第八話 百年結界
ロリザー王宮騎士団の団員は、大きく分けて三種類存在する。建国時より王家に近しい存在である上級貴族から騎士団に入り、金のバッジを与えられた金騎士。建国後に大きな業績を残した事によって貴族に迎えられた、もしくは王都の外で力を持っている貴族から騎士団に入り、銀のバッジを与えられた銀騎士。そして、志願した平民の中から騎士として認められ、銅のバッジを与えられた銅騎士。
それぞれの騎士たちには大きな壁があり、出世のスピードも、また、命の危険にさらされる回数も、雲泥の差であるとされていた。
こんな体制を嫌っているオーファンに与えられたバッジは、金色であった。
カシャーン。
「どうかなさいましたか? オーファン様」
「……いや、何でも……」
銅色のバッジを襟元につけた同期の騎士見習いに話しかけられ、オーファンは慌てて落としたフォークを無意識に拾った。
咄嗟に落とした食器を拾うなど、貴族の生活の中においてはマナー違反とされていたが、周囲は殆んど平民からの志願者である。
オーファン以外の貴族は上級貴族、地方貴族と同じ色のバッジ同士で固まっていたのだが、貴族の中では浮いていたオーファンは基本的に食事は銅バッジの者達と取ることが多かった。
オーファンに話しかけた見習い騎士は少し心配そうにオーファンを見るが、オーファンが何を考えているか言うつもりがなさそうだと悟ったのか、自分の食事を再開した。
オーファンも、自分自身がおかしいのではないかと感じるようになっていた。何をしていてもセリンのことしか考えられなくなり、負けなしだったはずの稽古試合でも最近は黒星が目立ってくるほどに集中力も落ちていた。
「ねぇねぇ、オーファン様」
今度は先ほどの見習い騎士とは別の見習い騎士がオーファンに話しかけてくる。
上級貴族でありながら平民を差別しない変わり者に記念に話しかけてみようと考える銅バッジ騎士達は少なくないようで、オーファンは事あるごとに話しかけられる事が多かった。腫れ物に触れるような扱いをされていた王宮での状況とまるで対称的である今を思うと、平民達の無責任さは感じられたが、同時に暖かさを感じている事実もあった。
「うん?」
今日いきなり話しかけられるのは何回目だったかな、と思いながら声が飛んできた斜向かいを向く。
「あ、でも聞いちゃまずいのかな……」
話しかけてきたオーファンと同い年くらいの見習い騎士が、勿体ぶるように視線を泳がせる。
「いや、別にいいよ。俺に死ねとか言うんじゃないんだったら」
ちょっとキツイ冗談を浴びせてやる。
「そんな大それたことじゃないですが、ちょっと妙な噂を聞いたんで」
「妙な噂?」
「最近オーファン様の試合成績が落ちているのは神殿騎士になりたいからって稽古試合でわざと負けてるって」
オーファンは銀バッジの正騎士が固まっている一角の方を勢いよく振り向いた。神殿騎士であるレヴァンと一瞬目が合うが、彼は迷惑そうに目をそらした。
「なんで……」
オーファンが神殿騎士を羨ましがっていた事を知っている人物は、以前セリンに面会に行くときに会話をしたレヴァン以外にはいない。この噂の出所は、彼以外には考えられなかった。
「あ、やっぱりまずかったんですか」
「そんな事はない。でも、その噂は誰かのでまかせだよ。最近調子が悪いだけで手を抜いてるわけじゃないから」
しかし、何故レヴァンはそんな噂を流したのだろう。
「神殿にいるセリン様と俺が元々親しかったから妙な噂が流れたんだろうが、俺は神殿騎士になる気はない。俺の実力なら、騎士隊長の最年少記録だって狙えるんだ。それは、俺を従えていたセリン様の評価にも繋がるのにわざわざ神殿騎士なんて」
セリンと神殿で話したときに言われたことをほぼそのまま言う。そして、それは神殿騎士になりたいと言ったことは根も葉もない噂であると周囲に信じさせるには十分な説得力があった。
「ですよね! なんか……変な噂を鵜呑みにしてしまったみたいですみません」
「いいよ、気にしないで。俺、天才だからなぁ、きっと誰かに変な噂を流されるくらい恨まれてるんだろうなぁ」
「オーファン様はそれ言っても嫌味にならないからいいですよね……」
そう言って苦笑する銅バッジ騎士は、稽古試合でオーファンに一度も勝てたことが無かった。
「ま、こんな大口叩けてるうちに調子戻さないとな」
自然に笑い話を語るようにしてみせる。ここまで言っておけば、きっとレヴァンはこれ以上余計なことを言ったりはしないだろう。
「あ、そうだ! 噂と言えば」
会話が終わりそうになったところで見習い騎士はさらに話を続けようとする。相当なおしゃべり好きのようだ。
「東の森の空に浮いてる浮遊島があるじゃないですか」
「? そんなものあったか?」
まったく知らない話をされ、オーファンは首を傾げる。
「ありますよ! 俺、あそこの近くの村から出てきたんですけど、南のハネモトよりずっと凄い魔法の国ってばあちゃんから聞いたことあります」
「あー……なるほど、何となく俺が知らない理由がわかった」
ロリザー王国の王宮がある城下町の東側の城壁が異様に高くできているのは、その魔法の発達した国を視界から隠すためだったのだろう。空に浮いているという時点で魔法の力で浮いているのだろうということも予想できる。
「で、その魔法の国は凄く危険な国で」
「そうなのか」
王宮から離れた場所に住む平民は、貴族連中と比較して魔法に対する抵抗感はないようだ。だが、魔法という言葉で他の貴族出身の騎士からの視線がこちらに刺さるのも感じる。
この場所で魔法の話をこれ以上大声で話すのもまずいこともまた、貴族であるオーファンは理解していた。
「興味があるが、ロリザーの首都で魔法の話をするのはあんまりよくない。あんた、名前は?」
「俺ですか? メルファランです! 気軽にメルって呼んで下さい」
「そうか、メル。自由時間に予定がないなら、自由時間に詳しく聞かせてくれないか。俺は個室があるからそっちの方がたぶんいい」
「個室! さすが大貴族は待遇が違いますね! 急いで食べちゃうんですぐ行きますよ!」
メルファランは暢気にそんな事をいい、食事を口の中にかき込む。
俺はまだ食べ終わってないんだが、とオーファンは思ったがメルファランの話には興味があった。彼に合わせてオーファンも食事を口の中に流し込んだ。
食事を手早く片付けたオーファンはメルファランを連れ、騎士団宿舎の奥のほうにある狭い自室に案内した。
「個室だ! すげー! 俺たち平民クラスはよっぽど個室なんてよっぽど武勲上げないと無理ですよ」
「まぁ、見習いだから狭いけど」
「いやいや、俺たちの場合武勲上げてこのレベルですから!」
メルファランは身分による違いをずるいと感じているそぶりも見せず、当たり前のものとして受け入れていた。
平民とはいえ、騎士団に志願できる者は比較的裕福な農作業従事者や、先住民族達と交渉をし高価なものを手に入れる交易商の子供であることが多い。貧困でない者は貴族に対する不満も少ないということか。
「これでも王宮でセリン様の従者やってたときは大部屋だったんだぜ」
まぁ、使ったことないけど。
「王宮はさらにスケールが違いますね!」
楽しそうにオーファンの話を聞こうとするメルファラン。あまりいろいろな話をすると、逆にメルファランの話が聞けなくなりそうである。
「それで、さっきの話だけど」
「ああ、東の浮遊島の話ですか?」
「浮遊島って本当にあるのか?」
「ありますよ、毎日のように見てましたし」
「空に浮かんでいたらそこからの移動はどうするんだ?」
「あの浮遊島に住んでいるデール族は翼があるので飛べるんですよ」
「翼?」
「はい、背中に翼があるんです。アルサー族に尻尾があるのと同じですね」
「尻尾?」
先住民族たちの身体的な特徴を初めて聞いたオーファンは混乱する。翼のある人間や尻尾のある人間が本当にいるなんて、想像してもいなかった。
「あれ、知らないんですか?」
「知らないっていうか、人間なんだよな?」
「デール族もアルサー族も話せば言葉は通じますし、人間なんじゃないですか?」
メルファランはきょとんとした表情でオーファンを見る。
「貴族の人って、あんまりそういう勉強しないんですか?」
「勉強というか……そうだな、そういう話は初めて聞いた。翼や尻尾のある人間なんて、物語の中の存在だと思っていた。メルは物知りなんだな」
「物知りというか、俺の実家みたいな交易商は彼らと直接やり取りするのがお仕事ですからね。彼らの気質とか文化とかをある程度理解した上で交渉した方が上手くいきますから。生きるために必要な教養です」
知っていて当たり前であるかのように言う。オーファンは先住民族の実態を何も知らなかったことを思い知らされた。平民のほうが、貴族なんかよりよっぽど世の中を知っている。しかし、今聞きたいことは先住民族の話ではない。
「変な方向に反応して悪かった、東の浮遊島の噂って何なんだ?」
「浮遊島にはデール族による宗教国家『フォセリア僧綱国』があります。フォセリア教はとても残酷な教義で、フォセリア教の信者ではない先住民族はもちろん、ロリザーの民に対しても教化戦争を仕掛けてくるので、百年ほど前の地上は壊滅寸前だったそうです」
食堂でも危険だといっていた気がするが、オーファンはどうしてもそれが信じられなかった。
「でも、今はそんなことなくないか? 最終的にこっち側が勝ったのか?」
「いいえ、勝てませんでした。それがこの『噂』の本質です。どうしようもなくなった俺たちの先祖や、当時の先住民族たちは、南のハネモト王国に助力を請うて、浮遊大陸から地上に降りられないように強力な魔法結界を張ったんですよ」
「ハネモト王国の魔法結界……」
ハネモト王国はセリンの母親の出身地だ。ハネモト王国の魔法の話を騎士団に入ってから聞けるとは思ってもいなかった。セリンにも聞かせてやりたかったと思いながらメルファランの話に耳を傾ける。
「その結界は『百年結界』という名前の結界で、決して破れない代わりに、百年間という期限がついています」
メルファランが意味深に声を潜める。
「近いうちに、この結界の期限がきます」
ただの噂で片付くような話ではなかった。噂というよりも、確実に起こる将来としてそれは語られていた。
「ずっと機会はうかがってたんですが、ようやく話すことができました」
「機会をうかがってた? どうして俺にこんな話を」
いきなり降って沸いてきたかのような話をされてもどうしていいのか困る。オーファンはメルファランの真意が理解できなかった。
「どうしてって……俺が騎士団に入った目的は、この『噂』を、オーファン様に聞かせることだからですよ」
何でそんな事を聞くのだろうという気持ちを含んだ声色でメルファランは言い切った。
「だから、どういうことだ?」
「オーファン様はセリン王子と懇意でしたよね」
いきなりセリンの話をされ、オーファンはさらに混乱する。
「えっ? まぁ、主人と従者の関係だし……」
「セリン王子の母君はハネモト王国の人でしょう?」
「あ、ああ」
「百年結界はハネモト王国で編み出された魔法です。先住民族たちに聞いても百年結界の行使方法は知りませんでした。ハネモト王国は百年結界を張ってから外部との国交をほぼ断っています。今、結界を張りなおせるかもしれない人物はセリン王子しかいません。騎士団に入れば、オーファン様を通してセリン王子にこの事を伝えられるんじゃないかと思って……」
ここまで言われ、オーファンはようやく事情が飲み込めてきた。今までの経験上、セリンの魔法を必要としている人間が存在するという発想は完全に抜け落ちていた。
「お願いします、一緒に水の神殿に行ってください。次の休暇、合わせてもらうことはできませんか?」
信じられなかった。目の前の見習い騎士は、本当に、心から、セリンの魔法を必要とし、求めているのだ。
「今の俺たちはセリン王子に頼るしかないんです」
メルファランは膝をついてオーファンに懇願する。その表情は先ほどまで冗談交じりに噂話をしようとしていた姿とは比べようもないほど真剣だった。
「わかった。俺で力になれるなら」
「! ありがとうございます!」
メルファランの顔がぱっと明るくなる。その表情を見て、これが現実だという実感がさらに沸いてくる。
「次の休暇に一緒に神殿に行こう。セリン様が百年結界とやらを使えるかどうかは保証できないが、きっと協力はしてくれる」
この国でも、魔力を持つ者が求められることがあるんだ。セリンがハネモト王国の血を引いている意味は、ちゃんとあったんだ。自分のことではなくとも、オーファンは救われたような気持ちになっていた。セリンの存在が認められた気がして嬉しかった。
メルファランは休暇を合わせられる日までに百年結界の期限が終わってしまうのではないかと不安がっていたが、休暇の申請は思った以上にすぐに通った。
休暇は八日後。メルファランの言う百年結界の期限まではあと十五日。これが本当だとしたらギリギリ間に合ったといっていいのではないだろうか。
神殿に行くにあたってオーファンは前回セリンに会ったときのように神殿騎士のレヴァンに声をかけようとしたが、メルファランはそれを止めた。魔法に関する事だから出来るだけ他の人物を近付けたくないとの事だ。
「神殿までの道のりはちゃんと調べています」
「凄いな。俺は迷子になりそうだ」
「オーファン様、方向音痴ですもんね……」
「うるさいな」
まともに会話をしてからたった数日だったが、オーファンとメルファランは友人と呼べるような関係になっていた。セリンに対して好意的であるという事実は、オーファンの警戒心を解くには十分すぎる要素だった。
「でも、俺にとっては普通ですよ。覚えた情報と方向感覚は盗賊に襲われても奪われない商売道具ですから」
「そうかよ」
「その分、オーファン様は身体能力が凄いですからおあいこですよ」
「じゃあ、次の休暇、よろしくな」
そんな事を話していた矢先の出来事であった。騎士団の宿舎では普段見かけない神殿騎士の格好をした銀バッジの女性騎士が慌しく宿舎に入ってきた。オーファンとメルファランの前を素通りし、近くの銀バッジの騎士を捕まえ声を掛ける。
「レヴァン殿はどこにいます?」
「え? レヴァンなら体調が悪いって部屋にいますけど」
「そうですか。仕方ありませんね」
女性騎士は軽くため息をつくと、銀バッジの騎士に二つに折り畳まれた紙を渡す。羊皮紙ではなく高価な白い紙であることから、手紙ではなく公的な書類だということがわかる。
「レヴァン殿にこの書類を渡してください。彼は本日付で騎士団から除名いたします」
「えっ?」
近くに居合わせていたオーファンも思わず声を上げてしまう。
「な、何があったんですか?」
そして、女性騎士に事情を聞こうと声を掛ける。女性騎士は迷惑そうな顔をして口を開きかけたが、オーファンの襟についている金のバッジを見て少し思案した後に向き直る。
「レヴァン殿の職務怠慢により、本日私が神殿の様子を見に行ったところ、セリン様が神殿から逃亡したことが判明しました」
「え?」
今、なんて――?
「そんな、セリン王子が!?」
メルファランも信じられないといった様子で声を上げる。当然だ。セリンは彼にとって最後の希望だったのだから。
「とにかく、セリン様が逃亡したことで大変な騒ぎになっています。他国や庶民に知られる前にセリン様を見つけ出さないと」
「そうですか、ありがとうございます」
オーファンは女性騎士に礼を言うと、その場に立ち尽くすメルファランの手を強引に引いて騎士団の宿舎を出る。
「詰所に行こう、もう騒ぎになっているんだとしたら捜索隊が結成されてるはずだ、入れてもらおう。実戦じゃないから見習いでも入れてもらえるかもしれないし、あいつの顔を知ってる俺なら捜索の許可が出る可能性も高い。とりあえず神殿に行って手がかりを探したい。何か残しているかもしれない」
メルファランを励ますように早口でまくし立てる。結界の期限が切れるまでにセリンは見つかるのだろうか。いや、見つけないといけない。
「……」
深くフードを被り、ぼろぼろのマントを身にまとったセリンは、流れが弱まり濁り始めた水路を橋の上で見下ろしていた。セリンがアクエリを連れ出してから首都の水の流れは目に見えて狂い、汚れ始めている。
こんなに早く変わってしまうなんて、予想外であった。アクエリの不在はしばらく分からないだろうとたかをくくっていたが、ここまで目に見えて水路が汚れるとなると、連れ出したことも簡単にばれてしまう可能性がある。
「すまない、少し、いいだろうか」
どうしたものかと思案していると、突然男に声を掛けられる。セリンが振り向くと、声を掛けてきたのは王宮騎士団に属する騎士だった。
「君くらいの年齢の黒髪の少年を見なかったか」
ああ、僕がいなくなったことがバレたのか。そう思いながら、セリンは深く被っていたフードを外す。黒かったはずのその髪は真っ白になっていた。
「いいえ、見てませんよ」
「そうか、見つけたら教えてくれ」
「はい」
セリンに寄り添っているアクエリの姿は、目の前の騎士には見えていない。騎士が別の場所に行ったのを見届けると、セリンの髪の毛は元の黒髪に戻り、それを他の者に見られる前にフードを被りなおす。
「魔法の力を使えば、髪の色を一時的に変える事だって簡単です」
「だとしても、心臓に悪い。まだ城下町を出ないのかえ」
「僕の顔を知っている人が少ないおかげで、ずいぶん助かってますね。これも王妃のおかげかな?」
まだ城下町に留まり続けそうなセリンの袖をアクエリは強く引いた。
「早く、城下町を離れてはくれぬか。水路が濁っていくところを見るのはわらわも辛いのじゃ」
「……そうですね。すみません。日持ちのする食料を買い込んだら、ここを出ましょうか。騎士が探しているって事は、オーファンにも僕がいなくなったことが伝わっているでしょうしね」
髪の色を変えることは出来ても、顔自体を変えることは簡単ではない。セリンの顔を知っているオーファンに見つかってしまえばすぐにセリンであるとわかってしまうだろうし、何よりも、オーファンに手紙を渡さないことにした意味がなくなってしまう。
オーファンに最後に会ったときにこっそり渡した黒いルークの駒を、僕だと思ってこれからも騎士団で頑張ってほしい。もう、彼と会うことはきっとないはずだ。そうなるように、別の道を歩くように、僕がしたのだ。
「では、行きましょうか、アクエリ様」
神と人の逃避行は、まだまだ続く。