第四十話 奈落
一面、白の世界。
何かが着色されることなく、自分という、ただ一つの色だけを持つ世界。
話に付け加えるとすれば、新たな自分にすることが容易い世界。
白い地面に立つ自分と、あの少女が心の中に投影される。
何の話をしていたっけ。
あ、そうだ。ハイルの話だ。
簡単に、少女に今のハイルの事を話していく。いや、今のハイルしか知らないリーナには、昔のハイルと比べて話をすることができないから、少女に任せるしかない。
「背は、大きいです」
嬉しそうにはしゃぎ回っている少女。
「よく、私をいじめるのです」
夫もそうだったよ、と愚痴をこぼす少女。
「でも、とても優しくて、いつも周りは笑顔でいっぱいです」
夫もそうだったよ、と同じ言葉を言う少女。
何も無い白い世界には、様々な色を持った笑い声で溢れた。
――深い、微睡みへと堕ちていく。
水晶に取り込まれ、意識を失っていたリーナ。
強風。全身に受ける強い風は、リーナの意識を戻す要因としては、十分であった。
リーナが目を覚ました場所は空中で、下に広がる黒くて荒れた大地に向かって落下している。
「ふぇええええ!?」
悲鳴をあげても、風圧に負けてしまって殆ど聞こえてこない。
現在の状態は理解できても、どうしてこうなったのかという過程が無ければ、状況を理解できるはずもない。
段々と近づいてくる地面。このまま落ちれば、確実に死ぬだろう。
強い恐怖心を感じた時――リーナの背に羽が生えた。
「……え?」
慣性が働き、一度は地面に向かって加速しようとした身が止まる。
後ろを見ると、リーナの背丈の倍以上はある、黒い翼。
生きているかのように、血脈が通る皮膜。どことなく、竜の翼にも似ているそれは、リーナの体を支えるために羽ばたく。
徐々に高度を下げていき、最後には、折りたたまれてしまった。
もう一度開こうと踏ん張ってみる。だが、翼は動じない。
溜め息をつき、数十回程挑戦してみても変化が起きなかったため、リーナは状況の把握を開始する。
潤いが無く、枯渇した大地。木々は枯れ果て、『自然』が存在しないためか、魔物が発生する事も無い。
命が、存在しない場所。
リーナは上を向き、空を見て驚いた。
黒い太陽。いや、月と重なった時、このような現象が起きると学んだ覚えがあるが、その時間はほんの数分。それなのに、今の状態が永遠と続いているような、そんな感覚。
時間が、止められた世界。
歩き始める。帰り方も分からなければ、頼れる人間もいない。そもそも、自分以外の人間がこの場所にいるのかでさえ、定かではない。
道が斜めになり、体力にも変化が見られる。この世界は、元の世界と違って、体が思うように動かせない。まるで、何者かに操られている、体験したことは無いが、そう表現する方が正しい。
すると、頂上に立つ枯れ木のすぐ側に、人の姿が見える。
つい先ほどに見た女。今は先に見た時よりも幼くなり、女と呼ぶにはまだ早い。
やせ細った小さな体に、手には枯れた花。銀色の髪は目元を隠し、その髪の色よりも濃い銀色の痣が全身に絵を描く。
骨に皮が付いているだけの細い二本の足で立ち、朦朧とした黒い目で、どこか遠くを見ている少女。
視点を合わせようと、リーナは少女の見ている方に自分の目も向ける。
一切、熱を放たない黒い太陽の下。
底が見えない大穴が広がっている。元は湖だったのかもしれない、と大きさだけで判断するリーナ。その穴の中から、小さな青白い炎が無数に飛び出していく。
炎は空中まで到達すると、今度は重力を受けて落下する。
どこか遠くに飛んでいってしまったもの、太陽の光を受けて火力が弱まり消えてしまったもの、様々な動きをする内の一つを、リーナは見守る。
炎は、大穴のすぐ側にあった枯れた木に落ちると、青い炎で木を燃やした。
木は燃え始め、いずれは焼け焦げた木になるだろうと、リーナはそう思っていた。
しかし、それは違うことがすぐに分かる。
炎を受けたはずの木は、その中で急速的に成長を始めたのだ。
生命を受けたかのように蕾を生み、花を開いた木。炎はいつの間にか火の粉となって消えてしまい、そこには、美しい木が生えた。
色とりどりな、赤や黄や桜色。このまま、あの花を見ていたいと、呟いていたリーナ。
その隣に、あの少女は立っていた。
「変わらないよ、何も」
幼い声、大人びた声、苦しそうな声、楽しそうな声。
聞こえる声は一つだけのはずなのに、リーナには複数の声が折り重なっているかのように聞こえていた。
けれど、少女の顔は正直に表現している。
淋しい、と。
何が淋しいのか、それは聞いてみなければ分からない。顔を見ただけで、何を考えているのか分かれば苦労はしない。
だから、聞いてみる。
「何が、変わらないのです?」
「木だよ」
指を木に向ける少女。リーナもそちら側を見ると、開いたはずの花の色が褪せていく。続いて、木が砕けるかのように、炎を周りに放出しながら破烈すると、そこには何も残っていなかった。
他の木の動きも似ていた。蕾をつけただけで花を開かないもの。他の木を燃やしながら花を開くが、最後には、自身までも燃やしてしまうもの。
まともに花を開いた木が一つも無い。
少女の言葉を理解する。確かに、何も変わらない。
「あなたは、ここで何をしているのです?」
「綺麗な花を見たいんだよ。……彼の花は、とても綺麗だったから」
花なら、外の世界に咲いるのです、とリーナは言う。
少女は、瞳を輝かせてリーナを見た。だが、口を開こうとして、悔しそうに紡いでしまう。
「駄目だよ。もう彼の花は、生きていない。造花って言えば良いのかな。確かにそこにあるのに、生命を持っていないんだよ。それも、全部、私のせい……」
悲しみが伝わってくる。
そうだ。
リーナは少女を救いに来たのだ。
笑顔にするために、来たのだ。
ならば、楽しいことをしなければならない。
そのためには、楽しい場所に行かなければならない。
――少なくとも、ここではないどこかに。
「では、罪を償うのです。ここで悲しんでいても、誰も幸せにはなれません。最後の最後まで、生き抜くのです。あの木のように、短い開花だったとしても、良いです。幸せを噛み締められるのであれば、良いのです」
自信に満ち溢れた言葉。
リーナの言葉が少女の背を押し、言いたかった言葉を、言うのだった。
「じゃあ、行こうよ」
視界が黒に染まり、意識が再び、失われる。
最後に見たのは、瞳に光を灯した少女の笑顔であった。
昨日ぶりです。上雛平次です。
次回からは、バトル、バトルの連続で、つまらないかもしれませんが、温かい目で見て頂けると幸いです。
では、また明日。




