第十四話
今、仲間たちに囲まれた俊樹は思う。
(永井は絶対的な強者ではなく、
弱いものいじめしかできない卑怯者にすぎなかった。
だから鍛錬して強くなれば
あんなやつを撃退することは難しくない)
(だが、繰り返される暴力に屈服したオレは、
抵抗するための気力を失ってしまった。
心まで弱くなってしまったオレに必要だったのは、
努力すれば強くなれると励ましてくれる存在。
しかし、
オレの父は仕事ばかりして息子のことなど気にかけてくれなかったし、
母は甘やかすだけ。
これでは成長などできない)
(けれども[真世界への道]と出会い、
[秘密の首領]さまを信仰することでオレは変わった。
自らを鍛えようとする意欲がわいたんだ)
(そう、オレは戦いにより、すでに過去の苦悩を克服した。
今のオレは哀れないじめられっ子ではない。
旧社会を破壊し[真世界]を建設する、革命戦士だ)
今年の三月、恒星学園大学を卒業した俊樹は迷うことなく[真世界への道]の専従となった。
(不正を見逃し、
己の利益を守るために弱者の苦しみを顧みない、あの精神。
それは恒星学園だけではなく、この国全体に蔓延している)
(改革の一歩がこれから始まる。
日本を[真世界への道]が支配すれば正義が行われ、
弱者は必要に応じた鍛錬を受けて成長できる社会となるだろう)
(オレは[秘密の首領]さまを信仰したから救われた。
だから現在いじめられている子供たちにも信仰を伝え、
救いたいんだ)
講堂のドアが開いた。ざわめきの声を背後から受けて、背の高い偉丈夫が現れる。富鳥義知だ。まるで西洋人のように彫りの深い顔立ちの彼は、縦長の紙を広げた。
〈超克細胞 承認〉
墨痕淋漓と書き上げられたその文字を見て、[真世界への道]一同は歓声をあげる。
「万歳!」「我々の勝利だ!」
俊樹も皆と一緒に叫んだ。喜びの声は次第に普段唱えている合言葉に変わっていく。
「真世界よ 来たれ!」「真世界よ 来たれ!」
彼らを取り巻く一般人は、聞きなれないフレーズに戸惑いの表情を浮かべた。
しかし、[真世界への道]信者たちは己の世界に浸っているため、周囲の反応に気づくことはない。
◆◆◆◆◆◆
その日の夕刻、府中駅近くにある居酒屋〈大勝利〉。
少々高価な料金だが酒も肴も美味と評判の店だ。
客席奥の壁に設置された棚の上にはラジオがあり、アナウンサーが米相場などの産業ニュースを読み上げている声が流れている。一般向けのニュースは午後7時からだ。
「乾杯!」
音矢は隣の客とビールのグラスを打ち合わせた。
「フレちゃんに乾杯!」
満面の笑みを浮かべた中年男が声をあげると、
「おお、フレ助に俺も乾杯だ!」
「フレ公、よくやった!」
「フレ大明神! ありがてえ ありがてえ」
ダービーの勝利馬をたたえる声が店のあちこちで発せられる。
「いやあ、
払い戻しで分厚くなった財布をかかえて飲む酒は最高だな。
あんちゃんもそう思うだろう?」
「ええ、きっと気分がいいでしょうね。
いつかは僕も体験してみたいものです」
「はあ? じゃ、あんちゃんは当てていないのかよ」
「はずかしながら、買った馬券はすべて外れました」
「飲み代はどうするんだ?
いくらアブク銭でも初対面のやつにおごる義理はないぞ」
「ご心配なく。
ここの支払いくらいなら足りるくらいの資金は残してあります」
「かーっ! だから外すんだよ!
負けたあとのことを考えて保険をかける。その根性がいかん!
ありったけの持ち物を質に入れ、
引き出しをひっくりかえして小銭までもかき集め、
己の全存在を賭け金として
運命の女神に差し出すくらいの気合を入れてこそ、
勝利をつかめるってもんだ。
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、ってな」
「そんなことをするのは一生に一度で十分ですよ。
もう、こりごりです」
「え? あんちゃん、なにをやらかし」
「うおおおおおお! やったあああ」
男の問いは、唐突な叫びでかき消された。
「万歳! 万歳!」
立ち上がって手を振りあげているのは、ラジオの下に座っていた若い男だ。
「超克細胞が帝大の学会にみとめられたってよ!
そして国家が認可すれば怪我人の治療にもちいられるだろうって、
ラジオニュースで言っていた!」
「おお、そいつはめでたいな」
「よーし、俺たちも祝おうぜ。ビールお代わり!」
隣の男が店員を呼んだ。音矢も手を上げる。
「あ、僕は燗酒をお願いします」
それに追随してあちこちで声が上がる。
「こっちには升酒を頼む!」
「天ぷらの盛り合わせをくれ!」
「煮こみも持ってこい!」
「へいへい、みなさん、しょうしょうお待ちを願います」
忙し気に、店員は注文をきいてまわる。
「とうとう、偉い人にもわかったんだな。
超克細胞のすばらしさが」
「どんな怪我でも直してしまう奇跡の細胞でしたっけ。
もしもほんとなら、たいしたもんですがねえ」
「ほんともほんとだぜ。
俺、天狼団の人たちが公園で
実際に自分の体を使って証明しているのを見たことがあるんだ。
たしかに切り傷も火傷も見る間に治っていった」
「へえ、それはすごいものを見ましたね。
まさに百聞も一見にしかずってやつです」
「へい、お待ち」
テーブルに酒が届けられた。
「どうもありがとう」
お互いに自分が注文した酒を手にし、二人は会話を続ける。
「しかし、
それ以前に大学でも
超克細胞で傷の治療をする様子を披露していたんでしょう?
[なぜ]……」
音矢はそこで苦笑し、あらためて言い直した。
「なぜ、学者さんたちは
去年の9月、論文が提出されたときに否定したんでしょうかねえ」
「そりゃあ、あいつらが頑固だからだよ。
若い人は知らないかもしれないが、
昔は脚気がバイキンのせいだとされていたんだ。
だから、ビタミンBが発見されても学者たちは否定した。
常識が覆され、
自分たちが今まで脚気菌を発見しようと研究してきた日々が
全くの無駄だったと認めたくなかったんだ。
そのせいでなかなか食事療法が広まらず、多くの死者を出した。
同じことが超克細胞にも起きたってことさ。
だが、富鳥先生には、天狼団がついていた。
あの人たちの猛抗議や示威運動によって、
学者の妨害は打ち砕かれ、
正義が執行されたわけだ。
これで、
くだらない戦争に駆り出されて傷ついた兵隊たちの体が元に戻る。
もちろん、事故や病気で体の一部を失った人や、
生まれつきの不具合だって治してもらえるんだ」
男が語ったのは、天狼団の演説そのままの内容だ。音矢はそれに気づいたが、とくに指摘はしない。男の目に涙が浮かんでいたからだ。
「俺の叔父さんもなあ。
若いながらも腕の良い大工だったんだが、
日流戦争にとられて、
その腕自体を失ってしまった。
それで、大工を辞めて田舎に戻ったんだ。
しかし、片腕では農作業の手伝いもままならないから、
身の置き所をなくして、
ついには嵐の夜に用水路の様子を見に行くと言って
……事故死ということになったが、たぶん自殺だよ……」
鼻をすすりあげてから、男はコップを掲げた。
「しかし、これからはもうそんなことは起きない。
天狼団、万歳だ!」
「その本体である、[真世界への道]もいいぜ!」
ラジオニュースを伝えた若い男が音矢たちに話しかけてきた。
オパールのような、黒い地色の中に虹に似た遊色効果が浮かぶ統御石が天狼団の記章だ。しかし彼の耳に装着されている飾り石は赤。それでも改良神代細胞製である音矢の右目には、衣服を透かしてエーテルエネルギーの反応が見える。二つの統御石は胸にはめてあるようだ。
「今回の件でもわかったように、
[真世界への道]は上にたまったゴミを掃除して
日本を正しい道に立ち返らせようとしているんだ」
熱心に語る彼の顔を音矢は知らない。
「ドイツでナチス党が始めた改革が、
この日本でも行わている。
天狼団はナチスの突撃隊と同じように、
ソユーズ連邦の手先である均分団を叩き潰す
正義の味方なんだよ!」
このようなあからさまな宣伝を犬田は禁じていた。しかし、彼が追放されてからもう一年が過ぎる。それならば、犬田の教えが新しい入団者に伝えられないのも当然だろう。
「さてと」
音矢は足元に置いておいた書類鞄を持ち、立ち上がった。
店員に合図もする。
「僕は先に帰らせてもらいます。
野暮のお詫びに、これまでの勘定は僕が持ちますね」
[真世界への道]との接触は、須佐刀自子元伯爵夫人に禁じられている。だから彼としては早々に退散するしかなかった。
「おお、あんちゃん、気前がいいな。
ありがとうよ」
中年男が音矢に礼を言っている隙に、空いた席へ天狼団の男は腰を降ろした。ちゃっかりと、音矢の残したお銚子や鶏の唐揚げなどのツマミも確保する。
「もう少し、話させてくれよ。[真世界への道]のことを」
「ううん、まあ……」
いきなり距離を詰めてきた見知らぬ青年に中年男は警戒心を抱いたようだ。しかし、せっかく音矢が全額払うと申し出てくれたのに、このタイミングで席を立てば割り勘になってしまう。
「俺も用事があるけど、少しなら付き合ってやるぜ」
そう答えて自分のコップを傾ける。
店員に勘定を払ってから、音矢は振り向く。禁じられてはいるが、どうしてもイタズラ心を押さえきれなくなったのだ。
「それでは日本の突撃隊であるという天狼団に敬意を表して、
ますますのご発展をお祈り申し上げるために
ナチス式の挨拶をいたしましょう。
これはドイツ語で勝利万歳という意味だそうです」
音矢は礼文に切り落とされたのち、改良神代細胞で復活させた右手を掲げる。
「ジーク・ハイル!」
彼の良く通る声は、客たちのざわめきに負けず店内に響いた。
「ジーク・ハイル!」
天狼団の男も挙手して答えた。
「ジーク・ハイル!」
「ジーク・ハイル!」
酔っ払いたちも、つられて唱和した。
「ういっく。じーく・はいるってかあ」
「じいく・ひゃいる……」
ろれつの回っていない声も交じる。
パチパチパチパチ
天狼団の男が自ら拍手をすると、それは店中に広がった。
パチパチパチパチパチパチパチパチ
「みんな、ありがとう!
天狼団は、真世界への道は、絶対に日本を救ってみせる!」
気炎を上げる男に背を向け、自分も満足して音矢は退出した。
「蒔いた種は芽吹き、順調に生育している。
なんて僕は運がいいんだろう。まったく僕は幸せだ」
彼は【抜刀隊】のメロディを口笛で奏でかけたが、すぐに別の曲に替える。
それは【旗を高く掲げよ】。【ホルスト・ヴェッセルの歌】とも呼ばれる、ナチスの党歌だ。
音矢が居酒屋から退出してからやや間をおいて、一人の男も外に出る。
彼は口笛を吹く青年の後を追い、駅に向かう夜道を足音も立てずに歩いていった。
第三章 勝利 終わり
第四章 禿童に続く




