第八話
「礼文さまは
『君たちは合宿を続けてもよろしい』とおっしゃった。
だから予定通りに行動しよう」
「そんなノンキなことをしている場合じゃないでしょう!」
健二の提案に香は反発した。
「いや、俺はいい考えだと思うよ」
だが、丹羽は健二に同調する。
「そもそも、
礼文さまがこの程度のささいなことで不機嫌になり、
会合を退席するほど狭量だとは思えない。
なにか意図があるはずだ」
「うんうん。
それにさ、もしも合宿自体が良くないと判断なさったなら、
即時に中止を申しつけるわよねえ。
でもそうされなかったのだから、
私たちには合宿を遂行する義務があるわ」
根小田も丹羽を支持した。
6人のうち半分が合宿に賛成ならば実行されるだろう。そう思って俊樹は飾り紐で髪を上げ、[真世界への道]での姿に戻ろうとした。
「待って」
「え? 路場くん。君は礼文さまの御意思に歯向かうのか」
「違う。俺が止めたのは俊樹さん」
北関東のアクセントが残る口調で、路場はボソボソと話す。
「自信をつけさせるために、
礼文さまは合宿続行を命じられたんだと思う」
「?」
その意味がわからず困惑する一同の中で、根小田が声を上げた。
「ああ!
[真世界への道]に参加するときに髪型を変えることで
自己暗示を発動させて活発になっていた俊樹さんを、
大学での姿でも実力を発揮できるように慣れさせようってことね!」
彼女は言葉足らずの路場を補助する。
「普段とは異なる姿になることで
特別な力を得るっていうことは
古代からよくあることよ。ねえ、香さん?」
急に話を振られて戸惑いはしたが、彼女はスラスラと答える。
「ええ、ギリシアの仮面劇、
日本の能楽などが例としてあげられるわね。
それから、
祇園祭の山鉾巡行では
普通の子供に特別な装いをさせることによって
神聖なるお稚児さまに変性させるのよ。
あと、武士が戦に臨んで化粧をして
覚悟を決めるっていう故事もあるわ」
「なるほどなあ」
健二は感心したようにうなずく。
「つまり、大学に行くときも髪を上げれば
いつものように積極的な行動ができるんだな。
ぜひ、そうしてくれ」
「無理! 無理無理無理!」
ほぼ悲鳴のように、俊樹は否定する。
「オレをいじめる奴らを刺激しないように息をひそめて授業を受け、
休み時間もできるだけ気配を消しているっていうのに、
派手な髪型と服装で登校なんてできないよ!」
「それがいい」
「?」
路場の発した言葉の意味を一番早く理解したのは、やはり根小田だった。
「ああ、情報収集者が目立ってはいけないわよねえ。
学生たちに直接聞きこむだけではなく、
食堂や庭園なんかでの雑談に耳を傾けるとかするでしょう。
そんなとき部外者の接近に気づかれたら
会話が止まってしまうわ。
だから息をひそめ気配を消すという技術は不可欠よ」
「なるほどなあ。
それがあるからこそ、礼文さまは俊樹くんを指名したのか」
「で、さ」
思わせぶりに、根小田はいったん間を置いた。
「私がパイロットの服を着たら、
訓練も受けずに
いきなり飛行機の操縦ができるようになると思う?」
「え、それは」
彼女の唐突な質問に、俊樹はとまどう。
「もちろん不可能だよね。
姿を変えて引き出せるのは本来持っていた能力だけ。
仮面劇もお稚児さんも人間の中に眠る神性を呼び覚ます儀式だし、
お侍さんの心にだって武士道魂が元々宿っているから
戦に臨む覚悟ができるの」
彼女は香の書いていた議事録を指さした。
「あのノートには、俊樹さんの活躍が記されているわ。
その実績は疑いもない真実よ。
つまり、俊樹さんは本来積極的で機転が利く人間なの。
でも、恒星学園における過酷な環境のせいで委縮してしまっていた。
だからこそ、礼文さまは俊樹さんに
情報収集という任務を与えることで、
自ら作りあげた頚木を取り除こうとなさっているのよ」
「それは、ありがたいことだけど……でも、やっぱりオレは……」
俊樹は自分の手を見つめる。不安からの震えが止まっていない。
そんな彼を香は批判する。
「あなたは、礼文さまの言葉を信じられないの!
『君の働きに期待しているぞ』とおっしゃられたじゃないの!
礼文さまは[秘密の首領]さまのお告げを聞くことができるのよ!
そんなお方が間違った判断をするわけがないでしょうが!」
「あっ。確かに……」
それは俊樹にとって導きの光のように感じられた。
「そうだ。[秘密の首領]さまは正しい。
そのお言葉を授かることができる礼文さまも当然正しい。
よって、
俊樹くんにはあの任務に適した素質があるということになる」
健二も励ましてくれた。
「そこで、だ」
いつの間にか、丹羽は部屋の隅に置かれていた自分の背嚢から一升瓶を持ち出してきていた。
「意識を変容させるためにエチルアルコールを使用しろ。
これは阿片やコカインと違って合法的な薬物だ」
「丹羽くん、どさくさに紛れてなにをしているの!
合宿といっても、これは真面目な研修なのよ!」
「そうよそうよ。いきなりお酒を飲ませるなんて、よくないわ」
我が意を得たりとばかりに、香はうなずく。しかし根小田が味方したのは別の人物だ。
「タンパク質も一緒に摂取しないと
胃粘膜が傷ついてしまうでしょう。
待ってて、台所から食べ物を持ってくるから」
軽やかに身をひるがえして、根小田は階下に降りていく。
「俺も手伝う」
路場も彼女に続いた。
「いや、やはり不真面目では?」
「健二さん。
もしも飲酒が良くないと[秘密の首領]さまが思われたのなら、
礼文さまを通じてお咎めがあるはず。
しかし、何も言われなかった。
要するに俺が酒を持ちこんで俊樹さんに飲ませることは
すでに認められているんだよ。
髪を下ろした状態、
つまり恒星学園における姿のまま楽しく酒宴に参加することで、
二つに分裂していた自我を統合し、
抑圧されていた情念を解放する。
それを[秘密の首領]さまは俺たちに求めていらっしゃるんだよ」
「……うーん。そうなのか」
とうとう丹羽の屁理屈に健二は屈してしまった。
「香さん。とにかくやってみよう」
「ああ、もう。しかたないわね」
しぶしぶと、香はノートと筆記用具を片づけにかかる。
きれいになった机の上に、コップや箸、商店街で購入した焼き鳥やコロッケなどが乗った皿が並べられていく。
「それでは、[真世界への道]の発展を願って、乾杯!」
健二の音頭でコップを掲げ、男たちは日本酒を飲む。香と根小田はラム酒で香りをつけたアイスティーだ。
「おや?」
丹羽は俊樹の顔をのぞきこむ。
「どうしたんだ? 涙が流れているぞ」
「あ」
俊樹は顔をなでた。暖かいものが指を濡らす。
「……こんなに、みんなが……
オレのために親身になって、励ましてくれて……うれしい。
ありがとう。……本当に[真世界への道]に入ってよかった」
残り半分の酒が入ったコップを座卓に置き、彼は拳を突き上げる。
「オレは、
なんとしても礼文さまに授かった任務をやり遂げて見せる!」
彼の発言は、拍手をもって迎えられた。
「よし、その意気だ。景気づけに歌でもうたおうぜ。路場、頼む」
「ああ」
持参したギターをケースから出し、彼は音を合わせる。
指慣らしに使ったのは【アルハンブラの思い出】の一節だ。
「へえ、意外な特技」
根小田が感心したようにつぶやく。
「じゃあ、【東京行進曲】弾ける?」
「ああ」
うなずいてから、彼は1929年〔光文4年〕に公開された映画で使われた主題歌のメロディを奏でた。
根小田はそれに合わせて歌う。なかなかの美声だ。
やがて演奏が終わると、丹羽が手をあげる。
「ちょっと古いけど、浅草オペラの名曲。
【恋は優し、野辺の花よ】をたのむ」
「ああ」
彼も良い歌い手だ。その声は十二畳の空間に響き渡る。
ピシャン
乱暴に窓を閉める音が外から聞こえた。
「あ、うるさかったかな?」
健二が心配そうにつぶやく。
「ううむ。
若い者が騒いでいると巡査に通報されても面倒だし……
そうだ。防音室を使おう」
「うっ」「そ、それは、ちょっと」
丹羽の提案に、健二と香は拒否反応を示す。
「防音室はピアノ練習のために作られたんだろう?
なら問題ないじゃないか」
「いや、あのな」「ええと、その」
掃除は完璧にした。しかし、あの夜のことを思い出すと恐怖が甦る。二人の頬は酒を飲んでいるにも関わらず青ざめた。
「あの部屋には窓が無いんだよ。
だから6人も入ったら蒸し風呂になるぜ」
そこに俊樹が助け舟を出す。
「だから、これから公園に繰り出そう。
花火だって池のほとりでやれば
庭よりも火の始末も楽だし安全だろ」
「それもそうだ」
「行きましょ行きましょ」
「ああ」
階下に降りていく三人を見送って、幹部たちはうなずきあう。
◆◆◆◆◆◆
9月4日 金曜日。
「ふむ」
研究所の執務室で、礼文は俊樹から送られてきた手紙をもう一度読み返す。
それには仲間への感謝と、ふがいない自分への絶望が記されている。
「合宿で皆に励まされ、任務遂行の誓いを立てた。
そして防音室に入りたがる三人を公園へ誘導できたことで
自信を取り戻したと思ったが、それは思い違いだった、と」
意気揚々と恒星学園大学に登校し、いざ聞きこみを始めようとしたが、声をかけるきっかけがつかめずに結局何もできなかったと、俊樹は悔やんでいる。
「ずっと孤立してきたものが急に社交的になろうとしても
うまくいくはずはない。
[真世界への道]において俊樹くんは
初期からの茶話会委員として活動してきたという実績があるからこそ
健二くんも香くんも同志として信頼し、
平会員である丹羽たちは敬意をはらったのだ。
しかし、恒星学園大学の学生たちは以前から彼を弱虫と見下している。
だから俊樹くんが接近しても優しく迎えようとしないのだ。
あの席で彼が言ったことは正しかった。
だが、それでは困る」
礼文はしばしば嘘をつく。
しかし、俊樹に期待しているという言葉は、まぎれもない真実だった。
「鹿島殺害時、
冷静に偽装工作を行い、
手際よく死体の首を切り、
堂々と詐術を使って見せる。
もし報告を聞いたのが私ではなく、
義光や義知だったならば彼が殺したと信じてしまっただろう。
埋葬時には張り切りすぎてしまったが、
その程度の失策は経験を積めば避けることができるはず。
他の二人のように愚かではない」
殺す覚悟を決めてもいないのに過剰な暴行で死に至らしめ、それを下手な嘘で糊塗しようとした彼らを礼文は見限っていた。
「だからこそ、
彼に会員たちの監視役を申し付け
必要とあれば処刑する役割を与えようと私は考えた。
これから組織が拡大していけば、
かならず裏切者が発生するからな」
部下の中で一番優秀で忠実な人材を前線指揮官でも参謀でもなく、秘密警察に配属しようとする。このような人事案こそが、礼文の性格を現わしていた。
「そのために
恒星学園大学で情報収集の練習をさせようとしたのだが、
まさかここで躓いてしまうとは」
礼文は俊樹が以前送ってきた手紙を思い出す。
「彼は自分が姿を偽っていることを過大に評価している。
それなのに学園内で広範囲の活動を始めた矢先
他学部の丹羽くんや路場くんに声をかけられ、
自分の変装がたいして効果をあげていないことに気づいたら
ひどく傷つくだろう。
だから私は、あらかじめ合宿で告白しておくように勧めた。
幸い、他の五人は変装の稚拙さを笑ったりせず、
それとなく話題を別の方向に流し、励ましてくれたが……
さて、どうするか」
ずっと考え続け、そろそろ疲れてきた礼文の耳に
パチパチパチ
拍手の音が届く。
「そういえば、根府川が他の少年たちに講義を行うといっていたな」
気分転換に、礼文は様子を見に行くことにした。
「しかし、途中入場したら演者の気が散るだろう」
礼文は執務室の本棚を動かし、隠し通路に入る。そこを通って会議室の裏に行った。
壁に作られた小さな覗き穴からでは全体の様子を見渡すことはできない。
それでも漏れ聞こえるハキハキとした声からわかることがある。
根府川は理路整然と、神代細胞の観察法と実験を行う上での注意点を説明していた。検査数が増えてきたら、実験担当の少年も新たに配属する必要がある。それに先立って講義を何度か行い、内容の理解度を試験して成績が良いものを選抜する予定だ。
(たいした成長ぶりだな。
背が高くなっただけではない。
中身は14歳の少年だというのに、堂々とした態度。
これなら彼が主張するように、大人として認めてやってもよい)
(だが)
(根府川をこのように育成したのは、
塚元や千川ではない。
彼らも一応指導はするが、それは場当たり的なもの。
一貫した方針を示し、必要に応じて具体的な技術を手取り足取り教育した者は)
礼文は眉を顰める。
(……犬田だ)
彼がそのようにしているところを、礼文は隠し通路から幾度も目撃していた。
(あいつは何を考えて昼夜を問わず働き、
それに加えて後進の指導までも熱心に励んでいるのだ?)
(いくら問い詰めても暴力をふるっても、
『自分の犯した罪を忘れてしまうような僕は無責任な大悪人です。
だから、粉骨砕身の努力をもってして
[真世界への道]を発展させることで、罪を償わせていただくのです』
としか答えない。)
(もちろん、これは私が仕組んだことだ)
(犬田が反抗しないように暴力を振るい虚言で騙し、
あいつの思考を誘導した結果
こうなったのだから
私が文句を言う筋合いはないのだが、
どうしても納得がいかない)
(あいつは大切なものすべてを奪われ、
強制的にこの仕事に従事させられているのだ。
だから目を離せば隙をみて嫌な仕事をサボろうとするはず)
(隠し通路から覗いてサボっている間に何をしていたか観察し、
あとで指摘して[秘密の首領]さまの力を思い知らせてやる。
私はそう目論んでいた。
津先、千川、塚元には功を奏した方法だが、
犬田には使えなかった。
なにしろ、私が執務室にいると信じさせたときも
まったく仕事に手を抜こうとしないのだから)
彼の行動原理を礼文は理解できない。
また頭が痛みだした。手で額を押さえると、条件反射で母の裸体が脳裏に浮かぶ。頭を振ってその映像を打ち消してから、礼文は大きく息を吐いた。
(あいつの[呪い]で私はこのように苦しみ続けている。
しかし、脳が神代細胞に入れ替わったせいで
呪いをかけたこと自体を犬田は忘れてしまっている。
過去に犯した罪を糾弾すれば、
あいつは記憶を取り戻し、
蔵の中で言っていたように私の母を妄想内で凌辱するだろう。
だから、私は沈黙せざるを得ない)
発散できない怒りが、礼文の判断力を揺るがせた。
(よろしい。
働くことで罪を償うというのなら、
さらに仕事を積み増してやる。
もう限界ですなどと弱音を吐いたなら、それはそれでよい。
あいつを徹底的に罰するための大義名分になるからな)
礼文が犬田について考えていたその時、富鳥義知は自室のベッドで悪夢にうなされていた。
次回に続く




