第十二話
9月11日金曜日。
俊樹は母に借りた金をトートバッグに入れて登校した。教室で寺田を見つけたので話しかける。
「おお、それはこちらとしてもありがたい。
しかし、本と手帳の現物をそんなにたくさん持ち歩いていないんだ。
渡すのは来週でいいか?」
「かまわないよ。
それで、護符のほうは儲けが出てから買うことにして、
引き渡し日を先送りしてくれないか。
資金が底をついたんだ」
「ううん、義兄さんがなんていうか……」
「それなら、次の休み時間に電話して聞いてくれ。
こちらは本と手帳、
それぞれ1ダース分現金先払いを
今日できる用意があるということも伝えて。
だから1冊ずつオマケで欲しいということも」
「[パン屋の1ダース]か。
つけつけ来るなあ。わかったよ」
講義が終わり、寺田は教室を出て行った。俊樹は緊張して彼の帰りを待つ。
幸い稲毛は要求を了承してくれたそうだ。ここまでは犬田の指示通りだ。しかし、それにはまだ続きがある。俊樹は次なる行動を起こした。
「これからのことも話したいから、
昼飯をいっしょに食わないか?
居酒屋に行く資金が足りなくてさ」
「ああいいよ。
おれも受け取った金を義兄さんに届けるため、
今日は寄り道できないし」
これも成功した。俊樹は[秘密の首領]さまに心の中で感謝をささげる。
◆◆◆◆◆◆
寺田は学食で一番安いカケ蕎麦を注文した。俊樹も同じものを頼む。隅のほうの席を確保してから、俊樹はトートバッグから竹皮の包みを取り出した。
「朝飯の残りを握り飯にしてもらったんだけど、
寺田も食べるか?」
「かたじけない。いただくよ」
この行動も犬田の指示だ。寺田との交流を深めることを、俊樹は命じられている。
◆◆◆◆◆◆
『これまで寺田さんは無料でノートを提供してあげていた。
お人好しである彼は砂漠に湧き出る泉のようなもの。
彼を利用したがる人は水を求める動物のように集まってきます。
だから俊樹さんは寺田さんと会話すれば
あちこち探し回らなくても
彼がこれまでに知りえた事実、
たとえば学生同士の人間関係などの情報を得ることができるわけです』
◆◆◆◆◆◆
「どうだい、講義ノート有価宣言の評判は」
「あまりはかばかしくないな。
守銭奴とか、罵るやつもいるし」
「努力の成果をもらうわけだから、
お礼の意味で
たったの1円くらい支払ってくれてもいいのになあ」
「そう考えてくれるやつはお前以外いなかった。
みんな薄情だよ。
……といっても、試験の日が近づいてくれば、
また態度を変えて頭を下げてくることが予想される。
腹立たしいが、
それでも商売だから、
内心を隠して愛想よく対応しなければならない。世渡りは辛いな」
◆◆◆◆◆◆
『俊樹さんの目撃談から推測すると、
最近の彼は急に料金を要求し始めた。
それはたぶん稲毛さんに指示されたのでしょう。
これはタカリと顧客のフルイ分けです。
友達だからと言ってタダを要求する人は切り捨て、
サービスの価値を認めて料金を支払ってくれる人相手に
商売を始めようとしているんですね。
なにしろ、
私立大学に子弟を通わせることができる家庭は金持ちですから。
就職難を奇貨として
営業指南書をきっかけにした金儲けをもくろんでいるわけでしょう。
そして息子が勧めれば、
実家の両親兄弟親戚知人にも護符を売ることができます』
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「本のほうはどうだ?」
「4冊ほど売れた。
就職活動に備えてのことだろう。
なにしろ、うちの大学の評判は良くないと、
もっぱらの噂だからな。
早いうちにバイトとかで企業にもぐりこんで
コネを作っておきたいのかもしれん。
だがオドオドした態度をみせて面接でハネられたら
そこで話が終わるからな」
「あの本は社会人に必要なことをわかりやすく書いてくれているから、
ありがたいよな。
企業が採用してくれなかった場合は自分で起業するという手もある。
もしできなくても、
セールスの経験はきっとこれからの人生で役立つだろう。
だからオレはまとめ買いしたんだ。
とりあえず、
母の入ってる手芸サークルに紹介してもらえることになったから、
次の活動日に手帳を持っていく。
それで反応が良かったら、
息子さんのためにといって本の購入契約を取る。
大学内と逆だな」
「なるほど。
その企業ウンヌンのセリフ、俺の営業に使ってもいいか?」
「かまわないよ。
そもそもオレが考えた言葉ではなく、受け売りの知識だから」
「ありがとう。
そろそろ他の学部にも休み時間に本と手帳の営業に行けと
義兄に言われているんだ。
目標額に達しないと、ドヤされる」
「そんな事情があるのか。
だったらオレもますます頑張って販売しよう。
そうすればお前から仕入れる数が増える」
「助かるよ! 恩に着る!」
「そのかわり、対策ノートのほうを頼む。
オレもできるだけ書き取るけど、
ひょっとしたらまた講義に出られなくなるかもしれない。
校外の活動状況がまだ、見通しがつかないんだ」
「おふくろさん関係以外にも、お前は校外でなにかやっているのか?
さっきは受け売りと言っていたが、それを教えてくれたのは誰だ?」
「うん。まあな。それより、その、ええと」
俊樹は口ごもった。[真世界への道]の存在は、しばらく口外しないでおけと礼文に言われている。
「なんだ、急に言葉を濁して。
まるで隠し事があるみたいじゃないか」
「そ、そんなことないってば!
ええと、その……ああ、そうだ。
あの永井一派がこのごろ姿を見せてないよな。
ノート取りの月沢さえもいない。
どうしたんだろうなあ」
自白を強要して有望な顧客の機嫌を損ねるのを恐れたのか、追及をやめた寺田は俊樹の問いに答えた。
「あいつらも何か活動を始めたんだよ。
そう、一学期の試験が終わったころからかな。
恒星学園近辺に住んでいる内田から聞いたんだが、
町会の夏祭りに行ったら
やつらに取り囲まれて、
どこかに連れていかれそうになったそうだ」
「どこかって?」
「わからない。
ほら、永井たちは乱暴者なのがわかっているから、
誘われてもホイホイついていく気にならなくて、
しかし断っても開放してもらえなくて、
会場の隅でもめていたんだそうだ。
そしたら見回りの巡査が喧嘩だと思って注意しに来てくれたので、
逃げ出せたらしい」
「それは良かったな」
俊樹は心の中で[秘密の首領]に祈る。もしも、やつらに絡まれたなら、自分も逃げられますようにと。しかし、彼は一週間後、自分の意志で永井と対決することになる。
◆◆◆◆◆◆
9月18日金曜日。
俊樹は朝食前、手帳に気になる新聞記事を書き写していく。世間話が苦手と犬田に指摘されたので、彼は新鮮な話題を集めようとしていた。
(おとといの記事を参考にしたコラムか。
動物愛護の観点から飼育方法の改善を求む、と)
9月16日、上野動物園でゾウが飼育員を踏み殺すという事件があった。
(新人が張り切りすぎて乱暴に調教しようとしたせいで、
ゾウが逆襲したそうだ)
(そりゃあ、自分よりも体が小さくて、
力も弱いやつの命令になんか従いたくないよ)
(むしろ他のゾウやライオン、トラなんかが
素直に飼育員の言うことをきくほうが不思議だよなあ)
次のページをめくり、ラジオ番組や舞台の紹介記事などを書き写す。【ワイオミングの男】【マダムと女房】【地獄の天使】【裏切者】【千万長者】など、上映中の映画の題名も書きとったところで、母が味噌汁やおかずが乗った盆を食卓に運んできた。俊樹は手帳と新聞を閉じる。
「トシちゃん、めしあがれ」
お櫃から茶碗によそった飯を母は俊樹の前に置いた。
「いただきます」
箸を手にし、俊樹は朝食をとる。ふと、手帳には書かなかった記事のことが頭をよぎった。
(連日報道されているから、大事なことだとは思うんだけど)
(でも、世間話として気軽に提供できるような内容ではないし。
相手だって、心が暗くなるような話はしたくないだろう)
(だから、動物愛護とかラジオドラマの感想とか、
きれいな女優さんの噂とか、
映画の評判とか、
そういう話題のほうが営業向きだよな)
得意の言い訳を自分に適用して、俊樹は不安を押し殺した。
◆◆◆◆◆◆
まだ日差しは厳しいが、涼しい風が吹くようになったので俊樹と寺田は購買部でアンパンを買い、キャンパス内の庭園に行く。木陰のベンチに腰掛けてお互いの営業成果を語りながら食事をした。その背後から、声がかけられる。
「よう」
その正体を脳が認識する前に、体が反応した。俊樹は食べかけのアンパンを手にしたまま硬直する。
「おい、返事くらいしろよ」
前に回ってきたのは永井貞夫だ。もちろんその手下たちも同行している。
「ご、ごめん」
しかし、永井は俊樹の謝罪を無視した。そして
「返事しろって言ってるだろう!」
寺田のアンパンを奪い取る。
「え、俺?」
「ほかに誰がいるんだよ。……ああ、こいつか」
硬直した俊樹に目を向け、彼は嘲笑った。
「貧乏なうえに、授業もサボる。
そんなやつに用はない。邪魔だ。あっちに行っていろ」
俊樹のアンパンも奪い、永井はそれらを放り投げた。
「寺田のエサもやる。
貧乏人にはありがたい収入だろう。さあ、拾って食え」
「……」
「早く!」
怒鳴られて、体が勝手に動いた。俊樹はベンチから立ち上がり、少し離れたところのアンパンを拾う。
「さて、本題に入ろう」
「なんだよ、いったい」
「お前の試験対策ノート、有料にするって噂があるが、本当か?」
「ああ、そうだけれど」
「俺たち友達だろう?
友達から金をとるなんて強欲すぎるというものじゃないか」
「友達だからこそ、俺の努力を認めて欲しいんだ。
その具体的な現れとして報酬をくれといっているだけで」
「金なんて穢れた資本主義社会の道具だろう。
そんなものは打倒すべき旧社会の遺物として否定すべきだ。
それに講義内容の理解度が
同じクラスの中で偏っているというのは不公平だ。
友達同士なんだから知識は均分に共有されなければならない」
「まるで均分団みたいな言い草だな」
「ほう? お前、均分主義について悪意をもっているようだな」
「悪意もなにも、治安維持法による取り締まりの対象じゃないか」
「お前は見知らぬ男だからといって聖人に吠え、
自分の飼い主というだけで大盗賊にシッポをふるバカイヌかよ。
これだけ景気が悪いのは、
中原民衆国と揉めて軍事費の負担を強いている政府のせいだ。
そこら辺のことをお前は学習する必要があるな」
永井とその子分たちは寺田を囲む。
「さあ、ついてこい。理解できるまでとことん教えてやろう」
「嫌だ! 助けてくれ!」
寺田の悲鳴を聞き、俊樹の胸に湧き上がるものがあった。
炎の熱は硬直していた体を融かす。そのエネルギーを彼は右手に伝えた。
ベチョ
アンパンを後頭部にぶつけられた永井は振り向いた。
そこにいたのが俊樹だと知って、彼は戸惑う。
「お前が投げたのか?」
「……」
喉が詰まって声が出ない。
しかし、俊樹が手にしたアンパンが一つしかないことの意味を永井は理解し、怒りで眉をつりあげた。
「てめえ!
役立たずだから放置してやろうという心遣いを
無にしやがって!」
永井に怒鳴られて、小学一年生のころから受けてきた暴力の記憶が俊樹の体を縛る。とんでもないことをしでかしたという後悔の念が浮かぶが、彼は逃げない。
なぜなら寺田がまだ囚われているからだ。
一歩後ずさり、俊樹は口を開く。
「き、均分主義は……非合法活動だ。特高に通報してやる」
「なんだと!」
もう一歩下がり、さらに俊樹は挑発する。
「永井だけじゃない。
井上も有本も高野も月沢も、全員を告発する」
「なんだと!」
「てめえ!」
寺田を押さえていた井上と有本は彼から手を放した。高野と月沢も俊樹に視線を集中させている。
素早く五歩後退してから、俊樹はもう一つのアンパンを永井に投げつける。しかし、それはたやすく受け止められ、捨てられた。
「友達を密告するような根性は叩き直さなければなあ」
接近してくる永井の後で寺田が逃走する姿を俊樹は確認し、安堵する。その瞬間自分が今置かれている状況を認識し、恐怖で頭が真っ白になった。
ジャックナイフを求めて右手は宙をさまようが、もちろん彼の手の中に愛する武器が出現することはない。それはベンチに置いたトートバッグの中にある。
そよ風が吹き、額と耳に髪が触れた。その感覚が、今の自分が髪をあげていない地味な弱虫の姿をしていることを想起させる。
激しい動悸と呼吸音が耳の中に響く。狭まった視野の中に永井の顔だけが映っている。その視線の角度に俊樹は違和感を覚えた。
(あれ?)
(こいつ、こんなに背が低かったっけ?)
小学一年時には体格差があったが、その後の成長で俊樹と永井はほぼ同じ身長となっていた。だが俊樹は永井に対する時は下を向き、相手の姿をよく見ていなかったのでそれに気づかなかった。そして礼文や健二との交流で、背が高く体力に優れた人物に慣れた目には永井が小さく弱く見えていた。
(それなら……)
(いけるかもしれない)
次回に続く。




