第九話
磨き上げた床を、大階段を、そして天井を、燃え盛る炎が焦がしていく。大切な宝物も火から逃すことができない。絶望の涙さえも頬を伝う前に高熱で蒸発していく。脱出しようとしたとき、目の前でドアが閉ざされた。
「はうっ!」
部屋着のままベッドで転寝していた富鳥義知は、顔にかかっていたガーゼケットを跳ね上げるような勢いで目を覚ました。
今から三年前の7月、義知が住んでいた富鳥子爵邸の離れ屋敷が全焼した。その火事で小間使いが焼死し、義知も上半身に大火傷を負った。
その傷を治すために彼の父である義光は新田音矢によって無害化された改良神代細胞を投与した。しかし、それは体を治すだけの効果しかなかった。さらなる高みを求めて生み出された超克細胞により、現在の義知はかつての貧弱な体ではなく背が高く筋肉も発達した姿となっている。
しかし、
「はあ、はあ……」
悪夢の余韻におびえて震える姿は、幼い子供のようだった。
救いを求めるかのように室内を視線がさまよう。
今、彼が住んでいるのは富鳥邸の母屋だ。本来は武家屋敷として幕末に建てられたもので、それを明治時代に富鳥義光の父が買い取り、時代に合わせて少しずつ洋式に改修されている。
口うるさい義姉は兄と離婚し、ヤンチャな姪を引き取って台湾に移住した。もう説教もイタズラもされることはない。父は時たま気まぐれに干渉してくるが、兄は義知のことを放置している。
だから気楽に暮らせるかというと、そうでもない。華族の家には大勢の奉公人がいるからだ。
離れを担当していた小間使いの中村ムメは毎日きれいに掃除をしていた。彼女は19歳という若さにもかかわらず、優秀な家事担当者であると信頼できたので、高価な壊れ物であるランプの手入れも任せることができた。義知が望めばいつでも美味い紅茶を入れてくれた。
しかし、母屋の奉公人たちは勤務態度も仕事の熟練度もムメより劣っている。
義知は洋間の壁に並んだ本棚を見た。そこに収められている書籍は彼が集めた宝物だ。古本屋に持っていけば高額で買い取ってもらえるだろう。というわけで義知は奉公人をこの部屋に入れようとしない。書庫として使っている二つの部屋と同じくカギをかけ、それらは自身で持ち歩いている。
部屋の反対側にはイギリス製のキャビネットがある。その中に義知はティーセットと茶葉、そして焼菓子やドライフルーツとナッツなどを収納していた。
その上に乗せた時計を彼は見る。時刻は午後2時10分。
昼食の後片付けも終わり、夕食の支度には早い時間帯だ。
ベッドから降りた義知はスリッパを履き、盆にのせたティーセットを手に、廊下に出た。
そっとドアを開けて台所に入る。いつものように缶詰などの保存食が床に積まれていた。それは富鳥父子が食べる量よりも明らかに多い。調理員と結託して従業員たちは自分たち用の食材を横領し、実家に送っているようなのだが、彼はそのことを義光に言っていない。不正を防ぐため普段から家にいる者が彼らを監視しろなどと、面倒な仕事を父から命じられたくないからだ。
蛇口から琺瑯製のヤカンに水を入れガスコンロにのせる。湯が沸いてきたら陶器のティーポットとカップに注ぐ。温まったところで湯を捨て、スプーン摺り切り二杯の茶葉をポットに入れる。泡が出るまで沸騰させた湯をポットに勢いよく注ぎ、蓋をしてから保温用のティー・コージーをかぶせた。砂時計をひっくり返し、時間を計る。抽出している間にヤカンに残った湯を捨て、布巾で拭った。
そもそも、華族の次男坊として甘やかされて育った義知は不器用だ。だから大学の研究室では実験の邪魔になるからと手伝わせてもらえず、もっぱら英語論文翻訳係を申しつけられている。
もちろん紅茶の入れ方など習ったことはない。
にもかかわらず、一連の作業は流れるような手つきで行われている。義知が鍛錬院学園の生徒だったころは教室の清掃をサボってばかりいたのだが、今は自室の掃除も苦にしていない。あきらかに自分の能力と性格が変化しているのだが、その理由を彼は深く考えようとはしていなかった。
義知はただ、自分が快適に暮らせればそれでよかった。
◆◆◆◆◆◆
紅茶とビスケットで小腹を満たした義知は、ふと考えた。
(そういえば、最近は自分の決めたテーマで論文を書いていないな)
(研究所の根府川が作成した下書きを
きちんとした形に仕上げることしかやっていない)
時に1935年〔光文10年〕。
大正の次の元号が昭和となった世界での1930年代では、江戸時代のように[ちょう]を[てふ]と記するなど、実際の発音と乖離した古い書き言葉が使われていた。
しかし光文となった世界では一般人向けの仮名遣いが一気に進歩している。それは昭和世界の1946年に公布された「現代かなづかい」によく似た口語的表現だ。
一方、権威を重んじる法律や論文界隈では依然として旧式な仮名遣いで文語的表現が使われている。
根府川は超克細胞の効果で成人男性のように見える。だが、彼は14歳から研究所に監禁されているためまともな教育を受けていない。
見様見真似で人体実験をしているが、それは子供がプラナリアに切れ目を入れて再生するさまを観察しているようなものだった。根府川は夏休みの自由研究レベルの実験結果を普通の仮名を使った口語体で書いて礼文に提出する。
それを旧仮名の文語体に書き直し、ドイツ語やラテン語も混ぜて学会で発表できる正式な論文に仕上げるよう、義知は父に命じられている。
(これでは、まるでオレが下請けみたいじゃないか)
未知の細胞を恐れて神代細胞の研究を他人任せにしていたことを棚に上げ、義知は拗ねる。
(やはり、
研究とは自発的にテーマを選んでこそ
有意義なものとなるんだよなあ。
オレがこのごろ憂鬱なのも、
パパに押しつけられた仕事ばかりしているからなんだ)
(ここは一つ、初心に戻ってみよう。
そうすれば気分がすっきりするかもしれない)
(そもそもオレが[真世界への道]を始めたのも、
礼文に勧められて密かに書き溜めていた論文を
小冊子にしたことがきっかけだったんだし)
いそいそと義知は本棚の前に行き、書籍を選んだ。書庫からも運んできて、以前読んだときに挟んでおいたシオリを頼りに必要な部分を抜き書きする。
(テーマは[魔術と呪術の差異]だ)
さすがに義知でもいきなり完全な文語体の論文は書けないので、最初は口語でメモを取る。そこから下書きを作成し、それを二日ほど寝かせてから推敲、最後に清書をするのが彼のメソッドだ。
(魔術とは思考の現実化。無から有を生む。
つまり術者の外部にモノを喚起する行為)
(対して、呪術は本質の変容。
例として演劇。
古くは仮面をかぶることによって自身の内部に神を降ろし、
現代人は衣装と化粧によって演者とは異なる人格を召喚する)
(対象が自分以外の場合。
そこにあるモノに呪文や
神秘の力を秘めた図形を記すことで
単なる木片などに正、または負の力を付与……)
義知は帝都帝大医学部で理系の論文の書き方を習ったことを誇りに思っている。そして彼は文系を見下しているので、あやふやな論拠でも構わないと軽い気持ちで作成していた。
しかし文系であっても先行研究の調査や独自のデータは必要だ。参考文献の出典を明らかにするなどのルールも守らなければならない。
だから、もしも義知の論文を文学部の教授が査読したなら不可と評価するだろう。
彼の論文は[オレの考えた完璧な世界の在り様]を肯定できるような情報をあちこちから集め、ご都合主義な妄想も加えて断片的に並べているだけだからだ。
要するに義知は後世において[設定厨]と呼ばれるような存在なのだが、本人に自覚はない。
そして[真世界への道]も変化している。現在の活動内容は超克細胞を政府に採用させるための示威、そして資金調達のための樹状販売だ。忙しい礼文はすでに義知の夢物語など相手にしていない。だからこの論文を礼文に渡しても、小冊子は発行されない。
そんなこととは露知らず、義知は執筆に熱中している。
次回に続く




