第5話 絹と繁栄―豪華な装いの商人が纏う矛盾―
Jacob が関所を去ってから、二週間が経った。
その二週間の間に、関所を通る旅人の数は、いつもと変わらなかった。商人、行商人、僧侶、浪人。様々な身分の人間が、この関所を往来する。その全てが、直也の観察眼に晒される。
直也の感覚は、日に日に研ぎ澄まされていた。転移者たちを見分ける能力が、いや、単に「人間を観察する能力」が、研ぎ澄まされていたのだ。
それは、Jacob との対話の中で、直也が自覚したことだった。転移者を見分けるのではなく、「人間の本質を見つめる眼」を持つこと。その眼が、言葉の矛盾や、行動の違和感を、自動的に拾い上げるようになったのだ。
午後3時。
新しい旅人が、関所にやってきた。
その人物は、40代後半の男だ。着物は、豪華だ。絹製で、色も深く、染めも見事だ。帯も、高級品だ。足元の草履も、新しく、良い材質のものだ。見た感じは、江戸の大商人だ。護衛もついている。若い男が二人。その護衛たちも、質の良い着物を着ている。
つまり、この男は、金を持っている。江戸時代における相応の地位を持った商人だ。
「通行を願う」
その商人は、許可証を差し出した。その声は、低く、落ち着いている。江戸商人特有の、ある種の余裕が感じられた。
直也は、その許可証を受け取った。
許可証は、整っている。江戸の有名な商家の印鑑が押されている。その商家の名前は、「伊藤田商館」だ。あまり聞いたことがない名前だが、許可証の形式は、きちんとしている。
「商売でお回りですか」
直也は、穏やかに聞いた。
「はい。江戸から各地へ、商品を配送する商売をしております。主に、高級な繊維製品です」
商人の返答は、即座だ。その内容も、確かだ。許可証の印鑑も、問題はない。
だが、直也は、その商人の言葉に注目していた。
「高級な繊維製品」という言い方。江戸時代の商人が、このような言い方をするか。確かに、する。だが、その言い方の裏に、何か現代的な「ビジネス用語」的な響きがある。
さらに、その商人の顔だ。その男の眼は、江戸時代の商人のそれではなく、もっと計算的だ。金銭的な価値計算が、その眼に見える。その眼は、この江戸時代の人間たちを、「顧客」や「取引相手」として見ている。
「繰り返しのご利用ですか」
直也は、続けた。
「江戸から各地へ。その往来は、定期的ですか」
「ええ。ほぼ毎月、この時期は、この道を通っております。各藩の有力商人への営業が、主な目的です」
商人の返答は、自然だ。だが、その中に、一つの言葉が、直也の耳に引っかかった。
「営業」という言葉だ。
江戸時代で、その言葉は、あまり使われない。現代日本では、ビジネス用語として一般的だが、江戸時代では、使われない言葉だ。その男は、確かに「営業」という言葉を使った。
直也は、その矛盾に気づいた。同時に、この男も、転移者であることを確信した。
「営業。…いい言葉ですね」
直也は、その言葉を繰り返した。
「江戸時代では、あまり聞かない言葉ですが」
商人の顔に、わずかな動きが生まれた。それは、自分の言葉の誤りに気づいた瞬間だ。
「…言い誤りました。『売却活動』ですな。商品の売却活動を、各地で行っております」
商人は、素早く修正した。だが、その修正は、逆に、その男の正体を確実にした。修正する必要があるほど、その男は、その言葉に関する知識を持っていたのだ。現代日本のビジネス用語を。
「そうですか」
直也は、その商人をじっと見つめた。
「ところで、その繰り返しのご利用の中で、いつから、このような形式での通行になったのですか」
「…」
商人は、答えなかった。
「つまり、この許可証の日付を見ると、ここ三ヶ月以内に発行されたものですね。ですが、あなたは『毎月、この時期は、この道を通っている』と言った。三ヶ月以上前のご利用もあるはずです。なぜ、許可証は、ここ三ヶ月以内のものなのか」
直也の質問は、細かかった。その細かさは、Jacob との対話の中で磨かれたものだ。
「…定期的に新しい許可証を取得しております。江戸の役所の指示で」
商人は、その返答をした。その返答は、もっともらしい。だが、その時点で、その男の顔には、焦りが見え始めていた。
「江戸の役所の指示。…そうですか。では、この『伊藤田商館』という商家について、教えていただけますか」
直也は、許可証に書かれた商家の名前を指した。
「どこに位置する商家ですか。どのような商品を主に扱っていますか。その商家の主人は、何という人物ですか」
直也の質問は、立て続けに続いた。
「…江戸の日本橋界隈に位置する商家です。主に、高級な絹、綿、麻などの繊維製品を扱っています」
商人の返答は、だんだん形式的になってきていた。警戒心が、全身を覆い始めている。
「そうですか。では、その商家の主人のお名前は」
「…申し上げられません。プライバシーの…」
その時点で、商人は、止まった。その言葉の中に、「プライバシー」という現代用語が、混ざっていたのだ。
直也は、その時点で、立ち上がった。
「あなた、関所の奥に来ていただけますか。色々と、確認したいことがあります」
直也の声は、穏やかだったが、強固な意思を帯びていた。
商人は、その場で、何かの決断を下した。その決断は、抵抗することではなく、従うことだった。
関所の奥の部屋で、商人は座らされた。
田中と山本が、同席している。
「あなたの本当の身分は何ですか」
直也は、聞いた。
「…」
商人は、答えなかった。
「『営業』という言葉を使った。『プライバシー』という言葉を使った。両方とも、江戸時代には、存在しない言葉です。あなたは、この時代の言葉を、完璧には使いこなしていない」
直也は、その商人を見つめた。
「さらに、『伊藤田商館』という商家。その名前の構成が、少し奇妙です。『伊藤』という姓と、『田』という字が、別の形で組み合わさっている。つまり、『伊藤田進也』という名前を、『伊藤田商館』と変形させたのではないですか」
直也の指摘は、鋭かった。
商人の顔が、変わった。その変わり方は、完全な降伏のそれだ。
「…あなたは、何者ですか」
商人は、逆に、直也に聞いた。
「40歳のニート代官です。…という答えは、あなたも知っているでしょう。Jacob から、情報が流れているのですから」
直也は、その言葉を口にした。
「Jacob を通した。その決断をした代官。それが、僕です」
商人の眼が、大きくなった。
「…Jacob を…通した」
「はい。何事もなかったように」
直也は、その言葉を確認した。
「あなたの本当の身分は何ですか。何度でも聞きます」
商人は、長く沈黙した。その沈黙の中で、その人物の内部で、何かの葛藤が起きているのが伝わってきた。
最後に、商人は、口を開いた。
「…Shunya Itoh. 伊藤進也。21世紀の日本で、グローバル大企業に属していた。その企業の日本支社長だった」
商人は、そう名乗った。
「グローバル大企業。何が目的でこの江戸時代に来たのですか」
「…ビジネス」
Shunya は、その言葉を口にした。
「我たちは、歴史改変により、日本の経済的繁栄を、より大きなものにしたいと考えていた。過去の日本の商業構造を、現代のビジネス手法で改変すれば、より効率的で、より利益的な経済体制を作ることができる。その結果、日本という国家は、より強大になる。それが、我たちの目的だった」
Shunya の言葉は、Jacob のそれとは異なっていた。Jacob は、「権力を求める」ことを隠さなかった。だが、Shunya は、「経済的繁栄」という名目で、その野望を包み隠そうとしていた。
「経済的繁栄。つまり、あなたは、この江戸時代の商業を、支配するつもりですか」
「支配ではなく、『改善』です」
Shunya は、その言葉を使い分けた。
「より効率的な流通構造。より利益的な価格設定。より合理的な商業活動。それらを、この江戸時代に導入すれば、それは…改善になるのです」
「改善という名目で、支配する。…わかりました」
直也は、その言葉を聞いて、Shunya の本質を理解した。




