槍使いのガンマ⑥
どれくらい座り込んでいたんだろう。五分のようで、一時間のようでもある。
もう少し座っていたい気もするが、この場所で…盛大に散らかった死体の真ん中でそれは勘弁だ。
夏の気温のせいか、早くも腐りつつある臭いが鼻に届く。魚とは明らかに異なる、濃い血の臭い。
これを、オレがやったのか…?
…そうだ。オレがやったんだ。
いつのまに片付けたのか、槍は右手の中に戻っているらしい。泥まみれの身体の中で、右手だけがやけに綺麗だ。
「メル、大丈夫か?」
よいせ、とひざを杖に立ってみた。稽古とは質の違う重い疲労が芯にあって、フラつきそうだ。
負傷は擦り傷と軽い切り傷が何か所かあるっぽくて、チクチクとした痛みを感じるけど、洗って放っておけば問題ない程度だろう。
「あたしは平気。ガンちゃんこそ、だいじょうぶ?」
「ああ、大丈夫だ」
「ほんとは?」
「もう、とっとと寝たい。すげえ疲れた」
ひょいと肩をすくめると、くすりとメルが笑う。そうしたいところだけど、やることが残っている。
ここを片付けて、弔わないと。下宿から少し離れた場所にしないと、何かと面倒が起きるかもしれない。
その前に自警団に届けないといけないのか? こういう場合、元の世界なら警察だろうけど…こっちだと、どうするんだろう。
まったく今更だけど、その辺の後始末について何も知らないなオレ。刃傷沙汰の後始末について熟知しているのもアレだけど、知らなさすぎるのも困りものだ。
人を殺したのに、こんな風に考えられる自分でも意外だ。
もっと取り乱して、しでかしたことにビビって昼飯を吐くくらいは覚悟していた。
まだ自覚していないだけで、アドレナリンが出続けているのか、度胸がついたのか。
凪のように静かな気分だ。
それより、大事なことを思い出した。片付けなんかより、ララだ。あいつの容体が心配だ!
「ローラ! ララは、ララはどうなんだ!?」
思い出すと急に心配になってきた。大声でローラを呼びながら走ると、足がもつれて下宿の戸口にぶつかっちまった。
その大きな音で怯えたのか、中からローラが息をのむ声がする。
「ごめん、ローラ。オレだ、ガンマだ。もう大丈夫だ…追い払ったから、大丈夫だ」
「…ガンマ、さん?」
「そうだよ。怖かったな、もう大丈夫だ」
「あたしもいるよ! ローラちゃん、もう怖くないよ」
玄関に入ると同時に、ララをかばうように立っていた真っ青な顔のローラが、ぺたんと座り込んだ。
短剣を思い切り両手で握り締めていたのか、指がロウのように真っ白でブルブル震えている。
「ローラも頑張ってたんだな」
「…私、何もできませんでした…」
「ララを守ってくれたじゃねえか。ありがとうな」
「それは…ララは私の副官…ですし…」
「それでも、後ろにいてくれたじゃねえか。男ってのは、女に見られてるとな、意地張れちまうんだよ。良いとこ見せたくってな」
「…馬鹿みたい」
「ああ、馬鹿だからな」
青い顔はそのままだけど、ローラはくすっと笑って「ほんとう、馬鹿みたい」と繰り返した。
これでいったん落ち着いてくれるだろう。ローラには聞きたいことがある。
「それでな、ローラ。お前は魔術師ってやつなんだろ? その、ケガを治したりする魔法ってないのか?」
ララは重傷だ。膝の骨折もそうだが、意識がないのは失血か脳か、内臓のダメージが考えられる。
そのどれか、または全部じゃないかと思う。急いで何らかの手当をしないと、意識が戻らず死んじまうかもしれない。
「私は神官ですから、そういう魔法は使えます…ですが…」
「何かあるのか?」
「この星はエーテルが金星よりもずっと薄くて…精霊石を使っても力が足りないんです。この聖印が精霊石なんですが、襲われてから使い過ぎてしまって…砕けてしまいました」
ローラは胸につけていた銀環を指して言う。あれが精霊石だったのか。
だが、力が足りないだけなら問題ない。そういう魔法があって、ローラが使えるなら問題ないんだ。
「それなら、オレを使え。できるんだろ? どうしたらいい?」
精霊石は使うと目減りする、電池のようなものらしい。それなら、オレを使えばいい。
この身体は、自分じゃ使い道のないエーテルで満タンの大容量電池だ。その魔法がどれくらい力を使うのか知らんが、浴びるほど使ってくれて構わねえ。
「それは…できますが、いいんですか?」
「オレが使えって言ってんだ。ララを治してやってくれよ」
「これだけの負傷です…相当ですよ?」
「オレの命まで使うってんなら考えるけどな、そこの加減は任せるよ」
他人を助けるのに自分の命がどうなっても、と言うほどお人好しじゃあない。
だけど、知らない仲でもない。
「何で…どうして、そんなにしてくれるんですか?」
うるせえな。四の五の言うんじゃねえよ。いいから、やれって言ってんだ。
あんまり渋ると、逆にオレが怖くなってくるだろうが。
「あのね、ローラちゃん。【男の意地】なんだよ。ね、ガンちゃん?」
右腕からぽんと飛び出してきたメルが、したり顔でローラに言った。
そうだけど、文句あんのか。
「だからね、こうなっちゃったらガンちゃん言う事聞かないの。もう仕方ないから、カラカラになるまで絞ればいいんだよ」
電池かと思ったら雑巾だったのオレは。
若干ショックではあるが、ローラがその気になるなら、まあいいか。
「わかりました。ガンマさん、力を借ります…まず、ララの胸に左手をあててください」
う。オレが触る必要あるの? 胸って、おっぱいだよ?
いや、今は緊急時だ。AEDを使うようなものだ。治療であって痴漢行為ではない。
ララの胸は浅い呼吸で小さく上下している。
こんな状況じゃなければ心行くまで堪能したい気もするが、左手を広げて胸骨の上に呼吸の邪魔にならない程度に置いた。
「はい、それで大丈夫です。右腕、お借りしますね…肩口ちょっとだけチクっとしますよ」
ローラがオレの右手を抱いて、肩に短剣の先を刺した。切っ先を抜くと血が溢れ、そこに口をつけて舐めとられる。
「すみません…このやり方が、今できる一番効率の良い方法なんです…その、できれば…あまり意識しないでもらえると…」
うん、わかってる。でも、なにこれ。
左手はララの胸で、右手はローラの太ももに挟まれて、腕は胸にあたって、肩にチューされてるよオレ。
いまがどんな状況で、そういうこと考えてる場合じゃないのは百も承知だ。
だけどね? ちょっとこれどうなの? どこに意識向けたらいいの? メルちゃん助けて!
『なーんか面白くないんだけどなあ。目でも閉じてればー?』
ぶすっとしたメルの声がした。
すまぬ…すまぬ…でもナイスアイデア。目を閉じて、何も考えるな…無だ…無になれ。
「始めます」
目を閉じていろいろ耐えていると、ローラが耳元で囁く。
普通に言ってくれればいいのに! なんでそんなウィスパーボイス!?
オレの限界を攻める気か? 目を閉じてるせいか、余計にそう聞こえてしまう。
だけど、次の瞬間にそんな気分が吹っ飛ぶ。
肚の底…丹田に溜まっていた何かが汲み出されるような感じだ。
それは心地良いものではなく、逆に悪寒のように熱と寒気が混じっている。
赤と青の見えないドリルで、丹田をほじくり回しているような不快感だ。
「もう少しです…! もうちょっとだけ…!」
歯医者で麻酔かけた親知らずをゴリゴリするみたいに、痛みは無いけど相当キツい。
こんなの一度で沢山だ。
「あと少し…!」
頭の奥が痺れて平衡感覚が狂ってきた。腹が痛すぎて過呼吸になった時のようだ。
深く静かに呼吸をすると、ほんの少しだけマシになった気がする。
静かに深呼吸を続けていると、かなり楽になってきた。
そのおかげで、他の事を考える余裕も出た。
さっきローラはあと少し、と言ったが、ララは助かるのか?
魔法と言われても、元の常識を捨てきれないオレには…あれだけ痛めつけられた人体が、短時間に完治するとはとても思えない。
傷がふさがっても、骨はそう簡単にくっつくものじゃないんだ。
「これで…もう、大丈夫でしゅ…はう」
そんな馬鹿な。まだ五分と経ってないぞ?
半信半疑というより、七三で疑う気持ちが勝る。
呼吸を乱さないよう、ゆるゆると目を開けるとぼんやり光る薄い膜に包まれて、ララの胸が穏やかに上下していた。
目を閉じる前は浅くて速い呼吸で、血の気も失われていたのに、今は普通に眠っているかのようだ。
汚れた服はそのままだけど、裂かれた部分から覗く肌は傷が消えている。痛々しく紫色に腫れて、くの字に折れていた膝も…何もなかったように元通りだ。
すげえ! これが魔法か。まるで奇跡のようじゃないか…こんな素晴らしいものがあるなんて信じられない!
「ローラ、すげえな…魔法って、こんな…あれ?」
ローラに感動と賞賛の気持ちを伝えようと勢い込んで振り向いたら、それっぽっちの力に負けて彼女はパタリと倒れてしまった。
今度はこっちが病人になっちまったのか!? でもローラの顔や脚にあった傷は消えている…膝こぞうも、太ももにも傷は無い。
おお…パンツは白のレースか…見た目によらず、中々に大人っぽいものを…ううむけしからん…これはけしからん…
「えーと、何かいった方が良いかな?」
隠そうともしない怒気を後ろから感じる。うふふ、と笑っているがこれは擬態というより威嚇に近い。
「ろ、ローラだってケガしてただろ? それが消えてるから、ちょっと確認をだな?」
「ふうーん? パンツばっかり見て、けしからん…って言ってたけど?」
メルさん? ちょっとあなた無慈悲にほどがあるんじゃないの?
飲まなきゃやってられねえんだよ、という瞬間が男にゃあるんだよ?
「だってよぉ! 今回オレすげえ頑張ったじゃん!? ぶっつけ本番でさあ! ヘロヘロになって戻ってきたら、今度はララ治す手伝いもしたじゃん!? ちょっとくらいご褒美にパンツ見てもいいじゃん!?」
「むーっ! あたしだってがんばったもん! なによ三連射ーとか言っちゃって! ちっちゃい弾いっぱい作って、空気ぎゅーってするの大変なんだよ!?」
「バッカお前、オレがどんだけビビってたと思ってんだよ! ちょっとくらい派手なセリフ言わねえとチビるんだよ! 今だってビビりまくりだよ! パンツでも見なきゃブルっちまうんだよ!」
「もーっ! パンツパンツって、そんなに見たいんなら、あたしのパンツ見ればいいでしょ!?」
「……おっ…おまっ…! お前のカボチャパンツなんかオレが作ったんだから、見たって楽しくねんだよ! バーカ!」
「あーっ! 作った人が言うんだ!? だったら、ローラちゃんみたいにかわいいパンツ作ってよ! バーカ!」
「そんなモンなぁ、作れたらとうに作っとるわ! 自慢じゃねえけどな、かわいいパンツなんざ、現物もロクに見たことないっちゅーの! バーカバーカ!」
「バカって言う方がバカなんだからねーだ! なんとかしてよ! 男でしょ!?」
「なんともならねんだよ! 男だから!」
ふーふー荒い息を吐きながら、額がくっつく至近距離でメルと睨み合う。
実際しょうもない事だと思うが、ここで退くと、もっとしょうもないのだ。
ゆえに、退くわけにはいかぬ。
「くはは…っ帰って来てみれば…なんとも、元気だにゃあ…お前ら」
睨み合いから、なぜか睨めっこに変化した頃。
たし、と足音を立ててババアが玄関の戸口に現れた。
メルはババアに飛びついて、さっそくオレの告げ口だ。くそぅ、こうなるとババアはメルの味方だ。
「まあ、無駄にヘコんでたり、気が大きくにゃってフラチにゃ真似をしでかすよりはマシにゃ。後始末は若いもんにやらせるから、お前は身体でも洗ってくるにゃガンマ」
うにゃお、と外にいる猫…クァールたちに号令をかけるババア。
外からは若干気乗りしなさそうな返事がにゃあにゃあと聞こえる。猫語がわかったら、きっと文句たらたらなんだろうなあ。
「それにしても、たかが下帯程度でよくケンカできるにゃ。理解に苦しむにゃ」
とうに枯れたババアにゃロマンはわかるめえよ。
「んじゃ、お言葉に甘えて汗でも流すとしようかね…っと」
少し勢いをつけて立ち上がると、くらくらした。座ってる間は大丈夫だったのにな。
着替えを取りに二階の自室まで戻るのに、たった十五段の階段がやけに長く感じる。
踏み外さないように足元を見ても、床が水平ではないように見えてくる。
「ちょっとガンちゃん、ふらふらしてるよ?」
なんとか自室まで戻ってきたけど、これはダメだ。
まだ夕方だってのに、夜みたいに真っ暗だ。
「うーん…メル、こりゃまずい。オレ、倒れるわ」
「ええ!? ガンちゃん、だいじょうぶなの!?」
たぶん、あんまり大丈夫じゃない。
それを言えたのかも分らないまま、プツンと意識のスイッチが落ちた。
章ごとのパート数が…伸びまくって…い…く…
でもこの章はここで終わりです。