1-20:次の目標
我慢して押しとどめた感情は、沸き上がる泉みたいに次から次へと押し寄せた。視界がどうしようもなくにじんで、涙がこぼれそうになる。
泣いちゃだめだ……!
『リオン、泣いちゃいけない理由なんて、どこにもない』
ソラーナの声が聞こえ、涙が伝った。
母さんは背中をさすってくれて、ルゥも見守ってくれる。
2年も昔の、まだ父さんがいた頃の無力な僕に戻ったみたい。
情けなくて、泣くべきじゃないって分かっていて、でも心地いい。安心が全身にしみていく。
「ありがとう、リオン」
母さんが重ねて言う。ああ僕はこうして欲しかったんだって思えた。
僕は泣いていた。
◆
僕が落ち着くのを待って、静かに母さんは家を出る。水を汲みに行ったんだ。
その頃には、涙が止まっていた。目の下が少しヒリヒリする。
「ルゥ、もう大丈夫」
「お兄ちゃん、ゆっくりしてて。私、2階の片づけをするから」
妹も家事をできるようになったから、僕はダンジョンから戻った後、体を休めることができた。
ダンジョンでの修業は、母さんとルゥの家事に支えられている。
1人きりになって、ほっと息をついた。
『……平気かい、リオン』
ソラーナの声。<目覚まし>をすると、ポケットの金貨からソラーナが天井近くに飛び出す。
神様は少し空中を漂ってから、金髪をなびかせて僕の傍へ降りた。
僕はぐっと目元をぬぐって、笑ってみる。少し恥ずかしかった。
「泣いちゃいました」
「泣けばいい。君が強い男の子であることは、わたしが知っている」
ソラーナは僕の頭をなでてくれた。
「君の家族の、絆はすごいな」
「……え?」
「君は、少し楽になったような顔をしている。わたしの加護は強力だが、背負って、思い詰めさせてしまったかもしれないね」
太陽みたいに笑う。
「わたしからも労いたい。リオン、君はすごい子だ」
今日は胸がぽかぽかする日だ。安心したせいか、食べたばかりなのにお腹が減ってくる。
3つ目のクルミパンを持ったところで、気づいた。
僕は大事なことを忘れていた!
「そ、ソラーナ、外に出てるけど」
「案ずるな。わたしの姿は今は君にしか見えない、じきコインに戻るさ」
それは、わかる。
でも今までは念のため、ソラーナを家で『封印解除』したことはなかった。何もないところと話をしていたら間違いなく変だから。
今は母さんはいないし、ルゥが家事から戻ってきたらソラーナを隠せばいいだけ。
でも、なんだろう、この胸騒ぎ――?
「お兄ちゃんっ?」
ルゥの声で、僕たちははたと止まった。
からんからん、とルゥの手からお盆が落ちる。
「そ、その人、誰?」
沈黙。
ものすごい沈黙。
ぎぎぎ、と油がきれたような動きで僕はソラーナを凝視した。
「む、むむ?」
ソラーナはすっと右に動いた。
ルゥの目線が同じだけ横に動く。
「………………」
ソラーナがばっと左へ跳んだ。ルゥの目線も追う。
金色の髪がわなわなと揺れた。
「み、見えて……いる……!?」
か、神様っ!?
あなたのことまだ隠したいんですけど!
とりあえず呼吸を落ち着ける。ソラーナがうまく何かを言えば――いや汗びっしょりだしなんか無理そうっ。
ルゥは唖然としていたけれど、やがて意を決したように僕の手を取った。
「ル、ルゥ?」
「お兄ちゃんこっち来て」
台所の隅に連れてかれた。残りの炭がまだ燃えていて、温かい。
でもルゥの目は吹雪並みに厳しかった。
「お、お兄ちゃん! あの人、前も私が目覚めた時にいたでしょ」
今度こそ、僕は神様の金鎚で頭を殴られたみたいな衝撃を受けた。
「…………み、みみ見えてたの?」
だって最初に治した時は、気付いてなかったよね……。
ルゥは唇を尖らせた。
「目覚める前に、お兄ちゃんの声が聞こえたの。それで、私にあの人のこと気付いてほしくなさそうだったから……でも、ちょっと背中から髪の毛とか見えてたんだよ?」
ルゥはちらっとソラーナの方を見た。
空気読んで、合わせてくれてたんだ。
気が利くなぁ――じゃない、なんとか誤魔化さないと!
「え、ええと。じ、実は最近、仲間が増えたっていったでしょ? その一人で……」
ルゥはじとっと僕を見る。隠し事を見つけたルゥは、けっこう怖い。
「お兄ちゃん。そこに座って」
「はい」
「目を見て」
ルゥはおでこがぶつかりそうなほど顔を近づけた。
「もしかして、また私のためにお金たくさん使っちゃったの?」
妹はぎゅっと僕の服を握る。その顔は、泣きそうだった。
「それは……違うよ」
「だって、お母さんでも治せなかった病気が、あんなにすぐに治っちゃったんだもの。姿を消せるとか言ってたし……すごい魔法の使い手を頼んじゃったんだって、わたし、ずっと心配で……」
「は、話は聞かせてもらった」
ごほん、とソラーナは咳払いした。
「わたしは君が思っているような存在ではない。古き神で……む……」
目を泳がせて言い直す。
「君のお兄さんに助けられた存在だ」
「お兄ちゃんが……?」
「うむ。もう、彼なしではやっていけないほど、お互いが深く結びついている」
「は、え、えぇ!?」
ルゥが長い髪ごと跳ね上がった。
「……それって、もしかして、あなたは」
「そういうことなのだ」
ソラーナはうんうん頷いている。
『そういうことだ』って、絶対どういうことかわかってないと思う。僕もわかんないけど。
「お兄ちゃん、私……応援する!」
目をキラキラさせるルゥ。
ど、どうしよう。何かを誤解されてる気もするけど、誤解しておいてもらった方がいいような……。
女神様は、ルゥに笑みを向けた。
「いずれにせよ感謝するのは、君の兄に対してだ。けれど、そうか……君は見えるのか、そういうスキルが発現するのかもしれないね」
確かに、ソラーナの姿が見えるということは、なにかの力がルゥにあるってことなのかも。
ルゥはまだ、オーディス様からスキルを授かっていない。でも見えないはずの神様を見れる不思議な力は、スキル関係って思うのが自然だろう。
ソラーナは少し目を閉じる。
「しかし……だとすると……」
こほん。
咳の音が転がった。
「ルゥ?」
「ごめん、お兄ちゃん」
ルゥはしばらく咳き込んでから、顔をあげた。無理をしている笑顔だ。
「ルゥ? 咳がでるの?」
「うん……」
血の気が引くのがわかった。スキルで治したはずなのに。
「ソラーナっ」
「リオン、落ち着いて。わたしが見えるように、この子は、魔力を感じやすいのだと思う。そういう能力は古代にもあった。そして……わたしが当初思っていたよりも、この子は魔力を感じる力が強い」
また咳き込むルゥ。
ソラーナはその額にそっと手を当てた。
「感じやすいということは、影響を受けやすいということ。ダンジョンから発する魔物の気配を、この子は敏感に宿してしまうんだろう」
でも、と言い添える。
「毎日、この子の容体は気にしていた。昨日までは何もなかったはずだが……」
僕はルゥの手を握り、スキルを使った。
――――
<スキル:太陽の加護>を使用します。
『白い炎』……回復。太陽の加護で呪いも祓う。
――――
白い炎がルゥを包む。荒い呼吸はだんだんと治まり、咳も消えた。
「どう? 平気になった?」
僕の腕で、ルゥは小さく頷いた。ソラーナは難しい顔で瞑目する。
「原因も感じているかもしれない。今ほど急に悪くなったなら、強い影響を受けたはずだ。言い方は悪いが、容体を崩す原因になった魔物は、この子に痕跡を残しているかもしれない」
僕はルゥの汗を拭いてやり、尋ねた。
「……なにか、変わったことはなかった?」
「変わった、こと? ずっと家にいたから……」
ルゥは一気に疲れたみたいだ。目がぼんやりして、受け応えもあいまいになっている。
胸が猛烈に締め付けられた。
ソラーナが引き取る。
「なんでもいいんだ」
僕らを見つめる、金色の瞳。ソラーナは腰をかがめて、ルゥに視線を合わせた。
かざした手から妹に魔力を流してくれているみたい。
「ぱっと頭に浮かんだこと。あるいは夢を見た。そういうことでも十分」
ルゥは大きな目をうっすらと開けた。汗で濡れた茶髪をぐしっと掴んで、口を開く。
「……今日の朝、急に寒くなったの。黒い影みたいなものが、私に迫ってくる夢。迷路みたいな場所で、骸骨や、狼……に追いかけ……られて」
ソラーナと目線を交わす。
魔物が影響しているなら、僕たちは魔物が急に強くなったダンジョンに心当たりがあった。
「一番、怖かったのは……狼の顔した、大男……」
狼の顔に、人間の体――?
ぞくりとした。
「人狼だ」
呟きが漏れる。僕はできるだけ力強く、ルゥに語り掛けた。
「ルゥ、大丈夫。明日からまた調べてみる。僕に任せて」
僕らに、新しい目標ができた。
ルゥの再発は、ダンジョンに突然現れた闇――スケルトンとも関係があるかもしれない。
東ダンジョンは最近おかしい。
魔物が強くなったり、群れるようになったり、罠が発動したり。明らかにダンジョンの難易度が上がっている。
妹を2階の寝室まで運びながら、僕は心を決めた。
何より東ダンジョンの最奥部にいるボスこそが、『人狼』なんだ。
もともとの目標だった。調べる必要もある。
行こう、東ダンジョンの最深部へ。
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