双つ月の祝福①
眠りに落ちる瞬間ってのと意識が途切れる瞬間というやつは、結果として身体を動かせなくなるのは一緒でも、その過程が違う。落ちる、というのはある程度「落ち方」を選ぶことができる。それに対して、途切れる、というのはブレーカーが落ちたみたいにブツリと切れて、戻れない。
これまでの人生、落ちる方は毎晩体験して慣れているが…途切れる方は初心者だ。そして、意識が途切れても夢を見るのか、なんてのは想像もしたことがない。
つまり、いまオレは自分がどうなってんのか、さっぱり訳が分からねえ。
「ガンちゃん、大丈夫?」
「大丈夫なのか自信がねえなあ…だって、ほらヘルメット割れちまってるもん。大丈夫そうに見える?」
「…わかんない。でも、これいつものやつじゃないよ?」
メルとの脳内会話なら、時間がスローモーションみたいにゆっくり経過するが…これは止まってるように感じる。それに、脳内会話だとメルの姿は見えるがオレ自身は見えない。身体を置いて、意識だけメルと接続しているイメージだ。
それなのに、今はメルの姿も自分の身体も見えている。ついでに、どういう訳か素っ裸だ。さらに言うと、メルがでかくなってる。身長が五十センチくらいで、オレの右手から離れていて、ツーリングの時に着てた白のワンピースを着てる。
「なんでオレだけ裸なんだ」
「…あたしも裸の方がいいの?」
むっとした顔でメルが口をとがらせる。そこは逆だろ? こう、お約束の展開ってあるじゃねえか。これがオレの見てる夢なのか、脳内会話の新バージョンなのかは後で確認するにしても、最大限に譲歩して二人とも裸。理想を言うならメルだけ裸というのが道理だろう。
「…えっち」
そこは認める。だがな、オレの好みは尻だ。お前みたいな肉付きの薄い小尻ごときにゃ思春期の肉体でも反応せんのだよ。この不惑の魂を揺さぶるには、メルの尻では役不足。
それに、だ。相棒の尻に興奮してちゃマズいだろうに。
「お尻お尻って、何度も言わないでよ! あと、そこはウソでもドキドキするとか言うところじゃないの!?」
「お前にドキドキした日にゃオレの一線が崩れるの!」
「一線ってなによ!?」
うぐ。それだけは秘密だ。一線を越えれば【右手が恋人】とか【右手が嫁】という烙印が押されてしまう。男女の友情という美しい幻想を心から信じたいオレとしては【右手が相棒】というラインが最大の譲歩。
「ともかく、メルにドキドキしません。しないったらしない」
「ふーんだ。おっぱいいじられて変な声出してたくせに」
「おまっ! それここで言うかァ? このよく分らん状況で、それ言っちゃうかァ?」
「その状況でえっちなこと言い出したのはガンちゃんでしょ!」
あー…その通りだ。あんまり突拍子もない状況だから、つい動揺しちまった。せめてパンツでもあればもう少し落ち着けるんだが…
「あれ? ガンちゃん、いつのまにパンツはいたの?」
え? オレいつのまにパンツ穿いてるの? うわ本当に穿いてる。つーことは夢かこれ? スリングショットにヘルメット割られて、目玉と舌がシュワーってなって…気絶して、夢見てんのか? それなら、メルも本物じゃなくオレの夢が作り出したものか…?
ふむ。メルちゃんちょっとこっちおいで。うん、そうそう。そこで万歳して、ばんざーい。
「ばんざーい?」
両手を無防備に上げたメルのワンピースの裾を、ひょいとめくってみればオレの作った色気のないカボチャパンツだ。うーむ、夢ならセクシー下着のひとつも穿いてろってのに。
「なっ…がっ…ガンちゃんの、えっちーっ!!」
ぺちん、と声のわりに小さい手で殴られた。
「いや、これ夢かなと思ってさ。メル大きくなってるし、月なのに宇宙服なしで話せてるし」
「それとあたしのパンツに何の関係があるの!?」
「オレの夢なら、メルはローラみたいなレースのフリフリしたやつを穿いてても良いはずだ。カボチャより、そっちのが好きだからな。つまり…」
「つまり、なによ」
「確認したんだよ。これはオレの夢じゃない」
「もうちょっと別の方法なかったのかなあ…」
そんなものはない。ひょっとしなくても、オレの身体は危機的状況なのだ。即時性があって信頼性の高い確認方法が必要だったので、それを実行したまでだ。
「それより、お前は違和感ないのか? いきなり大きくなってるし、右手から離れてる」
「そういえば…大きくなってるね、あたし。でも、特に何か…あっ!」
ぱたぱたとほっぺた、肩、胸、腰と自分の身体を触って調べるメルがハッとして顔を上げる。
「ガンちゃん、たいへん! 背が伸びたのに、おっぱい大きくなってないよ!?」
…はーい、メルちゃんは平常運転ですねー。
さて、こいつが夢でも三途の河原でもないのなら何か…何者かの干渉だろうか。状況が状況だから、気のせいかとも思ったが…さっきから、どうも誰かに見られている気がしてならねえ。
視線っていう細いものじゃなくて、もっと太い…いや、今いる場所ごと全部見られている。視線を編んだ布で包まれている、というか…言葉の意味が違うけど、視野とか視界と呼びたくなる感じだ。
でも、敵意や殺意は感じない。好奇心…? それより好意的な興味に近い何かだ。親戚の赤ん坊がオモチャ持ってニコニコしてるのを眺めるような、そんなやつだ。そして、そんな視線の対象になるのは……胸が大きくなっていないとガッカリしている……メルがいる。
「せっかくの機会なんだから、妹に顔くらい見せてやったらどうだい?」
ほへ、と間の抜けた顔で首をかしげるメルをスルーして、推論の結果を大声で披露してやろう。なんせハズレてもメルにしか聞かれていないからハードルが低い。
星の真ん中にある核には、エーテルの結晶である巨大な精霊石が眠っているという。そこに宿る意思は【惑星霊】という存在で、それは【星の娘】とも呼ばれる精霊を産むとも聞いた。そして、こっちの世界では双つ月が【姉妹】という伝承がある。
ついでに元の世界の学説…巨大衝突説では、月は地球から分かれて作られたのが起源らしい。これら手持ちの情報を総合して、考えられる一番とんでもない答え。
それは、この双つ月は地球の【惑星霊】が産んだ大昔の【星の娘】たちで…【双つ月はメルの姉】という推理だ。
「妹って…あたしのこと? ガンちゃん、どうしたの…きゃあ!?」
怪訝そうな顔をしたメルが言葉を言いきる前に、地震のような揺れがオレたちを包む。軽いせいで足元が定まらず、よろけたメルを片手で抱えた。
「お前の姉ちゃん、いたずら好きだな!」
「え!? どういうこと!? またなんかしたの!?」
状況が呑み込めず、揺れに驚くメルはオレの首っ玉にしがみついて、耳元で失礼なことをわめく。オレが地雷でも踏んだみたいな言い草じゃないか。
[まあまあ! この子当てちゃいましたよ、さすがはファビュラスなお姉様!]
[そうねえ、なかなかね]
ぴたりと揺れが止まり、楽しそうに語る艶と張りのある二人の女の声がした。だが、声がどこから聞こえているのか場所がわからない。すぐ近くのようで、はるか遠くのようにも聞こえる。
それっぽい気もしたが、四分六の当てずっぽうで正解しちゃったのかオレ…ていうか、ファビュラス?
[お姉様が仰ってた通りの子ね、面白いわ!]
[でしょう? 身一つで私に飛び込んでくる情熱、あの子たちの窮状に手を差し伸べる優しさ…あと、そこそこ良いモノ持ってるわね。それと赤毛とか…赤毛とか…]
[…お姉様、本音は?]
[末っ子のちんちくりんの癖に、あろうことか男連れで殴り込んできたから一発ビビらせてやりたいのよっ!]
おい、そこ本音ぶっちゃけんな。そっちにビビるわ! てか、どこにいるんだ?
[妹にセクハラかますエロガキには教えてあげないわよっ!]
[まあまあ、お姉様。ええと、ガンちゃん? こういう時には、どうするのがいいと思うかしら?]
「いや、どうするって…あんた、精霊なのか? メルより先に生まれて、星になった【惑星霊】なのか?」
「あたしのお姉ちゃん…?」
[ええ、お姉様とわたしはお母様の娘。そしてメル、あなたのお姉ちゃんよ。はじめまして、わたしの小さな妹。会えて嬉しいわ]
母性ってのは、こういうのなんだろうか。姿は見えないけど、温かで柔らかく抱擁されるような気持ちになる声だ。月の惑星霊…あれ? 月って衛星だよな。天体ならいいのか?
[うーん、そこは突っ込まないでくれると嬉しいわねえ…わたしはともかく、ファビュラスなお姉様のご機嫌が斜めになっちゃうから、ね?]
そういうもんなのか。でもまあ…メルの姉ちゃんか。ファビュラスが気になるが、良い人っぽいな…それなら、ちゃんと挨拶するのが社会人ってもんだ。
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。はじめまして、月の星霊のお二方。ご縁あって、あなたの妹さんと一緒に暮らしている、岩間 透と申します。若輩者ではございますが、どうぞよろしくお願いいたします」
抱えたままのメルを降ろして姿勢を正し、取引先の偉い人相手にするような気持ちで頭を下げた。
[はい♪ わたしもお姉様も、あなたたちのような名前がないから名乗れないのが残念だけど、お姉ちゃんって呼んでね]
「わあ…ガンちゃんが普通の人みたい!」
ちょっとメルちゃん、それどういう意味?
[つーん]
あっ。ファビュラスな方の姉ちゃん、その反応…なんか、すげえメルの姉ちゃんって感じする。
「ちょっとガンちゃん、それどういう意味?」
「どういう意味もねえよ、お前こそオレが普通の人みたいってどういう意味だ」
「そういう意味ですよーだ」
「ワン公の他にも、後でしっかり話し合う必要がある奴が増えたな…まあいい。メル、お前も姉ちゃんに挨拶しろよ」
う、とメルは急に身体をこわばらせて、周りをきょろきょろ見回したり、ワンピースの裾を握ったり口をもぐもぐしたり、オレの足に隠れたりと落ち着かない。
たぶん星霊ってのは、そう気軽に会ったり話せるような存在じゃねえだろう。ちゃんと挨拶して、仲良くしないとダメだぞ?
「…もっかい抱っこして」
オレの足にしがみついたメルが、蚊の鳴くような声で見上げてくる。なんだお前、姉ちゃんに会って照れてんのか?
「抱っこ! ん!」
はいはい…片手ですくい上げたメルを胸に抱いてやると、顔を赤くしたメルはオレの耳元で「なんて言えばいいのか分からないよ」なんて情けないことを言う。なんとまあ、メルが小さい子供みてえな…ああ、耳を引っ張るな。お前、手が小さいからピンセットで挟まれてるみてえに痛てえんだよ。
「なんて言ってもいいんだ。ほら、お姉ちゃんって呼んでやれよ」
八つ当たり気味に耳を引っ張るメルの頭を撫でて、助け舟を出してやる。
「うー…おねえ…ちゃん?」
[はう…っ♡]
[あっ…♡]
あー、効いてるっぽいな。うん、その気持ちは良くわかる。たまにメルってすげえ破壊力だよな。たまに。
「あたし、メルだよ。おねえちゃん、どこにいるの?」
[あああ、なにこの子可愛い…っ! さすが私の妹! ぎゅってしたい! ねえ、ちょっと地殻割っていい? すぐそっち行くから!]
[お姉様落ち着いて! 割っていいワケないでしょ!? わたしだって重力場曲げて抱きつきたいの我慢してるんですから!]
やいこら、姉妹愛で天体衝突規模の災害を起こそうとするな。フツーに月と地球の生物が絶滅するぞ。てか、お気軽に地殻割ったり重力場を曲げたりできるのか星霊…
[そりゃできるわよ。だって、この星が私だもの。ここで生まれたものは、みんな私の子で、それを見守るのが私たちの喜びよ]
なに唐突にドヤってんだよ。たった今、それ絶滅させようとしたじゃねえか。
[やあね、上手に割れば半分くらいで済むわよ。メルちゃん、お姉ちゃんに抱っこしてほしいよねー?]
[あーっ! ずるい! 私も軌道変更する! そっち行くわ! メルちゃんはお姉ちゃんに抱っこされたいんだもんねー?]
やめんかーい! あんたら姉妹にノリで動かれた日にゃ、メルの教育どころか地球環境にまで悪い影響が出まくるわ! むしろ今の時点でなんか出てないか心配だわ! この場に常識人はオレだけか!?
[[それはない]]
「うん…それはないかなあ…」
なんでそこで三姉妹の息がぴったり揃うんだ…アルマゲドンが石コロに思えるくらいの災害を制止したオレが非常識だというのか。なんだこの理不尽。
更新遅れちゃいました。
ここから新エピソードです。
ちょっとズルズル気味で気分良くないですが、区切りが良いとこまでこのまま。
***ここから引用のご紹介***
クァール…A・E・ヴァン・ヴォークト氏「宇宙船ビーグル号の冒険」より
重力等化装置…エドモンド・ハミルトン氏「キャプテン・フューチャー」より
ムーンドッグ…同上
ガーニー警部補…同上、エズラ・ガーニーより
シートン監査官…E・E・スミス氏「宇宙のスカイラーク」リチャード・シートンより
素晴らしい作品に敬意をこめて。