装置は火星で作られているのか?」
「コイルに使われているグラヴィウム鉱は、火星と木星でしか産出しませんの。あちらは地球より星の恵みが少ないですから、そういう方面に力を入れるのでしょうね」
「星の恵み?」
「あら失礼、エーテルのことですわ。先ほどまで女官長と話していたので、頭が神殿脳になってました」
あー、わかるわ。職場で専門用語ばかり使って会話してると、他業種の人と会ったときに会話が成立しなかったりするんだよな。
「そうなんですのよ。基本的に女官長は純粋培養の神殿脳ですから、外の方との交渉事に向かないんですのよね」
「神殿の常識は世間の非常識、ってか? どこでも変わらねえな、そういうの」
業界内の専門用語や、その界隈で常識となっているものを他業種の人に伝わる言葉で語る、ってのは誰にでもできる事じゃねえ。ひとつの特殊技能だとさえ思う。それができる人は、オレの中では楽譜を読める人と同じくらい尊敬に値する。
「そんなに持ち上げられると、くすぐったいですわ。もしかして、口説いてくださってるんですの?」
「それは違うから安心しろ」
まあ残念、と肩をすくめたララに手を引かれて自由になった体を起こす。言われた通り、少しだけど重力のかかり方に違和感があるな。ちょっと身体が重く感じて、注意されてなきゃコケてた。
「重力は体捌きと技のキレに関わりますからね、これも淑女の嗜みですわ」
なるほど。そりゃ物騒な得物を振り回すレディに必須の教養だ。オレも今後のために習得すべきだな…重力等化装置を使えば、ある程度そういう環境を再現できるだろうか。ララは模擬戦の相手、頼んだら引き受けてくれるかなあ。
「いつでも、と言いたいところですが…ここまで集めた情報の精査と分析もありますし、あまりお力になれないかと思いますわ。申し訳ございません…ですが、不発弾の処理でしたらいつでもお相手いたしますわよ?」
「仕事しろ。溜まってんのか?」
「半年近く女官長のお守りで禁欲生活な上、荒事の後ですもの。当然溜まってますわ」
世の東西を問わず、昔から兵隊と娼婦ってのは切り離せないもんだ。戦うってのは死と隣り合わせだから、生存本能をむちゃくちゃ刺激する。だから生物として根源的な部分も活性化して、たまらなくなるそうだ。
オレの場合、下宿の玄関先で戦ったときは無我夢中だった。そして海賊船で何人か始末したときは罠で自爆させただけ。アーバレストの時は格上相手にハッタリと仕込みでギリギリだった。生存本能、刺激されたよなあ。元から溜まりまくってるから変に麻痺してんのかなあ。
「ね? お互い溜まったもの同士、これからいかがです?」
やめんか。右手にメルがいるんだから、そのでかいのを擦りつけてくるな。ハードボイルドヒーローは、あからさまな誘惑に乗ったりしねえんだよ。だけど、いいこと考えた。一石四鳥のパーフェクトプランだ。
「なあ、ララ。ちょっとしたお願いと、賭けをしねえか?」
「なんですの?」
「お願いは、メルに女性下着の作り方を教えてやってほしい。作ってやりたくても、構造を知らねえんだオレ。そして賭けは、模擬戦して勝った方が相手を好きにしていい。どうだ?」
ババアとローラは何か着陸船の通信機でどっかと連絡を取るらしいので、しばらくオレとメル、それにララの三人だけになる。つまり、このクール系痴女(発情中)が暴走した場合に実力で制止できる人員が不足しているのだ。
「…それが賭けになると? 面白いことを仰いますわね…私、甘く見られてますの?」
「そいつはどうかな。お前のことは嫌いじゃねえし、前から戦りたいと思ってたんだ」
「うふふ…っ、すてきですわ。疼いてしまいますわね」
情欲にとろりと濁っていたララの緑がかった金の目が、言葉とは裏腹にすうっと醒めていく。表情だけは艶然と微笑んでいるが、星明りの下でさえ光を強くする目は戦意のそれだ。
「その言葉、私の下でも聞かせてくださいましね?」
「オレが負けたら、何でも言ってやるよ」
乗ってくれて助かる。こうでもしなきゃ間違いなく下宿で寝技に持ち込まれる。そうなると、オレも思春期。大して抵抗できずに流される自信がある。正直、ありまくる。むしろ流されたい。椿の花がポトリと落ちて、代わりに栗の花が咲く。そういうのも実は嫌いじゃない。
だが、負けてやる気なんざカケラもねえ。力づくで奪われるなら、全力で抵抗して負けねえと納得いかねえ。これが一羽目の鳥。メルのために女性下着の作り方を教えてもらう。それが二羽目の鳥。
三羽目の鳥は、これから確かめる。
当初のプロットでは、ガンマと最初に戦うのがララでした。
うっかり忘れて、気が付くとセクハラ担当になるという始末。
すまぬ…すまぬ…でもクール系痴女のララネキ、助かってます。
***ここから引用のご紹介***
クァール…A・E・ヴァン・ヴォークト氏「宇宙船ビーグル号の冒険」より
重力等化装置…エドモンド・ハミルトン氏「キャプテン・フューチャー」より
ムーンドッグ…同上
ガーニー警部補…同上、エズラ・ガーニーより
シートン監査官…E・E・スミス氏「宇宙のスカイラーク」リチャード・シートンより
素晴らしい作品に敬意をこめて。