1ー32:太陽の娘の剣
大きなリュックを背負ったふくよかな老人が、夜の王都を急いでいる。火災と魔物の襲撃から逃れようと、周りでも多くの住民が走っていた。
光が彼らの顔を照らす。
城壁内から飛び出した灯りが、夜空に虹の橋をかけた。人々は足を止め、東の夜空を指す。
老人もまた、やってくる雷鳴と雨雲に目を細めた。
「……目覚めたかのう」
老人は、リオンに金貨を渡した古道具屋だった。
「よかった、よかったのぉ」
ほっほ、と笑いながら老人は避難を急ぐ。2羽のカラスが夜だというのに上空を飛んでいた。
◆
東の空に轟くのは、雷鳴。雲はみるみる大きくなり、空全体を覆い尽くした。
ぽつり、と鼻に水が当たる。
「雨……?」
豪雨が来た。
稲妻に僕らを取り囲んでいた狼たちは逃げ去り、雨が火の手を弱まらせていく。
周囲が暗くならないのは、僕の手から光が生まれているからだった。
「虹、だ……」
角笛から発する、七色の光。それは四方向に伸びていた。
東西南北――王都4つのダンジョンがある方角へと。
やがて東の虹の頂点に、赤い光が見えた。輝きが、流れ星みたいに僕らのもとへやってくる。
「わわっ」
ずん、と僕の足元に着地したのは、大槌。
次の瞬間、槌から雷が飛び散った。周りを囲んでいた魔物が一瞬で焼け焦げ、炭になる。
槌の取っ手を握ったのは、大きくて、たくましい腕だった。
「1000年と何日ぶりだろうな」
赤髪を振り乱した、筋骨隆々とした青年。今まで見たどんな像よりも神々しくて、豪雨もその肌だけは避けて通っていた。
ソラーナが震える声で呼ぶ。
「トール……?」
「久しいじゃないか、太陽の娘」
にっと笑い、大きな手が僕らをなでた。
「よくやった。火災程度は引き受けよう。後は、神と信徒の務めを果たすがいい」
トールはすっと薄くなり、消えた。ポケットのコインが熱く震える。
――――
<雷神の加護>を入手しました。
『雷神の槌』を使えるようになりました。
――――
南にも青い光が宿る。
こちらも瞬く間に僕らのもとへ降り立った。
虹をたどってやってきたのは、鎧に身を包んだ女性。青色の髪が涼しげになびいてる。鎧の装飾が銀で縁取られていて、こんな時でも目を引いた。
「あなたに忠義と感謝を」
女性は膝をついた。
「私はヴァルキュリアのシグリス」
青い瞳が僕らを見る。
――――
<薬神の加護>を入手しました。
『ヴァルキュリアの匙』を使えるようになりました。
――――
「傷を治した方がいいでしょう」
言われるがままスキルを使うと、青い光が僕とミアさんを包み込んだ。効果は他の冒険者――鴉の戦士団にも伝わり、仲間全体が急速に回復していく。
シグリス、そう名乗った女性が小さく笑うと、またコインが熱くなっていた。
姿はすでに消えている。
「ど、どういうこと……?」
「あの角笛は、古代の神が持っていたもの。神を戦いのために呼び起こす、神具なんだ」
僕がそれを封印解除して、鳴らしたから……。
「も、もしかして、ダンジョンにいた神様が……」
「ああ、起きてきた。東ダンジョン、そして王都の他の方角にいた神々が、目覚めてきたんだ」
次の光は、北から来る。
革鎧に身を包んだ青年だった。
おさげにした茶髪を揺らして笑いかける姿は、普通の狩人のよう。けれども肩に担いだ白木の弓は、自然の枝のようでいて、うっすらと輝いている。
青年が弓を構えると、光が強まり、矢へと変わった。
次々と魔物が射抜かれる。
「ボクはウルという。よろしく、目覚ましの君」
――――
<狩神の加護>を入手しました。
『野生の心』を使えるようになりました。
――――
西に紫の光が生まれると、ソラーナは顔を引きつらせた。こっちに近づいてくるけれど、なんだか雰囲気が禍々しい。
「ロキ、か……」
「久しぶり、やっと僕に会えたね♪」
現れたのは、黒髪の青年。
にっこりと笑って、僕とソラーナの肩を抱く。
僕は戸惑うばかりだったけれど、ソラーナはとっても嫌そうな顔をしていた。
「いきなりの状況で混乱しているだろう? わかるよ……だが安心してほしい、僕は常に君の味方だ、他の神々もいいけど、ロキも忘れないでね……」
――――
<魔神の加護>を入手しました。
『二枚舌』を使えるようになりました。
――――
「は、はぁ……」
「早速、そらそこだ」
ロキさんが指先から火を放つ。穿ったのは残骸と化した建物だ。
何発目かの炎が切り払われる。
やっと、僕はそこに人がいたのだと気づいた。
「あら、残念」
フードを目深にかぶった女の人。自分の指を噛んで、スコルを見上げた。
「見つかってしまったわ……スコル、あなたが弱らせておかないからよぉ」
鴉の戦士団がそこに殺到し、女の人は身を引く。蛇のように隙間を抜け、瓦礫の向こうへ逃れたんだ。
「ああ、この分だと妹の方もダメねぇ……せっかく見つけたのにぃ」
ルゥの、こと――?
「ま、待って!」
思わず叫んだけれど、女性は姿を消していた。いや、逃げたのかもしれない。
戦況は一変していた。
大雨で火災が和らぎ、雷鳴が狼たちを退かせる。鴉の戦士団がスコルと戦っているから、ミアさんと態勢を立て直す余裕もできていた。
「リオン、こりゃ、なんだ……?」
ミアさんが言う。
僕は手に持った角笛を見下ろした。
鴉の戦士団、その笛を渡してくれた黒髪の人が、僕へ振り返った。
「自信を持つといい! 父ルトガー氏は、勇敢に、多くの仲間と王都を守るために身罷られた! その時に、君の父親が見つけられたのがその角笛だ」
「これ、を……?」
「うむ。使い手がいなかったが君のスキルであれば、と我々は思い立ったのだ」
スキル? 目覚ましのこと?
「今は詳しくは言えない、だが、君の父上は王都だけじゃない! もっと大きなものを守って果てられた」
父さんのスキルは<覚醒>というものだった。
僕がかつて絶望したのは、僕自身のスキルが役に立たなかったから。
父さんは、僕達家族だけじゃない。
いろいろなものを守って散ったんだ。
「……すごい」
短剣を握りなおす。
父さんは、僕に角笛を残してくれた。
強いだけじゃなく、優しくなければ何かを残すこともできないから。
「ソラーナ……」
神様の右手で、金色の腕輪がきらりとした。
屋根での会話が胸を過る。
金は魔力が宿るもの。
「どうした、リオン?」
僕はソラーナと目線をかわし、腕輪をぎゅっと掴んだ。
スコルは敗残なんて言い方をしたけれど……
「きっとソラーナも、ただ残されたわけじゃないよ」
僕は腕輪に力をこめた。
父さんが僕に角笛を残してくれたように、ソラーナに、ただ一人黄昏に残される娘に、お母さんも――。
「リオン……?」
「お母さんが君を一人で、それだけで残すなんて、きっとするはずなかったんだ」
目を覚ました思いだった。
答えは最初から見えていたんだろう。
――――
<スキル:目覚まし>を使用しました。
『封印解除』を実行します。
――――
金は魔力を宿す。
コインでソラーナが守られていたように。
右腕にはめられた金色の腕輪。まばゆく輝いて、膨大な魔力を解き放った。
金貨に守られていたソラーナだけど、さらに『封印解除』すべき贈り物を持っていた。
「母さんが残してくれた、魔力――!」
ソラーナのお母さんは、娘に宝物を残していたみたい。それは、魔力を封じた腕輪。かつての太陽神の、娘に与えた贈り物。
輝きは空に向かって立ち上る。雷雲さえ貫いた。
光はやがてソラーナに向かって集まり、彼女の金髪が美しく光る。
「リオン……」
ソラーナは僕を見つめて言った。
力が戻った女神様。
家の屋根で見せたような、それ以上の輝きが、僕らを包み込んでいた。
「太陽の娘として、君に、新しい加護を」
どんな能力がほしい?
そう聞かれたとき、僕の頭に思い浮かんだのは、剣だった。
目の前を塞ぐ大盾。それを退け、みんなを守れる、未来を切り開く大きな剣。
「わかった」
涼やかな音色を響かせて、金貨が短剣にぴたりとくっつき、一体化。
「リオン、今ならば、オーディスという神が人間にスキルを与えた理由もわかる」
ソラーナは言う。僕らの手で輝きが増し、スコルはまぶしさに目を覆っていた。
「君たちは神よりも成長が速い。そして、『受け継ぐ』という群を抜いた特性がある。親から子へ、スキルや、アイテム、そして想いを」
短剣がみるみる熱を帯びていく。
光の刀身が形成され、黄金の熱を発した。
「不思議だった。オーディスは魔物を1000年間封じ、その間にどんな策を練ったのだろうって」
ソラーナは僕の手をぎゅっと握った。
「彼は人間に賭けたんだ。人間が神に与えらえたスキルを成長させ、子に受け継ぎ、いずれ魔物を打倒できるほどに育つのを」
熱いものが沸き上がる。
「神は、人間が持つ『継承』と『成長』という特性に、神でも為せなかった魔物退治を賭したんだ」
――――
<スキル:太陽の加護>を使用します。
『太陽の娘の剣』……武器に太陽の娘を宿らせる。
――――
精霊が宿る、水晶の短剣。そこにソラーナが宿ると、水晶が光り輝いた。
融合したんだ。
眩しい輝きがあふれ出す。
神話時代の、本来の、太陽の女神の力――。
光の余波だけで集まったスケルトンを消し飛ばす。
「すごい……!」
『本来は、アンデッドへの特攻だ』
スコルの大盾が光の剣を受けた。
でも、止まらない。大盾を焼きながら、刃が進んでいく。
「ぜ、絶対防御の大盾が……!」
熱だ。
闇色の大盾を、光が裂く。
朝日が早暁を割るように。
「鎔断による、防御不能……!?」
スコルが光に飲まれた。
音が消える。
目が慣れると、瓦礫の中に魔物はいなかった。巨大な魔物が残す魔力の残滓が、光として漂っているだけ。
辺りが快哉に包まれていた。
僕は光を放った自分の手と、短剣をみる。
ちりん、と涼やかな音を立てて、金貨が短剣から剥がれ落ちた。
拾い上げると表面には――ソラーナ。
ただし裏面には、4人の新たなる神様も彫り込まれていた。
「本当に起こしたんだ――王都のダンジョンから、新しい神様を」
いつの間にか雨は上がっている。雲の切れ目から、熱を冷ます夜風が心地よく吹いてきた。
勝った。
守れた。
「やった……!」
ぎゅっと手を握り、僕は小さく、でも確かに声を上げた。





